小林慶一郎のちょっと気になる経済論文

第10回「技術変化によって格差問題は解決するか?」

小林 慶一郎
ファカルティフェロー

マスターくん
某私立大学大学院修士課程2年生(経済学)。経済学者志望で目下猛勉強中。

小林 慶一郎写真小林フェロー:日本で格差問題が大きな話題になってきたのは、ここ2、3年のことですが、米国では80年代(あるいは70年代半ば)以降に賃金格差が広がり始め、現在まで格差拡大が続いています。賃金格差拡大のトレンドは、経済学者の間では、最近数十年の技術変化が、Skill-biasを持っているからだと理解されています。コンピュータの普及など高いSkill(たとえば大卒など高等教育の素養を持っていること)を労働の前提条件とするような技術体系が普及し、そのために、高いSkillを持った人々は、能力を活かして収入を増やすチャンスが増えました。一方、低いSkillの人々は、コンピュータによる代替などのために、逆に仕事を失いました。

格差問題が今後どうなっていくのかを考える上で、Skill-biasのある技術変化がどうして起きてきたのか、そして、Skill-biasのある技術変化はこれからも続くのか、という問題を考えることは重要です。こうした疑問を考える手がかりを与えてくれるのが、今回紹介するAcemogluの論文です。

Daron Acemoglu (2002). "Directed Technical Change." Review of Economic Studies 69: 199-230.

マスターくん画像マスターくん:Acemogluの論文はどういった内容なのでしょうか?

小林 慶一郎写真小林フェロー:Acemogluの主張は1つの生産要素(Skilled labor)が外生的な要因で大量に供給されたために、Skilled laborを活用する技術を開発する誘因が(企業に)生まれ、その結果、Skill-biasのかかった技術進歩が生じた、というものです。生産要素として、資本、Unskilled labor、Skilled laborを考えると、20世紀のアメリカで、大学教育が普及し、Skilled labor(大卒の労働者)がUnskilled laborに比べて多くなりました。その結果、Skillを活用する技術が開発され、Skillを持った人々の賃金が増えました(Skill premiumが増加)。

この理論は、90年代までの大卒賃金のプレミアムの上昇を説明するには適切ですが、90年代以降の中間層の没落を説明するモデルにはなっていません(90年代以降、大卒を含む、中程度の賃金を得ていた労働者の職が減少し、低賃金の職と高賃金の職が増えたといわれる。Autor, Katz, and Kearney (2006)を参照)。こうした欠点に留意する必要はありますが、Directed Technical Changeの考え方は、技術変化の方向がこれからどう変わるかを考える上で、重要な示唆を与えてくれます。

【Acemogluの論文の構造】
モデルは、連続時間の新古典派経済成長モデルの体裁をとっているが、基本的にはStaticなモデルと考えてよい(Balanced Growth Pathのみを考えているので、Transitionalな均衡経路についての考察はない)。Skilled labor をZで表示し、Unskilled labor をLで表示する。Lを使って作られる中間財YLとZを使って作られる中間財YZから、CES型生産関数によって消費財(投資財でもある)が生産される。

中間財YL(またはYZ)を作るのに、L(またはZ)とL(またはZ)を増強する機械xが必要となる。中間財を製造する生産業者は、競争的企業であり、生産要素や生産物の価格は市場で決まる与件と認識して、生産量や生産要素の購入量を決定する。YLを作るための機械はNL種類(YZを作るための機械はNZ種類)あり、このNLが、Labor augmenting な技術の水準をあらわす。NZは、Skill augmentingな技術の水準をあらわす。

中間財の生産関数を単純化すると、Cobb-Douglas型の生産関数として表示できる。
Log YL = log NL + (1-β) log xL + βlog L
Log YZ = log NZ + (1-β) log xZ + βlog Z

機械は、1種類ごとに独占企業(Technology monopolist)によって発明され、中間財を製造する生産業者に貸し出される。(1つのTechnology monopolistは、何種類もの機械を貸し出すことができるが、すべての種類を一社が独占するわけではない。R&Dと機械の貸し出しを行う活動にはFree entryが許されていて、Technology monopolistたちは独占的競争を行っている) 。

Technology monopolistは、R&D活動に消費財を投資することによって、一定の割合で確定的に機械の種類を増やすこと(つまり、新しい機械を発明すること)ができる。したがって、機械の種類NL、NZは時間とともに変化する。このNL、NZの変化が技術変化を表している。NL/NZが減少することを、Skill-biasのある技術変化と呼ぶ。

