中国経済新論:実事求是

ポスト・ルイス転換点の中国経済
― 顕著になった労働力不足の影響 ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

改革開放以来、中国経済は、年平均10%近い高成長を遂げており、これを可能にした一つの要因は、無限といってよいほどの豊富な労働力の存在である。しかし、1980年代に入ってから人口抑制のために実施されている「一人っ子政策」の影響を受けて、ここに来て労働人口の伸びはマイナスに転じようとしている。その上、工業化と戸籍制度の緩和に促され、若者を中心に、農村部から都市部への労働力の移転が進む中で、中国は発展過程における完全雇用の段階(「ルイス転換点」)を迎えており、労働力が過剰から不足に変わってきている。生産年齢人口の減少とルイス転換点の到来による影響は、潜在成長率の低下にとどまらずに、賃金と物価や、所得分配、経済構造、政府の経済政策、貿易と直接投資にも及んでいる。

労働力が過剰から不足へ

中国は、生産年齢人口が増える段階から減る段階へ、また経済発展過程における不完全雇用から完全雇用へという二つの転換点を迎えており、労働力が過剰から不足へと変わってきている(図1)。

図1 二つの転換点を迎える労働市場
図1 二つの転換点を迎える労働市場
(出所)筆者作成

まず、1980年代の初めに一人っ子政策が採られた結果、全人口に占める生産年齢人口の割合は2010年頃にピークを迎えた後、低下傾向に転じ、生産年齢人口も2015年頃に減り始める一方で高齢化が急速に進むと予想される(図2)。

図2 中国における年齢別人口の推移
図2 中国における年齢別人口の推移
(出所)United Nations, World Population Prospects: The 2010 Revisionより作成

また、若者を中心に、農村部から都市部への労働力の移転が急速に進んだ結果、農村部が抱えていた余剰労働力が解消されている。2011年に戸籍地から離れた出稼ぎ農村住民はすでに1.59億人に上っている(中国国家統計局、「2011年我が国の農民工調査監測報告」)。これを背景に、中国経済は、発展過程における完全雇用の達成を意味する「ルイス転換点」にすでに到達していると見られる。その表れとして、現在、景気が減速しているにもかかわらず、2008年のリーマン・ショックの後に多くの出稼ぎ労働者が職を失い、田舎に帰らなければならなかった前回の不況期とは対照的に、深刻な失業問題が発生していない。また、1997年まで実質賃金の伸びは一貫して実質GDP成長率を大幅に下回っていたが、その後、両者が逆転する年のほうが多くなってきた(図3)。

図3 逆転する経済成長率と実質賃金の伸び
図3 逆転する経済成長率と実質賃金の伸び
(出所)中国国家統計局『中国統計摘要』2012より作成

一般的に、生産年齢人口が増加から減少へと転換する時期と、不完全雇用から完全雇用へと転換する時期は異なる。たとえば、日本の場合、完全雇用を達成したのは1960年代の初めと見られる(南亮進『日本経済の転換点 : 労働の過剰から不足へ』、創文社、1970年)が、生産年齢人口が減り始めたのは1995年前後であった(国際連合、World Population Prospects, The 2010 Revision)。これに対して、中国の場合、この二つの転換点が偶然にもほぼ同時に到来するため、労働力不足の度合いとそれに伴う経済へのインパクトは、他の国と比べて大きいと思われる。

賃金上昇とその影響

労働力が過剰から不足に変わることは、賃金を上昇させることを通じて、中国経済に次のような影響をもたらす。

まず、労働分配率が上昇し、所得格差の是正が促される。労働市場が買い手市場から売り手市場に変わることは、賃金の上昇だけでなく、労働時間の短縮や戸籍制度の改革など、労働者の権利の改善にもつながる。これらは、失業率の低下とともに、社会の安定に貢献する。

また、地域間の格差が縮小する。労働力不足と賃金上昇は内陸部よりも沿海地域のほうが顕著になっていることから、労働集約型産業を中心に、沿海地域から内陸部への産業移転が加速している。国内版雁行形態とも言うべきこのような動きは、すでに2007年以降、内陸部の経済成長率が沿海地域を上回るという「西高東低型」成長をもたらしている。その結果、これまで拡大し続けてきた地域格差も縮小に向かっている。

