IoT, AI等デジタル化の経済学

第54回「株取引への人工知能の導入;カブドットコム証券へのインタビュー」

澤谷 由里子
東京工科大学大学院バイオ・情報メディア研究科教授

齋藤 奈保
一般財団法人国際IT財団(IFIT)事務局長

岩本 晃一
上席研究員

井上 雄介
リサーチアシスタント/東京大学大学院経済学研究科博士課程

2016年9月以降、カブドットコム証券株式会社(以下「カブドットコム証券」)は、機関投資家向けストック・レンディング・トレード(株券等貸借取引)業務分野に、株式会社日立製作所(以下「日立」)が開発した人工知能Hitachi AI Technology/Hを導入し、半年間で収入が+7%増という実績を示している。人工知能を証券基幹業務の現場に本格的に導入し、かつ実績を出しているケースは、知り得る限り、はじめての事例である。

本稿は、カブドットコム証券を訪問し、同社の住友康二金融市場室長にインタビューしたものである。その概要は、以下の通り。

1. はじめに

まず、人工知能を導入したストック・レンディング・トレード業務の具体的な内容および本業務が抱える特有の課題についてご紹介したい。次いで、その課題をHで如何に解決したのか、およびその成果を説明する。最後に、今後のストック・レンディング市場に向けた当社の構想について述べたい。

2. ストック・レンディング・トレード業務の内容

ストック・レンディング・トレード業務とは、株券を売買するのではなく、株券を借りたり貸したりする貸借取引業務である。借り手は貸借金利を支払い、一定期間、貸し手から株券を借り入れる。これまでは、株券の集まる信託銀行が主たる貸し手(lender)で、内外大手証券が借り手(borrower)という状態で、ストック・レンディング・マーケットの規模はそれほど大きくなかった。しかし、近年、市場規模は拡大傾向にあり、平成23年次の約3兆円から、平成28年次には約3倍の10兆円強へと急拡大している。各証券会社は、トレーダーを増員するなど対応に追われ、国内ネット証券5社がストック・レンディング・マーケットに新規参入し、ネット証券を介して個人投資家も増加している。

さらに、ストック・レンディング・マーケットの拡大に対応して、米エクイレンド社などシステムベンダーが、レンディング・トレード・プラットフォームを形成し、運用を開始している。 こうした急速な市場拡大は今後とも継続していくと思われる。

図表1:国内株券貸借残高の推移
図表1:国内株券貸借残高の推移
図表2:ストック・レンディング市場への主な参加者
図表2:ストック・レンディング市場への主な参加者

3. ストック・レンディング・トレード業務の課題

ストック・レンディング・マーケットは将来性のある有望な市場であるが、実際に業務を行うに当たって、課題がある。すなわち、約定に至るまでのトレード方法が非常にマニュアル的に行われているため、かなりの労力と時間を要し、その結果、すべてのオファーに対応できず、「取りこぼし」が発生している、という点である。

そのため、ストック・レンディング・トレード業務とはどのように行うのか、説明する。当社の取引相手である企業は合計21社で、各社は平均約4名のトレーダーを配置している。当社のトレーダーは2名である。トレードの約定で最も重要なのは、貸出レートの決定であり、それは当社の収益と直結する。だが、そもそも「正解のレート」というものが存在しない。トレーダーとトレーダーが相対取引で、相手が納得するレートを見つけなければならない。1銘柄の貸出レートを見つけることでさえも、かなりの労力と時間を要する。オファーを受信してから貸出レート提示まで、平均約5分要している。100銘柄のバスケットオファーが入ると、1時間以上の時間を必要とする。

レンディング・トレード業務は、オファーが入れば、1件ごとにトレーダーが確認し、対応しなければならない煩雑かつマニュアル的な作業であるため、すべてのオファーに対応できず、「取りこぼし」が発生している。

トレーダーには高い能力が求められる。オファーを受けた銘柄の株を当社が何株保有しているか確認し、需給関係や株価の推移、取引量などあらゆる情報もしくは経験則から、貸出レートの判断を即座に行わなければならない。

図表3:トレード方法の流れ
図表3:トレード方法の流れ

このように、貸出レートの判断に多くの時間を費やすと、貸出件数が減ってしまう。現在、当社における株の貸出可能残高(在庫)は、およそ3400億円ほどである。このうち、実際に貸出されているのが、全体の14%ほどにとどまっており、86%が在庫として固定化している。こうした状況を打開するため、新しくトレーダーを雇用しようとしても、外資系証券会社で勤務するトレーダーの給与は高額である。そのため、人件費に投資するのでなく、業取引務改善のために投資を行うのが合理的であるという考えから、人工知能Hを導入することにした。

図表4:貸出可能残高
図表4:貸出可能残高

4. 人工知能Hの導入による効果

我々がHに求めたのは、貸出レートの自動生成であった。当初、どこまで実際の業務に活用できるかわからなかったが、さまざまなデータをHに投入し、貸出レートの予測値を自動的に算出することを目指した。結果的にみると、Hを導入するまでの期間はおよそ半年という極めて短期間で、貸出レートの予測方程式が実用化の段階に到達した。

現在は、逐次、データを更新することで精度を高めている。具体的にいえば、Hで約定した直前までの実績データを学習させることで、その都度、モデルを作り直している。そもそもHの特筆すべき利点は、正確かつ迅速な数値解析にある。一般的に、人工知能と言えば、音声認識・画像認識・質問応答などが期待されるが、Hは高い数値解析能力が強みである。

