中国経済新論:中国の経済改革

市場化改革を巡る大論争
― 迫られる移行戦略の転換 ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

中国では、市場化に向けた改革は大きな成果を収めたが、いくつかの新しい問題と矛盾も顕在化している。国民は貧富格差や地域格差の拡大、生態環境の悪化、権力者の腐敗、社会治安の混乱、および医療、教育、住宅の改革に伴う医療費・教育費・住宅価格の高騰、就職難などの問題に対して強い不満を持っている。これを背景に、個別の分野に対してはもとより、これまでの改革の評価と今後の進め方を巡って、学界にとどまらずに、マスコミやインターネットを巻き込んだ形で大論争が沸き起こっている。論争は主に「新自由主義者」と呼ばれる主流派の経済学者と、改革の恩恵をあまり受けていない大衆と彼らに同情的である「新左派」と呼ばれる非主流派の経済学者の間で交わされている(表)。今回の論争において、イデオロギーが武器として使われているが、その裏には、各社会階層の利益対立も見え隠れている。

表 「新自由主義者」Vs「新左派」の対立論点
表 「新自由主義者」Vs「新左派」の対立論点

1.高まる市場化改革への批判

2004年以来、国有企業の民営化をはじめ、中国経済のラテンアメリカ化や、医療・教育・住宅の三つの分野における改革、経済学と経済学者のあり方、物権法の性質など、中国の市場化改革の是非を巡る論争が絶えず繰り広げられてきた。

(1)国有企業の民営化を巡る論争

2004年夏、香港中文大学の郎咸平教授が、国有企業の民営化の過程で多くの上場企業の経営者がMBOなどを通じて国有資産を侵食していると強く批判し、民営化の是非とその進め方を巡って、大論争を巻き起こした。「公平性」という観点から郎氏を支持する「新左派」と、「効率性」という観点から彼に反対する「新自由主義者」との間における論点の対立が鮮明になっている。郎氏は、MBOをはじめ、多くの上場企業による上場や増資を巡る財務操作を経営者による国有財産の略奪行為であると主張した。民営化に伴う国有資産の流出が問題視されてすでに久しいが、郎氏は企業が公表した財務会計などのデータに基づいて国有資産の大量流出を立証し、その矛先がハイアール、TCL、グリーンクール(格林柯爾)といった人気企業にも向けられていることで、新たに論争の材料を提供した。中でも、香港でH株として上場しているグリーンクールを率いる顧雛軍氏が香港の裁判所に郎氏を名誉毀損罪で訴えたことは話題を呼んだ。

この論争の焦点は、個別企業の改革に際して国有資産が流失しているかどうかという個別問題から、国有企業改革の方向、さらには民営化自体が正しいかどうかにまで及んだ。これを受けて、国有資産監督管理委員会と財政部が2005年4月に大型国有企業のMBOを中止した。2005年7月に、論争の焦点人物である顧雛軍が5億元の不正流用問題で逮捕されたことを機に、新自由主義者側はいっそう苦戦を強いられるようになった。

その後、民営化を巡る論争の対象は、四大銀行の海外上場の是非にも及んだ。中国は銀行改革の切り札として、公的資金を導入し、不良債権を処理した上、四大国有商業銀行を株式制銀行に転換し、海外市場に上場させる計画を進めている。その一環として、海外から戦略的投資家を誘致して経営の効率化を図ろうとしている。しかし、中国における世論の大勢は外資導入の必要性を認めながらも、国有銀行の外資への株譲渡が国有資産の安売りに当たるのではないかという批判的論調が一部で見られる。その根拠として、これまで政府が四大銀行に対して、不良債権の処理や資本注入のために、すでに多くの公的資金を使ってきたことを考慮すると、外資への「安売り」は、まさに国有資産の流失に当たるという。さらに、国内の投資機関が今回の資本参加から除外されたことが、市場経済の前提である公平性に反するという指摘もある。

(2)中国経済のラテンアメリカ化を巡る論争

2004月7月9日の『国際金融報』に発展改革委員会マクロ経済研究所の楊中侠氏の「外資導入による『ラテンアメリカ化』の恐れ」という論文が掲載された。論文は、①外資企業に対する優遇税制および外資企業による租税回避、②外資と貿易依存度の高さがもたらす中国経済への悪影響、③バブルの発生に伴う金融リスク、④外資による国内市場の独占、⑤外資企業の進出が国内企業の技術革新を妨げるクラウディング・アウト効果、⑥外資導入に伴う資源環境問題の深刻化を問題とし、「ラテンアメリカ」化を回避するためには、外資企業に対する過剰な依存を避け、民族企業の成長を支援すべきであるとしている。これと合わせて自国企業の研究開発能力の向上、先進技術の習得の促進を提言している。これをきっかけに、外貨導入の功罪を巡って、新自由主義者および商務部を中心とする政策当局と新左派の間に正反対の意見が交された。

