Economics Review

No.15 政府の透明性(パート3) ―メディアの役割とは―

鶴 光太郎 上席研究員

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1. イントロダクション

政府の透明性について、過去2回(パート1パート2)にわたって論じてきたが、本稿をこのシリーズの最終回として、政府の透明性向上のためにメディアが果たすべき役割について考えてみたい。第1回でみたように、政府の情報が不特定多数の国民に開示されていくことが政府・政治への有効な規律付けとなる。しかし国民一人一人の立場からすれば、情報を得るコストは高いが、その恩恵はわずかであることから「フリー・ライダー」に陥りやすいという問題がある。また、現政権(政府・党)も国民の信頼を得、自らの政治力を確保するために、自らの活動の透明性を向上させていくことは大きな利点になりうる。しかし政府は、えてして、情報開示を制限して私的利益を追求したり、政策の失敗を隠そうとしたりしがちである。この場合、政府・政治活動を含めた情報を広く国民に提供していくことで、一人一人の国民に「依頼人」としてのガバナンス力を与えるとともに、政府に対しても政策レスポンスを高めるインセンティブを与えるのが、自由で独立なメディア(free and independent media)の役割であり、このようなメディアは健全な民主主義社会では欠かせない存在である。

こうしたメディアのあり方は、最近、経済学でも注目され、理論・実証ともいくつかの分析が出てきている。本稿ではそれらの分析を紹介しながら、まずメディアが、「依頼人」である国民・投票者と「代理人」である政府・政治家との「依頼人・代理人関係」にまつわる問題(モラル・ハザード等、政府の透明性(パート1)参照)をいかに緩和することができるのか、そのルートや具体的な実証例を紹介することにする。次に、メディアが政府や政治の「監視役」(political monitor)を果たすためにはどのような組織形態、市場構造、規制のあり方が必要なのかを考えてみたい。メディアの規制は、通常メディアの「生産物」(情報)を「消費」する「顧客」としての国民の立場が主である。しかし、「消費者」としての厚生だけに着目するのではなく、現政権(政府や政治家)に規律を与える「投票者」の厚生を向上させる、つまり、政府や政治の透明性・説明責任を高めるという視点が重要である(Besley, Burgess and Prat(2002))。本稿では、そのような立場からメディアの形態、規制について議論することにしよう。

2. 政府に対する「監視役」としてのメディアの有効性

マスメディアは、国民にとって低コストの情報源として強い味方である。自由で独立なメディアが国民へ情報を提供することによって、政府が国民の良き「代理人」として仕えることを確かにする条件とはなんであろうか。

第1は、「選別」(sorting)である。投票者が選挙で政治家を選択するのに必要な情報(政治家の過去の実績)が適切に提供されていることが重要である。第2は、「規律」(discipline)である。たとえば、官僚や政治家の収賄のように隠れて私腹を肥やす行動を適切に見つけ出し、国民に広く知らしめることができるかが問題となる。第3は、メディアが選挙民の「関心事」(salient issues)を取り上げることで政策決定に影響を与えることができるかという点である。あるイシューについてマスメディアが焦点を当てて取り上げれば、そのイシューに対する政府の対応に関する情報は国民に広く知られることになり、国民が投票する際の重要な判断材料になる。したがって、政府はマスメディアが焦点を当てている問題に積極的に対応することで評判・信頼を積み重ね、政治的パワーを強化することができる。つまり、マスメディアが国民の「関心事」に係る情報を提供することで、政府の政策レスポンスを高めることができるのである。こうした情報提供は、政府と国民の間の「依頼人・代理人関係」にまつわる問題を緩和し、政府の説明責任・透明性を向上させることにつながる。

メディアと政策対応:インドの実証分析例

メディアが政府の政策レスポンスに影響を与える例として興味深いのはインドである。マスメディアの自由と独立性はその国の経済の発展段階に依存するが、インドは古くから自由で独立したプレスがあることで知られている。ノーベル経済学賞受賞者の1人である、セン教授(ケンブリッジ大学)は、インドでは独立後、大きな飢饉がないのは、食料問題が発生しても、新聞がこうした情報を国民にしっかりと伝えているため、大きな飢饉の危険が迫っているような時は、政府が迅速な対応をせざるを得ないからであると指摘している(Sen(1984))。一方、民主化が遅れ、情報の自由度が制限されていた中国は1958-60年に非常に大きな飢饉を経験した。また、アフリカ諸国の間でも、議会制民主主義と有効なメディアを持つ国々が飢饉を防ぐことができたという事例がある(Dreze and Sen (1989))。

