RIETI ポリシーディスカッション

第10回:声なき声になったデフレ退治論

DORE, Ronald
客員研究員

6カ月ぶりで日本に来て、意外に思うことが1つある。今年春ころの新聞には、「デフレ」、「デフレ対策」という言葉がしきりに出てきていた。また、雑誌などでは、1997年の一連の3つのショック(財政引締め、アジア危機、主要金融機関倒産)以来の経済停滞が、主として需要面の要因に起因するか、それとも改革を要する「構造」、不良債権を抱えている銀行やリストラを卑怯に回避している企業という供給面の欠陥に説明されるべきかの論争が活発だった。

しかし、今は論争の熱が冷めたどころか、全くなくなってしまったようだ。自民党総裁戦で需要増進策か構造改革かの議論が一時再燃し、それがいわゆる「抵抗勢力」の全敗に終わってから、需要重視論者も絶望して疲れたのか、マスコミが読者が飽き飽きだと判断したのか、それとも小泉さんの森派に自民党代議士が大勢駆け込むように、日本のエコノミストたちが皆、もう体制に従うしかないという判断に達したか、どういうことか知らないが、とにかくサプライ・サイダー天下となったようだ。

デフレがそれで直っているかといえば、とんでもない。量的緩和のおかげで先月のマネタリー・ベースが前年比21%増えても、マネー・サプライが1.5%増にとどまる一方、日銀の当座預金が平常の5倍の30兆円に膨れあがるばかりだ。日銀の去る10月31日の「経済・物価の将来展望とリスク評価」も、2004年度を通じてデフレが続くことを予想している。

どうやらデフレが雷や親父と同様の、不可抗力の現象となったようだ。日銀の「評価」報告書にはこう書いてある。

デフレから脱却し持続的な成長軌道に復帰するためには、循環的回復に加えて、過剰債務や過剰雇用、金融システム面の弱さなど構造的な問題への対応の進展などを通じて、企業や家計の成長期待が高まっていくことが必要である

金融政策に最終的な責任を負う日銀が、デフレと成長を対比し、金融現象であるデフレと実質経済の現象である不景気を区別していないことを別としても、消費行動、投資行動に影響する期待として「成長期待」だけに着目して、「インフレ期待・物価動向期待」に全然触れないのは、やはりサプライ・サイダーの全面勝利を語る現象だろう(それにしても、過剰雇用をなくして、つまり失業を多くすることによって、一般家庭に「成長期待」を植え付けることができると思っている人たちは、どこの世界の住人なんだろう)。

とにかく、今春来日した際にまだデフレ対策論が活発だったことを回顧するなかで、去年の秋に行い、今年の2月に書き直した講演原稿のことを思い出した。RIETIのウェブ・サイトにおいて歯に絹を着せない意見の発表を歓迎すると聞いて、誰も読まない学会の年報に葬っておいた多少挑発的な論文の一部をこちらに再掲載することは、無意味ではないだろうと思った。

意味をよりハッキリさせるため2-3箇所修正した以外には、2月に書いたままであるから、当時の状況に触れた2~3カ所はもう無視していいが、「挑発的」な部分は、イギリス銀行のインフレ・ターゲットのところと、国債発行に関するTurner説のところであろう。講演の全文は「2003年理論経済学会年報」に掲載されている。

インフレ・デフレ、何が問題か

猫も杓子もインフレ・ターゲット論を展開するのだから、私もいくつかの点について意見を述べさせて頂く。

インフレ・ターゲットを設定すべきかどうかが問題ではなくて、日銀総裁がインフレ率が今のマイナスから0%に上がるまで量的緩和を続けるといっているのではないか。問題なのは、そのターゲットを上げるべきか否かだ。より詳しく言えば、インフレ・ターゲットをめぐる議論では、いくつかの区別すべき命題が混同されている事が多いように見受けられる。

具体的にいえば、次の4つの命題を区別しなければならないと思う。

1.現在の時点で、その目標の0%を2-3%に引き上げるべきかどうか。

2.2-3%の正の目標を採用したら、そのアナウンスメント効果だけでも景気に影響するかどうか。

3.日銀の使命である「物価安定」の解釈を(2、3%の)「価格上昇率安定」までに弾力的に拡大解釈できるかどうか。

4.現在できるかどうかは別として、原則として2-3%のインフレを安定して維持する事がマクロ経済政策として好ましいかどうか。

私のその4つの設問に対する答えはこうだ。

1.然り。

2.目標設定のアナウンスメントだけならあまり影響しないだろうが、エコノミストの誰しもが「これは確かにインフレを起こしそうだ」というような大胆な政策を伴った目標設定の発表なら、アナウンスメント効果も十分ありうる。