Technology monopolistの最適化行動の結果として、NL/NZは変化する。Balanced growth path では、NL/NZはある比率で一定になるわけだが、その値が、ZとLの比率とどのような関係にあるかを静学的に調べたのがこの論文である(この論文では、ZとLの値は、外生的に与えられている、と仮定している) 。

Zの量がLの量に比べて相対的に増加したときに、技術変化がSkill-biasを持つかどうかは、次の2つの効果によって決まる:それは、Price effectとMarket size effectである。

Price effect:Zが増えると、YZがYLに比べて相対的に多くなるから、YZの価格はYLの価格に比べて安くなる。その結果、Technology monopolistは、Zを増強する機械を作る誘因が小さくなる。これがPrice effect。この効果は、Zが増えたときに、NZを小さくする方向に作用する。

Market size effect:Zが増えると、YZの量をYLに比べてたくさん作ることができる。これは、YZを作る事業者の利益を増やし、Zを作る機械を発明するTechnology monopolistの利潤を増やす。これがMarket size effect。この効果は、Zが増えたときに、NZを大きくする方向に作用する。

モデルの計算によると、ZとLが代替財である場合は、Market size effectがPrice effectよりも強くなる。その結果、Zが増えると、NL/NZは減る。ZとLが補完財の場合は、逆になり、Zが増えると、NL/NZは増える。(ZとLが非常に強い代替性を持つとき、つまり、代替の弾力性が2を超えるとき、相対的な賃金wL/wZも、Zが増えると小さくなる。すなわち、スキルプレミアムが大きくなる)

R&D活動によってNLやNZが増えるわけだが、それらの増加量はNLやNZの現在量によって影響されるかもしれない。その場合を、技術革新の潜在フロンティアがstate-dependentであると呼ぶ。State-dependentの場合、技術変化のSkill-biasがより強くでる。

Acemogluは、このモデルを現実の経済現象を説明するために使っている例をいくつか示しています。アメリカ経済で、近年、Skill-biasのある技術変化が起きているのは、このモデルによると、20世紀にアメリカで高等教育が普及し、大学卒の労働者が増えたからだということになります。Skill-premiumが上昇し、高学歴の労働者と低学歴の労働者の間で賃金格差が広がったことも、このモデルでは、Z(Skilled labor)とL(Unskilled labor)が代替財であるとすれば、説明できます。また、18世紀、19世紀の技術変化が、Skill-replacingだったこと(技能工よりも、未熟練労働者を活用する工場システムが発達したことなど)の理由も、このモデルで次のように説明できます。18~19世紀は、農村から都市部に未熟練労働者が大量に供給されたため、Lが増えた。その結果、Lを一層活用するようにバイアスのかかった技術変化、すなわち、Skill-replacingな技術変化が起きた、ということです。

また、このモデルで、グローバリゼーション(先進国と途上国の間の市場開放)を分析すると、貿易自由化によって(途上国にとって)Skill-biasが過度に大きな技術変化が生じ、先進国と途上国の間の賃金格差も拡大する、という結果が得られます(ただし、この結果も、ZとLが代替財であることが前提条件)。

また、「19世紀に、米国は英国に比べて労働力が稀少だったために、英国よりも、(労働増強的な)技術進歩が進んだ」というハバクク(Habakkuk)仮説も、このモデルによって説明することができます。ZとLの代わりに、H(労働)とL(土地)による生産関数を考えると、HとLが補完財であれば、土地に比べて労働が稀少な米国では、(労働増強的な)技術進歩が進むことがわかります。

さらに、1960年代に大陸ヨーロッパで起きた(と考えられる)Wage-push shock(賃金上昇)についても、このモデルは現実をうまく説明できます。モデルによると、Wage-push shockがあると、当初は労働分配率が上昇するが、そのうち資本増強的なバイアスのある技術変化が起きて、資本分配率が増え、労働分配率は低下します。さらに、その間、ずっと、雇用総数は低下しつづける。これは、ほぼヨーロッパの状況に合致しています。

マスターくん画像マスターくん:Acemogluのモデルを使って、現在の日本での格差拡大や米国での労働の二極化(普通の大卒や高卒の中間層の仕事が減り、一部の高賃金所得者と、多くの低賃金労働者に、労働者が二極化しつつある現象。90年代以降、顕著になったといわれる)は説明できるのでしょうか?

