Economics Review

No.7 目標定量化の落とし穴

鶴 光太郎
上席研究員

 参考文献付き完全版PDF [160KB]

1. イントロダクション

独立行政法人が発足して一年が経過した。独立行政法人の制度的仕組みは、一言でいえば、国の組織から切り離し、政策実施・業務運営(予算、人事)において高い自主性・裁量性を付与する代わり、事前に目標を設定し成果を事後的に評価するシステム(一種の依頼人・代理人関係)である。つまり、法令などによる画一的な事前的コントロールから、評価による事後的なコントロールへの移行である。したがって、独立行政法人という組織が1つのシステムとして機能していくためには、成果の評価方法、また、その評価基準となる目標設定にかかっていることは改めていうまでもないであろう。目標設定においてしばしば強調されるのは定量化である。たとえば、山本清氏(国立学校財務センター研究部教授)は、57の独立行政法人につき各法人の中期目標が定量化されている割合を調べた上で、「独立行政法人の公共的性格から目標の定量化が困難なことは理解できるが、8個の事項のうち1個が指標化されているに過ぎない状況では達成度は一部の評価にとどまるし、その結果を国民に開示すると誤った判断を招くおそれがある」と指摘し、「目標の定量化と評価の改善」の必要性を訴えている(日経新聞朝刊「経済教室」2002年5月30日)。こうした目標定量化や成果主義の導入は独立行政法人のみならず、ヒトの評価、つまり、民間企業、更には公務員の人事システムに導入される動きがある。本稿ではこうしたアプローチの有効性について批判的に検討してみたい。

2. 目標定量化のバイアス

質より量?

目標設定において定量的指標を選ぶメリットは何であろうか。たとえば、目標設定があいまいで解釈の余地がある場合、被評価者(独立行政法人)が目標を達成したとしても評価者は被評価者への報酬(予算)をケチろうとして、目標は達成されていないと言い張るかもしれない。そのような状況を被評価者が予想すれば、目標達成への努力インセンティブは低くなってしまう。一方、評価を行う側と受ける側双方に解釈の余地のない客観的な数値目標を導入すれば、上記のような問題が発生せず、被評価者に強いインセンティブを与えることができる。しかし、この強いインセンティブは「両刃の剣」である。なぜなら、ある目標に対するインセンティブが強ければ強いほど、他の目標達成のインセンティブが削がれてしまうからである。成果の計測の難しさの度合いが異なっていれば、成果が計り易い目標達成に重点が置かれがちになろう。端的な例は、アウトプットの「量」が目標になれば、計測の難しい「質」への取り組みが疎かになってしまうという問題が発生することである。これは、昨年、スティグリッツ、アカロフらとともにノーベル経済学賞を受賞したスタンフォード大学、スペンス教授の重要な貢献である(Spence (1975))。また、量的な目標を達成するためのつじつま合わせ(window dressing)も資源の単なる浪費である(企業の決算対策もその一例)。

努力が自分の首を締める?:ラチェット効果

また、目標が定量化された場合、古くはソ連などの計画経済の問題として、また、より一般的には規制当局が規制産業を監督する際の問題として指摘されてきた「ラチェット効果」が発生しやすい(Milgrom and Roberts (1992), Laffont and Tirole (1993)参照)。たとえば、独立行政法人の中期目標を考えてみよう。ある中期目標を定量化した場合、通常、毎年、成果に応じて目標設定の見直しが行われることが多い。したがって、初年度に、定量化された目標を達成できたとしても、評価者側からすればこの程度の数値目標を達成することは容易と考えるため、次年度以降はよりディマンディングな目標設定を行おうとするであろう。しかし、このような評価者の行動を予想すると、被評価者の方は積極的に目標達成するより、むしろ、目標達成に当たっては余力を残すことが重要になってしまう。

目標の定量化は以上のようなバイアスがあり、また、評価者にとっても一旦、目標を数値化してしまえば評価に手間をとる必要がなくなるという大変ありがたいシステムであるだけに、評価者の論理のみから評価の定量化が進められることは大きな問題があると考えられる。もちろん、評価の方法自体完全なものがあるわけではなく、定量化のデメリットばかり強調するのは必ずしも公平とはいえないであろう。筆者自身も、ある程度の数値目標の設定は必要であると考えている。しかし、それはあくまで満たすべき最低基準の設定として使われるべきであり、それをどんどん引き上げてインセンティブを強めようとすれば上記で指摘したデメリットが大きくなるだけである。それでは、目標設定と評価の問題はどのように考えればいいであろうか?

