中国経済新論:日中関係

『共存共栄の日中経済』

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

共存共栄の日中経済1月24日に東洋経済新報社より『共存共栄の日中経済~「補完論」による実現への戦略~』が出版される。出版社のご厚意によりはしがき部分と本書の目次を転載する。

はしがき

中国脅威論が猛威を振るっていたついこの間まで、日本のマスコミでは、日本経済不振の原因が中国にあるという論調が横行し、日本政府も中国に対して人民元の切り上げを求めていた。これに対して、筆者は前著『日本人のための中国経済再入門』(東洋経済新報社、二〇〇二年)において、日本と中国は競合関係ではなく、補完関係にあるという実証研究の結果に立ち、両国は比較優位に沿った分業体制の構築を通じて、ウィン・ウィン・ゲームを目指すべきであると主張した。

その後、中国のWTO(世界貿易機関)加盟を境として、中国は日本と競合する「世界の工場」であるという側面だけではなく、中国の「世界の市場」としての側面に日本の世論も注目するようになり、筆者の主張もようやく理解されるようになった。現在では多くの日本企業が中国の躍進をビジネスチャンスとして捉えるようになり、特に、二〇〇三年後半からは、好調な対中輸出を背景に中国脅威論は急速に収まり、短期間で中国・牽引論に取って代わられたのである。

本書は『日本人のための中国経済再入門』の続編に当たる。前著は中国脅威論を論破することに重点を置いたのに対して、本書では一歩進んで、日本はいかに両国間の補完関係を活かして、中国の台頭を日本経済発展の機会とするかに焦点を当てる。

日中が補完関係にあるというのは、中国の強い分野では日本が弱く、中国の弱い分野では日本が強いことを指している。したがって、日本企業は対中戦略を考える際、中国の強みと弱みはもちろんのこと、日本自身の強みと弱みについても十分に認識しなければならない。

より具体的に述べると、現段階では、中国は「世界の工場」と呼ばれながらも、世界的に通用する技術もブランドも持っていない。また、その強みはいまだ儲けの少ない組立てといった労働集約型の工程に限られている。これに対して、日本では賃金水準が高いために付加価値の低い分野ではもはや中国の相手とはなりえないが、付加価値の高い分野では依然として優位を保っている。このような視点からは、「必ずしも中国での現地生産にこだわる必要はない」という結論が導き出される。

この点は、中国とのビジネスを行う際、必ず確認されるべき事項である。中国の賃金水準が日本よりはるかに低いとはいえ、すべての製品を日本より安く生産できるわけではない。特にハイテク産業に関しては、むしろ日本で生産したほうがコスト面では有利となる。すなわち、相手国に比べて品質や価格の面で優れたものの生産に特化する、という比較優位に沿った形の分業が望まれる。その視点で見れば、現段階では中国が労働集約型製品、日本がハイテク製品にそれぞれ特化することになる。

そもそも、中国の市場にアクセスするためには、「現地生産、現地販売」だけでなく、「日本で生産、中国向けに輸出」という方法もある。この意味で貿易と直接投資は代替関係にある。実際、二〇〇三年ごろから中国脅威論が急速に牽引論に変わったのは、現地生産を行っている企業の業績が大幅に改善したからというよりも、日本の中国向け輸出が伸びているためである。

現在は関税やその他の貿易障壁が存在するため、日中間で補完関係を活かした分業体制が確立されているとは言いがたい。例えば、自動車の場合、日本で生産したほうがコストも安く、品質も良い。にもかかわらず、貿易障壁の存在により、「日本で生産し、中国に輸出する」ことが困難となり、「中国での現地生産、現地販売」に切り替えざるをえないという状況になっている。

しかし、年間一〇〇万台の自動車を日本で生産して中国に輸出できれば、日本の得意分野において国内で多くの雇用機会、しかも賃金の高い「グッド・ジョブ」が創出される。これに対して、同じ一〇〇万台の自動車の生産を中国に移転した場合、仮に一部の部品の生産が日本に残ったとしても、雇用創出効果ははるかに小さく、しかも本来創出されるべき雇用が日本から消失していることになる。それはまさに日本産業の空洞化ではないだろうか。やみくもに自動車産業の中国進出を図った場合、日本経済にとって得られるはずだった経済効果をみすみす逃すことになるという機会費用は非常に大きいのである。

