中国経済新論:中国の産業と企業

中国におけるIT産業の発展と比較優位の原理

林毅夫
北京大学中国経済研究センター所長

1952年台湾生まれ。1978年台湾政治大学の企業管理修士を修得後、改革開放路線に転じたばかりの中国大陸に渡り、1979年北京大学経済学部に入学、1982年経済学修士学位を修得。その後、アメリカに留学、シカゴ大学でノーベル経済賞の受賞者であるT.W.シュルツ氏に師事し、1986年に経済学博士学位を取得。1987年帰国後、中国経済体制改革の分析に取り込む。台湾、中国大陸、アメリカでの多彩なキャリアを生かし、多くの研究成果を導いた。1992年の『制度、技術と中国の農業発展』、1994年の『中国の奇跡―発展戦略と経済改革』(邦訳『中国の経済発展』)、1997年の『充分信息と国有企業改革』(邦訳『中国の国有企業改革』)などにおいて、彼独自の理論の枠組みを展開している。これらの著作は多くの外国語に翻訳され、海外でも注目されている。現在、中国経済の理論研究をリードする北京大学中国経済研究センターの所長として活躍している。

はじめに

中国では、改革・開放政策を背景に、IT産業が急速に発展している。そして多くの人が、IT産業に大きな期待を寄せている。彼らはIT産業が高度成長の起爆剤となって、中国経済が新たな発展段階へと移行することを願っている。また同時に、多くの中国人は、先進国のIT産業もスタート段階にある現在、先進国と中国の経済的なギャップを埋めるためには、今即時にその競争に加わらなければならず、そのためにも政府が強力にIT産業を支援すべきだという認識を持っている。彼らは、中国が最先端のIT産業において先進国に追いつき、そして追い越すことも可能だと考えている。これにより中国の国民経済の発展、ひいては現代化の実現を期待している。

先進国に追いつき、追い越すことは、幾世代にもわたる多くの中国人にとって、共通の希望である。仮に世界で最も高度なIT産業を発展させることによって、この長年にわたる中国人の夢が達成できれば、それ以上すばらしいことはないであろう。確かに経済的・社会的発展段階からすれば、中国では情報サービスに対する需要が旺盛になってきている。しかし、一言にIT産業といっても、実に幅広い分野を含んでいる。したがって、現在の中国の発展段階を踏まえて、IT産業の全分野で先進国と競合すべきなのか、それともある特定の分野に絞って、先進国と競合すべきなのか、きちんと見極めなければならない。さらに、IT産業を発展させる上で中国が従うべき経済原理は何なのか、またグローバル化と情報化の進んだ今日の経済においても、発展段階に基づいた比較優位の原理(発展段階の低い国は、労働集約財および労働集約型産業に比較優位を持ち、発展段階の高い国は資本集約財および資本集約型産業に比較優位を持つ)は当てはまるのか、ということも合わせて考えなければならない。

中国はIT産業をどう発展させるべきか

一言に「IT産業」といっても、あまりにも漠然としすぎている。そこで、IT産業を整理・分類しながら、中国の進むべき道を探って見よう。

A. IT産業 vs.従来産業

従来産業(労働集約型産業を含む)はITを利用することによって、最終的にコストを削減することが可能となり、競争力が改善し、収益性が高まる。IT技術の進んでいる経済においても、一般的な経済原理は以前と何ら変わらず、従来産業に新しい技術を投入・採用することによって得られる収益がそのコストを上回る場合、IT化は進むであろう。

ITの積極的な導入は、たしかに従来産業の競争力を高めるものであるため、中国にとって不可欠なことである。しかし、それにより先進国の産業構造に比肩することができるほど、大きな成長を達成できるかどうかは別問題であることに注意しなければならない。

B. ITにより新たに生まれた産業

ITに限らず、新しい技術は従来産業の生産性の向上だけでなく、新たな産業の誕生をもたらす。それは、蒸気機関の技術が鉄道輸送産業を生み、さらにそれが電話、通信産業までも生み出したことから容易にわかる。同じことがITにもいえる。ITにより、過去の商業形態は新たな商業形態(いわゆるe-business)にとって代わられ、新たな産業が生まれ始めている。とりわけその動きは米国やヨーロッパでよく見られる。中国はそれにどう対処すべきか。

