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ネットワーク社会の神話と現実

表紙写真
執筆者 著:池田 信夫
出版社 東洋経済新報社/定価1800円+税
ISBN 4-492-22232-4
発行年月 2003年5月
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内容

世界に神を持たない民族は多いが、神話を持たない民族はほとんどない。人類はなぜ生まれたのか、あるいは自分はなぜこの世に存在するのか、といった疑問に答えてくれる物語を人々は常に求めるのだろう。現代人は神話と無縁に生きているように見えるが、イラク戦争をめぐるブッシュ米大統領の演説には、「人類は神によって自由で平等に創造された」とか、「自由は、米国だけでなくイラクの国民にも、神から与えられている」といった神をたたえる言葉がよく出てくる。このように自国が神に選ばれた国だという「自民族中心主義」は、世界の神話に共通の特徴である。

神話という言葉は、しばしば「無意味」の代名詞として使われるが、実際の神話は決して無意味ではない。人類学者クロード・レヴィ-ストロースが詳細に分析したように、神話のなかには人々の潜在的な思考様式が隠されている。彼の言葉でいえば、「人が神話のなかで考えるのではなく、神話が人のなかで自分自身を考える」(『神話学』第一巻)のである。

本書で取り上げたテーマにも、神話化された問題(あるいは非問題)が多い。国民背番号、メディア規制、IPv6、インフレ目標、デジタル放送、地球温暖化――こういう非問題が有害なのは、それに費やされるエネルギーが無駄であるばかりでなく、真の問題を隠してしまうからだ。たとえばデジタル放送の失敗のおかげで、日本では電波の問題はメディアのタブーになっているが、電波を無線インターネットに開放することは、デジタル放送よりもはるかに重要な政策課題である。

こうした議論を「脱神話化」し、それが非問題であると証明するのは、労多くして功少ない作業である。もともと学問的には意味がないし、神話はほとんど信仰の対象になっていることが多いので、批判された側は感情的に反発するばかりで、まともな論争になることは少ない(例外はIPv6だけだった)。メーリングリストでフレーム(喧嘩)が起こり、掲示板「2ちゃんねる」には私を罵倒する「スレッド」がいくつも立ち、ひどいときには訴訟を起こすという内容証明の手紙も来た。

これは論争というよりも、神話の背後にある潜在的な思考様式を解読する人類学者の仕事に近い。たとえば「個人情報保護法はメディア規制だというが、メディア以外の一般市民や企業は規制されてもいいのか」と新聞記者に質問すると、絶句してしまう。反論を求めても、返答を拒否する。他人に対しては「情報公開」とか「説明責任」を求める新聞記者が、自分自身のことになると思考が停止してしまうのは、マスメディア自体が情報を統制するカルテルの一環になっているという現実に気づいていないからである。

同じことは、政府にも企業にも起こっている。地球温暖化防止のための京都議定書は、環境省の担当者でさえ日本が基準を達成できるとは思っていないのに、国会では全会一致で批准されてしまう。地上波デジタル放送が成功すると信じているテレビ局の社員は皆無なのに、だれも止めようとしない。社内で疑問を呈すると、「おまえも大人になれ」といわれるという。いま起こっているのは、60年近く、それぞれの業界で語り継がれてきた「戦後」という神話が意味を失い、現実とのギャップが危険なほど広がっているという状況である。

しかし変化は始まっている。インターネットは、日本的な閉じた企業システムの内部と外部の境界を超えて情報をグローバルに共有することを可能にし、古い神話を根底から揺さぶっている。これに対して、放送業界が放送のインフラとコンテンツを「水平分離」する規制改革に反対するのも、音楽業界がP2Pをつぶそうとするのも、当然の反応である。それは既得権益を守るための意識的な戦術というよりも、神話の外の世界に対する生理的な拒否反応と見たほうがよい。ジョン・メイナード・ケインズは、「長期的に危険なのは既得権益ではなく理念だ」という名言を残したが、もっと危険なのは無知である。

かつて産業革命が物を生産する秩序を変えたように、インターネット革命は情報の秩序を根底から変えるだろう。「IT革命」のバブルは崩壊したが、本質的な変化が始まるのは、これからである。この闘いは、インターネットと古い神話との全面的な対決であり、そのゆくえはまだわからないが、双方とも幸福な結果に終わることは望みえない。

本書は2000年12月から2年間、ウェブマガジン『ホットワイアード』日本版に月1回、連載したコラム「ドット・コミュニズム」を中心にして、この2年間に雑誌やウェブサイトなどに書いたエッセイを集めたものである。2年以上たつと、ドッグイヤーのインターネットの世界では、もとのままでは使えないので、大幅に書き直し、結局ほとんど原型はとどめていないが、連載の最初に「情報は自由を求めている」というコンピュータ・ネットワークの開拓者スチュワート・ブランドの言葉を掲げたように、インターネットの自由を守る精神は一貫していると思う。

『ホットワイアード』以外の雑誌への初出は、次のとおり(題名は変えている場合がある)。これ以外は、私の勤務する独立行政法人経済産業研究所のウェブサイトに書いた論文やコラムの書き直しと書き下ろしである。

文体や用語はなるべく統一するように努めたが、もともとバラバラの媒体に書かれたので、ある程度の不ぞろいや重複はお許し願いたい。その代わり、どこから読んでもわかるようになっている。一般向けの本なので、細かい技術的な注釈は省略したが、研究所のウェブサイトに本書のサポート用ホームページを作ったので、くわしい参考文献などが必要な方は参照していただきたい。ただし本書の主張は、研究所とは関係のない私の個人的な見解である。

新聞社やテレビ局を批判する本書のような議論は、インターネットがなければ不可能だっただろう。自由な発言をお許しいただいた『ホットワイアード』の編集長の江坂健氏と、いろいろ物議をかもしそうな本書の出版にご尽力いただいた東洋経済新報社出版局の佐藤敬氏にお礼を申し上げるとともに、表現の自由を尊重する同社の石橋湛山以来の伝統にも敬意を表したい。

2003年3月
池田信夫

  1. 第1章 個人情報は誰のものか
    1. プライバシーという幻想
    2. 監視社会の神話
    3. 個人情報の光と影
    4. 「2ちゃんねる」的不安
  2. 第2章 ドット・コミュニズム
    1. 情報自由主義と情報重商主義
    2. 無線インターネットと電波の開放
    3. デジタル革命の記号論
  3. 第3章 IT産業の創造的破壊
    1. ビッグ・クランチの始まり
    2. 死の接吻
    3. IPv6・四つの神話
  4. 第4章 構造改革を超えて
    1. 資本主義の「王殺し」
    2. 日本経済の危険なゲーム
    3. 失業のすすめ
    4. 日本企業は変われるか
  5. 第5章 言論の自殺
    1. 「情報社会主義」の崩壊
    2. 戦艦大和の最期
    3. 田中角栄の呪縛
  6. 第6章 地球環境危機の虚妄
    1. 偽の黙示録
    2. ガイアは地球を救えるか
  7. 第7章 新しい帝国
    1. ニューヨークの戦争機械
    2. 帝国の逆襲
    3. マルクスの亡霊
    4. 領土戦争から情報戦争へ(内容見本:html版)

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