Economics Review

No.12 法制度と経済システム:「内生的法理論」によるアプローチ

鶴 光太郎
上席研究員

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1. イントロダクション

経済学の伝統的な1分野として、社会主義経済と資本主義経済の比較を扱った「比較経済学」(Comparative Economics)は、旧東欧、ソ連の社会主義の崩壊とともに死に絶えた。しかし、90年代に入ってから資本主義経済の多様性、たとえば、英語圏諸国、大陸ヨーロッパ、日本を含むアジア諸国の経済システム、パフォーマンスの違いを説明しようと試みる新たな経済学のアプローチが生まれてきた。その1つが、スタンフォード大学の青木昌彦教授が創始した「比較制度分析」(Comparative Institutional Analysis)である。「制度」をゲーム論の立場から、「人々の間で共通に了解されている(共有された予想、shared belief)ような社会ゲームが継続的にプレイされる仕方」と考え、制度の多様性、複雑性、頑健性及び制度変化の可能性について厳密な理論的基礎を提供した。

一方、経済学のメイン・ストリームで90年代末以降、急速に影響力を持つようになったのは、ハーバード大学のシュライファー教授らが提唱する「新比較経済学」(The New Comparative Economics, Shleifer(2002))である。彼らは、制度の多様性やその経済パフォーマンスへの影響を決定する要因として、所有権(property rights)の保護を強調している。所有権が保護されることで、初めて投資へのリターンが確保され、契約を結んだり、紛争を解決したりすることが可能となり、それが更なる投資や経済成長に結びつくためである。

したがって、所有権の保護の度合いが、制度や経済パフォーマンスの違いに結びつくことは容易に想像できる。所有権の保護は、隣人、競争相手など民間からの搾取をどう防ぐか(法の公的な執行のあり方、治安維持、law and order)という観点と、通常は民間の所有権侵害を防ぐ政府自身がその強権をかざして搾取することをいかに防ぐか(法治国家の確立、rule of law)という視点がある。つまり、法制度のあり方を経済制度全般、ひいては、経済パフォーマンスと関連付けて考えることができるのである。

シュライファー教授らは、包括的な国際比較が可能な、法制度に関するインデックスを作成し、それらが経済システムや経済パフォーマンスに有意な影響を与え、また、法制度の質は、その法制度がどの国に由来するものか(legal origin)に大きく依存することを示した("Legal origin is an important factor pervasively shaping the institutions of capitalist economies.", Shleifer (2002))。移入した法制度の違いによってその国の経済パフォーマンスが左右されるというセンセーショナルな結果は、その実証上の頑健性もあいまって学界に強い影響を及ぼすことになった。一方、受け入れた法制度の起源でその国の運命が決まるという考え方に対しては、感情的批判も多かったが、経済学的な視点からは、単に法制度の質を表す指標の選び方や作り方の妥当性という技術的問題への批判に止まっていた。

本稿では、所有権の保護に代表される、経済活動に影響の深い法制度に着目し、まず、シュライファー教授らによる(法制度の起源の重要性を実証した)分析を紹介する。次に、彼らの研究を批判的に検討するため、法制度の起源よりも、移植先の国固有の事情に対する法制度の適応過程を重視する、コロンビア大学法律大学院のピストー教授の議論を紹介する。また、こうした考え方の応用例として、グローバル化の下での法制度、特に、コーポレート・ガバナンスのハーモナイゼーションの是非を議論する。最後に、法制度が実態に適応していく過程を強調するピストー教授の考え方を一歩進め、法制度を不変・外生的な存在と捉える従来の考え方から、むしろ、その国の固有の状況や経済社会の環境変化に反応して「内生」的に変化し、柔軟に適応していくべき存在ととらえる、「内生的法理論(endogenous law theory)」ともいうべきアプローチを新たに提唱し、法制度と経済システムの問題をこうした視点から再考するとともに、法制度改革のあり方について議論することにしたい。

