書評:ウィリアム・イースタリー著『エコノミスト 南の貧困と闘う』

グローバリゼーションの論争

グローバリゼーションは問題ではない派

ウィリアム・イースタリー著『エコノミスト 南の貧困と闘う』

(小浜裕久、織井啓介、冨田陽子訳、2003年、東洋経済新報社)

矢尾板俊平

ポイント

  1. 「人々は、インセンティブに反応する」という経済学の基本原理こそ、重要。これまで一部の経済学者は、この点を誤解してきた。その誤解が、貧困対策を誤らせている。援助では、貧困から脱出できない。
  2. 貧困からの脱出の最良の処方箋は、人々がインセンティブを持って、「貧困の罠」から抜け出すこと。
  3. 貧困への処方箋は、再分配よりもインセンティブを内包する経済成長が有効。

内容要約

経済発展には、インセンティブが不可欠

イースタリーは、次のように述べている。

「援助供与国、途上国の政府と市民は、しばしば経済学の基本原理を間違って適用し、正しいインセンティブを活用せず、その結果、発展は起こらなかった」

貧困からの脱出のためには、インセンティブが重要であると述べている。しかし、彼自身、インセンティブの活用は易しいことではないと認めている。

「インセンティブの活用は、容易な万能薬ではない。援助供与国、途上国の政府と市民の相互に連動するインセンティブは複雑に絡み合い、それを解きほぐすことはやさしくはない」

また、イースタリーは、貧困問題への処方箋は「経済成長」であると述べている。既存の先行研究に基づいて、彼が次のように考えているからだ。

「1人当たりGDPの伸びが、飢餓を失い、死亡率を低下させ、貧困削減に有効である」

貧困の解決には、どのような経済的手段が有効なのか。この点について、イースタリーは、援助などによる再分配よりも、人々がインセンティブを持った上で実現する経済成長こそが重要であると考えている。

経済学者の誤解

多くの経済学者は、経済成長について誤解をしてきたと、イースタリーは述べている。彼が指摘する誤解には、6点ある。

(1) 援助で投資を増やせば経済は成長するという迷信
資金ギャップモデルが予測する成長率と実際の成長率との間に相関はない。
高成長したはずのギニア・ビサウ、ジャマイカ、ザンビア、ガイアナ、コモロ、チャド、モーリタニは、独立時の投資も大きく、その後の援助も多かった。しかし、高成長を達成しなかった。逆に、モデルではあまり成長しないはずのシンガポール、香港、タイ、マレーシア、インドネシアは高成長を達成した。

(2) 成長へのインセンティブが欠けているときは、どんなに機械を増やしても無駄
生産者が機械を使用する環境に原因がある。

(3) 教育は普及したが、経済成長への効果としては期待外れ
政府の政策が成長へのインセンティブを阻害している場合には、高度な技術が開発されても、関連投資を作り出すインセンティブを高めるどころか、低めることになるかもしれない。成長へのインセンティブが欠ける場合、機械や教育が増えても経済成長は起こらない。

(4) コンドームは、大量飢餓を避け貧しい国を豊かにする万能薬という誤解
人口の増加は、利用可能な資源に対する競争を高める。つまり、技術面のイノベーションを促進する効果を持つ。経済発展こそが、人口抑制の最高の方法である。両親の平均的な初期技能水準に応じて、高出生率・低所得社会になったり、低出生率・高所得社会になったりする。人口抑制をするためには、人的資本へ投資するインセンティブを高めるべきだ。

(5) 借金がインセンティブを削ぐ
所得が上昇すれば、援助を減らすということは、豊かになることに対してマイナスのインセンティブを与えてしまっている。経済成長政策が奏功して所得が上昇するにつれて、援助も増額するべきだ。構造調整融資の失敗は、債務の返済不能を容認してしまうことである。

(6) 債務救済をしても元を断たねば無駄
債務救済をしても、援助を悪用する能力にきわめて長けた途上国に援助を与えてしまうだけだ。重債務の原因をつくった資金の乱費を続ける限り、本当に困っている貧しい人に援助は行き届かない。

債務救済プログラムが有効なのは、無責任な政府から政策が良好な政府へと確実に転換することであり、その転換が不可逆な形で起きた場合に有効である。

貧困の罠を抜け出すためには、どうするべきか?

