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総論

ここでは、報告書II「基本的な戦略」について、執筆者の村上敬亮情報政策課長補佐、森川毅情報経済課係長が解説します。ここでは、基本的に報告書第II部で論じている、戦略Iとしての、新しいイノベーションを核とした収益モデル構築への戦略、そして戦略IIとして、従来から強みを発揮してきた部分をどう伸ばしていくかについて、議論を進めていきます。

2004年12月25日 これまでの意見の整理4: 引き続きSebastian氏の問題提起について(3)

年末の押し迫ったタイミングまで、コメントにお時間を裂いていただきありがとうございます。>Sebastianさま
今日は敢えて、争点を輻輳させるようなコメントをしてみたいと思います。相互理解を深める方向で多面的に議論を展開していただいているSebastianさんに、やや失礼な面もあり大変申し訳なく思っております。しかし、せっかく貴重なコメントを頂戴しているので、それによる示唆をもう少し色々な方にも共有していただけるよう、敢えて単純に引き直して、一点に絞った議論をしてみました。

僕自身、こういうコメントが読んでいただいている方々にどのような印象を与えているのか、ちょっと想像しにくくなってしまっているため、この2往復くらいのやりとりをみて感じたことがある方は、是非、賛成・反対、「村上はけしからん」といった単純なコメントで良いので、ご感想をいただければ幸いです。Sebastianさんとコメントの応酬をすればするほど、逆に他の方とは縁遠くなるのかな、なんて言う心配も少ししてまして、多少でもレスをいただければ大変助かります。

ということで、コメントに返信したいと思います。・・・ (そもそも各エントリが長すぎてコメントのしようがないという方が、問題ですかね・・(?))

Sebastianさんご指摘のとおり、おそらく、今や見解の相違は、「視座」をどこに置くかに絞られつつあって、その「視座」を探すときに重視している原体験が違う、ということなのではないかと感じ始めています。では、さて、その「視座」の違い探しですが・・・

      「モジュール」によるシステム構築は極言すれば誰にでもできます。
      しかし「インテグラル」によるシステム構築は誰にでもという訳には行きません。

モジュールとインテグラルというのは、いずれも相対的な概念なので、この表現はちょっときついかなと思います。

釈迦に説法ですが、もともと、クラークやボールドウインが言い始めたモジュール化は、IBMのS360をベースに議論されていますが、S360のようなモジュールの組み合わせが当時のIBMにのみ可能だったからこそS3x0シリーズが60~70年代のPC市場を席巻できたのだと思いますし、モジュール化ということとインテグラルによる差別化といことは、必ずしも対立する概念ではないと思います(これも釈迦に説法で恐縮ですが、「デザイン・ルール」の第2部はお薦めであります)。

また、それぞれのモジュールの中にもインテグラルな要素はありますし、例えば、デンソーさんとか、半導体製造装置企業さんとか、ベアリング製造企業さんとか、最初は製品統合企業とのパートナーシップが前提だったかもしれませんが、以降、部品・製造装置の差別化単独で立派に国際競争力を持たれている企業はたくさんあります。「部品」という思想が、日本の生き残る唯一の道を壊すということは、無いのではないかと思います。(なんて、コメントをしてしまうから、言い合いのようなやりとりになってしまうのでしょうか・・・(反省))

      また、"「モノ」から議論を始めると、・・・(中略)・・・いずれから出ても答えが無いような
      気がします。"とありますが、だからこそ「視座」が必要になります。

「視座」が重要だというご指摘は賛成です。僕の議論自身が、「視座」をずらすために如何に違う角度からものを見るか、ということに最大の重点を置いていますし、その視座に関する議論を活性化させたいというのが、僕の思いでもあります。(裏を返せば、結論だけをたどると、皆さんが既に考えてこられたことを一生懸命整理し直そうとしているだけで、そんなに斬新な結論は何もないようにも思います。。。(苦笑))

      そこで11月14日付のコメントでは「STB、サーバー受信機、ホームサーバー」という仮説を立てたわけですが、
      これは立場によっても異なりますので、ここで競争による試行錯誤が必要になります。

そうですね。賛成です。

      この競争により「インテグリティ」な「モノ」を作り上げていきます。
      この「インテグリティ」な「モノ」によって競争に勝ち残り、消費者の価値を高め、
      結果として収益を上げます。何故なら競争による試行錯誤で、
      消費者「ニーズ」に合った「モノ」ができている訳ですから。
      新しいものを創造することなしには、収益を上げることはできないのではないですか?

全く賛成です。ただし、新しい「もの」は、必ずしも「モノ」でなくても良いとは思います・・・。多分、ここで視座を異ならせているのは、創造性の鍵を「モノ」が握っているかどうか、ないしは、創造性のベースを「モノ」に還元できるかどうか、若しくは、その方が「日本企業」にとって優位であるかないか、といった議論ではないかと思います。そこには、二つ鍵となる指摘があるような気がします。

     ■ 参照モデルによる「仕様の共通化」で「ネットワーク化」することで、
      モジュールによるネットワークシステム全体の価値を上げることを目指していると理解しますが、
      これは単に製品の「コモディティ化」に繋がるだけです。
      ・・・・差別化のない「コモディティ」になります。
     ■ つまり「認められること」がなくなることです。・・・
       これは人間性の発揮や人間性の尊重をなくします。

