Economics Review

No.6 合併・統合の光と影

鶴 光太郎
上席研究員

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1. イントロダクション

日本経済の構造改革を考える上でのキーワードの1つは組織再編である。近年、企業のみならず、官庁、大学、市町村も合併・統合への動きや試みが加速化しているように見える。むしろ、合併や提携などを考えないような組織は時代の流れに取り残されてしまうという風潮すら感じられる。一方、こうした合併・統合ブームの典型例といえる銀行セクターにおいて、三行が統合したみずほフィナンシャル・グループがシステム統合の失敗で大規模な決済事故を起こした。本レビューNo.4では、中央省庁再編における省庁統合に関して批判的な見方を展開したが、民間部門におけるこうした合併・統合もみずほの例に限らず大きな問題を孕んでいると考えられる。本稿では、企業組織の合併・統合への動機、効果について、経済学的な視点から問い直すとともに、銀行を具体例にとり、過去の分析・研究を紹介したい。最後に、広範な分野で起こっている合併・統合の動きを構造改革の観点から評価することにする。

2. 企業合併・統合の基本的分析視点

企業が合併・統合を行う場合、大きく分けて、垂直的統合(中間財等を生産する川上企業が最終財を生産する企業の合併、もしくは、買い手・売り手関係の統合)と水平的統合(生産物における投入・産出関係はなく、水平的に結合したもの)の2つに分けることができる。なぜ、企業が統合するかという問題を市場と企業の対比、企業の境界の問題を捉えたのは、いうまでもなくCoase(1937)、Williamson(1975)であり、理論化したGrossman and Hart(1986)の業績である。彼らの議論によれば、企業の本質は取引を内部化することによる取引費用の削減であり、売り手が取引関係に特殊な投資を行っても買い手に搾取されるような状況(ホールド・アップ問題)があるならば、両者は統合して1つの企業組織になることが望ましくなる。しかし、上記のコース・ウィリアムソン・ハート流の企業境界の議論は、上記2つの統合タイプのうち、主に垂直統合に関するものである。企業の境界に関する優れたサーベイである、Holmstrom and Roberts (1998)も「企業の理論、特に、企業の境界に関する業績はあまりにも、ホールド・アップ問題や資産特殊性の役割に焦点を当て過ぎてきたきらいがある」と指摘している。

水平的合併・結合

むしろ、最近、起きている合併・統合は買い手が売り手を統合するという垂直的な合併といったものより、同業種・異業種問わず、水平的統合が中心であり、こうした結合形態は必ずしも経済学的な分析が深められてきたとはいえない。実際、最近にいたるまで伝統的な産業組織論の立場からの分析が主流となっており、最新の企業・経営理論の教科書(たとえば、Besanko, Dranove and Shanley (2000))をみても、水平的な合併・統合の利益は、同質的な財を作っている企業同士では規模の利益、また、異なった財を生産している企業の場合、範囲の経済が働くといったシナジー効果で説明されている。

水平的合併でしばしば論点になるのは競争政策上の弊害である。特に、同質的な財を生産し、且つ、合併する2つの企業の市場シェアがもともと大きいため、合併が更に寡占力を強める場合がそうである。しかしながら、事後的な市場の寡占度のみに基づく合併の評価は不十分である。なぜなら、Farrell and Shapiro (1990)が同質財のクルーノー寡占モデルでシナジー効果のない水平的な合併は必ず価格を上昇させるという強い結果を得たように、このような合併は消費者に悪影響を与える可能性があるためである。つまり、合併のシナジー効果の有無、大きさが単に当該企業の経営のみならず、競争政策的にも重要なインプリケーションを持っているのである。

企業の多角化

一方、水平的統合の中でも、異なった分野を統合する、企業の多角化(corporate diversification)については、近年、理論、実証ともに経済学のホット・トピックになっており、研究がかなり進められている(最新のサーベイとしては、Stein (2001)参照。また、Tsuru(2000)も簡潔なサーベイを行っている)。この分野の研究は、企業の多角化の影響を主として企業内の資金配分の問題(内部金融市場)として捉えている。多角化した企業の経営中枢は、それぞれの部門の収益性などについて情報の優位性を持つため単独企業が外部から資金供給を受ける場合よりも効率的に資金配分を行いうるであろう。事実、60~70年代のアメリカ企業のデータを使った実証分析のいくつかをみると、多角化合併を発表した企業の株価は有意に上昇したことが確認されている。