イースタリーは、貧困への処方箋は、インセンティブを持って、「貧困の罠」から抜け出すこと、であると述べている。そのために重要なこととして、次の5点を指摘している。

(1) 創造的破壊
人々に新しい技術を受け入れるインセンティブがあり、将来の利益のために新技術を取り込む間は現在の消費を喜んで我慢しようするときに、経済成長が起きる。古い技術の信奉者は、旧技術でその競争力を守ろうとして、新しい企業が参入しないように障壁を築こうとする。

(2) 災害の対策
貧しい国は、豊かな国よりも自然災害に対して脆弱である。エイズの問題、自然災害、戦争、内戦などは、国の経済力を弱める。成長は初期条件に依存する。初期の貧困によって経済がある境界以下であれば、その国は離陸しない。成長は期待に依存する。良い期待が生まれるかどうかが重要である。

(3) 政府が成長を殺すことを理解する
政府は、成長にとって好ましくないインセンティブを生むような行動を慎むことによって、成長を殺さずに済む。しかし、高インフレ、為替レートの高い闇市場プレミアム、多額の財政赤字、大きくマイナスの実質利子率、自由貿易に対する規制、過度の官僚的形式主義、不十分な公共サービスなどは、経済成長を殺してしまう。

(4) 汚職
国の制度の質も汚職に影響を与える。政府は、どの新興産業に補助金を出すかを決定するときに賄賂を取りがちなので、我々は特定の新興産業に補助金を出すような産業政策を推奨するべきではない。

(5) 分断と非効率な競争
社会の分断は非効率性を生み出す。このような社会の分断は、複数の利益集団が存在しているときに起きる。分断の効果は、財政赤字の膨張、利益集団間の消耗戦などによって、経済的な非効率性を生み出してしまう。

以上のような点に対応し、成長のインセンティブを持つことこそが、貧困問題の処方箋となりうると考えているのである。

コメント

経済学の本質と原点に立ち戻った開発政策論

貧困対策について、一方では、援助が有効であるという議論がある。世界銀行やIMFの基本的な貧困対策は、この立場にある。それゆえに、イースタリーの主張はこれまでの世界銀行やIMFの政策を批判するものとなる。

本書を読み進めていくと、成長に対して公共選択論の分野で指摘がなされるような「政治の失敗」の問題が、経済成長に対して深刻なダメージを与えていることがわかる。「政治の失敗」は経済に歪みを与え、成長の足枷となる。

「政治の失敗」は、時に再分配政策を歪める「罠」を作り出す。既得権者や利益集団は、再分配過程の中で、より多くの果実を獲得するインセンティブを持ち、政治的に公正な分配を歪めようとする。そのため、「援助」という方法は、貧困問題の解決に対して限界があると認めざるを得ない。また、政治的な活動に費やされる費用は、本来の生産活動に向けていれば、さらなる経済成長を生んでいたかもしれない。その貴重な資源を、生産以外の部分で消耗してしまっているのである。その点で、経済的な非効率性を援助では解決できない。

経済学の基本原理は、イースタリーが述べるように、「人々がインセンティブにどのように反応するか」という問題である。すなわち、言い換えれば、各人のインセンティブとその相互作用の問題である。既得権者は、既得権を守ることにインセンティブを持ち、新規参入者は既得権を打ち破ることにインセンティブを持つ。各人は、異なったインセンティブを持っている。そして、それぞれのインセンティブが調整されるシステムこそが「市場」というメカニズムである。そのため「市場」はそもそも多様性を認めるシステムである。

イースタリーのメッセージは、しばしば忘れがちな経済学の基本原理を思い出させ、原点に戻らせてくれる。そして何よりも貧困問題の解決には、その先に「希望」という名のインセンティブがあってこそということを教えてくれるのである。

グローバリゼーションの論争

グローバリゼーションは問題ではない派

トーマス L フリードマン著『フラット化する世界』

(伏見威蕃訳、2006年、日本経済新聞社)

大越 諭

ポイント

  1. 本著は、ニューヨークタイムズの記者である筆者が取材した世界で起こっているさまざまなフラット化の事例を多数掲載してい。
  2. グローバリゼーションを3つの時代に分けて、現在のグローバリゼーションが「10の圧力」によって「三重の収束」として、フラット化が生じていると述べている。
  3. フラット化していくには、イマジネーションが大事である。開放した世界においてイマジネーションはベルリンの壁の崩壊(11.9)などの良い事例を生み出すが、孤立した世界を作ってしまうと同時テロ(9.11)などの悪い事例を生み出してしまう。