3. 多面的な評価を行う基盤整備としての「透明性」と「説明責任」

ここでは、しばしば、組織のあり方を考える上で議論されることの多い、「独立性」(independence)、「使命」(mission)、「透明性」(transparency)、 「説明責任」(accountability)という4つのキーワードを有機的に結びつけながら議論してみよう。まず、独立行政法人が裁量を維持し、(国から)政治的な干渉を受けないという意味で「独立性」を保つためには、組織の「使命」が非常に明快な形でアピールされる必要がある。「使命」は具体的には目標設定という形で表現されるわけであるが、その場合、目標の数が多くなり、総花的になるのは好ましくない。なぜなら、総合的な評価をするために、各目標を点数化し、ウエイトをつけて総合点を付けるという目標定量化へ圧力を生み出すからである。

また、評価に当たっては、先でみたように数値化を含めて評価の方法論にこだわることは必ずしも有益ではない。どのような評価システムもおのずからメリット、デメリットを持つため、むしろ、多面的な評価が可能になるような環境を徹底して作り上げることが先決である。その実現として重要になってくるのが、「説明責任」と「透明性」である。つまり、組織のアウト・プットをあまねく理解されやすい形でオープンにしていくという姿勢である。「透明性」の徹底を図ることは以前では技術的・予算的に難しい問題を含んでいた。しかし、IT革命で状況は一変した。ウエッブ・ページを媒体に、大量かつ多様な情報を瞬時に伝えることが可能になったためである。特に、会議などの映像がオン・デマンドで配信できるようになったことはまさに革命的と呼べるであろう。

しかし、アウト・プット、情報を徹底公開するだけでは、「説明責任」を果たしたとはいえない。たとえば、中央銀行がその「独立性」、「説明責任」の文脈で「市場との対話」を重視するように、やはり、利用者・受益者との対話(双方向の情報交換)を通じた多面的な評価体制の構築が重要であるからである。具体的には、ウエッブ上で行う利用者へのアンケート調査や電子メールを使ったコメント入手である。

その意味で、筆者の所属する経済産業研究所は、手前味噌になって恐縮であるが、非公務員型の組織形態の利点をフルに生かし、ITやウエッブ・ページ作成・編集の専門家を配することで、アウト・プットの徹底した情報発信(コンファレンスの映像配信を含む)や多様な広報活動を通じた利用者のアンケート調査実施に発足一年目ながら相当積極的に取り組むことができたと自負している。

4. 質の相対的評価のための競争圧力導入

以上は、あくまでもよりよい評価が行われるための環境整備に関する議論であり、評価自体のあり方は別途議論する必要がある。これまでの経済学の知見から答えるとすれば、絶対評価の難しい「質」の評価は相対的な評価で行う必要があり(たとえばトーナメント・モデルの活用、Lazear (1998)参照)、そのためには競争メカニズムの導入が有効であろう(ハーバード大学のシュライファー教授の初期の業績(Shleifer (1985))である「ヤードスティック競争」(公益産業を地域別に競争させてインセンティブを与えるメカニズム)はこうした考え方の一例である)。独立行政法人自体、政府から分離したものであるため、その業務はある程度独占色が強く、厳密な意味で競争相手を考えることは難しいかもしれない。しかし、たとえば、研究機関などは、民間、大学などにも存在し、研究分野がオーバーラップする場合も少なくない。また、このグローバル化時代、国内の研究機関のみならず、海外の研究機関に目を向けることも必要不可欠である。したがって、それぞれ立場の異なる組織が「たこつぼ」的発想を廃し、交流・提携を通じお互いを意識する。そうすることで、「土俵」は異なるものの競い合うような関係が生まれてくれば、ピア・レビュー(競争相手からの評価)を含む客観的な「質」の評価が可能となってくると期待できる。

このように、独立行政法人の目標と評価の問題は、さまざまなバイアスを生む可能性のある安易な目標定量化に走るのではなく、多面的な評価が可能になるような環境整備、つまり、「透明性」と「説明責任」を徹底させることをまず考えるべきである。その意味で、組織のウエッブ・ページは中枢的な役割を担っており、文字通り、「組織の顔」と認識されるべきである。その上で、アウト・プットの「質」が適切に評価されるためには、(たとえ、「土俵」は異なっていたとしても)当該組織が他の組織との競争をどの程度意識した活動を行っているかにかかっているといえよう。

なお、いうまでもないが、本稿における意見の部分は筆者個人の見解であり、必ずしも筆者の所属組織を代表するものではないことを付記したい。

2002年6月6日

2002年6月6日掲載

この著者の記事