中国経済新論:実事求是

労働力過剰から不足へ向かう中国

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

(『あらたにす』新聞案内人 2011年9月28日掲載)

近年、沿海地域への出稼ぎ労働者の供給がタイトになってきたことに象徴されるように、中国は、急速に労働力過剰から不足の段階に向かっている。高齢化の進行に加え、発展段階における完全雇用の達成を背景に、労働力の供給が中国のさらなる成長の制約になりかねない。

減少に向かう生産年齢人口

改革開放以来、中国経済は、年平均10%近い高成長を遂げており、これを可能にした一つの要因は、無限といってよいほどの豊富な労働力の存在である。生産年齢人口の総人口に占める割合だけでなく、伸び率も高水準だった。しかし、1980年代に入ってからは、人口抑制のために実施されている「一人っ子政策」の影響を受けて、人口の高齢化が進む一方で、生産年齢人口の伸びは次第に鈍化してきている。国連の予測によると、中国における生産年齢人口の割合は2010年頃にピークを迎えた後、低下傾向に転換し、生産年齢人口の伸びも、2015年までにマイナスに転じると予想される。

このような人口構造の変化は、二つの面から経済成長を制約すると考えられる。まず、生産年齢人口の低下は労働人口、ひいては労働投入量の減少を意味する。その上、高齢化の進行は、貯蓄率の低下に結びつく可能性が高い。貯蓄率の低下は投資に向ける資金の減少を意味するため、間接的に経済成長率を押し下げる要因として働くだろう。また、高齢化社会の到来に備えて、中国は一刻も早く年金制度を整備していかなければならない。高齢化は、一般的に先進国で見られる現象だが、中国は豊かにならないうちにこの段階を迎えるという厳しい試練に立ち向かわなければならない。

ルイス転換点の到来

人口の年齢別構成の変化に加え、若者を中心に、農村部から都市部への労働力の移転が急速に進んでおり、中国は発展過程における完全雇用の達成を意味する「ルイス転換点」にさしかかっている(蔡昉 中国社会科学院人口・労働経済研究所長、「労働力減少が始まる中国 市場重視し生産性向上を」、朝日新聞The Asahi Shimbun GLOBE (Sep.4-17, 2011)、G-5面、2011年9月4日)。このような認識は、経済学者の間で共有されつつあり、その根拠として、次の労働市場における変化が挙げられる。

まず、出稼ぎ労働者の不足が長期化し、当初は東部に限られていた労働力の不足が、中西部にまで広がる傾向をみせている。その上、不足は技術者や熟練労働者ばかりに集中しているのではなく、非熟練労働者にも広まっている。

第二に、1998年まで実質賃金の伸びは一貫して実質GDP成長率を大幅に下回っていたが、その後、両者の関係が逆転するようになった。

第三に、国務院発展研究センターの社会主義新農村建設推進課題チームが2005年に全国17省の2749村に行った調査によると、全国の農村には約1億人の余剰労働力が依然残されているが、その多くは農業以外の産業への就業転換が難しい中高年労働力に当たり、農業以外の産業への就業転換が可能な青壮年労働力は転換を終えつつある。この調査において約四分の三の村は、「村内の出稼ぎに出ることができる青年労働力はすでに出尽くしている」と答えている。

これまで、豊富な労働力は、次のルートを通じて、中国の経済成長を支えてきた。まず、供給側では、農業部門における余剰労働力が工業部門に吸収されることは、直接GDPの拡大に貢献している。また、賃金が低水準に維持されることは、所得分配の面において、資本収入を得られる高所得層に有利に働き、ひいては高貯蓄と高投資につながっている。さらに、需要の面では、低賃金が、低コストに基づく輸出主導型成長を可能にしてきた。しかし、完全雇用が達成されれば、雇用も生産年齢人口の伸びに制約されることになる上、生産性の上昇に合わせて賃金が上昇するようになり、貯蓄率と労働集約型製品の輸出競争力が落ちてしまう。その結果、成長率も低下せざるを得ない。

賃金上昇によって促される構造調整

その一方で、完全雇用の達成に伴って賃金上昇圧力が高まることは、中国経済の途上国型から先進国型への構造転換を促す要因となろう。

まず、賃金上昇に伴って国民所得における賃金収入の割合が高まり、所得分配における格差が縮小することになる。さらに、労働市場における需給関係の変化は、すでに労働時間の短縮や戸籍制度の緩和など、労働者の権利の改善につながりつつある。失業率の低下とともに、これらは、社会の安定にも貢献するだろう。

また、生産性の上昇に伴う賃金の上昇は、物価の上昇(固定為替レートの場合)、または名目為替レートの上昇(変動為替レートの場合)を通じて実質為替レートの上昇をもたらす(バラッサ=サミュエルソンの仮説)。かつて日本が経験した「円高」のように、「元高」も、交易条件(輸出の輸入に対する相対価格)の改善を通じて中国の国民の購買力を向上させ、ひいては内需の拡大と対外不均衡の是正に寄与するだろう。

さらに、これまで中国政府は、輸出の減速に伴う雇用へのマイナス影響を懸念し、人民元の切り上げには慎重であったが、完全雇用が達成されれば、このような配慮をする必要性がなくなる上、賃金上昇に伴うインフレ圧力を抑えるためにも、輸入物価の低下をもたらす人民元の切り上げにはより積極的になるだろう。

最後に、完全雇用の達成をきっかけに、政府の政策の優先順位も雇用重視から生産性重視に変わっていくだろう。大量の雇用機会を創出しなければならないという制約から解放されれば、中国は、労働集約型産業から「卒業」し、より付加価値の高い分野に資源をシフトする形で、産業の高度化が加速するだろう。それに向けて、企業は、省力化投資や、新しいビジネス分野の開拓、対外直接投資などを通じて、産業の再編を進めている。

2011年9月29日掲載

関連記事

2011年9月29日掲載