中国経済新論:世界の中の中国

なぜ人民元の切り上げが必要なのか
― 日本のためでなく中国自身のためである ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

はじめに

最近、躍進の目覚しい中国がグローバル・デフレの元凶とされて、日本を始めとする諸外国から人民元切り上げを求める声が高まっている。通貨は一国の経済力の鏡である。中国の競争力の向上を反映して、人民元の切り上げは自然な流れであろう。本文では、中国経済のファンダメンタルズの変化を踏まえて、中国が採るべき為替政策を検討する。

改革開放以来、人民元は低下傾向を辿ってきた。これは、輸出の拡大による交易条件の悪化(いわゆる「豊作貧乏」)を反映しており、産業の国際競争力の向上は、人民元切り上げの前提条件となる。最近の外貨準備の急増に示されるように、この条件はすでに整いつつある。人民元の緩やかな上昇は、競争力を始めとする中国経済のファンダメンタルズの改善を反映するものであり、切り上げによって国際社会の要望に応えることもできる。これを無理して先に延ばそうとすると、資源の配分の低効率化や、バブル経済の膨張、対外貿易摩擦の激化といった弊害が生じるであろう。

為替レートの調整に加え、為替制度自身も改革を迫られている。為替制度は、外貨管理制度と為替レートの決定メカニズムからなる。中国は96年12月に、国際収支の赤字対策などを理由に為替取引を制限しないことを約束するIMF(国際通貨基金)協定第八条を受け入れることになった。これを契機に、輸出入を始めとする経常取引に関して大幅な自由化が行われたが、資本取引に関しては、いまだ厳しく制限されている。WTO加盟を経て、資本管理が益々難しくなり、金融政策の独立性を確保するために、為替レートの変動幅を広げるべきである。しかし、不良債権問題を抱える銀行部門の脆弱性を考慮すると、当局が自ら資本移動の自由化を急ぐべきではない。

日本は人民元の切り上げを求めているが、これは中国の反感を買っているようである。しかし、為替政策は国益にかかわっているだけに、互いに感情論をできるだけ排除し、冷静な分析と対応が必要である。そもそも、中国と日本の経済関係は競合的というより補完的であることを考えれば、人民元の切り上げは、日本にとって、製品に対する需要の増大というプラスの面より、生産コストの上昇を通じて企業収益と産出の減少というマイナスの面の影響が大きいと見られる。一方、中国にとっても人民元レートを現在の低水準に維持し、不均衡を放置する時に伴う機会費用が非常に高いことを合わせて考えると、人民元の切り上げは、日本のためではなく、中国自身のためであると理解すべきである。

図1 人民元の対ドルレートの推移
図1 人民元の対ドルレートの推移
(注)実質レートは、GDPデフレーターに基づく
(出所)IMF, International Financial Statistics より作成

1.元安から元高へ

中国は70年代末に改革開放政策へ転じてから、年平均で10%近い高成長を達成してきたにもかかわらず、人民元が長期にわたって下落しているため、一人当たりGDPはいまだ1000ドル前後にとどまっている。現在、人民元の対ドルレートは78年と比べて、名目ベースでは約80%、内外の物価変動を割り引いた実質ベースでは約70%安くなっている(図1)。これは、中国当局が競争力を維持するために意図的に元安政策をとってきた結果であるという見方もあるが、当局がコントロールできるのは名目レートだけであり、実質レートはあくまでも経済のファンダメンタルズを反映していると理解すべきである。

名目為替レートの中長期的な傾向を考えるときには、自国通貨が内外のインフレ格差に比例して減価するという(相対的)購買力平価が一つの目安となる。購買力平価が成り立つことは、実質為替レートが一定であることを意味するが、為替レートを購買力平価から乖離させ、実質為替レートを変動させる力として働く次の二つの効果も見逃してはならない。一つは、成長率の高い国ほど実質賃金の上昇率が高く、これを反映して、実質為替レートの上昇率も高いというバラッサ=サミュエルソン効果である。もう一つは、交易条件(輸出品の輸入品に対する相対価格)の変化である。他の条件が一定であれば、交易条件の悪化は実質為替レートの下落を意味する。