ビッグデータの時代に入った昨今では、これまで判断材料として使っていたデータだけではなく、使っていなかったさまざまなデータをも活用することが求められている。そうした領域は人間の判断できる範囲を超えている。

当社では、正確かつ迅速な貸出レートの算出という、人間の能力を超えている部分を、人工知能Hで判断させることで、より効率的な業務遂行を目指した。それでは実際に、Hを業務に取り入れることで改善した点をご紹介しよう。

第1に、トレード業務の効率性をみれば、経験則に基づいた業務は大きく圧縮され、作業が効率化された。過去のトレーディング・データや需給バランス、各種指標などの合計1000種類以上の数値データをHに投入し、予測方程式を作成することで、最適な貸出レートが自動的に生成可能となった。またHによれば、銘柄ごとに予測方程式を作成できるため、各銘柄の特性に応じた貸出レートを求めることが可能となった。貸出レートの算出に関して、経験則の余地が減り、効率化が実現した。

図表5:トレード方法の効率化
図表5:トレード方法の効率化

第2に、在庫に関しても、取引業務が効率化したことで大きな改善がみられた。直近の状況として、貸出残高が14%から25%へと10%ほど改善した。この25%という数字は、大企業で株数が多く、市場に広く普及している銘柄などが一般的に余るということを考えれば、高い作業効率が実現しているといえよう。

図表6:貸出可能残高の改善
図表6:貸出可能残高の改善

また、Hを導入した利点の1つに、三段階で予測値を算出できる点がある。我々が求めたいのは、正確なレートだけではなく、それよりも割高なレートと割安なレートである。なぜ我々が、3種類のレートを求めているかというと、たとえ割高なレートであったとしても、オファーに対して即座に対応することで約定に至れば、高い収益性が見込めるためである。つまり、即座に約定を行うことが優先されるような取引では、約定される範囲内で可能な限り高いレートで取引を行いたいのである。割高なレートが約定されなくても、もし、他の企業から同様のオファーがあったとき、即座に提示することができるため、取引が成立する可能性が高い。高い収益性が見込めるレートを即座に算出することこそが、人工知能Hを活用する一番のメリットとなる。

このように、Hを活用することで、当社が抱える課題は大きく改善され、かつ収益生の向上も期待できるようになった。社内の業務体制にも、Hがもたらす影響が見られる。現在、当社で業務をしている2人のトレーダーのうち、1名は3年ほどの経験者であるが、もう1名はレンディング業務に従事して半年ほどの新人社員である。この社員は、それまで証券のバックオフィスで勤務していて、レンディング業務には一切従事した経験がなかった。その社員がいま、Hが決めたレートをみて、自身はレートの判断をすることなく、取引業務を行い、特に問題もなく、取引は成立している。新規に人員を集めて育成するといった人材投資を行うよりも、このように人工知能を活用した方が効率的かつ経済的であったといえよう。ただし、データ蓄積を今後進めていく過程で、Hによる推計とトレーダーによる判断の双方を併用し、臨機応変に対応していく予定である。つまり、市場の急激な変化や、レート調整が必要な際など、人工知能では現状、予測不可能な場合は、熟練したトレーダーの判断余地を残すことで対応する。そうした情報は次回以降に活用するべく、データとして蓄積していく。

これまで人間では1件当たりの取引でかなりの時間を要していたが、人工知能を利用している現在では、新人トレーダーであっても取引は容易である。銘柄コードをCSVで読み込んでしまえば、数秒後には全ての予想レートが算出されるので、約定が1分以内で完結する。これは100銘柄の株券がセットとなっているバスケットでの注文に対しても同様である。これまでの煩雑な業務から解放されたトレーダーは、時間効率が改善されたことで、以前は対応できていなかった取引会社からのオファーにも迅速に対応できるようになり、約定機会が高まったのである。その結果、レンディング事業収益は、導入直前の2016年8月と6カ月後の2017年2月を比較すると、約7%向上した。

現在のネット証券業界で比較すると、当社の口座数は業界で4位であり、収益の絶対額でみれば上位よりも少ない。しかし、個別銘柄貸出率でみると、当社が1位となっている(米エクイレンド社HP参考)。レンディング業務の効率化を通じ、より高い収益性を担保できるよう、人工知能Hの今後の活用法を模索していきたい。

5. 今後の構想

今後、当社は、セキュリティを確保した上で、レンディング・トレード専門のWEBページを開設したいと考えている。貸出余力をさらに拡大させることで、マーケットの流動性向上に貢献し、マーケットを拡充したい。現在、中小規模の証券会社は、システム投資や高いリスク管理コストが制約となって、レンディング・マーケットに参加できていない状況にある。だが、収益のインパクトは前述の通り大きいため、こうした証券会社や個人投資家にも市場参加のメリットは大きい。そこで、当社がハブになることで、これまで参加できていなかった企業も、当社レンディング専用WEBページから、株の貸出業務に参入できるよう、プラットフォームを形成したいと考えている。国内準大手以下の証券会社が参入すると、およそ2000億円規模の市場拡大が見込まれる。その中では、Hをフル活用することで、トレーダーの関与を極力排し、「人の手」を介さない完全自動化を目指したい。今後の事業拡大に向けて、Hをますます活躍させたい。

図表7:レンディング・マーケットのプラットフォーム化構想
図表7:レンディング・マーケットのプラットフォーム化構想

2017年8月15日掲載

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