RIETI海外レポートシリーズ 国際金融情報スーパーハイウェイの建設現場から

第四回「投資銀行におけるオフショアリングとアウトソーシングの黎明期(2)」

松本 秀之
コンサルティングフェロー

投資銀行が新しい金融市場に参入する場合、その市場に存在する金融関連の法律や規則に準拠したビジネスプロセスおよび情報システムを構築する必要があります。1980年代半ばから後半にかけて日本の金融市場に進出した欧米投資銀行は、欧米の市場で培った取引手法を債券市場において応用する事により収益性を確保する事ができたものの株式市場では苦戦をします。そこで今回は、1990年から1994年までのオフショアリングとアウトソーシングの黎明期に、欧米系投資銀行が頭を悩ませた日本の金融市場のコスト高の原因を分析します。

日本の証券業界の歴史:建設、復興、成長、グローバル化そしてデジタル化

現在、日本の金融市場において証券ビジネスを営む場合、準拠すべき法体系があります。その法体系がどの様なプロセスを経て作り上げられてきたのかという視点から、日本の証券業界の歴史を振り返ることにします。

明治維新以降、日本は近代化を推進する為に金融市場の建設に取りかかります。1878年東京(注1)と大阪(注2)に、そして1886年名古屋(注3)に株式取引所が設立されます。その後、第二次世界大戦開戦に至るまでに、横浜、新潟、長岡、京都、神戸、広島、博多そして長崎の8カ所に株式取引所が設立され、合計11カ所で証券取引の立会いが行われることになりました。加えて1940年から1941年にかけて、1府県1団体を基準として各地に証券業協会が設立され全国的基盤を築きます。これが現在の日本証券業協会(JSDA)の淵源となっています(注4)

1945年の第二次世界大戦終戦以降、米国の証券市場をモデルとして日本の証券市場は再構築されます。まず、1948年に証券取引法が公布されます。また、第二次世界大戦中の1943年3月、緊急的に日本証券取引所の1カ所に統合されていた株式取引所は、1949年に内閣総理大臣から免許を受けた証券取引所として、東京(注1)、大阪(注2)、名古屋(注3)の3カ所に再び開設されます。その後、札幌、新潟、京都、神戸、広島、福岡の6カ所に証券取引所が設立され、合計9カ所で証券取引の立会いが行われることになりました。また、1951年に証券市場の円滑な発展を目的として証券金融会社が、東京(注6)、大阪(注7)、名古屋(注8)の3カ所で営業を開始しました。これにより日本の株式市場に信用取引制度が定着・拡大していきます。

1965年に日本の証券業界は証券不況に直面します。その影響で証券業界で多くの不祥事が表面化したことで証券取引法は抜本的に改正され、証券会社の免許制あるいは証券外務員の登録制度などの各種規制が導入されました。その後、数年に亘る混乱期を経て1971年に外国証券会社への命令の制定、1973年に日本証券業協会の設立、それに伴う証券業経理の統一と顧客勘定元帳などの法定帳簿が規程されます。これにより日本の証券業界内にバックオフィスプロセスの統一化が行われました(注4)

1981年の公共債に関わる証券業務の解禁、1986年SIMEXに於ける日経225先物の上場、1988年の東京証券取引所(TSE)におけるTOPIX先物、大阪証券取引所(OSE)における日経225先物の上場、翌1989年のTSEのTOPIXオプション、OSEの日経225オプションの上場(注1,2)、1992年の子会社による銀行と証券の相互参入の解禁、同1992年の証券取引法の改正に伴う日本証券業協会の民法上の社団法人から証券取引法上の認可法人への改組(注4)などの各種改革の後、橋本内閣は1996年から「日本版ビッグバン改革」を推進します。