2. 法の起源の重要性係

シュライファー教授らの研究の出発点は、(外部)投資家保護と金融の関係に焦点を当てることであった。まず、外部株主(=少数株主)、債権者の権利が法律上どの程度、企業のインサイダー(経営者と大株主)から保護されているか、また、49カ国について法の執行がいかに有効かについていくつかの指標を作成し、投資家保護の度合いや法執行の質といった変数と、資本市場の発達度合いを示す、株式市場の相対的規模、上場企業の数(人口当たり)、IPOの活発さ、株式保有の分散化などの変数との間に強い正の関係があることを示した(La Porta, Lopez-de-Silanes, Shleifer and Vishny (1997, 1998)、以下LLSV(1997, 1998)。他の文献との関連も示したサーベイとしては、LLSV(2000)参照)。特に、こうした投資家保護や法執行の質の程度を表す指標が、以下で詳しく見るように、それぞれの国の法制度の起源に密接に関連することを明らかにし、彼らの分析は大きな注目を集めることになった。

法の起源

各国法制度の起源は、19世紀にヨーロッパの列強が世界の大部分を制覇し、法律を含めた彼らの制度を植民地へ移植した時期にさかのぼることができる。イギリスが慣習法(common law=陪審員のような非専門家の裁判官、幅広い法原則、口頭弁論を重視)の伝統を南アジア、東アフリカの植民地、オーストラリア、アメリカ、カナダなどに伝えた。フランスは、その民法(civil law=国が任命した専門的な裁判官、法律の条文、書面記録を重視)をナポレオンによる征服時にスペインやポルトガルを含む大陸ヨーロッパの多くに伝え、それらが更にラテンアメリカ諸国や北、西アフリカやその他の地域へ移植された。一方、ドイツの民法の広まりは、東アジア諸国など、もっと限られた形となっている(Shleifer (2002))。

投資家保護と法の起源の関係

以上のような分類の下で、投資家保護(法律とその執行の実効性)はイギリスの慣習法を起源とする国が1番強い一方、フランス法を起源とする国が最も弱く、ドイツや北欧諸国の法体系に起源のある国はその中間であること(LLSV(1998))、また、フランス法を起源に持つ国において資本市場の発達が最も遅れていることが明らかにされた(LLSV(1997))。ここで注意しなければならないのは、投資家保護などの法整備や市場の発展段階は当然、経済全体の発展段階に依存するという点である。

その意味で、LLSVの49カ国のサンプルをみると、フランス法を起源とする国の1人当たりGNP平均が最も低くなっており、こうした要因を調整して、法の起源の影響を見る必要がある。LLSVでは、投資家保護や資本市場の発達が、経済の発展段階を考慮したとしても(1人当たりGNPを説明変数としてコントロール)、イギリスの慣習法を起源に持つ国よりは遅れていることを確認している(LLSV(1997, 1998))。

彼らの研究が経済学界に比較的大きな影響を与えた理由としては、90年代後半アメリカ経済の高成長を背景としてアングロ・サクソン・モデルが「グローバル・スタンダード」であるべきだという考え方が強まる中で、1つの理論的、実証的根拠を与えることになったことが大きい。より学問的には、90年代のホット・イシューであった経済成長の源泉をどう考えるかという問題の中で、特に、金融と経済成長の関係に新たな光が当てられることになった点にも留意が必要である(Tsuru(2000)参照)。

金融と成長の関係へのインプリケーション

金融の発展は、(1)貯蓄を促進する、(2)貯蓄から投資の橋渡しを行い、資本蓄積を促進する、(3)資金提供者が投資決定をコントロールすることで、より生産的な資源配分を実現する、という経路を通じて経済成長を促進すると考えられる。しかし、これを確認するための実証上の典型的な問題点は、内生性(endogeneity)の問題である。つまり、金融の発展を示す指標、例えば、株式市場の規模なども経済成長の影響を受けるため、両者の正の相関は必ずしも金融発展→経済成長といった因果関係を意味するわけではないという問題である。

