Special Report──RIETI政策シンポジウム「難航するWTO新ラウンドの打開に向けて-多角的通商体制の基本課題と我が国の進路-」直前企画

ドーハラウンド農業交渉において求められる日本の姿勢

石川 城太
一橋大学大学院経済学研究科教授

自由貿易協定(FTA)/経済連携協定(EPA)などによる地域経済統合が進んでいる反面、WTO新ラウンドの進捗状況は思わしくありません。RIETI政策シンポジウム「難航するWTO新ラウンドの打開に向けて-多角的通商体制の基本課題と我が国の進路-」では、地域主義との関係、WTO機構の強化、通商政策決定の国内プロセス、グローバルガバナンスのそれぞれの観点から、WTOが抱える基本的課題を検討します。本コーナーでは、シンポジウム開催直前企画として、シンポジウムの論点や見どころ等についてシリーズで紹介していきます。第3回目は石川城太一橋大学大学院経済学研究科教授にドーハラウンド農業交渉において求められる日本の姿勢等についてお話を伺いました。

RIETI編集部:
ドーハ開発アジェンダ交渉が成功裡に妥結した場合、日本にどのような利益がもたらされるでしょうか。また日本はそれと引き替えに何を譲歩しなければならないと考えられますか。

石川:
日本は貿易立国なので、利益は非常に大きいはずです。基本的に貿易交渉は多角的に進めていくべきだと私は思います。現在148カ国がWTOに加盟しており、世界の貿易の90%以上を加盟国で占めていることを考慮すると、ドーハ開発アジェンダ交渉が妥結し、何らかのルール作りができることにより日本が得る利益というのは非常に大きいと思います。交渉はWTOの原則である互恵主義に基づいて行われますから、日本も要求ばかりを出していくわけにはいかないし、譲歩する必要があります。その中で日本が求められているのはやはり農産品の市場アクセスで、どのように譲歩して、多角的な枠組みを作っていくかということが重要になると思います。

ドーハではシンガポールイシューの中の、競争、投資、政府調達の透明性の3つは取り上げられませんが、日本はこの3分野に、特に投資について関心があります。したがってドーハラウンドが成功裡に終結すると、次のラウンドでこれらの問題が取り上げられる可能性があります。今回たとえば農業分野で日本がある程度譲歩しなければならないとしても、交渉がうまくいけば次のラウンドで投資や競争政策といった問題が取り上げられ、それが規律の強化となり、最終的に日本にとってさらなる利益につながることが考えられます。

RIETI編集部:
WTO農業交渉は輸出国と輸入国、先進国、途上国、立場の違いによる利害が対立していますが、この分野における中長期的な各国共通の利益とは何でしょうか。

石川:
各国共通というのはなかなか難しいのですが、一言でいえば、農業交渉の決着によって多角的な自由貿易体制を維持することが共通の利益となるでしょう。質問にもあるようにそれぞれ立場が違うわけです。現在3つのことが問題になっています。ひとつは市場アクセスです。日本では米、こんにゃくいもなどをはじめ、いろいろな品目に対して高い関税を課して、保護しているものがあるため、市場に入っていきにくいという市場アクセスの問題があります。これは輸入国の問題です。

もうひとつは輸出国の問題で、農産物輸出をなるべく自国に有利にしたいという立場から農産物に関して輸出補助金がかなり用いられています。現在、輸出補助金は農産物のみ例外的に認められていますが、輸出補助金削減の進め方が問題となっています。

さらに輸出入国両方に共通する問題として、国内の支持 -農業に対するサポート、農業補助金等、国内支持削減も含めたそのあり方が問題となっています。

以上3つの問題がかなり入り組んでいます。農業問題といったとき、ある人は日本の市場アクセスの問題を考えたり、ある人は輸出補助金の問題を考えたり、立場によりさまざまですから、よく整理しなければなりません。また、対立の構造といっても多種多様です。農産物の輸出国と輸入国、すなわちケアンズグループ対、日本や韓国のような輸入国の対立、輸出国同士の対立もあり、また途上国と先進国では国内支持に関する対立もあります。それらをうまく調整して、最終的にスムーズに世界的な貿易体制を整えることが各国共通の利益になると思います。