残念ながら、日本における空洞化をめぐる議論には、「比較優位」や「機会費用」といった、冷静な論理や直接投資の本質に基づいた観点が全く欠けている。例えば、日本がもはや比較優位を持たない産業の古い工場を畳んで中国に持っていった場合、その産業の従業員の解雇がことさらに取り上げられ、深刻な空洞化問題として騒がれる。これに対して、本来日本国内での生産が望ましい、自動車など日本がまだ比較優位を持っている分野の企業が中国に進出して工場を建てた場合、逆に市場開拓の努力として評価され、進出に反対する声は皆無である。こうした誤った認識が、輸入制限などによる衰退産業の保護につながる一方で、産業の高度化を遅らせている。

日本は空洞化なき高度化を目指すべく、衰退産業を海外へ移転させながら、自らの得意分野をさらに強化しなければならない。そのためにも自由な貿易環境が必要になる。日中関係に限って言えば、両国間にFTA(自由貿易協定)が構築されることで、関税に妨げられることなく、お互いの優位性を利用する基盤を築くことが可能になる。

FTAは日本企業の対中戦略をも左右しかねない。例えば、日本で生産を行った製品であったとしても、関税や貿易障壁の問題を気にせずに中国への輸出が行えるようになれば、自動車をはじめ、日本の基幹産業がわざわざリスクを負って中国に進出する必要はなくなる。すなわち、雇用創出効果を最大限に引き出すことのできる本来の得意分野での生産が行えるようになるために、日本にとって、中国とのFTAは究極の空洞化対策となるのである。

本書では、このような結論の裏づけとなる分析を、次のように展開している。

まず第1章では、日中両国の経済が補完関係にあることを確認し、それを活かすための方策を提示する。続いて第2章は、外資依存型成長に特徴づけられる中国の対外開放戦略の光と陰に焦点を当て、メイド・イン・チャイナの本当の実力を明らかにする。そして第3章は、中国のWTO加盟とFTAへの取り組みが、中国のビジネス環境にどう影響するのかを論じる。さらに第4章は、人民元の切り上げの可能性を踏まえて、「元高」は日本の景気回復のためにならないことを論証する。最後に、中国の台頭は日本にとってもウィン・ウィン・ゲームであるというときに、中国経済が順調に発展し、日中関係も良好であることが暗黙の前提となっているが、この前提が崩れるリスクも見ておく必要がある。第5章と第6章では、それぞれ中国自身の景気、金融、政治が不安定化し、また、冷えた日中間の政治関係が経済交流にも悪影響を及ぼすという可能性を警告する。

世界経済における中国経済の存在感がますます大きくなり、これから日本は、政府のみならず、企業も中国とどう付き合うべきかについて真剣に考えなければならなくなってきた。中国経済と日本経済がどのようにかかわっているかという本質をつかめるかどうかが、「中国脅威論」にも「中国発インフレ論」にも踊らされずに中国の発展を自らのチャンスとして捉えられるかどうかのカギとなるであろう。本書が提示する「補完関係をどう活かすか」という視点が、中国と日本の経済関係を読み解くうえで一つの参考になれば幸いである。

目次

第1章 中国の活力をどう活かすか-補完関係を発揮するために
第2章 メイド・イン・チャイナは本当に強いのか-産業の高度化が課題
第3章 中国のWTO加盟とFTA戦略を読む-ビジネス環境はどう改善されるか
第4章 なぜ人民元の切り上げが必要なのか
第5章 中国経済の三つのリスク-問われる景気・金融・政治の課題
第6章 日中の相互不信をどう乗り越えるか

『共存共栄の日中経済~「補完論」による実現への戦略~』 関志雄著、2005年1月、東洋経済新報社

2005年1月20日掲載

2005年1月20日掲載