(3)医療、教育、住宅の市場化改革を巡る論争

2005年7月、国務院発展研究センター社会発展研究部が発表した課題研究報告では「中国の医療衛生体制改革は基本的に失敗した。医療サービスの公平性が改革により損なわれ、医療体制が商業化、市場化という間違った方向に導かれた。」と述べ、賛否両論を呼んだ。医療改革と同じように、近年、「市場化」という名の下で進められている教育改革、住宅制度改革の結果、生活費が高騰し、今や医療、教育、住宅という三分野における負担が新しい「三座大山」と呼ばれるようになるほど、これに対する国民の不満が高まっている(かつては帝国主義と封建主義、官僚資本主義という「三座大山」を打倒することが、中国における共産革命の大義名分であった)。しかし、その原因については、「市場の失敗」にあると見る新左派と、「政府の失敗」にあると見る新自由主義者の間では、意見が分かれている。

(4)経済学と経済学者のあり方を巡る論争

2005年7月に、長年経済改革にかかわり、2005年の3月に第一回「中国経済学賞」を受賞した社会科学院の劉国光氏は、マルクス経済学の低迷を中国における社会主義の深刻な問題と見て懸念を表明した。劉氏は、西方のブルジョアジーのイデオロギーが経済の研究と政策立案にも浸透しているという現状認識を踏まえて、もし近代経済学が本当にマルクス主義の政治経済学に取って代わって中国で主流、主導的な地位になるならば、最終的には社会主義の発展の方向が変えられ、共産党の指導の終焉、あるいは変質が招かれるだろうと警告した。

一方、2005年10月に、香港科学技術大学の社会学者である丁学良教授はマスコミの取材に応じた際に、中国国内において本当の意味での経済学者は5人もいないと発言し、また国内の一部の経済学者が利益集団の代弁者となっていることを批判した。これをきっかけに、マスコミとインターネットを中心に、中国の経済学者のあり方や改革開放における功罪を巡って、白熱した議論が交わされた。これまで改革開放に政策立案の面において貢献し、大衆から尊敬と注目を集めた経済学者は、一転非難の対象になったのである。

(5)物権法の性質を巡る論争

北京大学法学院の鞏献田教授は2005年8月に、審議中の「物権法(草案)」が社会主義の原則に背離した違憲的なもので、資本主義への後退であるという主旨の意見書を発表した。その論拠として、物権法草案に「社会主義公共財産を侵害してはならない」のではなく、資本主義国の憲法を思わせる「国家、集団、個人財産を平等に保護しなければならない」と規定していることを挙げた。この意見書は当局に重要視され、鞏氏は全国人民代表大会法律工作委員会に招かれ、意見を求められた。その後の2005年12月に開かれた全国人民代表大会常務委員会では、「草案」は提出されなかった。これに対し、12月7日広州で開かれたセミナーでは、120名余りの民法学者が鞏氏の意見書を「文化大革命的な発想である」と批判し、「物権法」の審議を直ちに再開するよう当局に求めた。このように、経済学者に限らず、法学者も論争に巻き込まれるようになった。

2.「新自由主義者」からの反論

高まりつつある市場化改革への批判に対して、2006年1月に中国のトップの経済誌である『財経』(2006年第二期)は、「改革を動揺させてはならない」と題する皇甫平署名の論文を掲載し、正面から反論した。皇甫平氏(本名は周瑞金)は、元『解放日報』評論委員、元『人民日報』副編集長で、鄧小平の南巡講話に先駆けて、1991年末から1992年初にかけて、改革開放の加速を訴えた評論シリーズを発表し、一躍有名になった人物である。市場化改革を巡って、論争が再燃している今、久しぶりに登場する皇氏の評論が再び注目されている。その論旨は、次のように要約される。

一部の人は改革の過程で現れた新しい問題と新しい矛盾を市場化改革による結果であると非難し、改革を否定しているが、これは明らかに偏った主張であり、誤りである。経済体制移行期という歴史的背景の下では、多くの矛盾は主に市場経済が未熟であり、市場メカニズムが十分にその役割を果たしていないために生じたものであり、決して市場経済、市場メカニズム自身の欠陥ではない。貧富格差の問題は、市場化に向けた改革を通じて一部の人に先に豊かになってもらう政策のせいではなく、改革の過程で行政権力の介入によって一部の人が他者を犠牲にして暴利を得たためである。行政権力の力を借りて金持ちになり、弱者層の利益を損なうような行為は、まさに旧体制の弊害によってもたされたものであり、改革のせいにすべきではない。