この改革は、イギリスのサッチャー政権時に行われた大規模金融制度改革を参考として、日本の金融市場をニューヨークとロンドンに並ぶ国際金融市場としての地位を確立することを狙ったものでした。テーマとしてフリー、フェアー、グローバルを掲げ、2001年まで実施されたこの日本版ビッグバン改革の過程で、株式売買委託手数料の自由化、証券会社の免許制から登録制への移行、取引所集中義務の撤廃、個別株式オプションの取引開始、株券貸借取引のルール制定、外為法改正、資産担保証券(ABS)の流動化、独占禁止法改正による金融持株会社設立解禁、証券取引法改正によるインターネット証券設立解禁などの各種改革が行われました。

また、日本の金融市場は1999年の欧州通貨統合および2000年のコンピューター2000年問題(Y2K)対応という、グローバルの視座からのコーディネーションを必要としたプロジェクト、2001年の日本銀行の国債決済システムRTGSの導入、2002年の有価証券預り証廃止と取引残高報告書の導入、2004年の証券振替機構のDVP決済化、2006年から2007年までの金融商品関連規制の全体的見直しに伴う証券取引法から金融商品取引法への改題と施行を経て、現在は2009年実施予定である株券のデジタル化・ペーパレス化に向けて準備を行っています。

金融商品取引法とその他の規則

現在、日本で証券ビジネスを展開する際には、さまざまな法律に準拠する必要があります。たとえば、商業的な取引関係に適用される商法、直接金融を規程する金融商品取引法(旧証券取引法)、間接金融を規定する銀行法、外国為替および貿易を規程する外為法(正式名称:外国為替及び外国貿易法)の他、金融先物取引法、商品取引所法、外国証券業者に関する法律、民法、民事訴訟法、刑法、刑事訴訟法、行政手続法、優先出資法、破産法、民事再生法、会社更生法などの商業、金融、為替、貿易、証券、株式会社に関する規程です。

これらの証券ビジネスが準拠すべき法律の中心に存在するのが金融商品取引法です。上記のさまざまな他の法律と関係性を持ち整合性を保つ金融商品取引法は第一章:総則の第一条において、その目的を「国民経済の適切な運営及び投資者の保護に資するため、有価証券の発行及び売買その他の取引を公正ならしめ、且つ、有価証券の流通を円滑ならしめること」(注9)と定義しています。

その後、金融商品取引法では、株式、債券、投資信託などの有価証券の定義、そして発行市場における有価証券の募集、売出しや引受け、流通市場における有価証券の売買、媒介、取次ぎや代理を定義が行われています。そしてまた、証券業あるいは証券仲介業とは何か、証券会社、証券仲介業者、証券業協会とは何か、有価証券市場、証券取引所とは何か、そして有価証券先物取引、有価証券指数等先物取引、有価証券オプション取引、外国市場証券先物取引、有価証券先渡取引、有価証券店頭指数等先渡取引、有価証券店頭オプション取引、有価証券店頭指数等スワップ取引など各取引の定義が行われています。続いて、企業内容等の開示、公開買付けに関する開示、株券等の大量保有の状況に関する開示というディスクロージャー関係、証券会社等、証券仲介業者、証券業協会、投資者保護基金、証券取引所、外国証券取引所、証券取引清算機関等のルールが規程されています。

さらに、日本の金融市場には金融商品取引法に付随する形の規則が存在します。たとえば、日本証券業協会の「自主規制規則」として、顧客資産の分別管理、上場株券等の取引所金融商品市場外での売買等、株券等の貸借取引、選択権付債券売買取引、債券等の条件付売買取引、着地取引、空売りあるいは貸借取引、外国証券取引、海外証券先物取引等を規程する規則。「統一慣習規則」として、債券決済のフェイル解消や株式名義書換失念の場合における権利の処理などを規定した規則。また、「理事会決議」として、証券会社の顧客管理等の行為規準や証券業経理の統一ルールが存在します(注5)。また、各証券取引所の会員である証券会社に対する「受託契約準則」、証券振替機構の参加者に対する「株券等の保管及び振替に関する法律」、そして証券金融会社の「貸借取引貸出規程」などの規程が存在します。

