中国経済新論:中国の経済改革

未完の市場経済化改革
― 「体制移行の罠」を回避できるか ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

中国では1992年春に行われた鄧小平の南巡講話を受けて、「社会主義市場経済」の構築が経済体制改革の目標として定められてから20年が経った。江沢民の時代である前半の10年と比べて、胡錦涛政権になってからの後半の10年では、一部の分野において「国進民退」(国有企業のシェアの上昇、民営企業のシェアの低下)という現象が顕著になっているなど、市場経済化のテンポは鈍っている。このままでは、高成長が持続できなくなるという懸念が高まっており、内外から市場経済化を中心とする改革の加速を求める声が上がっている。

一、市場経済の旗手・呉敬璉教授の訴え

改革開放以来、経済学者の長老格で市場経済の旗手として活躍し続けてきた国務院発展研究センターの呉敬璉教授は、鄧小平の南巡講話20周年を機に、多くのメディアに登場し、市場経済化改革の深化の必要性を訴えている。彼の主な主張は次のようにまとめられる(インタビュー記事「中国は歴史の新十字路に立たされている」、『同舟共進』、2012年第二期)。

まず、政治体制改革と経済体制改革が平行して行われた1980年代の初期や中期と異なり、1989年の天安門事件を経て、1992年に再開した改革は、経済体制のみに限定されるようになってしまった。その結果、経済体制改革と比べ、法治、民主を中心とする政治体制の改革が大幅に遅れただけでなく、政府部門と国有経済部門の改革も大きく制約されてしまった。

また、政府部門と国有経済部門の改革が遅れたことを反映して、20世紀末期に形成された中国の新しい経済体制は、市場経済と統制経済の並存という二重構造によって特徴付けられる。市場は広い範囲で資源を配分する役割を発揮するようになった。その一方で、各レベルの政府が依然として土地等の重要な資源を握り、企業のミクロ経済活動にも幅広く干渉する権力を持ち、石油、通信、鉄道、金融などの重要産業も相変わらず国有企業によって独占されていることから、各レベルの政府および官僚の資源の配分における主導的地位は全く変わらなかった。また、市場経済に不可欠な法的基礎はまだ構築されず、権限を持つ官僚による自由裁量の余地が大きく、あらゆる手段を通じて企業の経済活動に頻繁に直接干渉を行う。

さらに、移行期にある中国のこのような経済体制は、更なる改革によって、法に基づく市場経済まで発展する可能性がある一方で、国家資本主義や縁故資本主義(クローニー・キャピタリズム)に退化してしまう可能性もある。過去30年間の高成長の奇跡は、新たに導入された市場経済が人々の創業精神を解放させたおかげであった。その一方で、近年見られる政府の行政統制の強化や資源の大量投入による成長は長続きしないだろう。このような粗放型成長の下で、資源の枯渇、環境破壊、内需不足、国民生活水準向上スピードの遅さといった問題は深刻になっている。また、各レベルの政府が経済活動への干渉を日増しに強化することで、腐敗は蔓延し、貧富の格差もますます拡大した。官と民の対立が激化し、社会が益々不安定になってしまう恐れがあるという。

このような現状認識を踏まえて、呉敬璉教授は、「当面の急務は、既得権益集団による干渉を排除し、改革を再開し、市場化を中心とする経済体制改革と、民主化・法治化を中心とする政治体制改革を確実に推進し、市場経済の基礎を全面的に整備し、公権力の行使を憲法や法律によって制約し、国民によって監督されることであり、ほかに選択肢は存在しない。」と結論している。

二、世界銀行の警告と提言

世界銀行も、中国の政府系シンクタンクである「国務院発展研究センター」と共同でまとめた「2030年の中国 現代的で、調和の取れた、創造力ある高所得社会」(2012年2月)という報告書(以下、「報告書」)において、中国における市場経済化改革の加速を呼びかけている。「報告書」は、中国経済の先行きについて、高齢化の進行による労働人口の減少や、環境問題の悪化、貧富の格差の一層の拡大などのリスクがさらに累積すると指摘している。その上、国有企業が基幹産業を独占するこれまでの経済成長のモデルはすでに限界を迎えており、さらに踏み込んだ改革をしなければ、高成長の維持は難しくなると強く警告している。

このような認識を踏まえて、「報告書」は、今後20年間の中国の発展を支える次の6つの政策を中心とする新しい戦略を提案している。

  1. 市場経済の基盤を固める。
  2. 技術革新のペースを速める。
  3. クリーン発展のチャンスを把握する。
  4. すべての人に平等な機会と基本的な社会保障を提供する。
  5. 適切で持続可能な財政システムを確立する。
  6. 世界と互恵共栄の関係を構築する。