社会における富の分配が不公平になっているという問題の発生と拡大も、決して改革によって生じたものではない。それは、むしろ改革が阻害されて、停滞し、目標に到達できないことによる必然的な結果である。さまざまな阻害要因の一つに、既得権を得た階層が改革全体の効率を「部門の利益」、「地域の利益」にすりかえることがある。その結果、権力の腐敗がますます深刻になってしまったのである。

このように、改革に伴う多くの問題および矛盾の本質とは、体制移行の過程において、行政権力が市場による資源の配分に関与したことによって不公平が生じたことである。行政資源(特に公共財の供給)の配置における権力の市場への関与は、社会の富の所有と分配における不公平の原因となっている。権力の市場への関与は改革自身に歪みをもたらしている。そもそも、市場メカニズムを発揮すべきではない一部の分野において、市場化を利用して金儲けをしようとする「偽りの改革」が現れている。他方、市場化を大いに進めるべき分野においては、市場化の改革はなかなか進んでいない。

改革の中で直面する新しい問題は、更なる改革によって解決するしかない。新自由主義に対する否定論を用いて改革の実践を批判することは、中国の改革の歴史を根本から否定し、また、鄧小平理論と「三つの代表」という重要な思想をも否定することになる。改革はさらに改善し、市場経済はさらに成熟していかなければならない。

続いて、新自由主義者の代表格である北京大学の張維迎教授も、「中国の改革を理性的に考えよう」という論文を発表し、立場を鮮明にした(『経済観察報』、3月21日)。

まず、改革が思う通り進まない原因として、権力構造による制約、イデオロギーによる制約、知識による制約の三つを挙げている。中でも、権力構造による制約が強い。市場経済化は資源配分に関わる権力を政府部門から民間に移転させなければならないことを意味するが、その際、常に政府役人による抵抗を受ける。指導者は改革に対する政府部門の支持を得るために、改革過程において多くの面で妥協しなければならない。一部の政府部門は自分の権益を守るために、擁する権力を用いて改革の方向を操縦しようとしている。このような背景の下で、本来大胆な改革案であったのが骨抜きにされてしまうケースもしばしばである。改革は、革命と違って、既得権益を尊重しながら進めるしかなく、時にはそれに伴う不公平をも容認しなければならない。多くの経済学者は、学術的見地から、これは改革を遂げるために支払わなければならないコストであると主張しているが、決して既得権益を代弁しているわけではないという。

また、格差の問題についても、公平とは、結果の平等ではなく、機会の平等であると理解すべきである。機会の平等が市場による資源の有効な配分の前提条件であることを考えれば、効率と公平は必ずしも矛盾しない。改革開放以来、所得の格差が拡大したのは事実だが、その間、中国の貧困人口が2.5億人から2600万人に減った事実も見逃してはいけない。しかも、成長率が高く、一人当たりGDPの高い地域ほど、貧困人口の比率が低く、また都市部では所得格差を示すジニ係数が低い。したがって、発展を通じてパイを大きくすることこそ貧困撲滅と格差是正のカギである。中国における所得格差の最大の原因は、農村部が膨大な余剰労働力を抱えており、農民の所得が非常に低いからである。都市部や工業部門の高成長がなければ、農村部での余剰労働力が吸収されず、格差も是正されないという。

3.「新自由主義者」Vs「新左派」を軸とする論争点

このように、各論から始まった論争は、市場化改革の是非という総論に及ぶようになった。ここで、「新自由主義者」Vs「新左派」を軸に、論点を整理してみよう。

(1)問題をもたらした原因は何か
公平性の問題と貧富格差の拡大の存在に関して異議はないが、その原因については意見が分かれている。新自由主義者は、改革がまだ道半ばにあり、政府による市場への不必要な介入が依然として多く、旧体制による既得権益階層が改革を阻害していると主張している。一方、一般大衆と新左派は原因が改革自身にあり、新しい既得権益階層が現れたことが社会に不公正をもたらしたと見ている。

(2)改革過程で現れた問題を如何に解決するか
現在の改革方向を堅持すべきであり、市場への介入を控えるなど、政府自身の改革も急ぐべきであるというのが新自由主義者の意見である。一方、新左派は所得の再分配をはじめ、政府の機能を強化すべきだと主張している。

(3)旧体制をどう見るか
新自由主義者は、旧体制に戻してはならず、市場化の改革を加速させるべきであると考えている。新左派は、改革後の新体制と比べ、旧体制には今までに見逃された優位性があるという。