しかし、金融の発展度合いと法制度の起源に明確な関係が存在するため、明らかに外生変数である法制度の起源を操作変数として使うことにより、金融発展の変数から経済成長には依存しないような外生的部分を抽出できる。こうして、外生的な金融発展と経済成長の関係をみることで上記の因果関係を確認することができるようになったのである。このような実証分析の進展もあって、金融関係の経済学者の間には、経済成長との関係では、金融システムの経済的特徴の違いよりも、"Law matters."(法律が重要)という考え方が急速に浸透していくことになった。

政府規制と法の起源との関係

LLSVは法制度の起源の役割を更に深めるために、上記の金融分野だけでなく、民間経済活動への政府の介入の度合いとの関係にも着目した。例えば、LLSV(1999)は、124カ国について、所有権の保護の度合いを国別に指数化した指標と法の起源との関係を調べ、経済発展の程度(1人当たりGNPや国の緯度)をコントロールしても、イギリスの慣習法を起源にする国と比較して、フランスや北欧諸国の法体系を起源とする国は低い傾向にあり、ドイツ法を起源にする国は同程度という結果を得た。

また、85カ国について、起業に関する参入規制についてのデータ(具体的には、法的に営業できるまでに費やさなければならない手続きの回数や事務的時間・経費など)を集め、起業のための手続きの回数が、イギリス慣習法の起源を持つ国に比べ、フランスやドイツの大陸法を起源とする国は多い傾向にあり、北欧諸国は同程度という結果を得た(Djankov,La Porta, Lopez-de-Silanes and Shleifer (2002a))。さらに、家賃滞納による立ち退きと不渡り小切手の回収を例にとり、国毎にこれらの紛争処理に関わる司法手続きに係る形式主義の度合い(裁判官が専門家である必要性、口頭弁論よりも書面記録を重視する度合いなど)を指数化して比較しても、イギリス慣習法の起源の国よりも(フランス)大陸法の国の方が手続きの形式主義は強いことが確かめられた(Djankov,La Porta, Lopez-de-Silanes and Shleifer (2002b))。以上の分析を踏まえると、政府の介入の度合いをみても、経済発展の程度をコントロールしてもなお、イギリス法を起源とする国の方が、フランス法を起源とする国よりも弱く、全体的な経済パフォーマンスも良いという結果となっている。

法制度の由来

このようにイギリスとフランスで異なった法制度が生まれたのはなぜであろうか。Glaeser and Shleifer (2002)は、法制度の起源が形成された12、13世紀にまで遡り、法学者の歴史分析を参考にしながら検討している。当時、比較的平和な時期にあって、イギリス国王は絶大なる権力を保持する一方、フランス国王は、戦時下であったこともあり、諸侯と同じくらいの権力しかなかった。ここで、法制度のシステムを考える上で重要な視点は、法の執行を行う者が、地方の有力な利害関係者から脅されたり、賄賂を受けたりすることをいかに防ぐかという点である(注1)。

イギリスの場合、諸侯(大名)はそれほど強くなく、こうした「脅し」(bullying)がそれほど深刻でなければ、争いごとの判決を陪審員のような地元の独立的な決定権者に任せる方が効率的であったといえる。一方、フランスのように諸侯の力が非常に強く、「脅し」の影響が強い場合、「脅し」に屈服しやすい地元の人間に裁判を委ねることはそもそも難しく、こうした「脅し」に立ち向かえる唯一の軍事力を持った国家が任命し雇用した裁判官が、「脅し」に影響されないような判決を行うことが望ましくなる。このように、イギリス国王はフランス国王に比べて、地元の法の執行者を保護できるだけ十分な力を持っていたため、こうした制度の違いが生まれたと考えられる。

