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no.12: メジャーvsインディーズ?

境 真良 経済産業省商務情報政策局文化情報関連産業課長補佐

メジャーとは何か? インディーズとは何か?

レコード業界では、インディーズの躍進がめざましいという。モンゴル800とか、いろいろ。何気なく頷いてしまいそうだが、ちょっと待った!そもそも「インディーズ」とか、「メジャー」って、なんだ?

有名(メジャー)なソニーはメジャーで、無名の(失礼!)サスクハナレコードはインディーズ、っていうのはなんの説明にもならない。産業ウォッチャーの実感からやや紋切り型に定義すれば、流通力でコンテンツを売ろうというビジネスとそういう事業者がメジャーで、商品力でコンテンツを売ろうというビジネスとそれに関わる事業者がインディーズだというのがわりやすいだろうか。だからメジャーの世界では流通がブランド名でコンテンツも作家もその中で変わり、一方、インディーズの世界では作家やコンテンツが変わるとブランド名も変わることになるというわけだ。

メジャーvsインディーズ

このメジャーとインディーズというコンテンツ産業の二つの世界は、とにかく仲が悪い。邦画界で顕著だが、インディーズがメジャーを不純な商業主義と罵り、メジャーはインディーズを子供じみた身勝手と嘲る。レコード業界のように「実はインディーズに押されて売上減少を招いているのに、メジャーはCD-RのせいにしてコピーコントロールCDでユーザーの利益を損なおうとする」とか、メディアまでその対立を煽ったりする。

話はこれで終わらないぞ。メジャーは流通力で金銭利益を最大化しようと、映画のブロック/チェーンブッキングやテレビの系列、書籍の東販・日販の取次システムのように、流通空間独占(実際には寡占)を目指すことになる。そして、その道具として知的財産、とりわけ著作権(著作隣接権を含む)を活用しようという考え方も出る。まぁ今風に言えばプロ知的財産権へとメジャーは舵を切るんだが、インディーズはこれに猛反発する。

反発。なぜ? インディーズビジネスを考察する時は、その後ろにあるインディーズ空間そのものを考えにいれないとわからない。インディーズ空間とは、生産者と消費者が未分化の同人空間、あるいは同人コミュニティのことだ。そこでは金銭ではなく、自己満足や評判といった価値に根ざした経済原理の上で様々な行為が行われる。インディーズビジネスとは、こうした経済空間と貨幣経済空間との界面反応なのだ。パロディ、コラージュが重要な意義を持つこの世界の住人にしてみれば、それを封殺しかねないプロ知的財産権は大きな問題だと反発するのは当然だし、時として、創作は本質的に編集、改作だということをたてに、著作権は悪だとばかり、コピーレフト運動さえ展開する。

外野が煽るからか、自分で招いた事態なのか、とにかく困ったことにメジャーとインディーズはしばしばこうした対立に陥る。本当は、両者は夫婦にも等しい間柄なのに。

メジャー+インディーズ≡コンテンツ産業

夫婦にも等しい? そう、メジャー無くしてインディーズ無く、インディーズ無くしてメジャー無し。両者は実は離れられない関係なのだ。説明は簡単だ。

まず、メジャーのビジネスを経済学的に検討すれば、不確実性が高い分野=商品開発はアウトソーシングし、流通路独占と広告戦略に特化するのが経営の最効率化によいのは明白。しかし、よい商品が無くては流通ビジネスは成り立たない。そしてコンテンツ商品とその人材育成は消費者と向き合いながら市場で行われなくてはならないので、そこをインディーズビジネスに依存することになる。例えば売れっ子ミュージシャン(アイドルは別)でライブハウスを経験していない人は少ないだろうし、活躍するマンガ家で同人誌を売った経験がない人はさらに少ないだろう。

そして、インディーズについてみれば、パロディやコラージュといった行為が成立するために不可欠な、送り手と受け手の間でのイメージ共有という事態そのものが、メジャービジネスに依存する。考えてみればいい。一昔前にコミックマーケット(コミケ)を席巻したキャプテン翼パロディのやおい同人誌は(年がばれますな)、週刊少年ジャンプなくしては成立しえないものだった。

要は、この二つは、どちらが正しいとか、どちらが真のあり方かとか、そういうのじゃなくて、両方が存在して初めてまともな産業システムとなる、「コインの裏表」ということだ。そして、両者の対立はけして不可避ではない。マンガの世界を見ればよい。メジャーとインディーズの間によい関係が築けることだってあるのだから。

マンガ産業、その教条的市場主義に対する挑戦

マンガの世界には、世界最大の同人誌即売会であるコミケを代表とする同人誌流通空間という独立、自律の公有地が、産業インフラとして長く機能してきた。マンガ産業のメジャー各社は、それを作家発掘や作家育成の場等の形で利用しつつ、しかし、「小学館コミケ」のようにそれを自らの私有化したり、著作権で同人誌創作に介入することに距離を置いてきた。それにより、メジャーとしてむしろ効率的な経営ができたと私は評価しているし、なにより実績がそれを証明しているのではないか。

さらに私は、これはコンテンツ産業のみでなく、他の部門にも応用可能なとても賢い方法だったと考えている。一つのビジネスサイクルを領域分割し、貨幣経済の世界(メジャー)と非貨幣経済の世界(インディーズ空間)の両者に分担させることは、価値変換コストを最小化し、ひいては取引コスト全体を低減する効果をもつと思われるからだ。創作を始めとした非貨幣経済行為を貨幣経済行為として利用するとき、この効果はとても重要になると私は考えている。

教条的に市場主義を信じると、凡そ全てのクリエイションを、「権利」制度の徹底と自由な「売買(又はライセンス)」契約の貨幣経済メカニズムで振興しようと思いがちである。プロ知的財産権主義にもそういう思想がちらつく。それは大筋において正しいとしても、それだけではあまり割のいい戦略ではなく、「もうひと工夫」が要るのかもしれない。コミケとマンガ産業のメカニズムは、こっそりそういう問題提起をしているのではないだろうか?

2003年5月14日

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2003年5月14日掲載

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