(4)これらの論争を如何に定義するか
新自由主義者は、「改革を支持するか反対するか」として定義しているのに対して、新左派は「どのように改革していくべきか」に焦点を当てている。

(5)論争相手と政府政策との関係をどう見るか
相手がすでに政府と関係を持っている、あるいは関係を持つことを望んでいると互いを批判しあっている。同時に、色々な角度から政府及びその政策を批判している。

(6)論争相手をどう見るか
新自由主義者は、一部の既得権益者が一般大衆の盲従を利用して改革に反対すると主張している。これに対して、大衆は、新自由主義を信奉する主流経済学者こそが既得利益者であるとし、彼らのモラルの低下を批判している。

4.回避すべき「悪い市場経済」

このように、今回の改革を巡る大論争においては、両陣営の論点の対立が鮮明になっているように見える。しかし、著名な社会学者である清華大学の孫立平教授が指摘しているように、新自由主義者を中心とする主流経済学者が支持しているのは、あくまでも法治と公平を前提とする「良い市場経済」という理想であり、大衆と新左派が批判しているのは、そういう前提から遠のいている「悪い市場経済」という現状である(「再思考をベースに改革を推進せよ」、『経済観察報』、2006年2月7日)。

「良い市場経済、悪い市場経済」という概念は、長年、米国で活躍した経済学者である清華大学の銭穎一教授が中国の変化に鑑みて提示したものである(「市場と法治」、『経済社会体制比較』、2000年第三号)。銭氏によると、「悪い市場経済」をもたらした原因は二つある。まず一つは、政府の行政権が法律に有効的に制約されないことである。例えば、権力の乱用による所有権の侵害や税金の徴収、企業と個人の経済行為への干渉などがこれに当たる。その結果、市場取引のコストが高くなり、経済発展が阻害されることになる。「悪い市場経済」をもたらしたもう一つの原因は、政府が市場参加者を管理する職責を果たせなかったことである。例えば、政府が社会、経済の安定を守れず、国の財産が強盗やマフィアに略奪されること、個人、企業所有権が不明確なことによる経済効率の低下、契約が有効に履行されず紛争が公正に解決されないこと、政府規制の不備により発生した金融危機や経済崩壊、中央政府と地方政府責任の不明確によって発生した財政危機、地方保護主義により市場が分割されることなどがその具体例である。

特に、計画経済から市場経済を目指す国々は、規範的・法治的な「良い市場経済」の方向から離れ、「悪い市場経済」が定着してしまう恐れがある。なぜなら、改革が従来の行政権力体系の下で推進されているからである。利益構造が調整されていくプロセスにおいて、行政権力を握っている人は、常に自分のためにその権力を用いて便益を図るという誘惑にさらされている。

市場経済への移行期にある中国においても、政府が経済資源の配分や企業の経済活動に対して過大に関与していることは「公の権力を悪用し、私利を図る」という腐敗の土壌を提供している。「漸進的改革」のもとでは、長期にわたり、計画と市場、国有企業と非国有企業という二重構造が並存するため、腐敗行為が発生しやすい。例えば、80年代、二重価格制の下で、国有企業が安い計画価格で入手した物資を高い価格で転売する行為が横行した。土地の売買では、いまだにこのような「裁定取引」が頻繁に行われている。また、90年以降の中小国有企業民営化の過程において、権力者(経営者)が非常に安い値段で所有権を入手している。また、利益集団は、権力者と癒着して、改革という名の下で自分にとって有利な法規や政策を推進している。

自由主義者と目され、80年代以降市場経済化の旗手として活躍し、「呉市場」というあだ名を持つ国務院発展研究センターの呉敬璉氏も、「悪い市場経済」の定着を早くから警告を発した一人である。呉氏は、①大型国有企業の株式制改革、独占業種の管理体制・財産権制度の改革、基本的な経済資源の市場による配分といった重要な領域の改革が、大きな障害に遭い進展が緩慢であること、②現代的市場経済の正常な運営に必要な法治環境が、遅々として確立できていないこと、③政府が提供しなければならない教育、基本的な社会保障等の公共サービスが強化されるどころか、逆に弱体化の傾向にあること、④伝統的な社会主義経済社会体制に適応する(もっぱら投入量の拡大による)粗放型の成長方式を、(生産性の上昇による)集約型の成長方式へ転換させることが困難であること、を懸念している(2006年2月11日に北京で開催された「中国経済50人論壇」での発言)。