このようなメディアの発展と政策レスポンスの関係を計量的に実証分析したのが、Besley and Burgess (2002)である。彼らは、インドでも州レベルではメディアの浸透度、役割にかなりばらつきがあることに着目し、1958-92年においてインドの州レベルのパネル・データを作成し、2つの政策レスポンスに着目した。1つは、干ばつの影響で食糧生産が落ち込んだ時に行った食糧の公的援助であり、もう1つは、洪水による農産物の被害を補償する災害関連支出である。彼らは、新聞の発行部数の多い州ほど干ばつや洪水による損害に対する政府の支出が大きいことを示した。また、この結果は、それぞれの地方の言語・方言によるローカルな新聞の発行部数に特に影響を受けている。これは、ローカルなショックである自然災害などは、影響を受ける国民や政治家の情報源として、ローカルな新聞が最も重要であることと整合的である。また、マスメディアと政治との関係にも着目し、政権交代の高い州ほど、政府の干ばつや洪水への政策対応が手厚いことを示した。これも、政治的競争が高まれば、政治家にとって国民の要求にきちっと対応するという評判を積み上げるインセンティブも高くなるという、先でみた「依頼人・代理人モデル」に沿った結果となっている。

メディアと政策対応:アメリカの実証分析例

一方、1930年代のアメリカを例にとり、マスメディアと政策レスポンスの関係を実証分析したのは、Stromberg(2001, 2002)である。彼は、初期のニューディール計画にあった低所得者層への所得補助プログラム(FERAプログラム、1933-35年、ピーク時にはアメリカの全人口の16%をカバー)とラジオの普及との関係をみた。当時、ラジオはアメリカ国内で普及しつつある最中であったので、地域によって普及度にかなりばらつきがあり、政策レスポンスとの関係を調べるには好都合であったためである。国内の郡(county)レベルのデータを使用し、失業率などの所得補助の必要性を示す変数をコントロールしても、ラジオ保有率の高い郡ほど所得補助への支出も高いという関係が有意であり、経済的にも大きい(1%の保有比率アップが0.52%の所得補助増額)という結果が示された。また、投票率の高い郡ほど所得補助への支出も高いという関係も有意となっており、投票者の積極的な政治参加が政府の政策対応を高めていることが示されている。

政府に取り込まれたメディア

一方、メディアは必ずしも自由で独立したメディアであるとは限らない。政府や政治家に「取り込まれる」場合があるからである(media capture:メディア・キャプチャー)。なぜであろうか。まず、政府側からすれば、「監視役」であるメディアにより良く扱ってもらいたいというインセンティブがあるからである。そのため政府側は、なだめたりすかしたりしながら、メディアを取り込もうとするであろう。一方、メディア側も、メディアが提供する情報の消費者の厚生を向上させるという観点から、通常、明示的のみならず裁量的規制も受けているが、なるべく有利な扱いを受けるために、自ら政府に取り込まれる場合もあろう。

政府とメディアがギブ・アンド・テイクの関係に立ち、政府がメディアを取り込み、メディアが政府に喜んで取り込まれる典型例は、政府がメディアに重要な政府情報を漏らす(リーク)場合であろう。メディアは、政府から自社だけ特別に情報を得られればそれによりスクープ記事を書き、他社を出し抜けるため、そのような情報を得るために積極的に政府に取り込まれようとするかもしれない。これはリークした政府と情報を得たメディアとの間で、情報の希少性から生まれる「情報レント」が分け合われた状況である。このようにお互いがメリットを分け合うことができる限り、両者の関係は堅固である。しかし、政府がリークによってメディアを引き付けることができるということは、その分、政府の情報開示、透明性向上が進んでいないということもできる。つまり、政府は情報開示を怠ることで、本来は透明性向上の役割を担うべきメディアを取り込むことができるのである。

このように、メディアの役割と政府の透明性の間には強い補完性があるという認識は重要である。確かに、メディアの役割が小さく、政府の透明性が低いという「罠」から抜け出すのは大変である。しかし、一度好循環に乗れば、メディアの役割が大きくなると同時に政府の透明性が高まり、それが更にメディアを強力な「監視人」にさせるという連鎖が期待できる。実際、国別のクロス・セクションのデータを分析してみても、メディアの自由度(コンテンツへの法的規制、政治・経済的影響、メディアの抑圧度などを合わせた総合指標、出所:Freedom House)の高い国は、政府の腐敗度(corruption、政府の透明性の欠如を示唆)が低くなるという結果が得られている(Ahrend(2002), Brunetti and Weder (1999))。