3. 法の起源vs.「移植効果」:LLSVへの反論

このような分析に基づくと、法制度が外生的に経済の仕組みやパフォーマンスを決定するというだけでなく、そもそもどの国から法制度を移植したのかに決定的に依存してしまう。例えば、自国の法制度がフランスから移植された国は、イギリスを起源とする国と比べて、高い経済パフォーマンスを発揮するのはそもそも無理であるという運命論にくみすることになる。果たしてそうであろうか。先も見たように、法制度の役割に興味を持つ経済学者の間では、"Law matters."(法律が重要)という考え方が広まったが、アメリカのロー・スクールで会社法やコーポレート・ガバナンスなどを専門とし経済学にも明るい法律学者の間では、法制度と実態との乖離に着目し、むしろ、"Law is trivial."(法律が重要なのではない)(Black(1990))という見方が強いくらいである。

法制度移植過程における受け入れ国の条件

このような法律学者の1人であり、法制度の起源(legal origin)の重要性に疑問を呈したのが、コロンビア大学法律大学院のピストー教授(Katharina Pistor)である。法制度を「必ずしも完全ではなく(incomplete)、受け入れ諸国の事情や慣習に応じて適応し、進化していくべき存在」として捉えるのが彼女の考え方のポイントである。具体的には、Berkowitz, Pistor and Richard (2001)は、ある国が法制度の移植を受ける場合、その起源がどの国かということよりも、受け入れ国側の移植プロセスに着目した。

例えば、受け入れ国が既にフォーマルな法秩序を持っていて、移植された法制度をその国の事情に応じて「適応」させることができたか(adaptation)、また、移植された法制度の基本原則がその国で既に「馴染み」のあるものであったかどうかである(familiarity)。このような条件が満たされている場合、移植された法律体系は実際に使われるであろう。しかし、そうでない場合、例えば、受入国の事情に沿った形で導入されない、または、単純に植民地政策で導入され、国民がそのような法体系に馴染みがない場合、移植された法律への需要は弱いものにならざるを得ず、法体系は本国や移植がうまくいった国に比べてうまく機能しないであろう。彼らは、このような影響を「移植効果(transplant effect)」と呼んだ。

具体的には、LLSVの49カ国のうち法制度の移植を受けた国について、上記の"adaptation"と"familiarity"の基準のいずれかに当てはまる国を「受容的な移植(receptive transplants)」が行われた国、ふたつの基準のいずれも当てはまらない国を「非受容的な移植(unreceptive transplants)」とに分類した。ちなみに、日本の場合は、明治時代に最終的に、ドイツの法体系を受け入れることになったが、"familiarity"の基準は満たさないものの、"adaptation"の基準を満たす好例と紹介されており、「受容的な移植」の例となっている。なぜなら、民法や商法の初期の草稿はフランス法の影響を受けていたが、ドイツ法が最終的に採用されたのは、既に存在する慣習を十分許容するためであったからである。

彼らは、こうした法制度の移植の分類を行った上で、LLSVの使用した法の執行の効率性に関する指数を総合化し(適法性(legality)の指標)、それを説明する変数として、法制度の起源と「移植効果」いずれが大きいのかを検証した。具体的には、フランス法を移植した国、「非受容的な移植」が行われた国、いずれもが適法性の指標に有意にマイナスの影響を与えるが、その大きさはむしろ「移植効果」の方が大きいことを示した。つまり、法執行の効率性の決定要因としては、その法制度の由来よりも、どのように移植されたのかということの方が重要ということである。

フランス法固有の問題

また、フランスを起源とする法制度の移植に当たっては受入国の事情ではなく移植のされ方そのものに問題点を抱えていた(Beck, Demirguc-Kunt and Levine (2002)の解説参照)。ローマ法を起源とするフランス法はもともと法解釈を重要な要素としていたのであるが、フランス革命後、ナポレオン法哲学の下、裁判官は法を単に適用するだけで、法の解釈は行わないという考え方が取られるようになった。これは、これまでの伝統的なフランス法とは矛盾し、実際にうまく機能しないため、フランスの裁判所はナポレオンの法哲学をうまく避けて、革命以前の法体系に基づいて法律を作っていったのである。