一方、80~90年代のアメリカの企業データを使った分析をみると、多角化した企業の株式価値はそれぞれの部門と同等な単独企業のポートフォリオに対応した価値よりも低い場合がほとんどである。実証分析上の問題点(同時性バイアス等)はいくつか残るものの、「多角化による割引」(diversification discount)が広範囲にみられることは確かなようである。アメリカの場合、60~70年代はコングロマリット・ブーム全盛の時代であり、80~90年代で企業買収・合併で選択と集中を進めて、コングロマリットを再編してきた歴史と符合する。Hubbard and Palia (1999)はこうした企業多角化の評価の変遷を資本市場の発展との関係で説明している。つまり、資本市場が未発達の時期は多角化による内部金融市場の役割(情報の非対称性の解消)が大きいが、資本市場の発達とともにその役割の重要性も低減するという考え方である。また、こうした「多角化による割引」は、アメリカのみならず、日本、ドイツ、イギリスなどの先進国からいくつかのアジア諸国についても計算されており、その結果をみると概ね、資本市場の発達した国々の方がそうでない諸国よりも「多角化による割引」が大きいことがみてとれる(Lins and Servaes (1999, 2000))。

しかし、「多角化による割引」のレベルの大きさを考えると、多角化のデメリットを直接説明できるような理論がどうしても必要になってくる。その1つが「非効率的な内部補助」(inefficient cross-subsidies)の議論である。つまり、投資機会の少ない部門に資金が流れ、逆に投資機会の多いところに資金が流れないという、いわば、予算配分における「社会主義」の蔓延がこうした割引を引き起こしているという見方である。なぜなら、投資機会の少ない部門ほど企業にとって無駄なレントシーキング行動(予算獲得競争やその部門固有の私的利益拡大)を行う余裕、インセンティブがあるため、なるべく平等に扱うことでレントシーキングへのインセンティブを抑制したり(Rajan, Servaes and Zingales (2000))、レントシーキングを止めさせるための直接的な代償を与える(Scharfstein and Stein (2000))といったような、社会主義的な内部補助を行うことが必要となるからである。事実、上記、Rajanらは、投資機会の部門差が大きい多角化企業ほどこうした資金の非効率的配分傾向の高いことをアメリカの多角化企業のサンプルにおいて見出し、「非効率的な内部補助」の存在を直接確認している。

3. 銀行の合併・統合の評価:欧米の分析例

日本では、大手銀行が四大グループに集約されるなど、統合という形で銀行の再編が急速に進んでいる。しかし、金融機関の再編は、その背景は異なるものの、日本のみならず、アメリカ、欧州でも広範囲に進んでいるグローバルな現象といえる。アメリカの場合は、州際業務規制の撤廃、欧州では単一市場プログラム(クロスボーダー、ユニバーサル・バンキング認可)がきっかけとなっていることは疑いないが、こうした銀行の合併・統合の動機・効果に関する研究も非常に注目を集めている。もちろん、これまでの実証分析はアメリカおよび欧州に偏っているが、上記でみてきた企業の合併・統合の基本的視点と合わせながら、実証分析結果を要約してみよう(サーベイとしては、Berger (2000), Berger, Demsetz, and Strahan (1999), Group of Ten (2001)参照)。

まず、銀行の合併・統合の効率性への影響であるが、規模が小さいうちはある程度規模の経済が働くが、範囲の経済によるコスト削減効果や合併の株価への正のアナウンス効果はほとんどないという結論になっている。明確なプラス効果があるとすれば、特に、多角化(商品および地域)によるリスク削減効果から収入を改善させる効果が若干みられる程度である。また、銀行合併によって寡占化が進むと、預金金利の低下や貸出金利の上昇といった市場価格への影響も確認されている。したがって、銀行自身、更には、競争政策上の観点からみても、銀行の合併・統合のプラス効果は懐疑的にならざるを得ない。少なくとも、大規模な銀行の合併・統合の動機を規模や範囲の経済によるコスト削減に求めるのが難しいことは確かなようである。むしろ、その背後にある真の動機は何かということを企業の戦略の観点から問い直すことが重要であり、それを意図した研究もいくつか出てきている。

