第2回

研究したいことがいっぱいあって、ワクワクしています

藤本 昌代
ファカルティフェロー

京都府生まれ。大学時代プロテニスプレイヤーを目指すが、足の故障により断念。大学卒業後はSEとして活躍。CAD/CAM(画像処理ソフト)のシステム設計、ソフトウェア開発に従事する。25歳の時に結婚。結婚・出産後も仕事を続けていたが、エンジニアの組織を研究するために同志社大学大学院に入学。同志社大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程および博士課程を修了(社会学)後、現職。博士学位論文は「組織内プロフェッショナルの組織準拠性に関する研究 -ローカル・マキシマム概念による検討-」。同志社大学文学部社会学科専任講師を務める。

プロのテニスプレイヤーを目指した学生時代。足の故障で断念後はシステムエンジニアに

ファカルティフェローの藤本さん はいつも快活で、挨拶を交す時なども笑顔を絶やさない方である。プロテニスプレイヤーを目指した学生時代、SE(システムエンジニア)としての多忙な社会人生活を経て、研究者への道を選んだ異色の経歴の持ち主である。藤本さんの明るさ、快活さは"体育会系"出身というルーツに起因しているようだ。

テニスの練習に明け暮れていた学生時代

テニスの練習に明け暮れていた学生時代

「高校時代はテニス一色でしたね。高3の時に京都で優勝してインターハイに出場して。大学もテニスが強い女子大に進学したんです。そこで出逢った先生が沢松和子という有名な選手を育てたコーチだったんですが、当時、神戸の女子大の文化はお嬢様育成。その先生からはテニス以外にも女性としての躾を厳しく受けました。でも、どうして私はおしとやかにならなかったのかしら(笑)。両親は私をお嬢様に育てたかったらしくて、女子高、女子大と進学させたんだけれど、結局期待と全然違う方向に行っちゃいました(笑)。大学時代は伊達公子...とまではいかなくとも、プロのはしくれとなってテニスの世界で生きていくのかな~なんて思っていたんですよ」

大学時代、インターカレッジ、国体、全日本に出場して日々練習に励んでいた藤本さんだったが、3回生の終わりに膝を故障する。教えるのはなんとかなっても、選手としてはまったく通用しないと医師にいわれた藤本さんは、だましだまし4回生までテニスを続け、大学を卒業後はテニスコーチとして後進の指導にあたるが、その翌年にはSEとして再スタートを切る。まったくの異業種に飛び込んだこの時の藤本さんの心境はどういうものだったのだろうか?

「過去の栄光にぶら下がって生きているのがイヤだなと思ってしまったんですね。それで何か自分にできることはないかなと考えてみると、私は中学の頃から数学が好きで、問題を解いているだけで楽しかったんですよ。だからもう一度、工学部に入り直そうと思ったんです。そんな時コンピュータの機械制御ソフトを作る仕事の助手をやらないかと誘われ、ちょうどコンピュータと数学がリンクしたものを学びたいと思っていたので、これはいいやと思って入社しちゃったんです(笑)」

こうしてCAD系の機械制御のシステムを作る会社で助手として働き始めた藤本さんは、業界では神様といわれるくらい美しいプログラムを書く上司の下で働き始め、3年後には同期の男性陣よりも先にプロジェクトリーダーになるほどの活躍ぶりを見せることになる。

「上司が本当にすごい人で、洗練されたシステム設計ばっかり見ていたので、いつのまにか工学部とかコンピュータ専門学校を出た人よりもいいシステムを組めるようになったんだと思います。仕事は子供が寝てから夜中にすることが多かったですね。しんどかったけれどシステム開発はパズルを解いているようでとても面白かったんですよ。でも、どんなに忙しくても二人の子供が小さい時は毎日のように公園に連れて行き、密着した親子の時間も堪能しました」