しかし、中国の場合、バラッサ=サミュエルソンの仮説に反し、高成長を遂げているにもかかわらず、人民元の名目為替レートが国内と米国のインフレ率との格差以上に減価しており、実質為替レートも大幅に下がっている。これは、中国が農村部に数億人もの余剰労働力を抱えているため、貿易財部門における生産性の上昇が必ずしも実質賃金の上昇につながっていないことを反映していると考えられる。

さらに、改革開放に伴う中国の交易条件の悪化も人民元の実質安に働いている。70年代末に始まった改革開放政策の結果、中国経済は豊富な労働力という比較優位に沿って世界経済に組み込まれつつある。中国が計画経済下の重工業化政策を放棄し、労働集約型製品に特化した結果として、国際市場での労働集約型製品の供給が増大する一方、技術・資本集約型製品に対する需要も増えている(中国の国内生産が減少する分を補う形で)。この需給関係の変化は、労働集約型製品の技術・資本集約型製品に対する相対価格の低下、ひいては中国の交易条件の悪化をもたらしている。これを反映して、人民元が長期にわたって実質ベースで下がり続けたのである。

したがって、今後は次の二つの条件のどちらか一つでも満たされるようになれば、人民元は実質ベースで切り上げの方向に転換すると考えられる。一つは、農村部の余剰労働力が完全に工業やサービス部門に吸収されることであり、もう一つは、産業の高度化により、輸出拡大の牽引役が現在の労働集約型製品から技術・資本集約型製品にシフトし、それに伴って交易条件が改善することである。前者の場合、余剰労働力の規模があまりにも大きいことを考えると、少なくとも20年はかかるであろうが、後者の場合、すでに交易条件改善の転換点に到達していると見られる。

その現れとして、対外収支の黒字拡大とそれに伴う外貨準備の増加に象徴されるように、人民元の切り上げ圧力はすでに顕著になっている。特に、WTO加盟をきっかけに、海外からの直接投資が拡大し、また、新たに国際貿易に参入できるようになった民営企業の輸出の増大に支えられて、資本収支と経常収支はともに大幅な黒字を計上している。中国の2002年末の外貨準備は前年に比べ、GDPの6%に当たる742億ドルもの増加がみられ、2864億ドルに達している。これは、日本に次いで世界第二位、中国の輸入のほぼ一年分にも相当する高水準である。

中国は公式には管理変動制を採用していることになってはいるが、97年のアジア金融危機以降、人民元がドルに対して一貫して安定しており、事実上ドルにペッグされている。現在のように人民元が割安の水準に設定されると、ドルの供給がその需要を上回ることになり、当局が市中に余っているドルを吸い上げる結果、外貨準備が増えるのである。仮に中国が変動制を採用し、当局による市場への介入が一切行われていなければ、外貨準備が増えない代わりに為替レートがすでに上昇していたはずである。無理して人民元を現在の水準に止めようとすれば、対外収支の不均衡と外貨準備が一層拡大し、中国経済に色々な弊害をもたらすだろう。

2.外貨準備急増が多いほど良いものではない

しかし、当局は依然として、「外貨準備が多ければ多いほど良い」という従来のスタンスにこだわっているようである。その理由について、中国統計局の邱曉華副局長は、次のように説明している(2002年12月16日付「中国経済時報」)。まず、外貨準備は、通貨投機といったリスクに対する備えとして、また経済改革の資金源として必要である。また、豊富な外貨準備は、人民元の国際化の必要条件でもある。さらに、日本の外貨準備が4000億ドルを超えているのに対して、中国はまだ3000億ドル程度に留まっており、多すぎるとは言えないというものである。しかし、このような考え方は、政策を誤った方向に導きかねず、是正する必要がある。

まず、外貨準備が通貨の安定を維持する手段として必要であることについて異論はないが、その保有には高いコストを伴うということを認識すべきである。発展途上国としての中国は、海外から資金を調達する際にはリスク・プレミアムによって高い金利を負担しなければならないのに、米国債で外貨準備を運用すると低収益率しか得られない。この金利面における逆ざや現象は、低所得国である中国から高所得国であるアメリカに所得が移転されてしまうことを意味する。