さらに、インフレ圧力が高まる。実際、インフレ率が景気の遅行指標であることを考慮し、1998年以降のデータを対象に、今期のインフレ率を被説明変数に、3四半期前の経済成長率を説明変数に回帰分析を行うと、両者の間に強い相関性が確認されるが、インフレ率の上方シフトを反映して、2010以降のデータのほとんどは回帰線より上に位置している(図4)。これまで中国政府は、輸出の減速に伴う雇用へのマイナス影響を懸念し、人民元の切り上げには慎重であったが、完全雇用が達成されれば、このような配慮をする必要性がなくなる上、賃金上昇に伴うインフレ圧力を抑えるためにも、人民元の切り上げに対しより積極的になってくる。

図4 GDP成長率に遅行するインフレ率
-顕著になったインフレ率の上方シフト-

図4 GDP成長率に遅行するインフレ率
(注)推計結果式   推計期間:1998年第1四半期(Q1)~2012年第3四半期(Q3)
(出所)CEICデータベースより作成

低下する潜在成長率

生産年齢人口の減少とルイス転換点の到来を受けて、中国の潜在成長率の低下は避けられない。潜在成長率は、概念的に、「労働投入量の拡大」と「労働生産性の上昇」による寄与度からなるが、後者はさらに、「資本投入量の拡大」と「全要素生産性の上昇」による寄与度に分解することができる(図5)。Bosworth and Collins(2008)によると、1978-2004年の中国の平均成長率(潜在成長率と見なされる)は9.3%に達したが、その内、労働投入量の拡大、資本投入量の拡大、全要素生産性の上昇による寄与度は、それぞれ2.0%、3.2%、3.9%と推計される。労働市場におけるこの二つの変化は、「労働投入量の拡大」による寄与度と「資本投入量の拡大」による寄与度を抑える要因となるため、全要素生産性の上昇が一定であれば、潜在成長率は低下することになる。

図5 潜在成長率の要因分解(1978-2004年)
図5 潜在成長率の要因分解(1978-2004年)
(注)各寄与度の合計が潜在成長率と一致していないのは四捨五入によるものである。
(出所)Bosworth and Collins (2008)より作成

まず、生産年齢人口が減少し始めることは、人口ボーナスが人口オーナス、つまり重荷に変わることを意味する。これまで、生産年齢人口が増え続けてきただけでなく、若い人が中心である社会においては貯蓄率も高かった。生産年齢人口の増加は、労働供給量の拡大をもたらし、また、貯蓄が投資の資金源になるため、高貯蓄率は資本投入量の拡大につながったのである。これに対して、予想される生産年齢人口の減少と高齢化の進行は、労働供給量の減少と貯蓄率の低下を通じて、成長率を抑えるのである。

また、ルイス転換点の到来も成長の制約となる。これまで無限と言われた労働力の供給は、次のルートを通じて、中国の経済成長を支えてきた。まず、農業部門における余剰労働力が工業部門とサービス部門に吸収されることは、直接GDPの拡大に貢献している。また、生産性の低い農業部門から生産性の高い工業とサービス部門への労働力の移動は、経済全体の生産性の上昇をもたらしている。さらに、余剰労働力により賃金が低水準に維持されることは、所得分配の面において、資本収入の多い高所得層に有利に働き、ひいては高貯蓄と高投資につながっている。しかし、完全雇用の達成は、工業部門とサービス部門にとって労働供給量が減ることを意味する。貯蓄率の低下も加わり、潜在成長率は低下せざるを得ない。

中国における潜在成長率の低下を示唆する兆候はすでに現れている。その一つは、(労働市場における需給関係を示す)求人倍率と経済成長率の関係の最近の変化である(図6)。一般的に、成長率が潜在成長率を大きく上回る(下回る)ほど、労働の需給関係が逼迫し(緩和され)、求人倍率も高くなる(低くなる)。潜在成長率が一定であれば、成長率の低下を受けて、労働市場において需給関係が緩和され、求人倍率も下がるはずである。しかし、成長率とともに潜在成長率も大幅に低下していれば、需給ギャップが拡大せず、現在のように求人倍率が高止まってもおかしくない。

図6 潜在成長率の低下を示唆する求人倍率と経済成長率の関係の変化
図6 潜在成長率の低下を示唆する求人倍率と経済成長率の関係の変化
(注)中国の都市部の求人倍率は、約100都市の公共就業サービス機構に登録されている求人数/求職者数によって計算される。
(出所)中国国家統計局、人力資源・社会保障部「部分城市公共就業服務機構市場供求状況分析」各期版より作成

促される成長パターンの転換

人口ボーナスの喪失と完全雇用の達成は、労働力と資本といった要素投入の量的拡大による成長が難しくなる一方で、中国が大量の雇用機会を創出しなければならないという制約から解放されることを意味する。