まず前者の点ですが、参照モデルの導入や、ネットワーク化が、差別化のないコモディティに繋がるとは思いません。言い方を変えれば、Intelのチップや、MSのOSも、それをコモディティと呼ぶべきか、モジュールと呼ぶべきかは別にして、差別化には十分成功していると思います。自分が完成品だと思っているモノを、一度部品だという視点から見つめ直してみようと思えば、もっと広い範囲での、「PCというコモディティとCPUという差別化されたモジュール」といった組み合わせが、情報家電の中でも見えてくるような気がします。最後は、コモディティもモジュールも相対的な概念、若しくは、市場の成長プロセスの中で位置づけを変えうる概念なので、今の時点で、どっちがどっちに当てはまるという議論自体にはあまり意味がないように思います。他方で、だからこそ、差別化の鍵を「製品」に置くことに視座としてこだわる必要も、ないように思います。
 もちろん、差別化の競争の土俵を「製品」という形に持っていければ、それが日本企業のノウハウ統合型組織作りの強さとリンクさせやすいのは事実ですし、そういう結論の方が望ましいのは間違いありません。しかし、市場を見つめ直し反省するときの議論のKickOffが、「製品」の競争という枠に縛られる必要はないのではないかと思います。
 例えば、i-Podは、製品の競争という視座から出てきたモノではないですし、プロを前に大変恐縮ですが、TiVoやTナビも、議論は「機能」の競争から始まっていて、「製品」の競争から始まっているわけではないのではないでしょうか。

後者の点は、非常に重要なご指摘だと思います。

      人間は、自分の人間性(考え、意見、夢等々)を認められれば満足します。
      そして、お客様に認められれば更に満足します。認められればやる気もでます。

事業を運営するばかりでなく、役所業務でもどんな仕事でも、これは不可欠な要素だと思います。ただし、経済産業省の立場からすると、GDPの60%は既にサービス産業になっている現状で、「製品」づくりだけが「認められる」対象になる経済にするわけにもいきません。また、日本の家電産業も、いまやものづくりだけが会社としてのミッションという訳でもないような気がします。その中で事業部門として、「ものづくり」に携わっている方にとって、「製品」が認められるというインセンティブが重要だというご指摘は良くわかりますが、その世界と、医療、教育、娯楽、安全・安心といった分野でProfessionalServiceを提供することでインセンティブを得ている方々とを、どう事業として連携(もちろん、「≠事業統合」ですが)させていくかが問われているのが、今の局面で、そのためにどういう「視座」を優先させることが重要かなあ、というのが、僕の立ち位置というか、悩みなわけであります。

もちろん、Sebastianさんがご指摘されるとおり、どのようなサービスからのニーズがこようと、

      以上のようなことは、現在の技術でも可能であり、また想定もされている。

ということなんだと思います。だから、「モノ」作りによる競争と創造性の発揮に任せていれば大丈夫、ということにもなるんだと思いますが。それ自身は、僕自身は「モノ」を作っていない人間なので、否定することも肯定することも出来ません。
しかし、結果的に見ていると、創造性ある製品の競争がなかなか市場で活性化せず、既存の枠組みにしたがった家電製品の価格競争が続いているのということが、現在問題になっているのではないでしょうか?では、それは製品の競争が足りないからなのでしょうか?では、どうして、そういう創造性を高めるような競争が始まるような製品の選択肢が市場に拡がっていかないのでしょうか?それは、ものづくりの側に原因があるのでしょうか?
そこに、今の「情報家電市場」全体に共通する課題が残されており、そこの仕掛けが出来てくれば、その中で、「ものづくり」の位置づけも明確になってくるのではないかと思います。

       こういう「創造性の競争」を通して消費者の「ニーズ」に合った商品が出てきて、
       あるいは勝ち残って、消費者の価値を高め、結果として収益を上げます。
       新しいものを創造することなしには、収益を上げることはできないのではないですか?

したがって、全くこの表現には賛成なんですけれども、ただし、ここで指摘される「創造性」は、モノ作りに携わる方にとっての「製品」を認めさせる競争の中から以外にも出てきうるし、むしろ、市場全体を見ると、今欠けているのは、「以外」の方。そんな気がするんです。ただし、これは、理屈の問題と言うより、現状認識の違いの問題のような気がします。(ここを更に建設的な議論にするためには、この現状認識の証拠を、僕がもっとちゃんと持ってこなければいけないと言うことになりますね。年明け、早速頑張ってみます。。)

というわけで、やや情緒的なコメントになってしまって大変恐縮ですが・・・、
今の日本の家電産業には、「サービスの差別化」に創造性ある競争が発揮されるようになれば、それに答える「モノ」作りは、いつでも提供できる実力がある。i-PodやPC並の機能を持った製品なら、それに求められる機能さえ明らかになれば、いつでも、より安く、より高品位に(除くデザイン??)作る実力が今の日本の家電企業にはある。だからこそ、差別化を生み出すサービスのプロの知見を引き出すようなサービスとモノ作りのインターフェースの作り方が、今後、i-PodやPCのようなPathをたどってきた製品に先を越されないための鍵を握るではないか、と思っています。

さて、・・・というような形で、新たなハイエンド・ユーザに届く「モノ作り」のためにも、脱「モノ作り」的視点が重要、ということをやや大げさに強調してみたわけですが、是非、ご批判をみなさんからも賜れればと思います。。

ちなみに、経済産業省全体としては、「ものづくり白書」を待つまでもなく、「ものづくり」重視路線を引いてますし、今回の情報家電の議論でも、もう一つ大きな戦略は、「モノ」を量で売り抜く戦略を説いているという意味で、「ものづくり」の役割が終わったかのような議論をしているわけではありません。ちょっとばかり、言い訳を。

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2004年12月30日掲載