Economics Review

No.3 「仕切られた多元主義」再考 - Rethinking "bureaupluralism"-

鶴 光太郎
上席研究員

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1. イントロダクション

現在の日本の経済社会状況を、「おおいなる制度変化の時代」(青木(2002))と捉えるとするならば、システムの中核を形成する政府・企業(民間)間関係が今後どのように変化していくのか、また、変化していかなければならないかを考えることは今後進めていく経済改革を実りあるものにしていくためにも重要な視点である。

エコノミクス・レビュー No.2において、これまでの日本の経済システムの特色としては、利害関係者の長期・継続的取引とそれを有効ならしめた関係特殊投資とマクロ環境を指摘したが、政府・企業間関係もその1つである。さらに、歴史的・国際的比較による洞察から得られた特徴として、スタンフォード大学教授青木昌彦氏が強調した「仕切られた多元主義」(bureaupluralism)(「業界」という「仕切り」に分かれて、「業界」、「業界団体」、管轄官庁の「原局」、「族議員」といった多元的なレベルでそれぞれの「仕切り」の利益最大化(既得権益の保護)を図っていくという政治経済的な制度特質)が挙げられる。

しかしながら、青木氏も指摘しているように、「仕切られた多元主義」も、日本経済を支えた終身雇用やメイン・バンクなど他の社会・経済的な規範同様、高度成長期から80年代半ば頃までは有効に見えたが、90年代以降、大きな環境変化の中で、ジレンマを抱え、機能不全に陥っているようにみえる。 日本の経済システムの評価に関しては、メイン・バンクの評価に典型的に見られるように、90年代に機能しなくなったことを盾にとり、制度自体の構造的な欠陥性を指摘したり、過去において果たした役割までも否定する議論がしばしば聞かれる。しかしながら、どのような制度、システムもメリットとデメリットを持ち、いずれが強く出るかは、その時々の経済・社会環境に大きく依存する。

だからこそ、システムの評価はマクロ環境などの違いで振り子のように大きく振れてしまいがちである(たとえば、80年代と90年代におけるアメリカと日本の経済システムの評価)。したがって、システム・制度の評価にはより冷静な頭で("cool head")で環境条件相違の下での比較分析を丁寧に行う必要があり、「仕切られた多元主義」もその例外ではないであろう。本稿では、こうした立場から「仕切られた多元主義」を再考し、そのメカニズムの変容を探っていくことにしたい。

2. 「仕切られた多元主義」とは

「仕切られた多元主義」(詳しくは、Aoki (1988)(翻訳は青木(1992))、青木(2002, 2001a, b)参照)とは具体的にはどのような制度であろうか。簡略化して説明すると、「業界」毎(狭い意味での産業別の業界から農民、医師会なども含む)にそれぞれの「業界」の要望を吸い上げる「業界団体」が組織され、所轄官庁の「原局」に働きかけてそれぞれの「業界」の利益を最大化させるような行動を取る。一方、「原局」も「業界」への天下りの機会などから「業界」との利害を共有するため、「原局」から所属する所轄官庁へ、また、所轄官庁から大蔵省(主計局)に働きかけ、予算や権限配分の獲得を目指す。政府部内では、こうした「業界」毎の「仕切り」の間で利害調整が行われる。

また、各段階での利害調整、働きかけのプロセスにおいて、いわゆる「族議員」が介入してくる。利害関係が一致する「業界」、「業界団体」、「原局」、「族議員」の間では、「結託」(collusion)が発生し、こうした「結託」が崩れないように、官僚の天下り(「人質」の一種)や選挙区への配慮などの「貸し借り関係」で強化される仕組みとなっている。

3. 機会主義的な行動の抑制

「仕切られた多元主義」を経済学的に評価する際に重要なポイントは、通常のレント・シーキング行動と何が異なるかという点である。たとえば、途上国で多く見られるようにレント・シーキングは特定の企業が特定の政治家や官僚と癒着し、しばしば、腐敗につながるが、「仕切られた多元主義」の場合、「原局」や「族議員」を巻き込んだ上での「業界」の利益を追求しており、一部の例外を除いて、基本的には、一個人、一企業の私的利益の追求とは異なっていることである。