5.「良い市場経済」に向けての戦略

このように、「悪い市場経済」を回避し、「良い市場経済」を実現していくべきことは、論争の双方の共通認識として形成されつつある。そのためには、次のような移行戦略の変更が求められている。

まず、効率のみならず、公平をも配慮しなければならない。論争を通じて、「一般庶民だけに改革のコストを負担させてはいけない」ことや、「改革の果実を国民全体に行渡らせなければならない」ことは、国民の共通認識になってきている。これを受けて、胡錦涛総書記も、2006年3月6日の全人代上海代表団に対する重要講話において、「改革に当たり、各方面の利益を併せ配慮し、各方面の関心を顧慮し、真に広範な人民大衆の擁護・支持を得なければならない」と強調している。

第二に、内部者が主導するような改革方式を変え、多くの国民を改革に参加させなければならない。改革に伴う格差の拡大は、単に偶然の政策ミスではなく、当時の改革方式と直接関係している。特に、内部者主導型の改革は国有企業の所有権改革を「権力の資本化」に変質させた。新たな改革段階においては、国民の積極的な参加を通じてチェック・アンド・バランスを強化しなければならない。

第三に、市場経済化が進む中で、政府の役割もそれに合わせて変えていかなければならない。具体的には、公共財・サービスの提供(社会保障や医療、教育に加え、市場秩序の維持、所有権の保護など)や、マクロ経済の安定、所得の再分配といった機能を強化する一方、腐敗の温床となっている市場への不必要な介入を控えなければならない。そのうえ、経済面の変化と政治面における共産党の一党独裁の間の矛盾が顕著になっており、政治改革が行われなければ、既得権益を打破することができず、経済改革も挫折するだろう。法治と民主化をはじめとする政治改革は、経済の成長と社会の安定の両立を目指す中国にとってもはや避けて通れないのである。

第四に、これまで採ってきた「漸進的改革」という移行戦略を見直さなければならない。ロシアや東ヨーロッパの国々が採った「ビッグバン・アプローチ」とは対照的に、「漸進的改革」では、旧体制を維持しながら、新体制の育成に力を入れてきた。改革初期において、実践しながら改革経路を模索するためには「石を探りながら川を渡る」というような方式は、イデオロギーによる束縛と既得権力の抵抗を最小限に抑えるために止むを得ない選択であった。しかし、改革が深化していく今日においては、「石を探りながら川を渡る」というような方式を踏襲することによって様々な弊害が現れている。例えば、改革のまだ及んでない国有企業などは、独占の利益と改革によってもたらされた市場化の利益の両方を享受できる。先述した医療、教育、住宅の三分野はその典型であり、大衆の間で最も不満が多い。新たな改革段階においては、やりやすい順で進める部分的改革から、各部分の調和を図りながら進める全面的改革に移行しなければならない。

第五に、改革の規範化と法治化を図らなければならない。一部の改革に対して人々は疑問を持っている。それは改革の進め方が規範化されていないことに関係している。現に、一部の改革は法律に依拠していないままで進行している。たとえば、国有企業改革に関しては、幹部を中心に不透明なまま行われているだけではなく、法律に従っていない場合が多い。このような不正行為をなくすためにも、立法と執行の面において法治を強化しなければならない。

最後に、従来のイデオロギーによる制約を除去しなければならない。北京大学の張維迎教授が指摘しているように、イデオロギーは改革の妨げになっている(前出論文)。まず、イデオロギーに制約されて、指導者は明確な改革目標を提示できなかったため、多くの改革は大義名分が欠如したまま行われることとなった。国有企業の民営化をはじめ、多くの改革措置は人目を避けながら行わざるを得ない。また、改革者が政治的に弱い地位に置かれているため、「左派」からの攻撃を恐れて、改革に対して消極的になり、改革の好機を失ってしまう。さらに、改革のための政策は、十分に議論されないまま実施される場合も多い。特に、イデオロギーによる制約によって、経済学者以外の社会科学といった学者たちは改革に参加し難くなり、彼らの知恵を得られず、政治と社会の改革は経済改革と歩調を合わせることができなかった。

幸い、改革の過程において、遅ればせながらも、「理論革新」が行われ、伝統的イデオロギーが見直されてきた。資本主義の要素を取り入れた「社会主義初級段階」、「中国の特色のある社会主義」、「三つの代表」などの「理論」はその典型である。これらは文化大革命のときなら「修正主義」として批判されるものだが、いまや「時代とともに進歩する(「与時倶進」)社会主義の象徴となっている。「良い市場経済」を確立するために、公有制と一党独裁の放棄をはじめ、さらなる大胆な理論革新が期待される。

2006年4月26日掲載

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