内容要約

グローバリゼーションの3つの時代

(1) グローバリゼーション1.0とは、旧世界と新世界のあいだの貿易が始まった1492年から1800年ごろまでの『国家や腕力が主役の時代』である。この時代では、国家が物理的な力(腕力、馬力、風力など)をどれだけ持っているかが重要であった。この時代の国家や政府は、壁を打ち壊して、世界をつなぎ合わせ、世界の統一をはかろうとした。この時代の課題は、自国をグローバルな競争やチャンスにどう適合させればよいかということであった。

(2) グローバリゼーション2.0とは、1800年から2000年までの時代で、『多国籍企業』が市場と労働力を求めることによって、世界がグローバル化したものである。具体的には、オランダとイギリスの共同出資による会社の産業革命が、蒸気機関や鉄道による輸送コストの軽減をもたらし、後半は電報、電話、人工衛星、パソコンなど通信コストの軽減を行った。大陸から大陸へと大量の商品や情報が移動することによって、世界市場が生まれ、生産と労働の両方の世界的な取引がそこに生じた。この時代の課題は、自社が世界経済にどのように適合するかというものであった。

(3) グローバリゼーション3.0とは、『個人』がグローバルに力をあわせ、またグローバルに競争を繰り広げるという時代である。これを可能にしたのが、「フラットな世界のプラットホーム」であり、世界中の人々は、個人としてグローバル化する絶大な力を持っていると気づいた。そして、3.0は1.0や2.0と異なり欧米の個人や企業が牽引したのではなく、中国やインドなど多種多様な個人の集団によって生じているのが特徴である。

フラット化した10の圧力

フラット化をもたらした要因として、本著では「10の圧力」を挙げている。
第1に、ベルリンの壁の崩壊である。これは、単に東と西がつながったことで、世界が単一市場になったということだけではなく、電話やFaxに代わって電子メールの整備が進むきっかけになったことを挙げている。

第2に、ネットスケープのIPOによるブラウザーの誕生と光ファイバーケーブルに対する過剰投資である。ブラウザーはもちろんインターネット環境になくてはならないことは自明だが、それに加えてインターネットバブルによって光ファイバーケーブルの過剰投資を生んだ。

第3に、共同作業を可能にした新しいソフトウエアの登場である。Web連携のための技術基盤が生まれて、ソフト同士を自動的に連携させることが可能になった。こうした標準化はイノベーションを阻害するものではなく、むしろ互いのインターフェイス調整などの余分なワークロードを削除することで、イノベーションそのものに集中させる働きを持った。

第4に、アップロードが誰でも可能になったことである。それによってオープン・ソースが発達し、オープン・ソースコミュニティでは、多くの個人がコミュニティで協調しあうことでイノベーションが生まれるようになった。

第5に、アウトソーシングの進展である。アウトソーシングを米国で進展させたきっかけとなったのはY2K問題(2000年問題)である。できるだけ安く、品質を落とすことなく大量の人材をY2K問題に対応させる必要があった。そこで登場したのがインドである。インドは数十万人のエンジニアを輩出し、米国の大学院と比べても非常に高いレベルをもち、英語も堪能であった。さらに、米国とインドの地理的な問題はIT技術によって障害とはならず、むしろインドの人件費が安いというメリットがあった。そこでインドにアウトソーシングを行い、Y2K以降もこうした外注の流れが起こるようになった。

第6に、オフショアリング(業務の海外移転)による中国の成長である。オフショアリングはアウトソーシングと違い、企業の特定の機能(たとえば工場)をそのまま海外に移転することである。このオフショアリングを後押ししたのが中国のWTOの加盟である。これは中国政府がグローバルの輸出・輸入・海外投資等のルールに従うことを同意したことであり、それによって中国は目覚ましい発展を果たしている。米国の調査によれば、中国は1995年から2002年の間に年率17%の生産性向上を果たしている。

第7に、サプライ・チェーン・マネージメントによる製品の生産・運搬・販売の全体管理と最適化である。ウォルマートでは配送コストを徹底的に削減し、さらに情報システムに投資して顧客が何を買っているのかを分かるようにした。また、この情報を生産者と共有し、必要な商品を常に棚に置いてもらうようにして機会ロスを削減し、在庫費も削減した。また、工場のジャスト・イン・タイムと同じ発想がITによって流通業でも行われた。

