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総論

ここでは、報告書II「基本的な戦略」について、執筆者の村上敬亮情報政策課長補佐、森川毅情報経済課係長が解説します。ここでは、基本的に報告書第II部で論じている、戦略Iとしての、新しいイノベーションを核とした収益モデル構築への戦略、そして戦略IIとして、従来から強みを発揮してきた部分をどう伸ばしていくかについて、議論を進めていきます。

2004年11月21日 旦那衆はどこにいる?

先週、「競争ルール戦略」ブログの方で、情報家電がネットワーク化していくためには、家電メーカの市場に、医療、教育、娯楽その他の「異業種」を引き込むことが必要だ。という趣旨のことを書きました。他方、「総論」ブログの方では、「道具派」と「何が出来る派」の出会いが重要だと言うことを書きました。

となると課題は、「道具派」と「何が出来る派」が対話し、そこに異業種連携が成立するような「出会いの場」が、日本のどこにあるのか? ということになるのではないかと思います。そうした出会いって、誰が演出できるのか。僕は、こうした情報経済の時代こそ、もう一度、「来たれ『旦那衆』」ってことになるのではないかと思っています。

では、そういう出会いを家電メーカが自分で演出できるのか?「月曜日組」のような方々の話を伺っていると難しそうですよね・・(苦笑。 やっぱり、メーカだと技術シーズの話が先に立ってしまって、尖った用途を持ったユーザの気持ちって、なかなか分かるものではない。そうなると、尖った用途に敏感で、金も自分で出してやろう、そういう気概を持った人がどこにいるか? という話になる。昔、そういう人達って、「旦那衆」って言われていたような気もするので、以降、そういう出会いを演出する資金提供家を「旦那衆」って呼んでみようかと思います。

別に旦那衆が、家電メーカーに絶対いないと言いたいわけではないんです。家電メーカーの中にも、そういう尖った人達とネットワークを持ち、その人達の気持ちが分かり、稀に技術シーズをも理解している人だっていらっしゃるように思います。しかし、それが事業活動若しくは投資行動という具体的な形に結びつかない。そこにつらさがありますよね。

やや唐突なんですが、ある研究によれば、日本の製造業における資本コストは、1980年代半ばをピークに一貫して下がり続けているというデータがあります。この論文の主旨は、むしろデフレ期待が資本コストを引き下げていることが議論の主題なのですが、おおよそ10%内外といわれている資本コスト、これは、海外で尖った事業や企業に投資をしている投資家達から見ると低い数字といわざるを得ません。活発な投資家を、そのリターンの高さから引きつけようと思うと、15%位は欲しい。どうも、今の水準のままでは、サムソンさんには海外の投資家がついても、日本の製造業にはなかなか付きそうもない。

サムソンさんのペースについていけるような投資行動を日本の電気・電子メーカーのどこで牽引していくのか。よりハイリスクに慣れていると思われる海外の投資家はもとより、国内の投資家だって、資本コストの低い(=リターンの高くない)事業には投資をしたくはないでしょう。

別に、資金提供者は外部でなくて、企業内部でも構いません。今現在、資本コストの計測に使われているWACCという手法は、外部からの資金調達コストを、負債の場合と株式の場合との加重平均で求めるという考え方に立っています。が、プロジェクトベースでファイナンスを見て、やはり15%位リターンがありそうだとなると、企業内部でも資金はついてくるでしょう。いや、10%だって見込めれば、家電メーカーは中で投資をしたに違いありません。しかし、家電メーカー内部でこれまでトライされてきた各種ビジネスへの進出で、そこまで高いリターンが期待されたことは、ほぼ無さそうです。

さて、そこで「旦那衆」です。

本来、リターンの高さが十分に確保されていれば、投資行動は当然のようについてくるはずです。しかし、これだけ時間がありながら、PCと携帯電話以外はネットワーク端末としての可能性を追求してこなかった。若しくは、それら自身に対してだって、携帯コンテンツ市場を立ち上げた人達やネットオークションなどの電子商取引立ち上げに関わって来た人達以外は、さほどの投資を行ってこなかった。その結果、テレビはテレビのままだったし、DVDもビデオ時代の用途から大きく変化していない。

一つのヒントは、「文化」じゃないでしょうか? 携帯だって、女子高生の皆さんの活躍が社会現象として認知されて始めて、一つの動きを作っていった部分があると思います。ビジネスモデルでハイリスク・ハイリターンが描けなくても、「文化」として盛り上がれば、異業種連携も付いてくる可能性がある。家電量販店を通じた大量生産・大量消費型市場にもっとも欠けているのは、触媒としての「文化」ではないか、そんな仮説も立てられるような気がします。

医療とか教育、といった様な分野になってくると、なかなか「文化」というわけにも行きませんから、おそらくプロ向けの市場に特化して異業種連携を始めるといことが必要なんでしょう。そこで、量は出ないけど収益は見込めるプロジェクトを仕込む。だけど、消費者向けにいきなり出ていこうと思えば、どうしても「社会現象」として認知されるような「文化」的な発火点が必要。それが事後的に、リターンが高そうに見えるプロジェクトの企画を可能にし、そこで始めて投資家が付いてくる。そうすると、そういう文化的な発火点作りに対して投資をする「旦那衆」。そう、もともと、「旦那衆」って、リターンの高さだけで物を見ない人達ですよね。こんなご意見を出しておられるページを偶然見つけましたが、僕も同じような印象を持ちます。

「旦那衆」は一体どこへ行ってしまったのでしょうか? 恋愛でも良く、出会いは自ら作るもの、と怒られます。だけど、そういう環境がなければ作ろうとしても出会いもないでしょう。確かに、その時誰に出会うかは、偶然と確率の問題だと思いますが、例えば、お見合いが主流の社会環境の中で恋愛結婚を成立させるのは困難だと思います。同じように、ビジネス旦那衆が自由に異業種連携をアレンジできるような市場環境がなければ、旦那衆にいくら活躍しろと言っても、非常に堅苦しいビジネスマッチングしかできないに違いありません。文化的に「粋」であることを求める雰囲気と、その中で「旦那衆」が次を探して遊び歩けるような環境。そういうオープンな市場環境がないと、結局、出会いは生まれないですよね~。

というわけで、政策的にはどんどん隘路に陥りそうな話に誘導してしまっていますが、「旦那衆」を探せ、「旦那衆」を蘇らせろ、という命題は、案外に重要なテーマ、若しくは、視点のような気がします。

さて、で、政策はどうしましょうか・・・(苦笑。 今日は、ちょっと偏った話ということでお許しくださいませ。

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2004年11月21日掲載