社会保障・経済の再生に向けて

第4回「社会保障改革は、暗黙の債務の推計と公表から-年金・医療・介護で230%(対GDP比)の可能性-」

小黒 一正
コンサルティングフェロー

混迷する社会保障改革に不足する視点 - 公的債務は公債のみではない

第2回のコラムでは、世代間公平基本法の制定とその任務を担う独立機関設置の必要性を提言した。また、第3回のコラムでは、社会保障における世代間格差を改善するため、現在賦課方式となっている社会保障(年金・医療・介護)に、事前積立を導入した場合の有効性を概説した。これら政策の推進には、現役世代・老齢世代がともに、社会保障が抱える問題の深刻さを認識する必要がある。その上で、将来世代の利益保護も含め、問題の解決に向けて、各世代が互いに協調するのが望ましい。

だが、現実には世代間協調は進まず、社会保障・財政改革の議論は混迷を深めている。混迷の背景には、「霞が関埋蔵金」論争も一定の責任がある。誤解を恐れずにいうと、「埋蔵金」論争は、社会保障の抜本改革を行わずとも問題が解決するという「幻想」を一部の国民に与えている。無駄な埋蔵金があるなら、効率的な資源配分に向け、政府のバランスシートを徹底的に精査する必要がある。その結果、発掘された埋蔵金は、公的債務の削減に活用するのが望ましい。だが、それで問題が解決するほど現実は甘くない。社会保障・財政が抱える問題の本質の見定めには、政府のバランスシート全体の把握と判断が重要である。

この把握と判断としては、ワインシュタイン・コロンビア大学教授や、井堀・東京大学教授らの「純債務(ネット)VS 総債務(グロス)」に関する議論が重要である。ワインシュタイン教授は、「総債務(グロス)から政府系金融機関の金融資産等を差し引いたものを純債務(ネット)と定めると、2002年で日本の一般政府の総債務(グロス)は対GDP比で162%であるが、純債務(ネット)は64%に過ぎない。だから、日本の社会保障・財政は持続可能である」旨の指摘をしている。この議論が妥当なら、社会保障・財政改革を喫緊の課題とする主張は勢いが低下する。

だが、井堀教授らが指摘するように、純債務(ネット)を計算する際、総債務(グロス)から差し引いた資産には、公的年金の積立金のように、理由があって、将来の債務支払いの財源として特別会計などに蓄積されているものもある。だから、これら資産も財源にして総債務(グロス)を圧縮してよいという議論は乱暴で大きな問題がある。また、政府のバランスシートには計上されていない巨額な債務があると、さらに問題は大きくなる。

この視点で重要なのは、社会保障(年金・医療・介護)が抱える暗黙の債務(後述)である。政府が試算するバランスシートには注記・参考として、厚生労働省が試算する年金の債務も記載されている。だが、社会保障の債務は、年金のみでない。年金は、現役世代から老齢世代に所得移転する「賦課方式」という仕組みになっている。また、医療や介護も老齢期に支出が集中し、その負担を現役世代が支えるという仕組みになっているので、これらも、おおむね「賦課方式」となっている。だから、年金と同様、医療や介護も債務をもつ。このため、一部の専門家は、年金の債務が約150%(対GDP比)、医療・介護が約80%で、合計で約230%と推計・公表している。これら債務の合計は、約1150兆円(対GDPで230%)となっている。一方、公債残高は約900兆円(対GDP比で約180%)となっている。したがって、実は、政府が抱える債務は、公債も含め、約2050兆円(対GDP比で約410%)もある。

ところで、社会保障が抱える債務の存在を、まだ信じられない方々もいると思う。だが、麻生良文・慶應大学教授らが指摘するように、賦課方式の社会保障は、完全積立方式の社会保障に、公債発行・課税政策を組み合わせた政策と同等なのである。以下では、社会保障が抱える暗黙の債務の定義と、この同等政策の概説を行う。

暗黙の債務とは何か - 暗黙の債務は、理論的に通常の公債発行と変わらない

まず、社会保障の支出は老齢期に集中して発生する性質があるが、社会保障が抱える「暗黙の債務」は「積立方式であれば存在していた積立金と、実際の積立金との差額」として定義できる。

また、社会保障には積立方式と賦課方式の2方式があるが、暗黙の債務の定義の意味は、「積立方式」の「純債務」の説明から進めると理解しやすい。積立方式は、各世代がその老齢期に必要な給付分を、現役期に強制貯蓄(積立)させる方式である。だから、積立方式では、各世代はその現役期に支払った負担に見合う受益を老齢期に受けとる。このため、各世代の負担と受益は常に均衡する。これは、積立方式には、世代間所得移転効果はなく、社会保障における世代間格差は発生しないことを意味する。また、積立方式で、各世代が支払った負担分は、将来の給付分として、政府に積み立てられる。政府が預かっているこの積立残高合計を「完全積立金」という。だが、何らかの理由で、実際の積立金が完全積立金を下回るとき、その差額を「純債務」(=完全積立金-実際の積立金)という。なお明示的に、純債務ゼロの積立方式を「完全積立方式」というときもある。

例えば、この純債務は、積立方式において、次のようなケースで発生する。制度発足時の老齢世代は、それまで積立してなかったから、本来なら給付を受ける権利はない。だが、それでは社会保障は導入できない。だから政府は、発足時だけの例外措置として、現役世代が支払った積立の一部に公債を引き受けてもらい、それを財源として、老齢世代に(負担ゼロで)給付するケースである。すると、この公債分だけ、それ以降の積立金は完全積立金を下回るから、純債務が発生する。

