中国経済新論:実事求是

「二つの罠」に挑む習近平体制
― 「中所得の罠」と「体制移行の罠」を克服できるか ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

待ち受ける「二つの罠」

2012年11月に開催された中国共産党第18回全国代表大会(党大会)を経て、習近平は胡錦濤の後任として総書記となり、政治局の常務委員の人事も大幅に刷新された。それに続いて、2013年3月に開催された第12期全国人民代表大会(全人代)第1回会議では、国家主席(胡錦濤から習近平へ)や国務院首相(温家宝から李克強へ)をはじめとする政府のトップも交替された。新体制の下で中国はどこへ向かうのかに、内外の注目が集まっている。

振り返ってみると、胡錦濤前体制下の10年間において、中国では、国内総生産(GDP)で見た経済規模こそ大きくなったものの、多くの構造問題はむしろ深刻化の一途を辿った。これを背景に、成長率は低下しており、社会も不安定化している。これらの現象を理解するために、世界銀行と清華大学の研究グループがそれぞれ「中所得の罠」と「体制移行の罠」という概念を提示している。前者は「経済発展」、後者は「体制移行」の過程で待ち受ける問題に焦点を当てている。

図1 経済発展と体制移行の過程で待ち受ける「二つの罠」
図1 経済発展と体制移行の過程で待ち受ける「二つの罠」
(出所)関志雄『中国 二つの罠』(日本経済新聞出版社、2013年3月)

世界銀行が提唱する「中所得の罠」論

「中所得の罠」は、世界銀行が提示した概念である(Gill and Kharas, 2007、World Bank, 2012)。ある国が、1人当たり所得が世界の中レベルに達した後、発展戦略及び発展パターンを転換できなかったために、新たな成長の原動力を見つけることができず、経済が長期にわたって低迷することを指す。「中所得の罠」に陥った国々に共通した特徴として、余剰労働力の解消、産業高度化の停滞、貧富格差の拡大、環境の悪化、官僚の腐敗といった、それまで蓄積された成長制約要因が一気に顕在化し、成長率の低下とともに社会が不安定化することが挙げられる。ブラジルやアルゼンチンなどの中南米諸国が、その典型例である。

30年余りにわたる改革開放を経て、中国は、総じて国民生活が改善され、国際社会における存在感も増している。しかし、ここに来て、成長率は下がってきている上、所得格差の拡大や、環境問題の深刻化、官僚の腐敗などに対する国民の不満が高まっている。2012年9月中旬に中国各地で起きた反日デモが暴動に発展したことに象徴されるように、社会が不安定化している。これらは、一部の研究者の間では「中所得の罠」の兆候としてとらえられている。

「中所得の罠」を克服するために、中国政府は、「経済発展パターンの転換」と「調和のとれた社会」を目指している。「経済発展パターンの転換」は、「需要構造の面における投資と輸出から消費へ」、「産業構造の面における工業からサービス業へ」、「生産様式の面における投入の量的拡大から生産性の上昇へ」という三つの転換からなる。そのねらいは、経済の量的拡大とともに、質の向上を実現することである。また、「調和のとれた社会」を実現するために、「都市」と「農村」、「東部」と「西部」、「富裕層」と「貧困層」の間の格差を縮小させなければならない。それに向けて、戸籍制度などによる農民への差別をなくし、また腐敗の蔓延を止めなければならない。

清華大学研究グループが提唱する「体制移行の罠」論

経済発展の過程に伴う問題に焦点を当てた「中所得の罠論」に対して、清華大学研究グループ(2012)は、計画経済から市場経済への移行過程に伴う問題に焦点を当て、「体制移行の罠」という概念を提起している。ここでいう「体制移行の罠」とは、計画経済から市場経済への移行過程で作り出された国有企業などの既得権益集団が、より一層の変革を阻止し、移行期の「混合型体制」をそのまま定着させようとする結果、経済社会の発展が歪められ、格差の拡大や環境破壊といった問題が深刻化していることである。

ロシアや東欧の国々が採った急進的な「ビッグバン・アプローチ」とは対照的に、中国が「石を探りながら河を渡る」といわれる「漸進的改革」を進めてきたことも、既得権益集団の形成に有利な環境を与えている。

