ウィリアム・イースタリー著『エコノミスト 南の貧困と闘う』
ポイント
- 「人々は、インセンティブに反応する」という経済学の基本原理こそ、重要。これまで一部の経済学者は、この点を誤解してきた。その誤解が、貧困対策を誤らせている。援助では、貧困から脱出できない。
- 貧困からの脱出の最良の処方箋は、人々がインセンティブを持って、「貧困の罠」から抜け出すこと。
- 貧困への処方箋は、再分配よりもインセンティブを内包する経済成長が有効。
内容要約
経済発展には、インセンティブが不可欠
イースタリーは、次のように述べている。
「援助供与国、途上国の政府と市民は、しばしば経済学の基本原理を間違って適用し、正しいインセンティブを活用せず、その結果、発展は起こらなかった」
貧困からの脱出のためには、インセンティブが重要であると述べている。しかし、彼自身、インセンティブの活用は易しいことではないと認めている。
「インセンティブの活用は、容易な万能薬ではない。援助供与国、途上国の政府と市民の相互に連動するインセンティブは複雑に絡み合い、それを解きほぐすことはやさしくはない」
また、イースタリーは、貧困問題への処方箋は「経済成長」であると述べている。既存の先行研究に基づいて、彼が次のように考えているからだ。
「1人当たりGDPの伸びが、飢餓を失い、死亡率を低下させ、貧困削減に有効である」
貧困の解決には、どのような経済的手段が有効なのか。この点について、イースタリーは、援助などによる再分配よりも、人々がインセンティブを持った上で実現する経済成長こそが重要であると考えている。
経済学者の誤解
多くの経済学者は、経済成長について誤解をしてきたと、イースタリーは述べている。彼が指摘する誤解には、6点ある。
(1) 援助で投資を増やせば経済は成長するという迷信
資金ギャップモデルが予測する成長率と実際の成長率との間に相関はない。
高成長したはずのギニア・ビサウ、ジャマイカ、ザンビア、ガイアナ、コモロ、チャド、モーリタニは、独立時の投資も大きく、その後の援助も多かった。しかし、高成長を達成しなかった。逆に、モデルではあまり成長しないはずのシンガポール、香港、タイ、マレーシア、インドネシアは高成長を達成した。
(2) 成長へのインセンティブが欠けているときは、どんなに機械を増やしても無駄
生産者が機械を使用する環境に原因がある。
(3) 教育は普及したが、経済成長への効果としては期待外れ
政府の政策が成長へのインセンティブを阻害している場合には、高度な技術が開発されても、関連投資を作り出すインセンティブを高めるどころか、低めることになるかもしれない。成長へのインセンティブが欠ける場合、機械や教育が増えても経済成長は起こらない。
(4) コンドームは、大量飢餓を避け貧しい国を豊かにする万能薬という誤解
人口の増加は、利用可能な資源に対する競争を高める。つまり、技術面のイノベーションを促進する効果を持つ。経済発展こそが、人口抑制の最高の方法である。両親の平均的な初期技能水準に応じて、高出生率・低所得社会になったり、低出生率・高所得社会になったりする。人口抑制をするためには、人的資本へ投資するインセンティブを高めるべきだ。
(5) 借金がインセンティブを削ぐ
所得が上昇すれば、援助を減らすということは、豊かになることに対してマイナスのインセンティブを与えてしまっている。経済成長政策が奏功して所得が上昇するにつれて、援助も増額するべきだ。構造調整融資の失敗は、債務の返済不能を容認してしまうことである。
(6) 債務救済をしても元を断たねば無駄
債務救済をしても、援助を悪用する能力にきわめて長けた途上国に援助を与えてしまうだけだ。重債務の原因をつくった資金の乱費を続ける限り、本当に困っている貧しい人に援助は行き届かない。
債務救済プログラムが有効なのは、無責任な政府から政策が良好な政府へと確実に転換することであり、その転換が不可逆な形で起きた場合に有効である。
貧困の罠を抜け出すためには、どうするべきか?