エンジニア組織を学問的に分析するため、大学院へ進学

こうして子育てと併行しながら10年近くエンジニアとして働き続けた藤本さんに再び転機が訪れたのは34歳の時。エンジニアの組織を 学問的に研究したいと思い立った藤本さんは一念発起し、同志社大学大学院の社会学科に入学する。エンジニアの組織を学問として研究すると聞いてもなかなかピンとこないが、具体的にはどういった研究をなさったのだろうか?
「ソフト会社で働いてみて、エンジニアのコミュニケーションって普通のサラリーマン組織と全然違うなという感じがあったんです。個人作業が多いので、しゃべらない人は全然しゃべらない。インフォーマルなコミュニケーションをしない人が多いんですよ。でもそんな中でもすごく仕事が出来る人たちは、インフォーマルなコミュニケーションもしている。この差はなんだろうと思って、コミュニケーション論、組織論をやりたいということで、社会学、社会心理学を選びました。修士論文はエンジニアの組織コミュニケーションについて書きました」

藤本さんの調査によると、知識獲得の過程におけるコミュニケーション欲求、頻度の差は仕事人としての能力に影響を与えていたという。

SE時代の藤本さん

SE時代の藤本さん

「エンジニアたちは、わからないことがあった場合、そんなことも知らないのかとバカにされたくなくて、自分で調べるに留まりがちです。そういった努力も非常に大事ですが、自分で解かる範囲やインターネットが頼りになって、ネットワークが小さくなる。私は人と人とのコミュニケーションの中に伝わるいろんなニュアンスの重要性を感じていたので、"暗黙知"という概念を知った時に「これだ!」と思いました。知識の移転、親和性、信頼性の醸成にはフォーマル/インフォーマル・コミュニケーションが螺旋的に影響していると思います。これを活発に行っているエンジニアたちは、仕事にすごく良い影響を及ぼしている。これは(論文に)書かなくちゃいけないと思いましたね」

藤本さんの博士論文は「組織内プロフェッショナルの組織準拠性に関する研究 -ローカル・マキシマム概念による検討-」。現在RIETIで行っている研究もこの発展系にあたるという。藤本さんは「研究者・技術者の意識には人々が共有している多元的な価値意識が関係しているのでないか」と考えたのだ。

1つの価値観に縛られず、多元的な価値を認められる人は新しい価値を創出している

「研究者・技術者の調査では『基礎研究は研究価値が高い ≒ 基礎研究者は偉い』という価値観に縛られている人々が多かったんですよ。そうなると応用研究はコンプレックスを感じながらやらなくてはならない。でも世の中って成功体験している人ばかりではなくて、むしろ圧倒的な人々が挫折を味わっている。昨夏、調べた企業研究所でのデータでもネガティブな理由でのモビリティの方がポジティブな理由のそれよりはるかに高い。しかし、転職先で新たな価値を創出している人々はたくさんいました。1つの価値観に縛られると「世界一」以外は全て負け組感に苛まれる。でも、きっかけはネガティブであっても新しい価値観を増やしていけばいいと思いますし、むしろ1つの価値観に縛られるのはしんどいんじゃないかと思うんです」

藤本さんは国立研究所と家電研究所の研究者・技術者を対象にした研究で、研究者の組織に対する意識の差から、学界で共有された価値観と産業界での価値観のギャップが見えたという。家電研究所の研究者は、基礎研究へのコンプレックスを持ちつつも、世界的シェアを誇る製品に自分の研究が活かされているという手応えも感じており、「彼等にモノが作れるか!」という自負心も持っていた。このことから、多元的に所属する集団で共有される価値観により個人の位置づけが規定され、それが、彼等のモビリティに影響しているとして、準拠集団論に新しい視点を加えた。また、狭いエリート社会の価値観に留まっている人よりも、多元的な価値観を認めることが出来る人の方が仕事にも広がりがでるといったことも書いたという。これらの学界と産業界での価値意識のギャップを数学概念の「ローカル・マキシマム」で表現した。そして、この論文が藤本さんとRIETIをつなぐ縁となる。

