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no.9: コンピュータの限界?人間の限界?PCの進化にみるIT革命の実態

元橋 一之
RIETI上席研究員/一橋大学イノベーション研究センター助教授

ムーアの法則をご存知ですか?ペンティアムで有名なインテルの元会長であるゴードン・ムーアが言い出した「半導体の集積度が18ヶ月で2倍になる」という法則です。1.5年で2倍になるということは、3年で4倍、6年で16倍、12年で156倍になるということで、IT技術の進歩するスピードを象徴的に表すものとして、IT関係の本を見るとかならず引用されるものです。

私が最初に買ったパソコンはNEC98シリーズの始めてのラップトップパソコン(PC98-LT)で15年前のことでした。当時のPCとしては標準的なCPUであるV50(クロック数8MHz)を乗せ、メインメモリは640Kバイト、ハードディスクはついていなかったので、アプリケーションを立ち上げるたびにフロッピーでRAMに読み込むという形式のものでした。

それと比較していまモバイル用に使っている富士通のFMV-LOOX-Sのスペックは、CPUがクルーソーTM5800でクロック数800MHz、メインメモリは256Mバイトと、CPUスピードが100倍、メインメモリは500倍になっており、ムーアの法則のペースでPCも進化を続けているといってよいでしょう。例えば自動車やテレビ、冷蔵庫など、我々の身の回りの機械製品を見てもこれほどのスピードで技術が進歩したものは見当たらず、やはりIT革命はすごいんだなということになります。

PCで何をするか? それが問題である

しかし、我々ユーザーはこのようなPCにおけるIT革命の実態を、実際に肌で感じているでしょうか? 15年前と比較してPCで行っていることは実は驚くほど変わっていないことに気づきます。私自身のケースを振り返っても、PCを使っている時間で最も長いのはワープロとしてです。この原稿もPCで書いていますが、PC98-LTを使っていた当時と比べてその原稿作成の生産性が100倍以上上昇したとは感じられません。入力された文字が画面上に表示され、何度も修正可能となるよう保存されるという基本的な機能は変わっていないからです。

確かにワープロには様々な機能が付加されましたが、そのほとんどの機能は使いこなすことができない、あるいは使いこなしたとしてもさほど生産性の上昇に寄与しないものです。15年前と決定的に違うPCの活用方法としては、インターネットや電子メールを挙げることができます。私はニフティサーブ(今は@nifty)を15年以上使っているロイヤルカスタマーで、電子メールを使い出したのはかなり早い方ですが、異なるネットワーク間で自由に電子メールを送ることのできるインターネットは電子メールの効用を100倍に高めたといってもいいと思っています。通信スピードも当時は300bpsの音響カプラー(すぐに2400bpsのモデムを買いましたが)を使っていたのに対して、同じ電話回線を使ってもDSL技術によって数千倍、数万倍のスピードで通信をすることが可能になりました。

しかし、ここまで来て「いや、待てよ。PCで本当にやりたいことは何なのだろうか。」と立ち止まるとこれまでの数千倍、数万倍といった数字は色あせて見えます。数十キロバイトの文書を数万倍のスピードで送ることにどれだけの意義があるのであろうか?PCの本来の目的は猛烈に速いスピードで電子メールを送ることなのでしょうか?

コンピュータの情報処理能力と人間の情報処理能力

我々はPCを何のために使っているのか?それは我々の知的生産活動をサポートする機械、有能な秘書としての役割を期待しているのではないでしょうか?Xeroxパロアルト研究所(PARC)でPCの開発を行い「PCの生みの親」と言われているアラン・ケイDynabookという概念を1977年に"IEEE Computer"誌の論文"Personal Dyanamic Media"で提唱しました。Dynabookとは「生きた本」であり、使うごとに成長していく学習機能をもった生命体のようなパートナーです。

図1 Dynabookのイメージ(アラン・ケイの論文中の直筆イラスト)
図1 Dynabookのイメージ(アラン・ケイの論文中の直筆イラスト)

アラン・ケイは1998年にフロリダ大学における講演で、パソコンやPDA、ワープロ、スプレッドシート、データベースソフト等を統合したMSオフィスなどの状況を称して、"Computer revolution hasn't happened yet" とコメントしました。アラン・ケイが期待しているのは、プログラマーによるソフトを忠実に実行する機械ではなく、ユーザーが使うたびに学習し、我々の思考や知的生産活動を助けてくれるパートナーであるからです。アラン・ケイのDynabookは、音声認識装置と薄型液晶ディスプレイを持つ携帯可能のPDAのようなものです。

機器の小型化や省電力化、液晶のようなパーツにおいてはほぼ彼のイメージに近づいたものができているといっていいと思います。しかし、肝心の頭脳の部分が、フォンノイマン型の計算機としてのコンピュータのままであり、それと人間の思考回路を近づける自然言語処理やエキスパートシステムの開発は一次のブームが過ぎて頓挫してしまっているという印象を受けます。IT革命に関する議論はコンピュータの情報処理能力の向上が強調され過ぎて、人間の情報処理能力を助けるという本来の目的を見失っているような気がするのは私だけでしょうか?IT機器の開発は人間の情報処理機能のなせる業ですが、それを使う人間のメリットを考えたシステム開発に期待したいものです。

2003年4月23日

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2003年4月23日掲載

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