中国経済新論:中国の経済改革

改革:飢餓と欠損による推進を理性的な推進に変えよう

鐘朋栄
北京視野コンサルティング代表

中国における改革の原動力は「飢餓+欠損」である。農村の改革は飢餓、企業の改革は欠損によりそれぞれ推進されたものである。このような「飢餓+欠損」によって推進されたメカニズムは、わが国の経済に巨大な損失をもたらした。わが国の改革は「飢餓+欠損」による推進から理性的な推進に、受動的な改革より主動的な調整に変えていかなければならない(注1)。

中国の改革と開放は、日本の「明治維新」でもなければ、中国近代の「戊戌変法」でもない。その原動力は最初から存在していたある種の思想、観念、あるいは理論(特に当時の主流や正統の地位を占める理論家の理論)ではなく、実際に存在する飢餓と欠損によってもたらされたものである。飢餓と欠損こそが中国の改革を推進した原因であった。

中国の農村改革は安徽省の鳳陽県小崗村から始まった(注2)。18人の農民が、命を失う危険を冒して土地の請負契約書に押印した時、理論的な根拠は何もなかった。農民たちがただあまりにも長期間に飢餓を強いられ、もはや前途がないと覚悟したため、投獄されることも死ぬことも恐れず、改革に踏み切ったのである。これは中国の農村改革が徹底的に実行できた根本的な原因である。

企業の改革を見よう。数年前なら、もし誰かが国有企業の所有権を改革して、国有企業の売却を言い出せば、すぐ「私有化」のレッテルをつけられたであろう。しかし、今は国有企業の改革が政府から国民まで一般的に注目されている。その原因は、国有企業の欠損があまりにも大きすぎるので、国がこれ以上は負担できず、改革しないと、国有企業は欠損によって、全部食い尽くされてしまうからである。

ところが、壁にぶつからなければ方向を変えない人と同様に、飢餓と欠損によって推進された改革は非常に受動的な改革である。この改革は農村何億人もの飢餓、企業の数万億元の欠損というあまりにも大きすぎる代価をもたらした。

これで一つの問題意識が浮上したのである。我々はなぜ農村の何億人がまだ飢餓の状態にならないうちに、または飢餓が始まったばかりの時に、さらに企業がまだ欠損していないうちに、または欠損が始まった時点に、改革を実行しなかったのか。50年の歴史を反省し、我々は飢餓と欠損によって、推進された改革から理性に基づく改革へと方向転換を図っていかなければならない。

歴史を振り返ってみると、遺憾に思うことが非常に多い。今日に取り上げられている改革政策の一部は10年、ないし20年前にすでに提出されていたが、当時は異端邪説として批判され、命を落とした人すらいた。例えば、50年代の末から60年代の初めにかけて、わが国において土地の「全面的請負」政策を提出した人は「纏足婦人」(封建制度の象徴)として批判されていた。60年代に、商品経済を発展すべきだと主張した経済学者や政界人士たちも同様に政治運動の対象とされていた。著名な経済学者孫冶方は企業が利潤を目標にすべきだと一言主張しただけで、7、8年間にわたって、監禁されていたのである。

この50年間を振り返ると、わが国の経済体制の確立と調整は、以下の周期を繰り返していた。新しい体制が登場して一定の時期を運行したら、その弊害が次第に現れる。それに気付いた一部の進歩的専門家や学者と政界人士が正直に改革の案や構想を提示するが、結局無視されるか、または批判の対象となってしまう。さらに、実践で弊害が多く、実行で行き詰まった従来の制度に対して、改革をするどころか、謳歌しつづける。その結果、本来早く改善すべき、或いは廃棄すべき制度を無理に何十年も継続させられることになり、国と人民に巨大な損失をもたらす結果となる。そして飢餓と欠損の圧力で、改革に踏み切る。

なぜ途方に暮れる時点にならないと、多くの体制に対する改革を徹底的に行わないのか、どうして自然科学技術の発明者は発明のパテントをもらえるのに対して、全社会の発展、何億人の生活に影響を与える思想観点を提出する社会科学者は奨励されるどころか、批判を受け、人身的な迫害まで受けたのだろうか。この問題は深く考えるべきである。今後、わが国の発展及び改革は回り道を避けるべきである。まず、専門家、学者、そして幹部や国民たちが思考に励むこと、そして直言することを奨励すべきである。そうすることによって、政策決定者は多くの改革案から一番いいものを選ぶことができる。「文化大革命」の時のように、違う意見があったらすぐ攻撃するやり方を止めなければならない。次に、後の実践で正しいと証明された先知先覚者に対しては褒賞すべきである。そして、それを手本に、より多くの人たちは積極的に思考に励むこと、真理を発見すること、さらに正直にものを言うことを奨励しなければならない。

これまでの経験から、われわれは問題が山積みになり、大きな損害に直面した時点でようやく改革に踏み切るのではなく、みんなが知恵を出し合い、積極的に思考することに励んでいくべきである。そうすれば、改革の道が広げられ、最終的に改革は理性によって推進されるものに変えられていくであろう。

2001年9月10日掲載

脚注
  1. ^ 編集者注―ここでは「わが国」はもちろん中国のことを指すが、多くの指摘が日本の現状にも当てはまる。
  2. ^ 文化大革命の10年間を経て、それまで毛沢東が提唱した人民公社が完全に破綻し、中国の農村がかつてないほどの食糧危機に陥った。この現実もかかわらず、社会主義のイデオロギーが最優先され、人民公社に対する批判が一切許されなかった。1978年12月、餓死によって半数の人口を失った小崗村の18人の農民が生き残るために、「反革命分子」として処刑されることを覚悟しながら、生産請負制の契約をひそかに結んだ。小崗村18人の農民の行動は人民公社の解体につながり、中国農村改革のきっかけに当る歴史的な出来事だとも評価されている。
出所

『国策論』、首都経済貿易大学出版社、2000年。原文は中国語、和文の掲載に当たって、著者の許可を頂いた。

2001年9月10日掲載

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