RIETI編集部:
日本政府は米など高関税品目への影響を避けるため、関税率に上限を設ける「上限関税」の導入に反対する方針を決めましたが、この動きに関してどのようにお考えでしょうか。

石川:
日本の米をはじめ、他国もセンシティブな問題がありますから、「重要品目」に対しては考慮するということが共通認識としてあります。問題は必要以上に要求した場合どうなるかということです。本当に、米に対する490%、こんにゃくいもに対する990%もの関税が必要なのでしょうか。日本があまりにもそういった高関税を強く要求することによって、交渉が難しくなってしまうことが予想されます。カンクンの閣僚会議もそうでしたが、最初はEU、アメリカ、日本が連携して途上国と交渉し、妥協点を見出そうという動きがありました。ところが、日本は農業問題が足かせとなり、アメリカとEUが連携を強める一方、日本は完全にはずされてしまい、最終的には交渉全体が決裂してしまいました。農業関係者の中にはそれが戦略だったという人もいますし、うまくいったと思った人もいるかもしれませんが、日本の貿易体制全体からみると好ましくないことでした。結局、「日本はずし」が起こり、それがブラジル、中国、インドなどの台頭を招いてきました。日本は交渉しても何も妥協してくれないと他国からみなされるようになると、日本の交渉力がますます薄れてきてしまうという危険があります。政治的な問題もあり「上限関税」に反対するのかもしれませんが、それによる不利益をもう少し考えなければなりません。さもなければ、最終的に国内の農家に対して利益を守ったという説明ができたとしても、日本が国際社会の中で利益を守ることができるかどうかは難しいと思います。

RIETI編集部:
BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)の最近の著しい経済成長はグローバル経済の構造を変動させるほどの勢いがあります。この4カ国はドーハ開発アジェンダ交渉においてどのような影響力を持ってくるでしょうか。

石川:
まず、ロシアはWTOに加盟が近いといわれていますが、まだ加盟していないわけです。もしドーハ開発アジェンダ交渉が順調に進めば来年で終わりますから、ロシアは加盟に間に合わないかもしれません。そういった意味ではプレイヤーに入ってこないと思われます。けれどもウルグアイラウンドのようにドーハラウンドも長引くことが予想されます。来年中に終わるというのは考えられないでしょう。今年12月の香港での閣僚会議における大筋合意を目指していますが、そのためには逆算して今月がキーとなります。今月末までにある程度の枠組みを作り、12月の閣僚会議に持ち込み、来年中に終結させようと考えているようですが、過去の経験からいってそれは難しそうです。交渉が長引くとロシアもプレイヤーに入ってくる可能性があります。

次に、4カ国はそれぞれ思惑が違います。たとえば、ブラジルはアンチダンピング(AD)フレンズ(AD措置の濫用を懸念しWTO・AD協定の規律強化を目指す関係国の集まり)というグループで積極的にアンチダンピングの規律強化をしようとしています。けれども、インドや中国はブラジルほど積極的ではありません。

このように4カ国は利害が異なりますが、ある局面では一致する可能性もあります。先程申し上げたように、日本が強く主張しすぎることによって日本の立場が弱くなり、4カ国の発言力が強まる可能性があるからです。4カ国が途上国の意見をまとめて先進国と交渉に入ることになれば、途上国にとっては交渉力をアップするという意味で有利になると考えられます。シンガポールイシューの4つの分野のうち、ドーハラウンドでは議題に取り上げられない、競争、投資、政府調達の透明性の3つでは、途上国対先進国という構図があるので、そこでは4カ国が将来のラウンドでまとまる可能性があります。

しかし、4カ国は個別の利害がありますから、ドーハ開発アジェンダ交渉において攪乱要因にもなり得るし、途上国をまとめる核となるかもしれないし、どういうふうに動くかはなかなか見えません。特にロシアがWTOに加盟したときにどのような行動をとるかが見えません。また、中国は「非市場経済国」ということでWTOに加盟するときにある意味で差別されているので、それをなんとか取り除こうとする、中国特有の利害があります。繰り返しになりますが、必ずしも4カ国は利害が一致しません。イシューによってまとまったり、離れたり、どのように連合を組むのかによりいろいろ不確定要因があります。

取材・文/RIETIウェブ編集部 木村貴子 2005年7月11日

2005年7月11日掲載

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