3. 産業組織からみたマスメディアの特徴とあり方

それでは、マスメディアが政府に取り入れられることなく、自由と独立を維持した「政治的監視者」の役割を果たすためにはどのような条件が必要であろうか。ここでは、メディアの組織、市場構造、規制の観点から考えてみよう。

収穫逓増、独占、政府所有

まず、メディアの役割は「情報」の生産とその流通である。しかし、「情報」の生産や流通設備には多大の固定費用がかかるものの、追加的に1単位の「情報」の生産・流通にかかる限界費用は非常に低い。つまり、マスメディアは収穫逓増を示すという点である。たとえば新聞の場合、ニュースを集めたり、編集したり、書いたりして最初の新聞を作る費用は膨大であるが、一度、その固定費用を負担してしまえば、追加的な新聞一部のコストは、印刷と配布だけのコストになる。このような技術的条件を考えれば、マスメディアの市場集中度は必然的に高くなり、政府にはなんらかの経済的規制(価格など)を行う必要が生じる。

また、こうした技術的な条件に加え、政府のみが消費者の厚生を最大化できるという立場からすれば、一部の利益団体や消費者層をターゲットにしがちな民間メディアよりも、政府がマスメディアを保有することで、自然独占の問題をコントロールするとともに、バイアスの少ない、より正確な情報提供を行うことができるとしばしば主張される。また、商業ベースに乗りにくいが国民にとって重要な情報、たとえば、芸術・教育に関するコンテンツは、政府が保有するメディアが提供するのが望ましい場合もあろう。一方、政府に保有されたメディアが政府の「監視役」をそもそも果たすことができるのかという問題もある。その場合、政府からの独立性がなんらかの形(資金面等)で付与されることが少なくとも必要である。

製品差別化、競争、民間所有

上記の情報生産のモデルは多分に情報を同質的な財と考えているが、実際のマスメディアは、嗜好の異なる国民に、差別化された多様な情報を伝える必要がある。その場合、大きな独占企業が情報の生産・流通を一手に引き受けるのではなく、規模の比較的小さい企業が競争しながら、情報の差別化を行い、ニッチをみつけることが重要である。地方の新聞が地元の情報提供に重点を置いているのはその例である。一方、政府は必ずしも国民の厚生を最大化させないという立場、たとえば、現政権の政治家が私的利益を追求したり、国民への情報開示を制限したりするという傾向を強調する立場からすれば、政府がメディアを保有することは政府の透明性を阻害することになる。むしろ、民間のメディアが競争を行うことで、国民は(平均的にみれば)バイアスの少なく、より正確な情報を得ることができると考えるのである。多様なメディアが存在するために、メディアが一部の資本に支配されるのを防ぐために、集中排除規制が各国で行われている。

国有メディアvs. 民間メディア

したがって、自由で独立なメディアが政府の「監視役」として国民に適切な情報提供を行うために、マスメディアの保有は国と民間いずれが主体になるべきか、ということは、すぐれて実証的な問題と考えられる。こうした問題を97カ国のメディア企業(新聞、テレビ)のサンプル・データに基づいて分析したのが、Djankov et. al. (2002)である。彼らのデータでは、株式保有が分散されている企業はわずか4%であり、平均して57%の新聞社、37%のテレビ局がファミリーに所有されている。また、国有メディアのシェアは、平均して新聞社では29%、テレビ局では60%となっている。テレビ局が新聞社よりも国有メディアのシェアが高いのは、少なくとも部分的には、テレビ放送は排除不可能であり、非競合的な性質を持ち、新聞の発行よりも設備に膨大な固定費用がかかり、規模の経済の度合いが強いためである。また、教育、少数人種、僻地などの小さなマーケットでは、民間テレビ局ではテレビ放送が過小供給になる可能性があるためである。一方、コンテンツに関しては、リアルタイムで情報が供給されるテレビの方が、新聞などよりも検閲が行いにくいという点で、政府が資本を持つ合理性を説明できる部分がある。