そもそも、外貨準備は国内のインフラや生産設備と同様、国の資産の一部であり、その主な資金源は国民の貯蓄である。国の資産が一定であるならば、その最適な構成(ポートフォリオ)は収益性とリスクをバランスさせながら決めるべきであり、外貨準備が多ければ多いほど良いとは限らないのである(注1)。実際、中国では、収益率の低い外貨準備が増える一方で、中国の経済発展の目玉である西部大開発計画が資金難に陥っているということに示されているように、国民の貯蓄は必ずしも効率的には使われていない。改革のための資金も、外貨準備という形で貯めておくのではなく、税金や国債の発行で賄うべきである。

また、人民元の国際化のために外貨準備を増やすべきだという主張も本末転倒であると言わざるを得ない。自国通貨を国際的に流通させる最大の目的は、通貨発行の利益を獲得することである。例えば、米国は、自国の信用だけを担保に、国際的に流動性の高いドル紙幣やTBを発行し、低い金利(ドル紙幣の場合、無利子)で資金を調達することができる。しかし、中国のように、自国通貨への信用を高水準の外貨準備に求めざるを得ない場合、それに伴うコストが発行による利益を完全に相殺してしまうため、人民元の国際化のメリットが全くなくなってしまう。その上、不良債権問題に象徴されるように、中国の銀行部門が依然として脆弱である状況では、人民元の国際化はもちろんのこと、その前提となる資本移動の自由化も慎重に進めるべきである。そうしないと、金融危機の発生するリスクが高まることになろう。現に、最近の外貨準備の急増は、貨幣供給の拡大を通じて不動産価格の高騰など、バブルの膨張を助長している。

さらに、日本と中国の経済状況は大きく異なっており、単純に比較しても意味がない。まず、日本の外貨準備は、絶対額こそ中国を上回っているが、GDP比で見ると10%程度に留まり、中国の25%には遠く及ばない。さらに、日本では国内の金利が米国と比べてかなり低く、米国債での運用は必ずしも悪い投資ではないのである。これは、資本蓄積の水準が依然として低く、投資の限界生産性が高い中国とは対照的である。さらに、日本は内需の不足による不況に陥っており、外需の拡大を通じて景気を維持するためにも、介入を通じて円高を阻止しなければならない。一方、中国は「一人勝ち」と言われるほど、景気が良く輸出も好調である。

この外貨準備が多ければ多いほどいいという考え方は、外貨準備の規模が国力を表す重要な指標であると見なす重商主義に基づくものである。しかし、覇権国である米国でさえわずかな外貨準備しか持っておらず、外貨準備と国力の間には必ずしも関係性がないということは明らかである。中国が追求すべき目標は、あくまでも国民生活の向上であり、これは制度改革に加え、国内の人的資本や生産設備・インフラといった物的資本に投資することを通じてのみ達成できるものである。国民の貴重な貯蓄を低金利に甘んじてまで米国政府に融資し続けるのではなく、国内向けの投資など、もっと有効に利用すべきである。

3.時代とともに前進すべき為替政策

これまで述べてきたように、海外から人民元の切り上げを求める声が高まり、また市場における切り上げ圧力を象徴するように、中国の外貨準備が急増しているが、当局は、切り上げの必要性がないと繰り返して強調している。客観的に見て切り上げの条件が整っているのに、なぜ中国はその実施を拒否し続けるのだろうか。

まず、これまでの成功体験が逆に新しい思考への妨げとなっている。1997-98年のアジア通貨危機当時、中国は豊富な外貨準備をバックに、人民元の安定に努め、危機の中国への波及を免れた。これにより、アジア諸国間に起こった切り下げ競争を避けられたことから、中国は世界各国から、アジア通貨危機の終息に大きく貢献したと高く評価された。こうした経緯から、当局は為替の安定と外貨準備の拡大を、政策手段というよりも目指すべき目標と見なすようになった。