小林 慶一郎写真小林フェロー:冒頭に述べたように、Skilled laborを大卒、Unskilled laborを高卒以下、というように解釈すると、二極化のような現象はこのモデルでは説明できません(Skill-biasのある技術変化が進むと大卒の賃金が相対的に上昇するはずだから)。

しかし、Skillが技術体系によって、相対的に決まると考えればどうでしょうか。たとえば、Acemogluの説明では、18世紀の農民は、「未熟練労働者(Unskilled labor)」となりますが、農業技術については、彼らは「熟練労働者(Skilled labor)」だったはずです。経済の支配的技術が、農業技術から製造業技術に変わったために、農業の熟練労働者が、製造業の未熟練労働者に変わったわけです。

これと同じように、コンピュータの普及によって、経済の支配的な技術が、製造業時代の技術から、情報技術に取って代わられつつあるのが現代社会だとすると、かつての製造業中心の社会では熟練労働者だった人々(普通の大卒労働者など)は、情報技術については、未熟練労働者になってしまう。その結果、Z(Skilled labor)の多くがL(Unskilled labor)に変貌してしまうわけです。こうして、Lが増えつつあるのが90年代の米国の二極化や、現在の日本の格差拡大が示していることではないでしょうか。

そうだとすると、Zに比べてLが増えているのだから、Acemogluのモデルからは、今後、L(つまり、情報化時代の未熟練労働者)にバイアスのかかった技術変化(つまり、Skill-replacingな技術変化)が進んでいくのではないかと予想されます。その結果、19世紀から20世紀半ばまでの間、米国や先進国で、賃金格差が縮小して平等化が進んだように、これから、数十年かかって賃金格差の縮小が進む、ということになるかもしれません。賃金格差が今後、どうなっていくのかを考える際に、このようなAcemoglu理論を立脚点にして考察すると、「賃金格差は一方的に拡大するのではなく、拡大と縮小を、非常に長期のサイクルで繰り返すのではないか」ということが予想されるのです。技術の枠組みが大きく変化する過渡期には、(新しい技術体系にとっての)未熟練労働者が増えるため、賃金格差が拡大し、それに応じてSkill-replacingな技術革新が起きて、技術が未熟練労働者にも普及し、賃金格差が縮小します(未熟練労働者が熟練労働者に変化する)。さらに、熟練労働者が増え続けると、Skill-biasのある技術変化が起きて、賃金格差が拡大に転じます。

Acemogluのモデルでは、ZとLの供給量は外生的に決定されている、と仮定されています。しかし、上記のような長期のサイクルを考える際には、ZとLの供給量そのものが、技術変化によって、内生的に変化するメカニズムを考える必要があるでしょう。

もう1つ、モデルの設定についての技術的な話を最後にしておきたいと思います。R&Dが、State-dependent(現在の技術水準(NLやNZ)が、技術革新のスピードにスピルオーバー効果を持つこと)であるかどうか、によってモデルの結果が少し変化します。Acemogluは、長期の技術変化などを説明するには、R&DがState-dependentであることが望ましく、短期の賃金格差拡大などを説明するには、State-dependentでなくてもよい、といいます。私はState-dependentかどうかも内生化できるのではないだろうかと考えます。たとえば特許が有限期間しか効かないとすれば、短期にはR&D活動はState-dependentではなく、長期にはState-dependentになる、というモデルが作れるでしょう。この点は、Acemogluも今後の課題として問題視しているので、短期にはState-dependentではなく、長期にはState-dependentである、というモデルを作れれば、ちょっとした改善といえるでしょう。

2007年10月16日
文献
  • Autor, D. H., L. F. Katz, and M. S. Kearney (2006). "The Polarization of the U.S. Labor Market." NBER Working Paper No. 11986.

読者からの質問

Acemogluのモデルなどは理解できていなくて恐縮です。現実の部分に質問があります。

マスターくんのセリフにあるAcemogluのモデルを使って、現在の日本での格差拡大や米国での労働の二極化(普通の大卒や高卒の中間層の仕事が減り、一部の高賃金所得者と、多くの低賃金労働者に、労働者が二極化しつつある現象。90年代以降、顕著になったといわれる)は説明できるのでしょうか?という箇所の論拠となる論文や資料はあるのでしょうか?

先日、東京大学の博士課程の齋藤経史さんの「学校は人的資本を形成するのか?」を読みました。賃金格差の測り方の問題点を分かりやすく書いてありました。データも示していたので「学歴間賃金格差の変化のほとんどは、分布区分の見せかけによるものです。」との結論に納得してしまいました。日本では、マスターくんのセリフにある論拠となる論文や資料はあるのでしょうか?

小林 慶一郎写真小林フェロー:質問への答えですが、たとえば次のような論文があります。
Autor, D.H., F. Levy, and R.J. Murnane "The skill content of recent technological change: An empirical exploration." NBER Working Paper 8337

2007年10月16日掲載

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