一方で、「賦課方式」には、このような債務が存在しないようにも思えるが、この見方は正しくない。これは、賦課方式の社会保障と「同等」の政策が、「公債発行+α」によって実行可能であることから導かれる。具体的には、公債発行・課税政策に、完全積立方式の社会保障を組み込む、「世代間所得移転政策」をいう。

まず、賦課方式は、1) 制度発足時の老齢世代は負担ゼロで現役世代から移転を受けとる。2) それ以降の老齢世代は現役期の負担と引き換えに現役世代から移転を受けとる。このように、現役世代から老齢世代に世代間所得移転を繰り返す方式である。現役世代の賃金の一定割合を移転する賦課方式の収益率は、「一人当たり賃金成長率+人口成長率」である。他方で、完全積立方式の収益率は利子率であるから、賦課方式ではその利息分を放棄(機会費用が発生)しているので、賦課方式における各世代の純負担は「利子率-(一人当たり賃金成長率+人口成長率)」で、これは人口成長率の変化により変動する。この賦課方式と同等の世代間所得移転政策は、次のようにして実行可能である。

まず、1)に対応するため、ゼロ時点に公債発行し、老齢世代に所得移転する。その後、公債が無限に大きくなるのを防ぐため、公債残高をGDPで比較して一定に保つよう租税負担する。GDP成長率は「一人当たり賃金成長率+人口成長率」で、公債残高は利子率で膨張していくから、この租税負担は、「利子率-(一人当たり賃金成長率+人口成長率)」で、賦課方式での各世代の純負担に一致する。

次に、2)と同じ効果を生み出すよう、完全積立方式の社会保障を組み込む。すると、これは、賦課方式とまったく同等の政策になる。すなわち、「賦課方式=公債発行・課税政策+完全積立方式」の関係が成立つ。また、この同等政策で発生する債務は、上記の積立方式の例外措置で説明した「純債務」と同一のものである。これは、賦課方式も、暗黙の形であるが、この積立方式と同様の純債務を抱えていることを意味する。これが、賦課方式の社会保障が抱える「暗黙の債務」である。また、この暗黙の債務は、理論的には通常の公債が発行されていることと変わりない。だから、通常の公債は放置しておけば利子がついて債務残高が雪ダルマ式に膨張していくので、この抑制には増税や給付削減などの負担を必要とする。

ところで、この同等政策の公債発行で発生した負担は「暗黙の租税」といい、賦課方式の大きな特徴となっている。この所得移転を生涯賃金でみると、ゼロ時点に負担ゼロで給付のみを受けとる老齢世代は得をし、それ以降の世代は、暗黙の租税分の負担が必要なので、損をする。そして、長期的には、最初の得をした世代のプラスの移転と、後世代のマイナスの移転は均衡する。だから、賦課方式の社会保障はゼロサム的性格をもつ。すなわち、「賦課方式」の社会保障は、ゼロサム的性格をもつ「世代間所得移転」を発生させている。これは得をする世代と損をする世代があることを意味する。

以上から、賦課方式の社会保障には暗黙の債務が存在し、それは後世代の負担によって賄われることを意味する。

社会保障改革は、暗黙の債務の推計と公表から - 世代間協調に向けて

以上のとおり、政府のバランスシート全体でみると、「総債務(グロス)」(約410%)でも「純債務(ネット)」(約310%)でも、社会保障の暗黙の債務は大きな比重を占める。だから、社会保障の持続可能性の維持には、暗黙の債務を現役世代と将来世代で負担する必要がある。このため、賦課方式を「世代と世代の助け合い」とか世代間所得再分配の観点から正当化するのは、制度発足時に高齢だった世代を特別に救済する必要があったという以外に正当化することは困難である。なぜなら、それ以後の世代については特別に救済する正当な理由がみつからないからである。

さて、世代間公平の観点から望ましい社会保障は、暗黙の債務ゼロの「完全積立方式」であると主張する専門家も多い。だが、賦課方式から完全積立方式に移行するには、暗黙の債務を完全償却しなければならない。だから、移行期の世代には自らの老齢期に必要な積立に加えて、債務償却のため、一時的に重い負担がかかる。これは、いわゆる「2重の負担」問題と呼ばれる。この問題があるので、完全積立方式への移行は困難とする批判もある。だが、この批判は、移行を短期とする前提から導かれる誤解である。移行は長期でも構わない。十分長い期間で債務を償却すると、償却に必要な負担を抑制し、2重の負担は軽減できる。また、移行により資本蓄積、生涯賃金などが影響を受ける。移行期間が短いと負担は重くなり、生涯賃金は減少する。だから、その期間の世代の効用は低下する。

一方、完全積立方式に移行すると、暗黙の租税負担がゼロとなるので、資本蓄積や潜在的成長力が上昇し、将来世代の効用は増加する。いずれにせよ、社会保障の持続可能を高めるには、現在の債務超過を将来の資産超過によって解消する必要がある。実際、2004年の年金改革は、マクロ経済スライドの導入などによって、年金に関する暗黙の債務を大幅に圧縮する試みをした。だが、維持可能性だけで社会保障制度を議論するのは不十分である。その際に考慮する必要があるのは、どの世代がどれくらい負担するのかといった「世代間公平」の視点となる。

この解決方法の1つが、第2回や第3回のコラムで紹介した世代間公平基本法の制定や、事前積立である。だが、この政策の推進には、現役世代・老齢世代がともに、社会保障が抱える問題の深刻さを認識し、互いに協調する必要がある。このための起爆剤として、現行賦課方式の社会保障が抱える暗黙の債務の推計・公表が必要とはいえないだろうか。

2009年1月9日

2009年1月9日掲載

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