中でも、1.の市場経済の基盤を固めることが今後の改革の軸として強調され、それには、次のような内容が含まれている。まず、政府の役割の転換、国有企業と国有銀行の再構築、民営企業の発展、競争の促進、土地・労働力及び金融市場の改革などの措置を通じて、構造改革を進める。また、技術水準が先進レベルに近付くにつれて、海外の先進技術を導入・応用できる余地が少なくなり、政府の役割と、政府と市場及び民営企業との関係を根本的に調整する必要がある。さらに、政府は直接に提供する「有形」公共財と公共サービスを相対的に減らす一方で、制度、ルール、政策のような「無形」公共財の提供を増やすことを通じて、生産効率の向上、競争と分業の促進、資源配分の改善、環境の保全、リスクと不確定性の低減に寄与する。

具体的に、企業部門においては、国有企業の更なる改革(公共財・サービスの提供への特化、所有権と経営権の分離を含む現代的な企業統治の導入、所有構造の多様化)、民営企業の発展、参入と撤退障壁の削減、戦略的産業及び主力産業を含めた部門における競争の促進に重点を置く。

また、金融部門においては、銀行の商業化と金利の市場化の促進、資本市場の改革、法律と監督体制の整備を通じて、中国の金融システムの国際化に向けた強固な基礎を構築する。

さらに、労働力部門においては、段階的に戸籍制度の改革を行い、労働者が市場のニーズに応じて移動できるようにする。国内のどこにでも持ち運びできる年金や、医療及び失業保険などの社会保険制度を構築する。

最後に、農村土地市場の整備を通じて、農民の権益を守り、土地の利用効率を高め、農地徴用政策を根本的に整備し、都市部の過度な拡張を制限し、地方政府の収入の土地への依存を低減させ、農民の不満を解消する。

もっとも、世界銀行による中国経済に関するこのような警告と提言は、権威のある国際機関から出されることの意味は大きいが、決して目新しいものではなく、先述の呉敬璉教授をはじめとする中国の主流派経済学者の見解とほぼ一致している。

三、温家宝総理も改革を積極的に推進

むろん、中国政府も、改革の必要性を十分認識している。実際、2012年3月に開催された全国人民代表大会(全人代)の温家宝総理の「政府活動報告」において、「改革」という言葉は70回近く登場するほど、キーワードとなっている。温家宝総理は「重点分野の改革を踏み込んで推進しなければならない。一層の決意と勇気をもって引き続き経済体制や政治体制など各改革を全面的に推進し、発展の妨げとなる問題を打開しなければならない」と改革への意欲を語っている。具体的に、中国政府が取り組むべき改革の重点分野とポイントとして以下が挙げられている。

  1. 政府の機能をより一層転換し、マクロコントロール・システムを健全化し、政府と市場の関係を調整することを通じて、資源配分における市場の基礎的な役割を一層発揮させる。
  2. 税財制の改革を推し進め、中央と地方の間、もしくは地方の各レベルの政府の間における財政収入の配分関係を整理することにより、中央と地方の両方の意欲を一層引き出す。
  3. 土地、戸籍、公共サービスなどの制度改革を深化し、都市と農村の関係を合理化することにより、工業化・都市化と農業の現代化との調和の取れた発展を促す。
  4. 社会的事業や所得分配などの改革を推し進め、経済成長と社会発展との関係を適正化することにより、社会の公正と正義を効果的に保障する。
  5. 法律に基づく行政と社会管理の刷新を推進し、政府と公民・社会機構との関係を明確化することにより、サービスを重視し、(国民に対して)責任を持つ廉潔な法治政府づくりに取り組む。

中でも、2012年の重点任務の一つとして、政治体制改革を加速させることを挙げている。具体的に、社会主義民主を拡大し、民主的選挙、民主的政策決定、民主的管理、民主的監督を法に基づき実行し、人民の知る権利、参与権、意見表明権、監督権を保障する。法に基づく国家統治という基本方針を全面的に貫徹し、憲法と法律の権威を守り、尊重する。各種の紀律・法律違反事件を断固として取り調べ、処分し、腐敗分子を厳しく懲罰する。

温家宝総理は、今回の「政府活動報告」だけでなく、これまでも政治体制改革の必要性を訴えてきたが、2012年3月14日の全人代閉幕後に行われた記者会見において、次のように、さらに踏み込んだ発言があった。