証券取引に関る法定帳簿と定期報告

金融商品取引法は、証券会社が作成すべき数種類の帳簿、いわゆる「法定帳簿」の作成基準を取引手法および金融商品別に細かく規程しています。ここで、投資銀行のどこの部署が、どのタイミングで、どの法定帳簿を作成するのかという観点で整理してみます。

まず、証券取引の約定日に作成すべき法定帳簿が3つあります。顧客から注文を受注した時点で作成が義務付けられている「注文伝票」。その注文が約定まで至らなかった場合でも、作成および保存が義務付けられています。これはフロントオフィスが作成します。そして、金融取引が成立した際に顧客に対して交付することが義務付けられている「取引報告書」。そして、自己勘定、顧客勘定そして取引先勘定で行われた証券取引の詳細の記録を全て記載する「取引日記帳」。この「取引報告書」および「取引日記帳」の2つはバックオフィスで作成します。

次に、証券取引の受渡日に顧客に対し交付する法定帳簿の「受渡計算書」および「有価証券預り証」が嘗て存在しました。2001年の証券取引法の改正により、債券、投資信託などの全ての取引とポジションを表示した「取引残高報告書」が規定されました。この時点で「受渡計算書」および「有価証券預り証」の2つの法定帳簿は廃止され、取引残高報告書を原則として4半期に1回以上、バックオフィスで作成し、顧客に対して定期的に交付することになりました。

また、月末時点で作成すべき法定帳簿には、まず経理処理に関係するものとして有価証券の種別を基礎とする「商品有価証券勘定元帳」、証券会社の自己勘定取引を記載する「特定取引勘定元帳」、顧客からの委託取引を記載する「顧客勘定元帳」。そして、顧客から預かった有価証券の明細を記載する「保護預り有価証券明細簿」。加えて、現先売買に関する「委託現先エンド月別残高明細表」、「自己現先エンド月別残高明細表」、着地取引に関する「着地取引台帳」、「売着地取引受渡月別銘柄別残高明細表」、「買着地取引受渡月別銘柄別残高明細表」。更に信用取引、先物取引、オプション取引に関しては「特定取引勘定元帳」と「顧客勘定元帳」の別冊を作成する必要があります。これもバックオフィスで作成します。

さらに、入庫および出庫を行った有価証券の記番号を記録する「受渡有価証券記番号帳」(入出庫伝票による代替可)、また株券貸借取引、債券貸借取引および選択権付債券売買取引に関しては、個別取引明細書を取引の相手方との間で取り交わすことになります。加えて、証券振替機構参加者は「顧客口座簿」を作成します。また、これらの法定帳簿とは別に、証券会社は各種法律に則り証券取引に関る統計報告書を財務省(日本銀行経由)、証券取引所、日本証券業協会などに作成提出する必要があります。この定期報告書は、日次、週次、月次、四半期毎、年次の各報告書があり、内容は国際収支を算出するためのもの、証券取引に関する取引内容の詳細を把握するものなどさまざまな種類の報告書があります。これら全てバックオフィスの担当です。

自社開発システムかビューロー型システムか

以上、ここまで現在の金融関連の法律および規則、そしてそれに規定されている法定帳簿および定期報告を分析してきました。ここから今回のレポートの焦点である1990年から1994年までのオフショアリングとアウトソーシングの黎明期に話を戻します。この黎明期は今のようにデジタル技術が発達していないことから、全ての法定帳簿および定期報告書類を紙で作成する必要があり、また日本版ビッグバンの規制緩和以前であるため、有価証券取引に伴う受渡日ベースの「受渡計算書」および「有価証券預り証」、また、有価証券の入庫出庫に伴う「入出庫指示書」を作成する必要がありました。