清華大学研究グループによると、「体制移行の罠」に陥った中国経済は、次の五つの「病状」を示している。まず、経済発展が歪められている。既得権益集団は短期間に利益を上げるために、資源の大量な浪費も辞さずに、高成長を追求している。第二に、政府の役割転換と国有企業改革の遅れに象徴されるように、体制改革は停滞し、移行期の体制がそのまま定着してしまっている。第三に、社会的流動性が低く、社会構造は固定化されつつある。第四に、「社会の安定維持」が国を挙げての最重要課題となっており、そのために多くの資源が投入され、またその大義名分の下で、改革が先延ばしされている。最後に、社会崩壊の兆しが日増しに顕著になっており、特に、一部の地方では官僚の腐敗と政府による権力の濫用が目立っている。

こうした認識を踏まえて、同グループは、中国が「体制移行の罠」から抜け出すための方策として、次のような提案をしている。

まず、市場経済、民主政治、法治社会といった普遍的価値を基礎とする世界文明の主流に乗らなければならない。なぜならば、世界文明の主流を拒絶することは、中国が「体制移行の罠」に陥った主因であると同時に、現在の利益構造を維持する口実になっているからである。

また、政治体制改革を加速させなければならない。権力の腐敗は、政府の権威と政策実行能力を弱めている。政治体制改革は、政府の透明性の向上など、権力を制約するメカニズムの形成から始めなければならない。

さらに、改革に関する意思決定を、これまでのように各地方政府や各政府部門に委ねるのではなく、中央政府の上層部によるグランド・デザイン(中国語で「頂層設計」)の下で進めるように改めなければならない。改革を推進するに当たり、国民の支持を得るため、彼らの意見に耳を傾けると同時に、公平と正義を基本価値としなければならない。

新体制の最優先課題に

中国はすでに「中所得の罠」と「体制移行の罠」からなる「二つの罠」の兆候を示しており、これを乗り越えていくことは、習近平総書記を中心とする新体制にとって、最優先課題である。そのために、経済改革に限らず、政治の分野を含む改革の深化が必要である。

経済改革に関しては、第12次五ヵ年計画(2011年-2015年)や、第18回党大会における胡錦濤報告において、具体的ロードマップとタイムテーブルを含む上層部によるグランド・デザイン作成の必要性が強調されるようになった。新体制の主導でまとめられる新しい経済改革案の全貌は、2013年の秋に開催される予定の中国共産党第18期中央委員会第三回全体会議において明らかになるだろう。

一方、習近平総書記は、就任以来、「権力を制度という籠に閉じ込める」(習近平、2013a)「中国共産党は、鋭い批判を受け入れるべきだ」(習近平、2013b)と述べるなど、政治改革についても積極的姿勢を見せているが、既得権益集団の抵抗が予想される。これに対して、今年3月の全人代で新たに選出された李克強首相は、「(既得)利益に触れることは、往々にして、魂に触れることよりも困難である」という認識を示した上、「改革は国家の命運と民族の前途に関わっている」だけに全力で推進しなければならないという決意を表明している(李克強、2013)。

しかし、現在の指導部には、改革に消極的である「保守派」がまだ強い勢力を保っており、習近平総書記と李克強首相が本気で改革に取り組むにしても、まず、政権の一期目の5年間において、国民の支持を集めるなどを通じて自分の権力基盤を固め、2017年の第19回党大会を経て、より多くの「改革派」が指導部入りを果たす二期目まで待たなければならないだろう。

2013年4月5日掲載

文献
  • 習近平(2013a)第18期中央規律検査委員会第二回全体会議での重要講話、1月22日
  • 習近平(2013b)習近平総書記が主催する、各民主党派中央と全国工商業聨合会の新旧幹部、無党派代表などを中南海に招き、新春を祝う会での発言、2月6日
  • 清華大学研究グループ(2012)「『中所得国の罠』それとも『体制移行の罠』」(清華大学・凱風発展研究院社会進歩研究所と同大学社会系社会発展研究グループの共同研究)『開放時代』第3期
  • 李克強(2013)第12期全国人民代表大会第1回会議終了後の記者会見での発言、3月17日
  • Gill, Indermit and Homi Kharas (2007) An East Asian Renaissance: Ideas for Economic Growth, World Bank.
  • World Bank (2012) China 2030: Building a Modern, Harmonious, and Creative High-Income Society(中国国務院発展研究センターとの共同研究), World Bank.
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2013年4月5日掲載