しかし、不幸なことに、フランス法の場合、法解釈を認めないという、実際に機能しない部分も見直されることなくそのまま植民地に移植されたため、受け入れ国固有の事情に適応できない硬直的なシステムになってしまったことが指摘されている。むしろ、同じローマ法を起源とする大陸法でありながら、法解釈と適応性の重要性を明示的に強調したドイツ法の方が高いパフォーマンスを示すことになったのである。

制度の移植と入植者の役割

制度の移植を受け入れる国の事情について上記とはやや異なった視点として、Acemoglu, Johnson and Robinson (2001)が、移植当時の入植者の死亡率に着目した分析を行っている。ヨーロッパ諸国が植民地毎に異なった植民地政策を採った理由の1つとして挙げられるのは、植民地での入植者の死亡率が高い場合、本国からその国へ移住するのは容易でないため、植民地での制度設計はどうしても部分的移入、抜粋的なものにならざるを得なかったことである。彼らは、ヨーロッパからの入植者の死亡率→実際の入植者規模→1900年当時の制度の質(民主化の度合い等)→近年の制度の質(所有権保護の程度等)→1人当たりGNPでみた経済発展レベル、などそれぞれの間に有意な関係があることを国別のクロス・セクション・データで確認し、現在の国毎の経済発展のばらつきは、移植当時の入植者の死亡率という、その国固有の事情が反映されていることを明らかにした。

法制度の適応過程を更に詳しく理解するには、法制度の起源の国と比較しながら、受け入れ国における法制度の変遷過程を分析する必要がある。Pistor, Keinan, Kleinheistcrkamp and West (2002)は、過去200年にわたり、会社法が移植された6カ国、具体的には、スペイン、チリ、コロンビア(以上、フランス法起源)、イスラエル、マレーシア(イギリス法起源)、日本(ドイツ→アメリカ法起源)について、会社法の変遷をその起源の国における変遷と比較した。すると、移植が行われた国は、その法制度の由来する国がどれかにかかわらず、由来する国と非常に異なった変遷パターンを辿ることを示した。イギリス、フランス、ドイツ、アメリカといった会社法由来の国では、それぞれの法制度の違いにもかかわらず、緩やかではあるが連続的に変化し最終的にはかなり大幅な変化を遂げたという共通の特徴を見出した。

一方、移植を受けた国の場合は、経済社会状況が変化しているにも関わらず、法制度はそうした変化に長い間まったく反応しないという違いがあった(イスラエル、マレーシア、日本)。また、変化する場合も、国内の状況に応じて変化するというよりも、やはり、外部から制度を移入する際に突発的かつ大幅に変化する場合が多いことが示された(特に、コロンビアなどのフランス法由来の国)。ピストー教授らは、ほとんどの国(コロンビアを除き)について、最終的には国内の問題・状況に応じて会社法が変化し始めるが、フォーマルな法制度を移入したとしても、それがすぐに使われるとは限らず、その後、法制度が法律の使用者の需要に応じて自立的に変化していく持続的なプロセスに入るとは限らないことを強調している。

4. 法制度のグローバル・スタンダード?

上記の議論は、グローバリゼーションに伴う法制度の収斂(convergence)についても大きなインプリケーションを持つ。例えば、グローバリゼーションが世界各国のコーポレート・ガバナンスの収斂をもたらすかどうかについては、さまざまな議論が行われている。世界的な企業間の競争が収斂への推進力を生みつつある、という考え方(Hansmann and Kraakmann (2001))がある一方、制度の歴史的経路(historical path dependence)や補完性を重視する考え方(Bebchuk and Roe (1999))や、グローバリゼーションはコーポレート・ガバナンスの形よりもその機能(実効性)の収斂を生むとする考え方(Gilson(2000))からすれば、コーポレート・ガバナンスの制度自体は必ずしも収斂するとは限らないということになる。しかし、上記の法制度の移植の例を考えると、成文上の形式的な法制度の収斂とその実効性・機能の収斂とは区別されるべきである。