第二に、現在中国経済のパフォーマンスが概ね良好であり、当局はマクロ政策を変更する必要性を感じていない。一般的に、外貨準備がこれだけ増えると、マネーサプライもそれに連動する形で急増し、その結果、インフレが起こり、物価の安定のために、為替レートを切り上げて対処するというのが通常の処方箋である。しかし、中国の場合は、現在、インフレが起こるどころか、いまだに物価が下がり続けているというデフレ状態にある。また、切り下げ圧力にさらされる場合、対外収支が悪化し、外貨準備が不足することにより輸入の決済や債務の返済に支障が生じるなどの緊急事態が発生するが、これとは対照的に、現在のように外貨準備が上昇する局面では、当局が切り上げ実施に追い込まれることがない。

第三に、人民元の切り上げは、国全体で見れば望ましくても、それによってマイナスの影響を受けるグループは反対するだろう。具体的には、元高になれば、中国の製品がドル換算で高くなり、国際競争力が低下する一方、輸入価格は人民元で見て逆に安くなることから、農業をはじめとする、輸入との競争にさらされている比較劣位の部門や、効率の悪い国有部門が打撃を受けることになろう。

最後に、日本を始めとする海外からの切り上げ要求は、為替政策という中国の国内経済問題を国際政治問題に変えてしまっている。中国の新しい指導部にとって、外圧に屈する形での切り上げは是が非でも避けたいシナリオであろう。この意味で、最近相次いで日本の金融当局者によって言及された元高待望論は、人民元の切り上げを遅らせることはあっても、早めることはないであろう(注2)。

しかし、国内外の経済情勢が大きく変化した今、これまで上手く機能してきた為替政策も見直すべき時期に入っている。ここでは、上述の論点の誤りを明らかにすることを通じて、人民元切り上げの必要性を訴えたい。

まず、アジア通貨危機当時、人民元の安定(切り下げないこと)は各国が求めたものでもあったのに対して、現在の人民元の安定(切り上げないこと)は国際社会から批判の対象となっている。日米欧の対中貿易不均衡が拡大し、特に2002年の米国の対中赤字が1000億ドルを超えている中で、中国が切り上げを避けようとすると、貿易摩擦の激化という代償を支払わなければならない。

第二に、3000億ドルに上る現在の外貨準備の保有量はアジア通貨危機当時と比べて倍増しており、その運用益が国内投資と比べて非常に低いことをあわせて考えると、はるかに「最適規模」を超えていると見られる。そもそも、米国債を購入することは、米国政府に融資することを意味し、間接的に対イラク戦争を支援していることにもなる。また、中国が米国政府に対して多くの債権を持つことは、対米外交の交渉力を高める手段として使えるのではないか、という議論もある。しかし、中国の経済規模がいまだ米国の一割程度であることを考えると、中国の立場は弱く、米国政府への融資が逆に人質としてとられてしまうことさえ考えられる。こうした政治的考慮からも、外貨準備を減らしながら、その運用先として、ドル以外の通貨に分散すべきである。

第三に、WTO加盟後も輸出が堅調に伸びており、輸出業者からの反対が弱いものと見られる。本来、為替政策の目標はあくまでもマクロ経済の安定、中でも対外均衡に限定すべきものであり、無理して比較劣位部門の保護といった他の目的に使えば、その副作用が大きいことを覚悟しなければならない。産業政策や弱者の救済は、為替政策ではなく、財政などより直接的な手段で行うべきである。

最後に、海外からの切り上げ要求に対して感情的になってはならない。為替政策は自国の利益を基準に冷静に判断すべきである。実際、ついこの間まで、中国のマスコミにおいても人民元の切り上げに賛成する意見が多く登場したのに、外圧が高まるにつれて完全に反対論に取って代わられた。政府主導のこのような世論形成は、当局が採れる政策の余地を自ら狭めるだけであり、決して中国のためにはならない。