97カ国のクロス・セクション・データを使ったDjankov et. al. (2002)の分析では、まず、国有メディアのシェアについての決定要因をみて、「独裁国家」ほど、分野を問わず国有メディアのシェアが高いことを示した。この関係は、経済発展段階、教育レベル、他の産業の国有比率などの変数をコントロールしても有意である。また、メディアの抑圧度(逮捕されているジャーナリストの数や閉鎖された報道主体)は、やはり上記のようなさまざまな変数をコントロールしても、なお、国有メディアの割合と正の有意な関係がある。また、政府の腐敗度と政治の自由度(自由で公平な選挙、政党間競争などを総合判断した指数)は、それぞれ、国有メディアのシェアと正、負の有意な関係があることが示された。以上の結果から、国有メディアのシェアが高いことは、メディア全体の自由を阻害し、最終的には政治の自由度・成熟度や政府の透明性にも悪影響を与える傾向が強いことがわかる。

外資メディアの役割

一方、国有メディアと対極的な地位にあるのが外国資本のメディアである。このようなメディアは、政府に取り込まれる可能性が低いため、国内の他の民間メディアよりも自由度、独立度ともかなり高いと考えられる。Besley and Prat (2001)は、Djankov et. al. (2002)と同様、国別クロス・セクション・データを使い、外国資本のメディアの割合が高い国ほど政府の腐敗度(3つの指標)が低い、また、プレスの自由度が高いことを示した。以上のように、国有メディアが主体になるのではなく、政府に取り入れられていない民間(特に外国資本)のメディアが主体となって互いに競争をしながら、公平で正確な情報提供に努めることが、メディアが「監視者」の役割を果たす上で重要であることがわかる。

4. マスメディアの規制のあり方

最後に、「自由で独立な」メディアが政府の「監視役」として国民へ適切な情報提供を行い、政府の透明性を向上させるという観点に限って、メディアの規制のあり方を考えてみたい。

まず、情報の生産・流通における規模の経済やコンテンツへの規制の必要を根拠に、政府の関与を必要以上に強めるのは、メディア間の健全な競争を通じた情報の多様性や差別化、質の向上を阻害し、メディアが政府に取り込まれてしまう可能性を高くすると考えられる。たとえば、テレビやラジオなどの放送業で通常みられるような免許制度は、免許更新の判断が裁量的に行われれば、明示的条件のみならず、暗黙的な条件(例、政府に有利なコンテンツの提供)も考慮されるため、メディア・キャプチャーにつながりやすく、また、メディア間の競争を阻害するものである。たとえば、韓国では1987年に新聞の免許制を廃止し、登録制にしたが、その結果、ソウルだけでも日刊紙が6つから17紙に増加し、また、その扱う内容もかなり多様化した(World Bank(2002))。

メディア所有規制の是非

一方、メディアの多様性を確保するために、メディア所有規制がさまざまな国で行われている。しかし、こうした規制も、メディア産業を取り巻く大きな環境変化の中で、大胆かつスピーディーな買収・合併による業界再編・効率化の妨げになっているのも事実である。また、インターネットの普及、ブロードバンド化の急激な進展、BS、CS、ケーブル・テレビの普及発達などにより、視聴者にとってメディアの多様化は確実に進んでいる。そのため、所有規制でメディアやその情報の多様化を図らなければならない理由は少なくなっている。つまり、メディア所有規制は、世界的にも抜本的に再考されなければならない時期にきているのである。

地上波テレビ間の所有規制については、アメリカでは、4大ネットワーク間の合併禁止、全国受信世帯数の35%を超える民間テレビの複数保有の禁止、同一地域内での所有・支配は2局まで可となっている。しかし、FCCは今年6月、複数保有できる民間テレビ局の規模を全国受信世帯数の35%から45%へ引上げるなどの改正案を提案しており、政治的にも大きな論争を生んでいる。

日本でも、1地域において1社が保有または支配できる放送局は1局に限るという「マスメディア集中排除原則」があるが、メディアの多様化の進展のみならず、地上波放送のデジタル化のための投資負担や広告マーケットのキー局への集中などにより、ローカル局は経営基盤の強化が求められている。このため、規制緩和策として、ローカル局間で支配の基準となる出資比率制限を緩和する、地域的連関性がより密着な場合は兼営も可能にするなどの案が現在検討されている(BSデジタル放送における出資比率制限の緩和は決定済)。

