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総論

ここでは、報告書II「基本的な戦略」について、執筆者の村上敬亮情報政策課長補佐、森川毅情報経済課係長が解説します。ここでは、基本的に報告書第II部で論じている、戦略Iとしての、新しいイノベーションを核とした収益モデル構築への戦略、そして戦略IIとして、従来から強みを発揮してきた部分をどう伸ばしていくかについて、議論を進めていきます。

2004年11月23日 企業ということを考える。

sebastianさんに毎回コメントしていただいてます。ありがとうございます。このBlogも、Blogを通じない形では、実に色々なフィードバックをいただいているのですが、なかなかBlog自体へのTBやコメントは増えてないのが実情です。内容が独善的なのがいけないのか、役所のBlogにTBするのが大変なのか、まあ、両方だと思いますけれど(苦笑)、こうして直接レスをいただけるのは本当に助かります。他の皆さんも、是非。。

Sebastianさんが仰られることは非常に良くわかるように思います。今回のコメントでいただいた4点も、僕自身は賛成です。「国益」を全面に出されて、市場全体のアーキテクチャを誰かが決めていかないと、ということころも、表現はやや過激なのかもしれませんが、そのとおりだと思います。ただ、そこは異論のある方も多いと思いますので、その部分についての所見を、やや追加的にコメントしたいと思います。


例えば、スイスの機械式時計の市場があるじゃないですか。あの市場って、結構「国策」で作ってきてるんですよね。おかげで、圧倒的に安く優れたクオーツ時計で世界を席巻したはずの日本時計は売上的には今非常に厳しいところにいる。ある雑誌にセイコーインスツルメンツの服部副会長が寄稿されているところによれば、日本国内の時計市場を見ると、台数では全体の一割に当たる機械式時計が売上ベースで見ると全体の6割を占めているんだそうです。これなんかまさに、国策によって収益力の高い産業を立て直した例ですよね。

問題は、情報家電という大きな市場で、しかも世界中で複雑なゲームが動いている中で、同じアプローチが通用するか、ということです。ここは、正直なところ皆さんの意見をいただきたいんですが、今回のレポートでは、そこを参照モデルとコンシューマレポートを機軸に、ベースのアーキテクチャデザイン作りのお手伝いをしようというスタンスをとっています。それでは、あまりに哲学的すぎて生ぬるい。そういう指摘もあると思うんですね。 他方で、数年前の論調で言えば、そんなものは市場の仕事であって、政府は黙ってみておればよい。どちらにも真理は含まれていると思うんですけど、現実にとれるアプローチは一つだけ。さて何を行政のアウトカムにしようかと。


で、全く関係ないんですけれど、ここをみんなで議論を深めていくためには、個人的な見解ですが、企業と市場ということの関係について、もう一度深く考え、ある程度の理解を共有しておく必要があると思います。カテゴリー名称を「脱線ネタ」にしたのも以下が理由なんですが、企業がどこまで、市場全体を見据え、また、企業という枠組みを超え、ある種の「共同体」として事業を再編していく必要があるのか。そこを深く考えた人達の間でしか、この問題について答えを共有できなような気がするんです。
このBlogのエントリで、その問題に対する僕の考えを延々と説明するのは、ちょっと難しいし、また、このBlog自体の役目ではないと思います。ただ、そのきっかけとして、先般、ちょっと前になるんですがある雑誌で、この問題に数十年来深い造詣を持つ、チャールズハンディ教授の最近の論考(「株主種本主義の軋み」。英文オリジナルは2002年4月ですけど)が載せられていました。この問題に興味をお持ちいただける方は一読の価値ありと思いご紹介したいと思います。今や、ある意味当たり前の論調になりつつあるようにも思いますが、議論を始める際の共通の土台としては、長さも適当ですし、内容も平易ですし、良い論文です。以下に、恥ずかしいのですが、一応自分なりの要約をつけておきます。こちらの論点についても、もし興味を引いていただけるようでしたら、是非コメント、TB等、よろしくお願いします。

