Special Report──RIETI政策シンポジウム「難航するWTO新ラウンドの打開に向けて-多角的通商体制の基本課題と我が国の進路-」直前企画

変容する国際社会にWTOが対応するためには何が必要か?

山本 吉宣
青山学院大学国際政治経済学部教授

自由貿易協定(FTA)/経済連携協定(EPA)などによる地域経済統合が進んでいる反面、WTO新ラウンドの進捗状況は思わしくありません。RIETI政策シンポジウム「難航するWTO新ラウンドの打開に向けて-多角的通商体制の基本課題と我が国の進路-」では、地域主義との関係、WTO機構の強化、通商政策決定の国内プロセス、グローバルガバナンスのそれぞれの観点から、WTOが抱える基本的課題を検討します。本コーナーでは、シンポジウム開催直前企画として、シンポジウムの論点や見どころ等についてシリーズで紹介していきます。第4回目は山本吉宣青山学院大学国際政治経済学部教授にWTOのアカウンタビリティの問題、変容する国際社会にWTOが対応するためには何が必要とされているか等についてお話を伺いました。

RIETI編集部:
東アジアにおける域内貿易が増加しており、東アジア共同体の構想が論じられるようになったことは地域主義の高まりと考えられますが、それはWTOドーハラウンド交渉にどのような影響を及ぼすでしょうか。

山本:
WTOの多角的貿易交渉について過去の交渉パターンをみると、ウルグアイラウンドは当初4年で終了するという予定で始まりましたが、実際には8年間も要しました。ドーハラウンドは2005年を終結期限として開始されましたが、予定より延びてしまうことは明らかです。終結まで多くの時間がかかるのは各国の異なる利害を調整することが難しいためでもあり、交渉が妥結するときには政治的な意志が強く要求されます。つまり、政治的意志と経済的利益の合致することが必要なのです。

FTAを中心とした地域的な貿易自由化が進んでいることは、政治的なエネルギーや関心の集中をWTOの多角的交渉から奪っているように思います。FTAは、GATT/WTOの大原則である無差別原則と整合的でないため、政治的にも大きな問題を引き起こす可能性がある、との有力な議論もあります。しかし、FTAやPTA (特恵貿易協定)は、WTOの枠組みに矛盾しているわけではなく、多角的交渉へのstumbling block(躓き石)にはならないと思います。また、多国間で合意した結果について一括して各国が受諾することを求められるというWTOのSingle Undertaking(一括受諾方式)では、各国の異なる経済的利害の調整が極めて難しく、2国間、あるいは地域内の方が比較的容易に妥協を導くことが可能です。したがって、地域的な貿易自由化が進んでいるという現状も理解できるのですが、東アジア共同体のみならず、地域主義の高まりは、各国の政治的なエネルギーと関心の集中を多角的交渉からそぎ取るため、WTOドーハラウンド交渉を促進することにはならないと思います。

RIETI編集部:
グローバルガバナンスを担うWTOは加盟国に対してどの程度説明責任を果たしているでしょうか。もし、十分でないとすれば、今後どのような対応が必要になってくるのでしょうか。

山本:
アカウンタビリティ(説明責任)という言葉がよく使われるようになったのは1990年代半ばですが、この言葉の意味は、ある集団的な決定があった場合、その決定について妥当な説明をし、影響を受ける人、すなわちステークホルダーがその決定についてどこまで意見を表明することができるか、そして、決定する人や集団をチェックすることができるかということだと私は理解しています。仮に、WTOのステークホルダーが国家だとすれば、アカウンタビリティの問題は、システム上は全く問題ないと思います。WTOは、紛争解決手続を除き、すべてをコンセンサスで決定するというコンセンサス・ルールに基づいている点でも、加盟国の各政府に対して説明責任を果たしているといえます。さらにIMFなどの他の国際機関に比べるとはるかにアカウンタビリティがあります。もちろん、多くの開発途上国は、自国の利益が無視されている、また重要な決定が主要貿易国の間でなされ、その決定過程の透明性がいまだ十分ではないと論じることがあり、それには適切な対応が必要でしょう。さらに、ステークホルダーが国家ではなく、一般の人々、たとえば農民だとしたら、アカウンタビリティは十分に果たせていないということになるでしょう。なぜなら、農民はWTOの意思決定によって大きな影響を受ける反面、WTOへの影響力を直接には持っていないため、公式な場で意見を表明し、権利を行使することができないからです。ただ、これは現在のシステムでは、各国内で取り扱われることが前提となっているように思えます。