こうしたことが可能となるためには、雇用システムの観点から、組織(企業や官庁)間の流動性が極めて低いことが必要である。なぜなら、当該組織とその構成員が運命共同体となり、組織の存続可能性(既得権益維持)や成長が各構成員の利害と一致するためである。各構成員は組織の先輩、後輩の利益を考えること(利他的な効用構造)がひいては自分の利益をも最大化させることにつながるため、機会主義的な行動(腐敗)を行いにくくなるのである(一種の王朝モデル)。

4. 競争メカニズムの埋め込み

また、特定の産業がレント・シーキングを行うのではなく、経済を構成する数多くの「業界」がそれぞれあまねく「業界団体」を作り、それを所轄する「原局」へ働きかけてきた。これは、あらゆる分野(無数)の「業界」が予算獲や権限獲得のためにしのぎを削っているという意味で競争的な状況であった。一方、それぞれの「仕切り」の中においても、「業界」として保証されている既得権益(パイ)からどれだけ分け前にあずかれるかという観点から、同じ「仕切り」に属する同質的な構成員(企業)の間でも競争(「顔の見える競争」)が行われてきた。したがって、もし、「仕切られた多元主義」に内在する「結託」構造の存在にもかかわらず通常のレント・シーキングに見られるような腐敗や資源の浪費が抑制され、むしろ望ましい資源配分が結果的に達成されることができたとすれば(たとえば、青木氏の強調する「まれにみる所得平等」)、これは「仕切り」内外に埋め込まれた競争メカニズムに他ならないであろう。

5. 政府・業界間の情報の問題解決

業界毎に「仕切り」を考える場合、同じ産業でも更に業態別に「仕切り」を設けて、別々の業界団体が存在する場合も多い。なるべく同質の構成員からなる「仕切り」で分けることで(しかも退出や新規参入が制限)、モニタリング・コストが節約でき、「原局」がいわゆる「護送船団方式」で業界を監督することを容易にしたと考えられる。また、なるべく同質的な構成員で「仕切られる」ことで、「業界」も働きかけのための意見統一が行いやすいという利点が存在する。

さらに、監督当局と「業界」との間に「業界団体」が入ることで、相互に必要なコミュニケーション・コストが節約されるという利点があった(特に、情報収集が「業界」に分権化されているにもかかわらず、「業界」の末端の情報が政府レベルで効率的に入手できる)。一方、異なる産業の間でコーディネーションが必要な場合も、「業界」毎に意見が集約されるようなシステムは有利に働いたとみられる。つまり、「仕切られた多元主義」は政府と民間との関係におけるさまざまな情報の問題をうまく解決するシステムであったといえよう。Okazaki (1996, 2001)は、特に、「仕切られた多元主義」の下で可能となった産業間の政策的なコーディネーション(産業政策)に着目し、1950年代において、これが補完性の強い石炭、鉄鋼、機械産業間のボトルネック問題解消に貢献したことを指摘した。

6. 「仕切られた多元主義」のジレンマ

しかし、「仕切られた多元主義」が明示的、暗黙的に仮定してきた前提条件、環境が変化すれば、その有効性も当然変化することになる。たとえば、「仕切り」自体の重要性が低下し、「業界」間の競争的状況を可能にしてきた多岐にわたる「業界」参加が難しくなれば、このシステムの維持も難しくなる。

Aoki (1988)は、市場のグローバル化・国際競争の激化から、国際競争にさらされた機械産業に代表される先進部門がこうした保護メカニズムから徐々に離れる一方、競争から遮断された後進部門(農業、金融、建設など)がますます依存体質を強めるという傾向が続くことを「仕切られた多元主義のジレンマ」と呼び、このシステムの維持が困難なことを強調した。「失われた十年」よりも以前、まだ、バブル経済、日本経済礼賛論が華やかなりし時に既にこのシステムの限界を喝破したことはまさに慧眼というべきであろう。

ただ、こうしたジレンマは、先進部門が国際市場で獲得してきた擬似レントを後進部門へ再配分するメカニズムが困難になったというよりも、数多くの業界間での競争メカニズムが崩れ、予算・権限獲得競争がより非効率的な業界間の寡占的メカニズムへ、つまり、通常の意味でのレント・シーキングやなれあいに変化していったと考えた方が分かりやすいかもしれない。これは、政府部内では、通産省の地盤沈下と、金融部門管轄権と予算配分権の両方を持つ大蔵省のパワーの相対的拡大を生み、特に、経済官庁の間のバランス・オブ・パワーが崩れていく原因となった。