同時に、株式業務では1991年10月に業務を開始した、証券保管振替機構(JASDEC)のシステム、信用取引や株券貸借を取り扱う日本証券金融のオンライン端末、そして債券業務では日本銀行において国債の決済を行う日銀ネットといった別の社外オンラインシステムを導入する必要がありました。これらのシステムは、それぞれ異なった仕組みで構築そして稼動しているため、たとえば光学式文字読取装置(Optical Character Reader:OCR)を用い、ユーザーは特殊な定型伝票に決められた鉛筆あるいはボールペンで記号や数字を記入し、それを事務処理センターに持ち込むという作業を必要とするものが存在しました。

このような事務処理に対する法的要請に応えるため、日本に進出した欧米系投資銀行は、情報システムを整備する際、システムを自社開発で行う方法、あるいは日本のコンサルティング会社などが提供するビューロー型システムを使用する方法などの選択肢から、システム戦略を立案していきます。その過程でアメリカ系投資銀行数行を除く殆どの欧米系投資銀行はビューロー型システムを選択しました。その理由は、株式、債券、先物取引の約定、資金証券決済、経理処理、夜間処理、法定帳簿や定期報告書類の作成など法定要請に関る機能を全て網羅していること、そして自社開発には多大なコストが掛かるうえに、システム構築の成功例が稀少でありシステム構築の手法が良く分からないことでした。

しかし、このビューロー型システムは、新商品や新市場に対応するためのシステム開発が追いつかない場合があることから、フロントオフィスがビューロー型システム未対応の新商品の取引を開始する、あるいは新市場に参入する場合、追加のモジュールを自社開発する必要がありました。その際、1990年代にAT&TとSUNとが提携し共同開発した結果、コンピューター市場に大量供給されたUNIX、あるいはIBM・東芝・日本電気などが開発する個人向けパソコン市場でシェアを圧倒したマイクロソフト社が販売するMS-DOSそしてウィンドウズという、主に2つのタイプのオペレーティングシステム(OS)の環境で自社開発が行われていきます。

このような状況下で、欧米系投資銀行は日本の金融市場に新規参入をした後の数年間、日本の法的要請に対応できるための情報システム構築および情報システム運用の分野では、当時の円高の影響も加わりコスト高に苦しみます。それに伴い、東京と他の金融市場、たとえば香港やシンガポールなどと1人当たりのコスト比較を始めた投資銀行もありました。

国家的知的財産としての金融管理アーキテクチャ

今回のレポートでは、上記のとおり当時の日本の法的要請レベルおよびそれに伴う事務処理がコスト高に繋がっていたことを指摘しました。このような指摘の後には、規制緩和を行うことで法的要請レベルを下げたほうがいいという拙速な議論になりがちです。しかし、欧米系投資銀行の東京支店においてマネージャーとして証券実務に携わった経験のあるアメリカ人やイギリス人の中には、日本における金融商品取引法に基づく法定帳簿と定期報告の仕組みが論理的な整合性をもって確立されている点を賞賛する人もいます。

前述のとおり日本の金融商品取引法に基づく法定帳簿と定期報告の仕組みは、明治維新以降約130年以上に亘る証券市場の歴史の中で培ってきたメカニズムであり、また金融取引内容の確認、金融取引履歴の保管、顧客資産の分別管理などの観点から極めてシステマチックでバランスの取れたアーキテクチャです。これから金融市場を構築していく国々は、この日本の証券取引事務処理アーキテクチャから重要な知識・知恵を得る可能性があると考えております。

そこでこの「海外レポートシリーズ:国際金融情報ハイウェイの建設現場から」では、もう少し多種多様な観点から分析を行った後に、9月25日のコラムで提起した「日本の金融市場戦略」と結びつける形で、この国家的知的財産の活用方法を含めた議論を行いたいと思います。

さて次回は、このようなコスト高の中で、オフショアリングとアウトソーシングの黎明期に、欧米系投資銀行が編み出した新しい情報システム戦略について、ご報告致します。

2007年12月18日
写真

2007年12月18日掲載

この著者の記事