まず、e-businessの特徴として、規模の経済が働きやすいことが挙げられる。そのため、利潤を生み出すためには、巨額の投資資金が不可欠となる。しかも、市場競争に勝ち残るのは、事実上1社か2社程度であり、こうした投資には大きなリスクが伴う。

中国は非常に広いため、国内統一市場を発展させるためには、コストの低い商取引手段が必要である。そうした観点からも、中国におけるe-businessの発達は重要な課題である。中国は、e-businessを促進させるために、インターネットの発展を促しながらベンチャー・キャピタルをひきつけるための投資環境を整備すべきである。

C. IT製品そのものに関わる産業

① ハードウェア ハードウェアはさらに(a)R&D、(b)チップや部品などの基幹部品の生産、(c)最終製品の組み立て、の3つに分けることができる。

米国や日本などの先進諸国はR&Dに、そして先進国プラスNIEsがチップなどの基幹部品の生産に、途上国が組み立てにそれぞれ集中する分業体制ができている。その中ですでに組み立てに競争力をつけてきた中国は、ITの最先端であるR&Dもしくはチップなどのコア技術の分野で先進国と競争すべきなのか。R&Dやチップなどのコア技術は資本集約型となっていること、中国の比較優位が労働集約製品および労働集約型産業であることを考えれば、先進国と資本集約型IT分野で競争することは当然避けるべきである。

実際、IT産業の世界主要十数社のR&D支出額合計は中国の国家予算に匹敵するほど膨大である。このように、ITに対するR&Dや基幹部品の製造に必要な資金的余裕が中国にはなく、この分野で先進国と競争することは無謀である。

資本の蓄積には長い時間がかかる。現在の先進国は数百年かけて資本を蓄積してきた。こうした資本蓄積の差は先進国と途上国の間にも存在し、短時間では到底埋められるものではない。現段階における中国の比較優位は、豊富で安価な労働力にある。したがって、ハードウェアの中では組み立てなどの労働集約製品に特化すべきなのである。

② ソフトウェア ソフトウェアの特徴はハードウェアと異なっている。ソフトの開発と生産は設備が簡単なもので済むため投資が小さく、人的資本が主な投入となっている。人的資本とは、具体的に、マーケッティングの人材とプログラミングの人材の二つがある。プログラミングの人材に関しては、途上国と先進国の間には格差が比較的に小さく、教育を充実させることで容易に埋めることができる。現に、この分野において、インド、イスラエル、チリなどが強い国際競争力を持っている。中国も、巨大な人口をバックに、教育に力を入れながら、プロフェッショナルの能力を発揮できるような環境を整備できれば、大いに発展の余地がある。一方、マーケッティングの人材に関しては、外国語のハンディもあって、不足している。これを補うために、先進国のソフトウェア企業との提携を強化すべきである。

中国はなぜ比較優位を重視すべきなのか ~韓国と台湾のケース~

中国の発展段階を鑑み、比較優位や相応の技術水準に合致した産業、製品に取り組むことが有益であることを理解してもらうために、ここで韓国企業と台湾企業との比較を取り上げる。

ハードウェア産業には、ITにおけるR&D、チップ製造、最終製品の組み立て、という3つのレベルが存在するが、当然ここでも比較優位の原理が働く。発展段階と比較優位の観点からすると、韓国と台湾はほぼ同程度であるといえよう。そこで両者の有名なハードウェア企業である韓国のサムスン電子と台湾の積体電路(TSMC)を比較する。

韓国や台湾の要素賦存量は、欧米先進国より相対的に劣る。それにもかかわらず、韓国のサムスン電子は、メモリー・チップのR&Dに大きなウェイトを置いていた。一方、台湾のTSMCは自ら明示的にR&Dを行わない方針を採っており、代わりにIntelなどチップ開発の主要企業向けにOEMでコンピュータのチップを製造していた。すなわち、技術段階では、サムスン電子はTSMCを上回っていた。