「法制度の整備も重要だけれど、組織の中にいる人の考え方や行動は、人々が縛られている価値観とか共有している暗黙のルールによる部分が多いのではないかと考えました。この部分が、青木先生の研究に関連しているということや、『人の流動性』はこれからの日本社会で重要なファクターになるということで、恐れ多くもこちらで研究させていただくことになったんですよ。こんなヘンな経歴を持つ私ですが、RIETIでは私の属性など気にせず、論文と研究姿勢で採用して下さったのはとても嬉しいことです。
現在、行っている研究は「組織統合」「組織構造改革」「組織アイデンティティの再構築」という大変な課題を一度に経験している独立行政法人化された研究機関を対象に行っています。科学技術による経済的効果が期待される今日、果敢に新しい組織づくりに挑戦しているところです。これまでみなが「当たり前」と考えていたことや法制度が変えられた時、人がどのように共有ルールを再構成していくのかということに関心があります。組織成員やそれを取り巻く人々が考えるルールや「望ましさ」が変化しなければ、法制度や組織構造を変えても新しい潮流は生まれないでしょう。この組織の運営が成功すれば、日本の科学技術研究機関のモデルとなりうるでしょうし、変化しなければ、日本の研究機関が抱える問題の克服は困難であるということかもしれません。このあたりを比較制度分析の視点からみていきたいと思っています」

「プラスのプロフェッション」への社会的承認が今後の日本社会には必須

藤本さんは今後の日本社会に必要な職業として、インターフェイス・プロフェッションの重要性を強調する。

「これからの科学技術研究機関には専門知識の間をつなぐ人が重要になると思います。RIETIには研究者以外に研究のアウトプットを外に伝える専門スタッフがいます。これまでは人々の困難に対処する「マイナスのプロフェッション」(たとえば、医師や弁護士)だけに権威が与えられてきましたが、そのような価値観に縛られていては、新しい科学の創出は遅々として進まないと思います。今後、コーディネーターや戦略を立てる人など、人々の利益や創造的な活動をサポートする「プラスのプロフェッション」として、複数分野をつなぐインターフェイス・プロフェッションが社会的に承認される必要があると思います。まだまだ、こういった新しい職業を専門職として認めない風土が日本にはあるので、プロフェッション論に携わる人間としては、RIETIのコンファランスチーム等を新しい専門職として紹介したいと思っています。いろんな職種の人たちが組み合わさって科学が成立するわけですから、研究機関は研究者だけを強化すれば成果が上がるという考え方は古いと思います。日本では一流の研究機関といわれているところでも、まだまだ、そういった考えが支配的だと思います」

藤本一家。写真左奥がダンナさんの政博さん、前方左が長男の貴裕君、前方右が次男の和之君

藤本一家。写真左奥がダンナさんの政博さん、前方左が長男の貴裕君、前方右が次男の和之君

お話を伺っている間も、研究が楽しくてしょうがないというオーラを体中から発散していらっしゃった藤本さん。メインの研究に関連して「MOT(Management of Technology)」「産学官連携」「研究者・技術者のモビリティ」などのテーマにも取組み、毎日がワクワクしているとのこと。
「次々やりたいことが出て来ちゃうんですよね。鉄砲玉のような私に夫は『君のことに関しては、もう、たいていのことでは驚かなくなった』と笑っています。でも休日は子供達と一緒に夕飯を作ったり、映画、テニス、スキー、アウトドアなどを家族で楽しんでいますよ」。研究と家庭をバランス良くエンジョイしている藤本さん。テニスで鍛えた肉体と行動力を武器に、スポ根ならぬ、研究+家族根ドラマを末永く展開してくださることを期待しております!

取材・文/広報グループ編集担当 谷本桐子 2002年6月17日

2002年6月17日掲載