1991年から2011年まで、中国におけるGDP成長率が年率10.4%に達していたのに対し、雇用の伸びは同0.8%にとどまっている。中国では、高い経済成長率と低い雇用の伸びが共存している現状は「雇用なき成長」と呼ばれ、深刻な構造問題として捉えている経済学者が多い。政府も雇用確保のために、労働集約型産業の発展を優先させてきた。しかし、労働投入量を示す雇用が年率0.8%しか伸びていないのに産出を示すGDPが同10.4%も成長していることは、労働生産性の伸びが同9.6%に達し、経済成長に大きく寄与していることを意味する。つまり、「雇用なき成長」は、「雇用の拡大に頼らない成長」(=労働生産性の上昇による成長)と見ることができる。完全雇用が達成され、生産年齢人口も低下傾向に転じ、雇用の拡大に頼る成長ができなくなれば、労働生産性の上昇、中でも全要素生産性の上昇は、成長率を支える最も重要な要素となる。

これを背景に、中国政府は、経済政策の最優先課題として、従来の雇用創出の代わりに、投入量の拡大による成長から生産性の上昇による成長へシフトしていくことを中心とする「経済発展パターンの転換」を強調するようになった。生産性を高めるために、政府は企業の自主イノベーション能力の向上を奨励している。また、①省エネ・環境保護産業、②新世代情報技術産業、③バイオテクノロジー産業、④ハイエンド設備製造産業、⑤新エネルギー産業、⑥新素材産業、⑦新エネルギー自動車産業からなる七大戦略的新興産業を重点的に育成する分野としている。

政府の政策だけでなく、市場の力も経済発展パターンの転換を促している。具体的に、労働力不足に伴う賃金上昇を受けて、企業は競争力を維持・強化していくために、省力化投資や、新しいビジネス分野の開拓に励まなければならない。

政府と企業のこのような取り組みをテコに、今後、中国は、労働集約型産業から「卒業」し、より付加価値の高い分野に資源をシフトする形で、産業の高度化が進むだろう。すでに中国は世界最大の自動車と粗鋼の生産国になったことに象徴されるように、中国の製造業の中心は軽工業から重工業へと移ってきている。

世界経済への影響

中国が世界第一位の輸出大国と第二位の輸入大国であることを考えれば、中国における労働市場の急激な変化とそれに伴う経済発展パターンの転換は、世界経済にも大きな影響を与える。

まず、貿易の面では、中国の輸出構造と輸入構造の変化を通じて、製品間の相対価格、ひいては、各国の交易条件(輸出の輸入に対する相対価格)を変えることになる。

これまで中国は豊富な労働力という比較優位を生かして、労働集約型製品の輸出を伸ばす一方で、機械や部品など資本・技術集約型製品を海外から輸入してきた。このプロセスにおいて、「中国が輸入する物が高くなり、中国が輸出する物が安くなる」という形で、中国の交易条件が悪化する一方で、貿易相手国の交易条件が改善した。これは中国から貿易相手国へ実質的に所得が移転されたことを意味する。

しかし、労働力が過剰から不足に変わるにつれて、中国の比較優位は労働集約型製品から、資本・技術集約型製品にシフトしていく。中国では労働集約型製品の輸出が抑えられる一方で、従来輸入に頼っていた資本・技術集約型製品が国内生産によって代替されるため、国際市場における労働集約型製品の供給と資本・技術集約型製品の需要はともに減る。その結果、労働集約型製品の資本・技術集約型製品に対する相対価格が上昇し、ひいては、中国の交易条件が改善するのである。このような相対価格の変化は、主に労働集約型製品を輸出し、資本・技術集約型製品を輸入する発展途上国にとって有利だが、主に資本・技術集約型製品を輸出し、労働集約型製品を輸入する先進国にとって不利になる。

その一方で、直接投資の面では、中国における比較優位の変化は、賃金上昇や為替レートの上昇を通じて、労働集約型産業の海外への移転を加速させている。中国発の国境を越える産業再編は、賃金コストの安い東南アジアの国々や、インドなどの新興国にとって、直接投資の流入をテコに工業化を加速させる好機となろう。十年後に、メイド・イン・チャイナの製品は百円ショップから姿を消し、これらの国の製品に取って代わられるかもしれない。

2012年10月30日掲載

文献
  • Bosworth Barry and Susan M. Collins, "Accounting for Growth: Comparing China and India", Journal of Economic Perspectives, Volume 22, No.1, Winter 2008.
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2012年10月30日掲載