IT@RIETI

no.23: ポップ政策はどこまで真剣になれるか

東 浩紀
哲学者/批評家/国際大学GLOCOM助教授

このところ、日本のポップカルチャーあるいはサブカルチャーと、その周辺のコンテンツ産業への期待が急速に高まっている。ローレンス・レッシグがコミケに注目し、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』がアカデミー賞を受賞し、ダグラス・マッグレイの論文「Japan's Gross National Cool」が邦訳され、現代美術とアニメの境界を侵食する村上隆の活躍がメディアを賑わすなか、いまや「クール・ジャパン」はバブルを迎えたようだ。実際、最近の経済誌では日本のコンテンツ産業の規模は50兆円とも70兆円とも喧伝されているようで、他方で内実は10兆円ぐらいなんじゃないかという意見もあるところを見ると、これは文字どおりバブルだと言っていい。投資家は注意が必要だろう。

とはいえ、戦後日本が育て上げた巨大なサブカルチャーの潜在力に、日本人の多く、とりわけ行政サイドが気づき始めたことの意義は決して小さくない。実は、国内のサブカルチャーに関する研究や批評や報道の現場は、既得権益に守られておそろしく硬直化している。

たとえば、小説の世界では、いわゆる純文学が全国紙で大きく取り上げられ、ときに公的な補助金まで受けて海外に翻訳紹介されている一方で、アニメやゲームと密接な関わりをもち、若い世代に支持されている新種の小説(ライトノベル)が文芸時評や書評欄で取り上げられることはほとんどない。報道が市場の動向をまったく反映していないのだ。筆者は文学のことしか分からないが、同じ歪みは、おそらくほかのジャンルでも見られることだろう。最近では、2ちゃんねるで「突発オフ」「大規模オフ」の名で知られてきた集団行動が、「ニューヨーク発のフラッシュ・モブ」として外電で報じられるというケースもあった。足元のサブカルチャーのダイナミズムについてもっとも無知なのは、実は、国内のメディアであり、行政であり、学会であり、財界である。

伝統芸能にかわる、新しい観光資産=文化資産としてのポップカルチャー……などというお題目はいかにも胡散臭く聞こえるが(そして実際に胡散臭いと思うが)、その勘違いが勘違いなりに機能し、結果として国内の情報流通の歪みが正されるのならば、それは歓迎すべきことである。そのかぎりで、筆者も、行政とサブカルチャーの情報格差を埋めるべく、微力ながら貢献させていただくつもりだ。

しかし、そこでひとつだけ注文がある。筆者は、いま、ポップカルチャーに関わるプロジェクトや委員会にいくつか関わっているが、そこでつねに感じるのは、現場の人間とのパイプの細さである。むろん、何人かのアーティストや企業人が名前を連ねてはいる。しかし高密度な情報交換が行われているようには思えない。今後政府がポップカルチャー政策の整備に乗り出すにしても、現状から出てくるのは、官僚と業界団体の思惑に学者の視点が申し訳ていどに加えられた凡庸な補助金政策にならざるをえないのではないか。筆者はその事態を何よりも怖れている。

ほかの産業と同じく、ポップカルチャーの振興においても、政策決定にあたっては市井の市民=消費者の意見を救いあげることが重要である。行政は一般にそのような情報を各種団体から吸い上げてきた。しかしサブカルチャーには業界団体も組合も存在しない。あったとしてもそれがすべてではない。

たとえば、筆者の友人は、マンガ・アニメ・ゲーム系のイラストレイターたちのポータルサイトを運営している。彼の推測によれば、日本のウェブには、類似したサイトが少なくとも10万は存在するという。10万といえば、日本の全サイトのなかでも無視できない数である。そのなかには、高品質の作品を無償で発表し、海外のファンから注目を集めているサイトも数多く存在する。しかし、それらの運営者の団体は存在しないし、そこでどのようなコミュニケーションが行われ、作品の交換や影響関係がいかなるものなのか、本格的な調査は一切行われていない。同じように、コミケ来場者や2ちゃんねらが何を考えているのか、現状では行政が把握する方法はほとんどない。しかし、もし、コンテンツ立国としての未来を本気で模索するつもりなのであれば、この、アマチュアだかプロだかよく分からない、選挙にも行きそうにないクリエイター予備軍の動向こそ、行政がもっとも把握しなければならないものであるはずだ。

アニメにせよ、ゲームにせよ、Jポップにせよ、ケータイにせよ、日本の「クール」を支えているのは、一部の天才ではない。ポップカルチャーは、無数の文化好きのアマチュア=大衆(ポップ)の鋭い批評眼に支えられているからこそ、そう呼ばれるのである。既得権益の保護に汲々としている著作権者協会や放送局の意向をいくら伺ったところで、その実態は見えてこない。マスコミや大学もまったく当てにならない。

したがって、ポップカルチャーあるいはサブカルチャーの現状に本気で関わるつもりならば、行政は、国立大の教授や有名企業の取締役を仰々しく招くのではなく、20代や30代の無名のアーティストをどしどし霞ヶ関に連れ込んでくるべきである。そして、同じように若い研究者を中心とした、まったく新しいタイプの調査プロジェクトを始動させるべきである。加えて、まずは自らが現場に足を運び、審美眼と人間関係を地道に築くべきである。裏返せば、それくらいの覚悟がないのであれば、行政は彼らの資産に手を出すべきではない。もともと、日本のサブカルチャーは、いかなる支援もなしに、国内市場を席巻し、グローバルな競争力を勝ち取ってきたのだ。にわか仕込みの官僚的発想は必要ないのである。

日本が「クール・ジャパン」になったのはよいとして、では、その現実に対応するために行政や財界や学会の側がどこまで「クール」な発想ができるのか。大きな態度変更が求められている。

2003年9月3日

This work is licensed under a Creative Commons License.

2003年9月3日掲載

この著者の記事