GATTは23カ国で発足しましたが、現在WTOの加盟国は148カ国と非常に多くなり、非均質的です。アカウンタビリティの判断基準を自由貿易、efficiency promotion(効率の追求)で捉えていた時代と、今日のように開発、環境、人権、労働基準等を貿易という手段と結びつけて判断するようになった時代とでは、大きな相違があります。そして、WTOの自由貿易、効率の追求に異を唱える団体、特にNGOの影響力が強くなり、WTOのステークホルダーを国家だけでなく、NGO等を含むcivil society(市民社会)だとみなす考え方も出てきています。この変化に対応して、いかにしてアカウンタビリティの仕組みをつくるかということが問題になります。たとえば、WTOでも、開発の問題は真正面から取り上げられていますし、環境と貿易の問題も大いに議論されています。また、マラケシュ合意以来、NGOのオブザーバー参加も模索されています。けれどもWTOが現在取り組んでいること以外に、当面、大きな変革はできないと思います。

RIETI編集部:
山本先生のご指摘の通り、近年NGOがWTOの意思決定プロセスへの影響力を強めています。国連や世界銀行は開発途上国の経済的・社会的発展のためにNGOと連携して取り組んでいますが、WTOがとりわけ環境や人権問題等、非貿易事項についてNGOと連携して取り組むべきでしょうか。

山本:
WTOがカバーする分野、基本的な原理は、自由貿易の推進、efficiency promotion/protectionですから、非貿易事項については分業と分離を行うべきであり、たとえば開発は世界銀行に任せるべきだと思います。もちろん、両機関の協調は必要です。NGOとの連携に関して一例を挙げれば、途上国における綿花産業の近代化および再建を支援するためのファンド、設備等についてNGOと共に考え、議論することは重要でしょう。しかし、そのような組織をWTOの中に創るというのは妥当ではないと思います。貿易と環境の関連でいえば、ワシントン条約やバーゼル条約をはじめ条約や条例があり、また、安全保障の関連でいえば、紛争ダイアモンドに関するキンバリー・プロセスなどがありますが、WTOはそのような分野を除いています。NGOとの連携を制度としてWTOに組み込むことは容易ではなく、かなりの工夫をしない限り現実的ではないでしょう。

WTOは司法化(legalizationあるいはjudicialization)が進み、他の国際機関に比べると大いに整備されています。WTOは国際法などの専門家が大半で、交渉中は政治学者もその研究に携わりますが、いったんルールが作られてしまうと、政治学者は登場する場面がなくなるという冗談も聞かれるほどです。しかし、WTOのカバーする領域が貿易だけではなく、開発やその他の問題にも広がると、legalizationだけでは対処できない問題もいろいろ出てきます。したがってそのような問題に取り組むため、政治的な面をどこまで、どうやってWTOに活かしていくかが重要になってくるでしょう。

NGOは途上国の問題と密接に結びついており、開発、環境、人権、労働問題等に強い関心があります。ほとんどすべてのNGOは自由貿易、efficiency promotionを基本的な価値としていないのです。少なくとも主要な目的としては、重きを置いていません。そのようなNGOの主張をWTOの意思決定の中にもどんどん取り入れていくことが結果としていいものを生み出すかどうかは疑問です。自由貿易、効率の追求を重視しているのは多国籍企業などであり、WTOの交渉を進めるためには、自由貿易に強い関心を持っている多国籍企業がより積極的になることが必要でしょう。このような観点からいえば、NGOはWTOの多角的交渉を進めるうえで一種の阻害要因です。

しかしながら、国際社会は大いに変容しています。冷戦後、市場経済は世界的に支配的なものになり、多くの開発途上国が世界市場に参加しようとしています。また、環境問題がグローバル問題として認識され、さらに人権も世界的な規範として共有されるようになりました。そして、国境を越えて活動する非国家アクターもその数、質ともに増大しました。国際社会は、まさに国家を超えた社会となってきている面が大きいのです。したがって、国際社会を統治するシステム全体の再編成が求められているところも大きいわけです。そこでは、ブレトン・ウッズ体制をはじめ全体の枠組みを再検討、再組織することが長期的に求められています。だからといって、短兵急に、WTOに開発、環境、人権などすべての問題を入れていくことは、むしろ非生産的なことかもしれません。したがって、NGOがある程度意思決定のプロセスに関与することは認めるべきですが、WTOは貿易に特化し、非貿易事項に関しては分離させ、システム全体を再編成する必要があると思います。

取材・文/RIETIウェブ編集部 木村貴子 2005年7月11日

2005年7月11日掲載

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