そもそも、どこの国でも、ある政策または制度が一旦実施されると、その有効性が失われてからも、継続される傾向が強く、中国の為替政策はその一例にすぎない。こうした慣性の打破を目指して、江沢民主席が、2002年の秋に行われた共産党第16回全国代表大会における報告で、「改革を行うには、絶えず思想を解放し、実事求是をむねとし、時代とともに前進しなければならない」と訴えた。これからの人民元のあり方を考える際に、まさにこのような精神が求められている。

4.急ぐべきではない資本移動の自由化

為替レートの変更に加え、為替制度の変更も迫られている。新しい為替制度を考えるときに、国際金融の三位一体の原則を考慮しなければならない。すなわち、どんな国においても、マクロ経済運営に当たって、自由な資本移動、為替の安定、金融政策の独立の3つは同時に達成できない。これまで中国は、自由な資本移動を放棄する代わりに、実質上のドルペッグという固定相場制と金融政策の独立性を堅持してきた。今後、資本移動が活発化すれば、金融政策の独立性を保つために、ドルペッグから、ある程度の為替レートの変動を認める必要がある。

ドルペッグからの離脱は、対外収支を含めた経済のファンダメンタルズが良好で、為替レートに若干の上昇圧力がかかっている時に行われるのが望ましいが、こうした前提条件は整いつつある。その際、大幅な切り上げよりも、変動幅を少しずつ拡大する形で毎年数%の上昇を容認するのが現実的であろう。

最近、塩川財務大臣を始め、日本の金融当局者が中国に対して人民元の切り上げとともに資本移動の自由化を求める発言が相次いでいる。80年代半ば頃、米国が「円ドル委員会」や「プラザ合意」を通じて日本に要求したことを、今度は日本が中国に求めるようになった。しかし、現在の中国経済の実力は80年代半ばの日本にはまだ遠く及ばず、金融の対外開放に関連するファンダメンタルズは、80年代半ばよりもむしろ70年代初めの日本の状況に対応していると理解すべきである。すなわち、日本が固定相場制から変動相場制へ移行したのは71年のニクソン・ショック後のことであり、資本取引の本格的な自由化も、これよりおよそ10年遅れて、1979年の外為法の改正(80年12月に実施)まで待たなければならなかった。中国においても、為替の切り上げを先行させ、資本移動の自由化は中長期の目標に留めるべきである。

1997~98年のアジア通貨・金融危機が示しているように、脆弱な金融セクターを持つ途上国は資本取引の自由化を慎重に進めていかなければならない。中国は危機を免れることはできたが、それは国内経済・金融市場が健全であったからではなく、むしろ依然として資本取引規制が厳しかったことや、政府保証によって銀行が守られていると預金者が信じていたことによる部分が大きい。実際、非常に高い不良債権比率に象徴されているように、中国の銀行セクターが危機に見舞われたアジア諸国と同様に脆弱であることは、もはや周知の事実である。WTO加盟に伴い外資系銀行が本格的に参入し、これを受けて銀行部門における競争はますます激しくなり、国内銀行の経営は一段と厳しくなるであろう。

中国が国内金融システムの脆弱性に注意を払わず、資本取引の自由化を急ぐことは非常に危険である。特に、短期資本の移動が自由になれば、海外から足の速い資金が大量に不動産市場や株式市場に流れ込むため、バブルが発生しやすくなる。その後、何らかの理由で外資が逃げ出し、バブルが崩壊してしまうと不良債権が一挙に増え、中国が日本型の金融危機に陥ってしまうということも考えられる。一方、WTO加盟に伴う外資系銀行の本格的参入などで国有銀行の優位性が徐々になくなってくる中、国有銀行において取り付け騒ぎが起こる可能性が一段と高くなる。このような問題に対処するには、大量の貨幣を増発して悪性のインフレを起こすか、厳しい条件を受け入れ、国際機関や先進国に支援を求めるしかなくなってしまう。いずれの場合においても、計り知れないコストを払うことになってしまうのである。