政治体制改革については、これまで十分に説明してきた。この問題に関心を寄せる理由は、責任感によるものだ。四人組の打倒後、中国共産党は若干の歴史問題に関する決議を採択し、改革開放に乗り出した。だが「文革」の過ちと封建制度の影響を完全に取り除くことはできなかった。
経済発展に伴い、所得分配の不公平や信頼の欠如、汚職・腐敗などの問題が生じた。こうした問題を解決するには、経済体制だけでなく、政治体制、特に党と国家の指導者制度を改革する必要がある。
改革は現在、正念場に来ている。政治体制改革を成功させなければ、経済体制改革の徹底はありえず、これまで収めた成果を失うことにもなりかねない。社会が直面する新たな問題も根本的な解決が図れず、文化大革命のような歴史的悲劇が繰り返される恐れもある。党員と指導幹部の一人一人がこうした緊張感を持つべきだ。
改革の難しさも熟知している。いかなる改革にも、人民の覚悟と支持、意欲、創造の精神が不可欠となる。中国のような13億の人口を抱える大国であれば、さらに国情を踏まえた上で、社会主義民主政治を段階的に構築する必要がある。たやすいことではないが、改革は立ち止まることも後戻りすることもできない。前進あるのみだ。

四、清華大学研究グループによる「体制移行の罠」論の登場

しかし、温家宝総理が強い意志をもって改革に取り組んできたにも関わらず、「総論賛成、各論反対」の壁に遭い、所期の効果を上げるに至っていない。これに対して、清華大学凱風発展研究院社会進歩研究所と社会学部社会発展研究グループ(主査は中国を代表する社会学者である孫立平教授)は、2011年度の「社会進歩シリーズ研究報告」において、その原因を既得権益集団の反対と抵抗に求めた上、「体制移行の罠」という概念を提起し、中国がそれから逃れるための方策を示している。

ここでいう「体制移行の罠」とは、計画経済から市場経済への移行過程で作り出された既得権益集団が、より一層の変革を阻止し、移行期の体制をそのまま定型化させることを通じて、自分の利益を最大化する「混合型体制」を形成させようとする結果、経済社会の発展が歪められ、それに伴う問題が深刻化してしまうことである。

「清華大学研究グループ」によると、「体制移行の罠」に陥った中国経済は、次の五つの「病状」を示している。

まず、経済発展が歪められている。既得権益集団は短期間に利益を上げるために、資源の大量な浪費も辞さずに、高成長を追求している。また、自分の利益を損なう体制改革を避け、もっぱら経済成長を通じて矛盾を和らげようとする。民営企業が苦境に追い込まれる中で、経済発展は政府主導の下で進めざるを得なくなる。大規模な建設プロジェクトの推進や、大型イベントの開催が成長を促進する重要な手段になっている。

第二に、体制改革は停滞し、移行期の体制がそのまま定着してしまっている。既得権益集団は、旧体制と新体制の要素を上手く組み合わせて、自分の利益を最大化しようとしており、呉敬璉教授が指摘する国有企業による市場独占はその典型である。政治をはじめ、重要な分野において、改革が先伸ばしされている。既得権益集団は、自分に不利な改革に反対する一方で自分に有利な改革だけは積極的に進め、その結果、大衆の改革に対する希望も支持も失われてきている。

第三に、社会的流動性が低く、社会構造は固定化されつつある。まず、社会における階級間に断層ができてしまい、社会全体の活力が衰えている。また、階級間の対立が顕著になってきている。さらに、社会から疎外された一部の人が絶望に追い込まれている。これらを背景に、社会の矛盾が激化している。

第四に、「社会の安定維持」が国を挙げての最重要課題となっている。そのために、多くの資源が投入され、またその大義名分下で、改革が先伸ばしされている。社会の安定維持のための対策は、本来の意図に反して、かえって社会を不安定化させる要因になっている。

最後に、社会崩壊の兆しが日増しに顕著になっている。特に、一部の地方政府による権力の濫用が目立っている。権力が十分に制約されていない中で、土地の立ち退きを巡るトラブルが頻発するなど、農民・市民と政府の対立が激化しており、社会の公平と正義の維持が困難になってきている。

中国がこのような「体制移行の罠」を避けるための方策として、「清華大学研究グループ」は以下の提案をしている。

まず、市場経済、民主政治、法治社会といった普遍的価値を基礎とする世界文明の主流に乗らなければならない。なぜならば、世界文明の主流を拒絶することは、中国が「体制移行の罠」に陥ってしまった主な原因であると同時に、現在の利益構造を維持する口実になっているからである。

また、政治体制改革と社会建設を加速させなければならない。権力の腐敗は、政府の権威と政策実行能力を弱めている。それは「体制移行の罠」が形成される元凶であり、「体制移行の罠」から脱出する努力が効果を上げていない重要な原因である。政治体制改革は、権力を制約するメカニズムの形成から始めなければならない。