戦略的オプション確保としての合併・統合
第一は、業務範囲拡大の動機を戦略的オプションの確保とする見方である (Boot (1999), Boot, Milbourn and Thakor (2001))。銀行が将来新たな業務に進出すると考えよう。銀行がこの新規分野で優位になれるような能力(organizational capabilities)があるかどうかわからないということ、また、将来の需要についても不確実性が存在するということを仮定しよう。この場合、銀行としてはこうした不確実性が晴れるまで待ってから新たな業務に進出するかどうかを決断するか、とりあえずその分野に「早期参入」することで(不可逆的な投資を伴う)、その分野での実験・経験を積み重ね、競争に伍していける能力があるかどうかを学習した上で、最終的に新たな分野への業務拡大に関するドラスチックな決断を行うという2つの選択肢があると考える(同様のモデルとしては、企業の多角化を企業の能力、持ち味とぴったり合う部門をサーチする過程として捉えたMatsuzaka(2001)参照)。

この場合、銀行の選択において、上記、Bootらは、将来の新規分野での競争があまり高くないような場合に限り、能力のマッチングの不確実性が大きく(学習の効用が高く)、現在の既存業務での競争が弱いほど(早期参入のための投資への余裕がある)、こうした「早期参入」が有利になることを示した。このような状況で競争する複数の銀行を考えると、これらの銀行は合併・統合することでマーケット・パワーを増加させ、上記のような「早期参入」のための投資を行う余裕("deep pockets")ができるため、まず、既存業務で合併した上で新たな業務へ参入するインセンティブも出てくる。このモデルは、規制緩和、グローバリゼーション、金融イノベーションなどにより銀行を取り巻く環境が激変し、不確実性が高まっている中で、伝統的な業務から新たな業務への進出や大規模なIT投資が期待されている銀行がこうした流れに対応するきっかけとして合併や統合を活用しようとしている側面をうまく捉えているようにみえる。

合併動機としての"too-big-to-fail"
しかし、こうした前向きな動機ばかりではなく、銀行経営者の後ろ向きの動機も重要である。とはいえ、すべての銀行経営者が合併・統合で私的利益の追求のための「帝国の建設」(building empire)を目指しているとは考えにくい。なぜなら、世界的に起こっている銀行の合併は、「大が小を飲む」タイプよりも、比較的大きな銀行同士が統合するメガ・マージャーが多いからだ。むしろ、合併により規模を大きくすることで、"too-big-to-fail"( TBTF:大きすぎてつぶせない)になることを暗に意図しているかもしれない。こうした懸念は、シティ・コープとトラベラーズの合併(1998年)の際にも表明されている(Businesss Week, April 27, 1998)。TBTFに基づいた動機を確認するために、Penas and Unal (2001)は、預金保険の対象にならないような銀行の発行する債券に着目し、合併を行った銀行の債権価格のスプレッド、すなわち、銀行のデフォールト・リスクが合併後に大幅に低下するという現象を、分析対象としたアメリカの銀行合併65ケースのうち38のケースで確認し、TBTFが銀行の合併の動機として重要であることを強調した。また、ユーロ圏においても、銀行の合併・統合による「大きすぎてつぶせない」銀行の増加が問題銀行の処理を難しくするという懸念が高まっている(Belaisch et. al. (2001))。このように、銀行の合併・統合は、個々の合併銀行の効率性の問題だけではなく、競争政策、更には、銀行のプルーデンス政策の観点からも重大な問題を内在しているのである。