7. 「仕切り」と環境不適合

また、「仕切り」の分け方が安定的であることが「仕切られた多元主義」の重要な前提であるが、その分け方が技術等の変化で根拠を無くしたり、新たな産業(「仕切り」)が登場してきた場合、「仕切り」をどう「仕切り」直すのか、また、どこが所轄官庁になるのかという問題が生じることとなる。Okazaki(2001)は、「仕切られた多元主義」のデメリットの具体例として、80年代にIT産業が登場した際に、コンピュータ産業を管轄する通産省と電気通信・放送産業を管轄する郵政省との間で覇権争いが繰り広げられたことが、これらの産業の狭間にあるとともに、融合形態ともいえるIT産業のインフラ・制度整備を遅らせる原因となったことを強調している。

「仕切り」が結果的には産業発展の阻害要因となったもう1つの例は、銀行と証券の垣根の問題である。青木(2001 b)は、金融の自由化・グローバル化の中で既に銀行業と証券業の業務管轄上の分離が実効性を持たなくなり、大蔵省自体もそれを認識していたにもかかわらず、双方の「業界」の圧力で壁の撤廃へのイニシアチブはしぼんでしまい、金融業全体が大きな市場環境へ適合するきっかけを失ったことが80年代半ば以降の日本の銀行問題(不動産融資への傾斜とその結果としての不良債権問題)の遠因となったことを論じた。

8. 「仕切り」の中の競争、「仕切り」を超えた競争

最後に、「仕切り」の中の(同質的な)構成員間の競争を考えてみよう。確かに、この競争は激しいものだったかもしれないが、ある意味で単線的な競争であり、リスクのない競争であったといえる。なぜなら、既得権益は必ず確保されている中で、それを分け合う競争であり、その競争の仕方も「原局」、「業界団体」、「業界」でコンセンサスができている競争であったからである。たとえていうならば、釣堀でみな同じ道具を使って魚釣り競争をするようなものである。釣堀なので魚(既得権益)は必ず確保されているし、同じ道具を使っているので釣具では差がつかない(別のたとえでは、出題範囲の決まった試験)。

しかし、グローバルな先端産業に見られるように、本来の競争は、どこに魚がいるかを自らの手で見つけるとともに(ビジネス・チャンスの発見)、道具や仕掛けを工夫して(イノベーションにより)、釣果を争うことではないだろうか(子供の勉強の例では、自由研究での競争)。日本の銀行業の場合、長らく参入規制、護送船団方式で保護されてきたため、競争形態は預金獲得、支店増加競争に止まり、新製品開発は規制当局に厳しく制限されていた。「業界団体」は、「メンバー企業のあいだに、事業の焦点を絞った企業家的な再構築を巡る競争よりも、高位の情報同化と群集行動の傾向を促した」(青木(2001 b)、372ページ)のである。

9. 「仕切られた多元主義」を超克するための「実験」とは

それでは、「仕切られた多元主義」を乗り越えていくためには何が必要であろうか。青木(2002)は、民間部門で新たなビジネス・モデル、ルール、共通認識が作られるよう多様な「実験」(experimentation)が行われることが必要と論じている。「実験」という言葉を、単純に企業の新たな挑戦と理解している向きもあるかもしれないが、これは「多くの人々がリスクを承知で他人と異なることをやることで、競い合いながらも『お手本』を見つけ出していく」という作業である。なぜなら、他人と同じことをやっていたのではそもそも「実験」の意味がないし、「実験」をやっている人は、むしろ他人からみれば、「突拍子もないことをやっている変人」というイメージに近いだろう。

ともかくも、これまで事前に「お手本」が必ずあることに慣れきった者に対しては根本的な発想の転換を求めるものである。これは、パック旅行で旗を振っているツアー・コンダクター(「業界団体」や「原局」)にはもう頼れないため、不安感があるが、それぞれの旅行者(企業)が道に迷いながらも(「実験」)、穴場(ビジネス・モデル)を探していくプロセスと似ているかもしれない。それでは、「仕切られた多元主義」を超克していくために政府は何をするべきであろうか。政府組織はどうあるべきであろうか。また、それはいわゆる「縦割り主義」の打破を意味するのか。こうした問題は次回のエコノミクス・レビューで論じてみたい。

2002年1月30日

2002年1月30日掲載

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