コーポレート・ガバナンスの収斂とその是非

Khanna, Kogan and Palepu (2001)は、発展途上国24カ国、欧州13カ国のデータを使い、上記LLSVの株主保護の度合いを示す各指標に基づいた「法律上の収斂(de jure convergence)」と、サーベイ調査による総合的なガバナンスの質を示す指標に基づいた「事実上の収斂(de facto convergence)」、いずれが起きているかを調べた。すると、地理、言語、貿易等で関係の深い2カ国の間で「法律上の収斂」は起こっているものの(ただし、アメリカ型への一様な収斂は起こっていない)、「事実上の収斂」の方はみられないことが示された。これは、条文上の法制度(law-on-the-books)が同じでも実際のコーポレート・ガバナンスの仕組みが同じとは限らないことを意味しており、ピストー教授らの法制度の移植に関する実証分析とも整合的な結果となっている。

実際、Pistor(2002)は、法制度をいわゆる、「ベスト・プラクティス」や「グローバル・スタンダード」に統一することは、むしろ、実効ある法制度の発展を阻害するとの見方をとっている。なぜなら、第1には、補完性の観点から、導入した新しい法律と異なった分野ではあるが、関連の高い既存の法律体系との間での補完性が確保されなければ、ハーモナイゼーションは法制度全体を改善させるどころか新たな歪みを与えることになりかねないためだ。第2に、法律は、「認知された制度(a cognitive institution)」であるという点に基づくものである。

つまり、法律が実際に機能し、さまざまな行動を変化させるためには、法律自体が受け入れ国の法の執行者や使用者に十分理解されていなければならないからだ。新しく導入する法律が、既に存在する(文脈特殊な)社会的規範などの行動パターンと合致しなければ、法律自体は単に無視され、影響を与えることはできない。したがって、法律が実効あるものとなるためには、法制度を外生的に導入して抜本的な改革を行うよりも、法律関係者の理解や既存の社会規範との整合性を得るために、理想的な制度への連続的な適応というプロセスを経る必要があるのである。ピストー教授は、この過程をシュンペーター的な「創造的破壊」の過程になぞらえているほどである。

5. 法制度と経済システムの関係:「内生的法理論」に基づく法制度改革のあり方

「法制度自体がさまざまな環境変化に応じて連続的に変化し、適応していくべき存在である」という見方は、冒頭紹介した、青木昌彦教授の「比較制度分析」のアプローチとも整合的である。「比較制度分析」では、「制度」をゲームの自己拘束的な均衡(第三者の強制によるものではなく、ゲーム参加者の合理的、最適な行動の結果として支配的かつ安定的になる均衡)として捉えており、法律のような外生的な枠組みがゲームの参加者の利得等を変化させることでその行動に制約を与えるかもしれないが、法律自体は、「制度」そのものではなく、「制度」に影響を与える存在として考えられている(Aoki(2003))。

Aoki(2003)には、更に、法律とゲームの均衡である「制度」との間の相互作用についての言及があるが、必ずしも両者の関係は明確ではない。以下では、この論点を更に深めるために、法制度の適応性を重視するピストー教授の見方を更に発展させ、法制度を「不変的かつ外生的ファクターというよりは、民間の行動主体のゲームの自己拘束的な均衡をなぞるような形で内生的に形成され、そうした均衡、行動パターンを強固にする存在」という考え方を新たに提唱してみたい。

法制度が経済システムの中で「内生的」に形成されるという意味で、「内生的法理論(endogenous law theory)」と呼べるかもしれない。このような法制度の生成を裏付ける1例としては、終身雇用が普及していくにつれて、従業員の福利厚生や退職金の税制等制度的扱いが、終身雇用を更に定着させるように変化していったことが挙げられる。一方、経済社会状況の変化に応じて、こうした民間の自己拘束的な均衡、行動パターンは変化しうるが、法制度が変わらなければそれが制約となり、望ましい均衡、行動パターンは実現しないであろう。