4. 日本の銀行合併・統合の評価

四大銀行グループの効率性、コスト削減効果については、どのような手法の評価を行うにしても、その効果を見極めるためにはあと数年は待つ必要があろう。しかし、欧米の銀行を例にとるまでもなく、規模や範囲の経済を前提としたコスト削減効果はあまり期待できそうにない。むしろ、効率性は低下する可能性が高いかもしれない。たとえば、Milgrom and Roberts (1992)は、アメリカ企業の例を挙げながら、企業の水平的な拡大、特に、合併にまつわるデメリットとして、企業文化の衝突やレントシーキングに結びつく政治的闘争などを挙げ、こうした問題は規模が同程度の企業が合併するときに起き易いことを強調している(574ページ)。いわんや、日本の四大銀行グループのように異なった伝統を持つ企業グループに属してきた銀行が「対等」という名目の下で合併した場合、企業文化の衝突の大きさは想像を絶するものがある。従来合併を経験してきた銀行が「たすきがけ人事」を実行してきたのは、まさにこうした衝突を避け、二重構造を完全に維持するためであった。

その意味で、みずほの統合が発表された時、また、「たすきがけ人事」が行われるのではないかという記者の質問に、「三行ではできるわけがない」と言下に否定し、真の統合への自信を覗かせた当時の経営責任者の発言が今でも印象深い。しかし、今回の決済事故は、それぞれの銀行に連なるコンピュータメーカーの争いやテイラー・メイドの閉鎖的かつアドホックなシステム構築に起因する部分も大きいものの、システムの分野においてさえも、三行統合では絶対不可能な「たすきがけ」的発想(それぞれの面子を立てる)を押し通そうとしたことからの当然の成り行きであり、準備不足といった問題ではないことは明白である。やはり、経営のコントロール権の重要性を考えると、対等合併は社会主義的な非効率を生み出す以外のなにものでもないであろう。事実、四大銀行グループの中でも片方の銀行が事後的に実質的な主導権を握った銀行グループの方がパフォーマンスは高いようにもみえる。

日本の場合より深刻なのは、みずほのインベストメント部門の銀行設立断念にみられるように新規分野への戦略的オプション確保としての合併・統合が見えない中、不良債権問題が片付かないうちにこうした銀行の合併・統合を許したことが、結果的にTBTF問題を大きくしてしまったことである。こうした巨大合併は、企業の多角化の弊害でみたように、「非効率的な内部補助」により、不良債権の処理をますます遅らせる面もあるであろう。それぞれのグループが統合の過程では、「大手銀行の破綻をここで食い止めたい」という意図があったことは明白であるが、これは逆に将来により大きなツケを残したといえる。

5. 合併・統合の構造改革へのインプリケーション

最後に、銀行に止まらず、今、日本で起きている合併・統合ブームについて考えてみよう。企業、銀行に限らず、大学、市町村でも基本的に対等合併が検討されている。そこには、重複した物的・人的資産を削減したいという意図が常に強調される。単独ではできないリストラも、二つ合わされば必ず無駄なものが出てくるので、むしろ容易であるという発想が根底にあるように思われる。しかし、対等合併の場合、銀行の例でみたように合併後どちらに主導権(コントロール権)があるか明白でないため、どちら側の資産を処分するかで、大きな対立を生むことになる。むしろ、無駄な部分がそのまま残ってしまい、組織の肥大化による情報交換・コーディネーションの非効率化、組織文化の衝突のみがクローズ・アップされることになりかねない。

さらに悪いことには、こうした他力本願、同床異夢的な統合は、むしろ、ドミノ現象として加速されやすい。つまり、競争関係にある複数組織が存在する場合、最初はどの組織も統合するインセンティブを持たなくても、一旦、統合を選ぶ組織が出てくれば、残された組織の競争条件は悪化する(または、そうなると信じ込んでしまう)ため、生き残りのために統合へのインセンティブは次第に強くなり、ドミノ、バンドワゴン現象が発生するというものである(これは、一部の地域統合のプロセスとも共通している(domino theory of regionalism, Baldwin(1995))。つまり、合併・統合のバブルである。しかし、このバブルは株や地価と異なり、出来上がったものを崩壊させるのは至難の技である。なぜなら、"too-big-to-fail"は、既に銀行だけの問題ではないからである。

企業のみならず、ある組織が生き残りをかけた選択を行う時、こうした安易な統合の道を選ぶか、それとも、逆に、モジュール化の手法を使いながら組織の存在意義やコンピタンスを明確化させ、独自性を発揮していくか、それがそれぞれの組織主体の将来のみならず、構造改革の命運を握っているといっても過言でないであろう。

2002年5月11日

2002年5月11日掲載

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