イースタリーは、貧困への処方箋は、インセンティブを持って、「貧困の罠」から抜け出すこと、であると述べている。そのために重要なこととして、次の5点を指摘している。
(1) 創造的破壊
人々に新しい技術を受け入れるインセンティブがあり、将来の利益のために新技術を取り込む間は現在の消費を喜んで我慢しようするときに、経済成長が起きる。古い技術の信奉者は、旧技術でその競争力を守ろうとして、新しい企業が参入しないように障壁を築こうとする。
(2) 災害の対策
貧しい国は、豊かな国よりも自然災害に対して脆弱である。エイズの問題、自然災害、戦争、内戦などは、国の経済力を弱める。成長は初期条件に依存する。初期の貧困によって経済がある境界以下であれば、その国は離陸しない。成長は期待に依存する。良い期待が生まれるかどうかが重要である。
(3) 政府が成長を殺すことを理解する
政府は、成長にとって好ましくないインセンティブを生むような行動を慎むことによって、成長を殺さずに済む。しかし、高インフレ、為替レートの高い闇市場プレミアム、多額の財政赤字、大きくマイナスの実質利子率、自由貿易に対する規制、過度の官僚的形式主義、不十分な公共サービスなどは、経済成長を殺してしまう。
(4) 汚職
国の制度の質も汚職に影響を与える。政府は、どの新興産業に補助金を出すかを決定するときに賄賂を取りがちなので、我々は特定の新興産業に補助金を出すような産業政策を推奨するべきではない。
(5) 分断と非効率な競争
社会の分断は非効率性を生み出す。このような社会の分断は、複数の利益集団が存在しているときに起きる。分断の効果は、財政赤字の膨張、利益集団間の消耗戦などによって、経済的な非効率性を生み出してしまう。
以上のような点に対応し、成長のインセンティブを持つことこそが、貧困問題の処方箋となりうると考えているのである。
コメント
経済学の本質と原点に立ち戻った開発政策論
貧困対策について、一方では、援助が有効であるという議論がある。世界銀行やIMFの基本的な貧困対策は、この立場にある。それゆえに、イースタリーの主張はこれまでの世界銀行やIMFの政策を批判するものとなる。
本書を読み進めていくと、成長に対して公共選択論の分野で指摘がなされるような「政治の失敗」の問題が、経済成長に対して深刻なダメージを与えていることがわかる。「政治の失敗」は経済に歪みを与え、成長の足枷となる。
「政治の失敗」は、時に再分配政策を歪める「罠」を作り出す。既得権者や利益集団は、再分配過程の中で、より多くの果実を獲得するインセンティブを持ち、政治的に公正な分配を歪めようとする。そのため、「援助」という方法は、貧困問題の解決に対して限界があると認めざるを得ない。また、政治的な活動に費やされる費用は、本来の生産活動に向けていれば、さらなる経済成長を生んでいたかもしれない。その貴重な資源を、生産以外の部分で消耗してしまっているのである。その点で、経済的な非効率性を援助では解決できない。
経済学の基本原理は、イースタリーが述べるように、「人々がインセンティブにどのように反応するか」という問題である。すなわち、言い換えれば、各人のインセンティブとその相互作用の問題である。既得権者は、既得権を守ることにインセンティブを持ち、新規参入者は既得権を打ち破ることにインセンティブを持つ。各人は、異なったインセンティブを持っている。そして、それぞれのインセンティブが調整されるシステムこそが「市場」というメカニズムである。そのため「市場」はそもそも多様性を認めるシステムである。
イースタリーのメッセージは、しばしば忘れがちな経済学の基本原理を思い出させ、原点に戻らせてくれる。そして何よりも貧困問題の解決には、その先に「希望」という名のインセンティブがあってこそということを教えてくれるのである。