金融安定を保ちながら、資本取引の自由化を進めるには、次のような前提条件を整えておかなければならない。まず、企業の銀行への過度の依存体質を是正するため、直接金融を通じて資金を調達できるように、資本市場のさらなる発展が必要である。また、民営化と組織改革を通じて銀行自身のコーポレート・ガバナンスの確立を急ぐ一方、借り手である国有企業の改革もスピードアップさせなければならない。そして、政府は預金をある程度保証しながら、モラル・ハザードの問題を最小限に抑えるために、銀行の監督体制や金融システムの規制を強化しなければならない。

これまで、中国は経済改革と対外開放を同時に進めてきた。今後、金融分野において改革を精力的に推し進めなければならないが、対外開放に関してはより慎重にならざるを得ない。もしこの順序を間違えば、金融危機が起こりかねないのである。貿易や直接投資を通じて中国と経済関係が深まっている日本にとっても、こうした事態は決して対岸の火事ではすまされない。このように、中国に対する資本取引自由化の要求は必ずしも日本自らの国益に沿っているとは思われないのである。

5.日本のためにならない「元高」

人民元の切り上げを求める諸外国の中で、日本が最も積極的である。これに対して、中国のマスコミでは、切り上げ論は日本の「陰謀」であるという論調が支配的になっている。確かに、人民元切り上げには日本当局の「利己的」意図があるだろうが、その裏には中国の経済発展を抑えるという「損人的」(相手に害を与えようとする)陰謀が隠れているとは思わない。

日本政府の人民元問題に関する考え方は、黒田東彦財務官(当時)と河合正弘副財務官が連名で2002年12月2日付の英フィナンシャルタイムスに発表した「世界はリフレーション政策に転ずるべき時」と題する論文から読み取ることができる。両氏は、中国などアジアの新興市場地域の世界的貿易システムへの参入は、先進地域に強いデフレ圧力をかけているとし、グローバルのデフレ問題を解消するために、日米欧の政策協調に加え、中国の一層の金融緩和と人民元の切り上げという形での協力が必要であると主張している。

しかし、日本のデフレに中国要因が大きく寄与しているとは考えにくい。2002年、日本の対中輸入は日本のGDPのわずか1.5%程度に留まり、また、両国の貿易面における競合度が極めて低いことを考えると、中国発デフレの日本の物価への直接的または(国際競争を通じた)間接的な影響はともに限定的である。その上、中国のインフレ率(正確にいえばデフレ率)は日本とほぼ同水準になっており、中国が日本のデフレの原因であると言うなら、逆に日本がまた中国のデフレの原因であるとも言える。

百歩譲って、仮に中国発のデフレが、日本のデフレに拍車をかけているとしても、日本にとって本当に困るものなのか。この疑問を解くために、中国製品が安くなることは、日本にとって生産規模の拡大に伴う「良いデフレ」なのか、それとも生産の縮小をもたらす「悪いデフレ」なのかを区別して考える必要がある。

日本の新聞などが多く取り上げているのは、言うまでもなく「悪いデフレ」のケースである。すなわち、中国の輸出価格が安くなれば日本の国内はもちろんのこと、第三国の市場においても日本の輸出が中国の製品に代替されることになる。これを需要と供給の枠組で考えれば、日本の需要曲線が左にシフトするという形で表せる(図2)。これは物価への影響という意味ではデフレであり、日本の生産に対してもやはりマイナスの影響を与えることになる。

図2 日本のデフレにおける中国要因
図2 日本のデフレにおける中国要因

しかし、中国発デフレの中には「良いデフレ」いう側面も考えられる。もし日本企業が中国から様々な部品や中間財を輸入している場合、中国からの輸入価格が安くなることは生産コストが下がることを意味する。経済学の教科書的に考えると、供給曲線は限界費用曲線に当たり、すなわち中国からの輸入でコストが下がるということは、日本の供給曲線が右にシフトして、結果的に物価にはマイナスであっても生産にはむしろプラスであることも考えられる。