しかしながら、業績や財務体質では、TSMCがサムスン電子を凌駕していた。サムスン電子が少ない売り上げにも関わらずR&Dに膨大な投資を行っている一方、TSMCは売上高が大きく、かつ設備投資額が少なくて済む政策を持っていたことに起因して、こうした財務体質の差がもたらされた。韓国の企業の多くは、サムソン電子と似たような財務構造を持っていたと考えられる。そして、無理に高い技術もしくは資本集約度の高い産業や製品を追求したがゆえに、多くの韓国企業は外国の資本に依存せざるを得なくなったのである。これが収益性や健全性の低下を引き起こし、タイを発端とするアジア危機と相まって、通貨危機を招くに至った。

一方、TSMCは、台湾の発展段階に相応する技術水準や比較優位に適った産業や製品に取り組むことで、高収益を持続しながら、外国資本に依存することはなかった。台湾が通貨危機を経験せずに済んだことは、この事実と密接に関係している。

中国は産業構造をどう高めるべきか

比較優位に従ってIT産業を発達させることは、中国が当分の間に先進国に追いつくことが不可能であることを意味するのか。

確かにそのことは否定できない。しかし、「速かにせんと欲すれば則ち達せず」という諺のように、比較優位を無視して工業化を図ろうとすると、結局は無駄な努力に終わってしまう。一国の最も競争力のある産業は、その国の要素賦存構造によって決まる。それは韓国と台湾の比較で示される。先進国にキャッチ・アップするには、この要素賦存構造もキャッチ・アップさせなければならない。要素賦存構造に先進国との大きな差がある中国は、無理に資本集約財で先進国に勝とうとすると、結果的に経済基盤の弱体化につながる。しかし一方で、中国は労働集約財の面では明らかに優位に立つことができる。中国の軽工業製品が米国やヨーロッパの市場をほぼ独占していることがその好例であろう。まずはそうした中国の比較優位構造に忠実に従って、着実に資本を蓄積していくことが中国経済の持続的な成長にとって、重要である。

逆に中国が要素賦存の制約を考慮せず、比較優位ではない高い技術を要する製品の製造または研究・開発に優先的に取り組むならば、中国政府はあらゆる面で裁量を揮わなければならなくなる。例えば、金利や為替レート、要素価格の引き下げ、さらには競合する外国製品に高い関税をかけることなどが挙げられる。また、特定の企業に国内市場における独占的な地位を与えてしまうと、自由競争の原理が働かないため、保護された企業は効率性や収益性、イノベーションに対する意欲が低下する。すると、要素賦存構造の高度化が達成できなくなる。このように、限られた資本しか存在しない中国において、資本集約型産業を発展させようとすれば、比較優位にある労働集約型産業では資本蓄積が進まなくなる。そして労働集約型産業の発展が妨げられ、持続可能な経済発展が困難になってしまうのである。

実際、第二次世界大戦直後、多くの途上国は資本集約型産業を育成しようと試みた。しかし、日本とNIEsを除いてはみんな失敗に終わっている。当時の比較優位性に沿って、繊維産業からスタートした日本とNIEsはその後、資本を着実に蓄積させた結果、現在資本集約財に比較優位を持つに至っているのである。

まとめ

中国の発展段階はいまだ低く、人々が経済成長に寄せる期待は大きい。しかし経済発展には、一貫した原理、法則が存在する。功を急ぎすぎるとかえって目的を達することができなくなる。現時点において、中国にとって最も重要なことは、比較優位を無視した盲目的なキャッチ・アップを標榜するのではなく、比較優位に従って特化すべき産業あるいは製品を選択することである。そうすれば、着実に要素賦存構造は高度化し、技術や経済の進展が促進される。このことはIT産業に関してもいえる。具体的には、高い技術を要しない製品の製造または組み立てといった労働集約型のハードウェアに力を入れるべきである。

中国にとって、ITの積極導入による従来産業の底上げ、及び新規産業の推進はもちろん、ソフトウェア産業の発達を促すために、中国人全体の人的資本の蓄積を進めていくこと、発展段階や比較優位に忠実に従って着実に資本蓄積を進めていくことが、今後も持続可能な成長を達成する上で極めて重要なこととなる。

2001年8月20日掲載

出所

Lin Yifu (林毅夫), "The Development of Information Industry and the Principle of Comparative Advantage", World Economy & China(中国社会科学院世界経済及び政治研究所), No.4, 2000に基づいて要約。原文は英文、掲載に当たって、著者の許可を頂いた。

2001年8月20日掲載

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