第8に、インソーティング(専門的業務受託)の進展である。業務を専門化して、それぞれの会社に振り分けるようになった。それによってコールセンターなどのサービスの質が向上し、顧客満足度が上昇するようになった。

第9にサーチエンジンによるインフォーミング(Informing)である。検索サイトの登場によって、世界のあらゆる場所から、あらゆる場所に対して商売ができるようになった。これを著者は、インフォーミングと呼んでいる。

第10に、上記の第5から第9までの圧力を合わせたステロイドである。ワイアレス・アクセスなどの技術により、いつでも、どこからでも、どの端末からも、さまざまなことができるようになった。そして、これらのアクセスのしやすさは、上記の効果を増幅するように働いた。

三重の収束

こうした10の圧力によって「三重の収束」が生まれた。第1の収束は、フラット化の要因が収束して「均している競技場」が誕生したことである。第2の収束は、この競技場を活用するためのビジネスモデルがいろいろと誕生した。リアルタイムのコラボレーションを実現する、インターネットによる社会・経済活動の場が生まれ、合計30億人の新興経済国がグローバル化に参入したことである。その中でも世界の博士号の半数がインド人と中国人で、安くて優秀な労働力の供給源となっていることを指摘し、インドと中国にスポットを当てている。第3の収束は企業が、独立した垂直サイロ方の組織から集約が起こり、水平型のコラボレーション時代に入りつつあることである。

フラット化の問題

世界がフラット化することで、さまざまな問題が生じてしまう。それは世界がフラット化し始め、バリューが(個人がより大きな力を持つさまざまな形式の共同作業を通じて)水平に生み出されることが多くなると、上下や搾取の関係が極めて複雑になる。そうなるとこれまでの規範や境界、組織は整理されていかなければならないからである。

そこで経営学でも政治学でも、製造や研究開発の分野でも、当事者は「水平化」を理解し、さまざまなプロセスを適応させなければならなくなる。こうした摩擦の最大の原因は、明確に定められた国境と法を備えた国家であり、政府がどれくらいに平らであってほしいのか。またフラットな世界で企業が競争しやすくするために、政府がどこまで自由化にするのがいいのかが問題になる。

さらに知的財産も、誰が何を所有するのかということが重要である。イノベーションを行った人間の知的財産を守り、本人がそこから得た利益を新たな発明に投入できるようにするには、どんな法的障壁であればいいのか。そしてどうすれば、最先端の発明に不可欠な知的財産の共有を促進できるかも考える必要がある。

解放された世界か閉ざされた世界か

フラットな世界では、競争作業のさまざまなツールはよって誰でも手に入る。しかし、イマジネーションはいつの時代も手に入れることができない。開放した世界においてイマジネーションはベルリンの壁の崩壊(11.9)などの事例を生み出す。そして著者は人間のイマジネーションが大切ではなかった時代は、今まで一度もないが、今ほどイマジネーションが大切な時代もないとのべており、解放した世界でなく孤立した世界を作ってしまうと、同時テロ(9.11)などの事例を生み出してしまうとしている。

コメント

本書は、IT革命によるグローバル化が、世界のフラット化をもたらしているという趣旨のものである。その論拠として数十もの事例を持ち出して説明をしている。フラット化をした10の圧力の整理は重複している点もあるが、さまざまな要因が相互に増幅しているという点はわかりやすかった。

しかし、タイトルが「フラット化する世界」としているにもかかわらず、世界全体で考えた場合、ITに触れることができない貧困国と先進国とのアクセスの差によるアンチ・フラット化が促進されているのでという点については言及していない。本書の中で言及している事例は、中国やインドなど、低賃金で優秀な労働者に仕事の需要が増えているという内容であり、これは、単に情報通信の分野でアウトソーシングが進んでいるだけであるという一側面の議論に過ぎないのではないかとも捕らえうる。

また、国内での産業による格差などについても言及が少ない。専門化・細分化の事例を基に、どのような産業でもフラットになると述べている。しかし、フラット化が難しい産業もある。実際に中国などでは、貧富の格差が主張されているのであり、扱っている事例に偏りが感じられた。

フラット化が持つ課題については、著者は記者であることを理由に、言及を避けているが、今後の議論の発展のためには、その点の考察も重要であろう。また、本書の議論の内容は、インターネット技術が導入され始めた当初から存在するものであり、若干、新鮮さが欠けるという感触を得た。