では、「悪いデフレ」と「良いデフレ」の効果のうち、どちらが大きいのかを考える場合、日中の経済関係が競合的と見るのか、補完的と見るのかによって結論が異なってくる。日中が競合的と見た場合は、需要側の効果が大きくなり、マイナスの影響が大きいということになる。日中が補完的であると見た場合、供給側の効果が大きいため、生産に与えるプラスの影響の方が大きくなる。実際、日本と中国の輸出構造は、前者が付加価値の高いハイテク製品、後者が付加価値の低いローテク製品が中心になっているように、互いに競合している部分は実は少なく、両国経済が補完関係にあることは明らかである(注3)。そのため、需要要因よりも供給要因のほうが大きく、生産者にとって、中国発のデフレはむしろ生産の拡大をもたらす「良いデフレ」に当たる。同じ理由で、人民元の切り上げはデフレを抑えたとしても、需要の中国製品から日本製品へのシフトはそれほど起こらず、むしろ輸入コストの上昇を通じて生産の縮小につながる可能性が大きい。

なお、以上の分析はあくまでも日本企業の立場に立った話であり、消費者にとって、デフレの善し悪しを区別する必要はない。国民全体にとって、石油価格の低下と同様、中国製品の輸入価格の低下は、交易条件の改善、ひいては実質所得の上昇を意味する。逆に、人民元の切り上げは、中国からの輸入が高くなることを意味し、消費者にとってマイナスであることはいうまでもない。

このように、日本におけるデフレの原因を中国に求める診断書も、その解決策を人民元の切り上げに求める処方箋も間違っていると言わざるを得ない。デフレの真因は構造改革の遅れとそれに伴う国内の景気の低迷にある以上、これらの問題が解決されなければ、いくら人民元が強くなっても、日本経済の本格的景気回復はありえないのである。

このように、日本の人民元切り上げに対する要求は、冷静な分析に基づく戦略であるというよりも、経済政策の行き詰まり感から出てきた対症療法だと理解すべきである。10年に及ぶ不況を経ても、日本経済にはいまだ回復の兆しが見えない。この間、公共事業を中心とする財政支出の拡大と税収の落ち込みを受け、財政赤字は急拡大し、政府の債務は先進国の中で、最悪の水準に達している。一方、経済が流動性の罠に陥っている中で、数年にわたるゼロ金利政策にもかかわらず、金融政策の効果も見られない。さらに、円安政策を進めようとしても、欧米諸国も景気が減速する中で、貿易相手国の理解を得にくい。こうした中、比較的堅調な中国経済に目をつけ、人民元切り上げに救いを求めるのである。しかし、国内問題から目をそらすことにより、日本経済が直面する問題の本質を見誤らせる危険性もある。

結局、日本の人民元切り上げ要求は、仮に「損人利己」の意図があっても、それに反して、日本自身にはマイナス、中国にはプラスという「損己利人」の結果をもたらすのである。

2003年5月12日掲載

脚注
  1. ^ 個人や家計は、資産の保有形態として流動性の高い現金や預金のほか、リスクは高いが収益性も高い他の資産にも分散化させて投資することができる。実際、真の富裕層は「お金」よりも多くの株や不動産を保有している。
  2. ^ このように、人民元の切り上げは、中国自身にとっても望ましく、それによって国際社会の期待に応じることもできるにもかかわらず、関係国の間で信頼関係ができていないため、それが実施される展望はまったく開かれていないというジレンマが生じている。中国の経済力はGDPや貿易規模から見て、すでにイギリスに匹敵するレベルに達しており、現在の人民元の切り上げを求める声に象徴されるように、主要工業国の産業調整やデフレ、貿易不均衡などの問題を議論するときに、もはやその存在を無視できなくなっている。従って、中国を蚊帳の外においた現在の国際経済政策の協調は限界に来つつあり、今後は同国のG7への早期参加を視野に入れるなど、お互いの信頼関係を高めることのできる体制を整えていくべきではないだろうか。
  3. ^ 関志雄(「中国の台頭とIT革命の進行で雁行形態は崩れたか-米国市場における中国製品の競争力による検証-」(PDF:178KB)『ディスカッションペーパー』02-J-006、経済産業研究所、2002年)の推計によると、米国における日本と中国の製品間が競合している金額は日本の対米輸出の16%に留まり、80%を上回るインドネシアをはじめとするアジア諸国の中国との競合度よりずっと低い。
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2003年5月12日掲載