さらに、改革に関する意思決定を、これまでのように各地方政府や各政府部門に委ねることから、政府の上層部によるグランドデザインの下で進めることに改めなければならない。改革を推進するに当たり、国民の支持を得るために、彼らの意見に耳を傾けると同時に、公平・正義を基本価値としなければならない。

五、『人民日報』も「体制移行の罠」を警告

「清華大学研究グループ」の論文は、多くのメディアに取り上げられており、中でも、「体制移行の罠」という概念を援用しながら、改革を加速すべきだと訴える『人民日報』の論説(「改革せず危機に陥るよりも、『完璧でない』改革の方がまし」、2012年2月23日)が注目されている。

「論説」は、まず、改革に対する反対と抵抗は、改革開放に転換した当初からあったものだが、これまでの漸進的改革が限界に達した今、益々顕著になってきたと、次のように指摘している。

改革は思想の制約を打破し、現実の利益に抵触するものであり、開始当初から既存構造に挑戦しており、異議を伴うことは避けられない。当時の請負制、物価改革、賃金改革から、政府幹部の資産公開、独占産業改革、事業単位改革まで、改革は常に論争と批判を伴う。
変わったのは、改革が「石を探りながら河を渡る」(試行錯誤による漸進的改革)から「上層部によるグランドデザイン」へ、経済分野から社会・政治分野へ進むにつれて、矛盾が深まり、利益関係が複雑化し、抵抗も大きくなったことである。平易な言葉で表現するなら、容易な改革は大方終わり、残っているのは手を焼く難事ばかりなのだ。これは回避するわけにはいかないし、そのすべもない。

続いて、「論説」は、既得権益集団の反対により、改革が停滞し、社会全体が「体制移行の罠」に陥るリスクについて、次のように警告している。

改革はもめ事を引き起こす、自ら面倒を招く行為だ。完全無欠にすることも困難だ。三十数年を経て困難な局面を迎える今、どんなに計画が緻密でも、どんなに卓越した知恵があっても、改革は必ず一部から非難を招く。既得権益者は強い発言権を行使して改革を妨害する。メディアや大衆はあらを探すように改革を注視する。中にはユートピア思考で苛酷な要求を突きつける者さえいる。改革を行う者としては、真剣に民意に耳を傾け、流言に左右されず、知恵と慎重さと同時に、勇気をもって取り組むことが必要だ。

* * *

改革の過程で恐ろしいのは反対の声が上がることではなく、異議によって改革が頓挫することだ。現実の中では、これは既得権益から来る抵抗であったり、制御不能に陥ることへの懸念であったり、「不安定の幻覚」に陥ることであったりする。一部では改革の「漸進性」は次第に「停滞」へ退化し、「積極的で穏当」は往々にして「穏当」過多と「積極」不足に変わる。ここ数年、一部の地方で改革が長いこと決まらず、一部の部門で改革を決めてもなかなか進まず、一部の分野で改革を進めてもなかなか突破口を開けないこともこれと関係する。

* * *

しかし「改革はリスクを伴うが、改革しなければ党は危険に直面する」のである。世界の大政党や大国の没落を見渡すと、その根本的原因の1つは、つぎはぎを重ねるだけで、 大鉈を振るう勇気がなく、最終的に改革が停滞して袋小路に陥るというものである。

これを踏まえて、「論説」は次のように改革の加速を訴えている。

危機に陥るよりも、非難にさらされる方がましだ。改革しないことによる危機よりも、「完璧でない」改革の方がましだ。長期政権の大政党こそ、常に執政基盤が短期的行為によって損なわれることに警戒し、発展の方向性が一部の利益によって左右されることを阻止し、消極性と怠慢によって改革の時機を失することを極力回避し、当面の社会の発展と安定だけでなく、党と国の事業の長期安定をより考慮しなければならない。全く新たな改革の歴史的段階を前に、私心なく何ものも恐れずに取り組み、胡錦濤総書記の指示に従い「時機を逃さずに重要分野や要となる部分の改革を推し進め」、「経済体制、政治体制、文化体制、社会体制の改革・革新を引き続き推し進めなければならない」。

六、次期指導部の最優先課題となる「体制移行の罠」の克服

2012年秋に、第18回中国共産党全国代表大会が開催され、指導部の大幅な人事交代が予定されている。改革の深化を通じて、「体制移行の罠」を克服していくことは、新しい指導部にとって、まさに避けて通れない課題である。それに当たり、ここで紹介している各界の分析と提案は大いに参考になるに違いない。

2012年3月27日掲載

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