このような関係を川の流れにたとえて考えてみよう。ある自然環境を与えられれば、それに最適に対応するために、川の流れ方が決まると考えよう。安定した川の流れのパターン(「自己拘束的均衡」)ができれば、それを前提に橋がかけられたり、護岸が作られたりする。これが「法制度」に当たる。しかし、自然環境が変化すれば川の蛇行の仕方も当然変化するわけで、既存の橋が役に立たなくなったり、護岸が却って円滑な川の流れを阻害したりすることにもなりかねない。このような状況になれば、橋や護岸の工事を行うことが必要になるわけで、それが「法制度」改正の必要性ということである。

したがって、法制度も経済システムの中の「内生変数」という立場にたてば、それをやみくもに変えることで、さまざまな主体の行動を強制的に変化させようとすることはあまり効果的ではないであろう。むしろ、民間の行動パターンに制約がない場合に存在するような、自己拘束的に最適な均衡が達成できているかどうかの見極め、つまり、既存の法制度が民間の最適な反応を阻害していないかの判断が重要となる。民間自身の最適行動パターンとしての均衡と法制度には常に乖離が生まれるが、その乖離の判断がポイントなのである。

法制度を無理矢理変えて、関係者の行動パターンを変化させるのは、「いやがる犬の首輪を引っ張り別の方向へ向かわせること」に似ている。民間の自主的な行動パターンとして最適な結果が達成できるように法制度の方を順応させていくという考え方が構造改革を行う上で見過ごされている視点である。こうした新たな考え方が政策に反映されるために、日本においても、経済学者と法律学者の密接なコラボレーション、意思疎通がますます重要になってきているといえよう。

企業統治の選択性を導入した商法改正の評価

その意味で、商法改正によりこの4月1日から施行されることになった、大会社における企業統治機構の選択性、つまり、アメリカ型の企業統治システムを採用した「委員会等設置会社」(取締役会の下に社外取締役が半数以上占める、指名、監査、報酬委員会設置の義務付け)を強制ではなく選べるようにしたことは、民間でそのような制度への採用の機運が必ずしも高まっていない中で、ある特定のシステムの採用を法制度で無理強いするという愚を避けたという意味で、一定の評価ができる。しかし、新たな制度を選択する企業が少なければ、商法改正は文字通りフォーマルなものに止まり、実効性は低いものに止まってしまう。これは、法制度が「無視」されている状態といえる。

このような実態との乖離を埋めていくには、別の努力、つまり、現実に新たなシステムを採用した企業において、社外取締役が企業経営にリアルな影響を及ぼし、それが投資家や市場で評価されることにより、新たなシステムを選択する企業はその評判が自然と高まるという好循環を作り出していくことが先決なのである。

2003年3月11日
脚注

法制度のかたちを作り上げる要因として法の執行(law enforcement)のあり方を重要視する考え方を更に発展させたものとしては、契約理論とのアナロジーで、Pistor and Xu (2002)が、法の不完備性(incompleteness)を強調する議論を展開している。成文化された法律だけでは、世に起きる現象にすべて対応できないため、残余立法権力(residual law making power)や法の執行権力が誰に配分されるかが法制度の実効性にとって重要なファクターとなる。立法府、政府(規制当局)、裁判所の3権についてのそれぞれの役割を考えると、立法府は事前的な法律制定者、裁判所は事後的な法律制定者であり、政府(規制当局)は事前、事後の両面で法律制定者になりうる。また、裁判者は受身的(reactive)な法の執行者であるが、政府は自らイニシアティブを持ちうるという意味で能動的(proactive)な法の執行者といえる。この場合、法の不完備性が高い場合(外部性が大きく、事前の標準化が困難)、それを埋めるため、残余立法権者かつ能動的な法の執行者の役割を兼ねることのできる規制当局者の役割が重要となる。

2003年3月11日掲載

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