しかし、日本の場合、全国のローカル局はキー局(および新聞社)を中心に系列ネットワークを作っており、かなりの程度、同じ番組が流されている。また、ローカル局がキー局に支援を受けるケースもあるようだ。しかし、現状では、集中排除規原則により別会社にしなければならない。むしろ、集中排除原則の趣旨は、県単位の放送を基本とする「地域性」の確保(視聴者(および政治家)にとって地域に根ざした情報発信メディアが存在すること)という点にウエイトが移ってきている。したがって、実質的に系列化されている現状では、集中排除原則でメディアの多様化を図ることはそもそも難しいといえる。むしろ、集中排除原則を大幅に緩和することで、業界の大再編を図り、その中で競争やメディア自身の創意工夫を通じて真に多様な見解(特にニュースや報道番組)が出されるようなメディア産業の発展を図るべきである。

外資規制の矛盾

メディアの所有規制で集中排除原則と並んで重要なのは、世論への影響を勘案して導入されている外資規制である。諸外国と同様、日本でも放送業に対して外資規制が行われている(保有株式上限20%)。しかし、現在はケーブル・テレビやスカイパーフェクTV陣営のCS放送(東経124、128度)では外資規制が撤廃されているのに、地上波放送、BS放送、東経110度のCS放送には依然として外資規制が残っているという非対称な規制となっている。これにより、ケーブル・テレビの多チャンネルの中には、外資規制があるメディアと外資規制のないメディアが存在することになり、視聴者への影響という視点からは明らかに制度的矛盾が露呈している。このようにみると、地上波放送等への外資規制は、他の放送形態に比べて政治的なつながりの深い業態を外資による買収から防ぐためのものに過ぎないのでは、という疑問も禁じえない。Besley and Prat (2001)の分析にもあるように、外資メディアのシェアの高さが、プレスの自由度や政府の透明性の向上に寄与しうるため、外資規制も集中排除原則と並び、根本的な見直し(緩和)が必要である。

国有メディアの独立性

最後は、国有メディアのあり方である。Djankov et. al. (2002)の分析にもあるように、国有メディアのシェアが高いことは、政府の透明性を向上させる妨げになる可能性がある。したがって、国有メディアはそれ自体の透明性やアカウンタビリティを向上させるだけでなく、中央銀行と同様に政府から明示的な独立性を付与されるべきである。たとえば、イギリスのBBCは、日本のNHK同様、政府認可の必要な受信料でほぼまかなわれており、理事会の理事も政府から指名されているが、その定款には政府から独立した機関であることが明記されているとともに、内容や放送のタイミング、内部のマネジメントには政府の干渉から自由であることが定められている(World Bank(2002))。5月のイラクの大量破壊兵器に関する政府報告書の不当な脚色に関する報道を巡って英政府とBBCが対立していることは、報道の真偽はともかくも、BBCの独立性を物語る好例といえよう。また、民間のメディアが政府からの補助金を受けることについても、メディア・キャプチャーにつながるので最小限にすべきであろう。たとえば、ドイツでは、国がメディアの独立性を脅かすことを防ぐため、報道機関が政府から直接補助金を受けることが法律で禁じられている(World Bank(2002))。

以上をまとめると、政府(政治)と国民(投票者)という「依頼人・代理人関係」を考えると、政府・政治活動を含めた情報を広く国民に提供していくことで(政府の透明性向上)、自由で独立なメディアは、政府に対して私的利益追求(腐敗行動)を行わせないように規律を与えたり、政府の政策レスポンスを高めたりすることができる。諸外国のデータを使った分析をみる限り、1国のメディアが真に自由で独立であり、政府や政治の「監視役」を果たすためには、国有メディアのプレゼンスが小さく、外資メディアのプレゼンスが高いほうが望ましいと考えられる。また、メディアへの規制は、主に、メディアが発信する情報を消費する視聴者の立場から行われていると考えられてきた。しかし、現実には、こうした規制は、政治的配慮を含め、メディア業界の秩序を守ることに主眼が置かれている場合が多い。こうした規制は、メディアが政府に取り込まれるというメディア・キャプチャーを生みやすく、メディアの自由と独立性を失わせることになりがちである。したがって、メディアの規制を考える場合、これまでの情報の「消費者」という立場より、情報を得ることで政治に積極的に参加し、政府の情報公開や政策決定に影響力を与えていくという「投票者」の立場をより尊重するという方向へと、抜本的な見直しを図っていくことが必要である。

2003年8月4日

2003年8月4日掲載

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