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1.企業の目的は利益だけなのか。

 「繁栄の90年代」、米国では、ストックオプションなどを通じて、利益を一部の経営者や投資家が集中的に享受し、それをまた再投資する循環の中で、人々の蓄えを企業投資に振り向けるシステムの活力はピークを迎えた。
 しかし、後知恵ながらも見えてきたことは、こうした「企業活力」は、米国の時価総額を利益の64倍という虚構のレベルにまで押し上げ、ついには、ITバブルの崩壊、常軌を逸したストックオプション、エンロン・スキャンダルなどを招いた。
 問題は、経営者の倫理観や経営管理の見直しでけでは解決しない。大切なことは、次の2点のような変化を良く踏まえた上で企業の存在理由を良く見直すことである。
 - 今や企業の所有権は形骸化し、投資に取って代わられていること。
 - 資産の面でも、不動産や機器が減り人材の比重が大きくなっていること。

2.所有と統治を再考する

 企業の資産が設備や不動産などの有形資産であった時代は、資金提供者こそが企業の所有者だとする考え方は筋が通っていた。
 ところが昨今では、ブランドや特許、社員のスキルや経験などの重要性が高まっている。これらを資金提供者の資産と位置づけて自由に売却を認めるのは現実的ではないだろう。
 更に悲惨なことには、社員のスキルや経験は資産ではなく費用に計上されている。資産は増やす対象になっても、費用は削減対象でしかない。これでは、人間の尊厳は否定されていると言っても良い。
 米国と対照的なのは欧州だ。ドイツでは監査委員会のほぼ半数を社員が占めるなど、共同体としての会社の組成がしっかりしている。所有者の数も少なく銀行の長期融資も受けやすいため、株主以外のステークホールダーのニーズを大切にできる。

3.プロフィットシェアリングの台頭

 米国型が虚偽の利益創造に走りやすいとすれば、欧州型は外発的な変化に弱い。両文化ともに資本主義の富の担い手として信頼を回復する必要がある。
 知識経済下における優れた企業とは、メンバーが目的を共有した共同体だ。その第一歩は、業績報告を事実に基づいて誠実に報告することだ。各企業が、共同体としてメンバーとともに富を創造するのが使命であることを真剣に自覚すれば、業務の成果を確かめた上で資金提供者に報告をするのは当然だと思い至るだろうし、その内容は資金提供者からも高い信頼も置かれるだろう。
 第二に、利益の配当を株主はもとより、スキル面で貢献した人々にも還元していくことだ。各人の利益の責任と権利を持たせるような報酬体系の見直しが図られることで、共同体としての再生を果たすだろう。
 しかし、これだけでは不十分だ。資本主義を病から救うためには、自己利益ばかり追求する企業というイメージそのものを、次の二つの点で改善する必要もある。

4.地球と人を大切にすること

 コンプライアンスはもとより、地球の持続可能性を大切にすることが必要だ。これは一部の大企業の社会的責任ではない。その考え方の延長線上には、法律や規制の強化という議論が招かれかねない。しかし、規制や法律は常に時代遅れだ。全ての企業がその重要性を自覚することが必要だ。
 知識経済の下では、地球環境だけでなく人間のサステナビリティも必要だ。今日の企業が、人という資産を基礎として生き残るためには、仕事の重圧から社員を守る効果的な方法を見いだす必要がある。「組織は共同体である」という発想を具現化した雇用契約や人材育成計画は今後ますます重要になる。

5.企業の存在意義を再確認する

 これまでだって、企業は利益を生み出すためだけに存在してきたわけではない。社会に貢献すべきだという倫理観はいつの時代でも大きな役割を果たす。競争原理は企業による貢献活動を突き動かす要因にはなるが、根本にある動機ではない。
 資本主義と社会の関係をきちんと定義できなければ、早晩、資本主義は、高尚で有能な人々を遠ざけ、顧客をも遠ざけかねない。そして、世論の圧力によって政府が民間企業の規制強化に乗り出し、企業の自主性を損ないかねない。それによって得をするものは皆無であろう。

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2004年11月23日掲載