3.恐らく無理だろう。むしろ日銀法を改正して、目標インフレ率を政府が設定するように制度を変えた方が、すっきりするばかりではなく、却ってそれこそアナウンスメント効果を最大化する手段ともなりうる。

4.好ましい。

デフレと不景気:緩慢なインフレの効果

4つ目の点が一番重要である。私はイギリスのブレア政権の全面的崇拝者ではないが、彼の政策で1つだけ成功だと思うのは、中央銀行制度改革である。イングランド銀行の金融政策委員会にインフレ管理の政策手段としての誘導金利を設定する権限を与えると同時に、政策目標であるインフレ率自体は政府が設定する。そして、過去5年間の目標は、(この分野では安定が第一だから)「安定した2.5%・インフレ」であった。

資産インフレを政策目標に加えるか、加えるとするとどういう形でどれぐらいの比重を与えるかという大きな問題が日本のバブル、米国のNasdaqバブル以来、各国中央銀行が益々頭を悩ます問題である。現に英国では、住宅市場の加熱化を心配して、景気状態から見れば金利を下げるべきところなのに、それに躊躇する場面も出てきている。ともかく、政策目標としては、資産価格を含まない物価のみを対象として、安定した2.5%のインフレ率を維持することが英国銀行の役目となっている。

強調すべきなのは、イギリスのインフレ目標がいわゆる対称的目標であるという点だ。伊藤元重氏は、『日本経済が分かるキーワード』のなかの、インフレ目標を説明しているくだりで、イギリス、スウェーデン、フィンランド、スペイン、4カ国の目標設定を例にあげて、「いずれの国でもインフレ抑制の手段としてこの政策を用いている」(33ページ)という。それは間違いである。英国の場合はインフレ抑制の手段でもあれば、インフレ維持の手段でもある。イギリスの金融政策委員会の役目はインフレ率が2.5%以上になる事も、以下になる事も同じ比重で防ぐことである。法律によると、インフレ率が3.5%を超えた時も、1.5%以下になった時にも、総裁が大蔵大臣に釈明の手紙を書かなければならない。

0%インフレでさえ無理な目標のように見える現状では、夢のような話だろうが、イラク戦争をきっかけにして、石油1バレル60ドルの状態が2、3カ月続いたら、案外早く現実的な選択技になるかも知れない。とにかく当面の政策の問題とは別に、原則として、物価安定の0%を目標とするか、常時緩慢なインフレを維持するか、どちらが健全な経済成長環境を作るかという基本的な問題はもっと論じていいと思う。

インフレ・成長の関係

インフレ率と成長率がそもそもどういう関係にあるかについて、つまり今のデフレが低成長とどのように結びついているかについては、私が見た限り、インフレ・ターゲットをめぐる論争では詳しい議論があまりされていないようである。分かりきっているからだろうか。分かりきった問題であっても、そのいくつか違ったメカニズムの分析を検討する価値があると思う。

こういう形で問題を設定しよう。インフレ率2.5%という明示的でハッキリした政策目標が政府に採用され、一定の期間の(1-2年の?)実績に裏付けられて 、その2-3%程度のインフレ期待が一般的となった社会と、今の慢性的デフレの日本とでは、総需要形成の観点からみてどう違うだろうか。私は7つのメカニズムが考えられると思う。

1.まず、誰でも言うのは消費者行動の違いである。デフレだったら、「冷蔵庫を買い替えたいが、来年まで待てばさらに安くなっているだろうから、もう一年我慢しよう」ということになる。インフレの予測が一般的になれば「来年のボーナス時期になると高くなっているだろうから今買っておこう」となる。これは誰でも認める、最も簡単なメカニズムであろう。

2.生産者となると、事業の計算は名目貨幣で行なわれる。デフレが続く中で、「新しい製品の生産計画を立てる場合、「今の価格で資材を仕入れ、何々円で売れるならいいのだが、出荷する半年先には価格を下げなければ競争できないかもしれない。するとぺイしない事になる。止めよう」という計算になる。しかし、インフレ気味となったら、逆に、今の価格水準で資材を買って、半年先の水準で売れば、少なくとも名目計算では得をする。

3.現在は、明らかに金利調整という金融政策が完全に機能不全となっているのが明らかだろう。金利ゼロ、デフレ2%だったら、2%の実質金利を下げようとしても下げようがない。インフレ率が負の2%から正の2%に転じたら、実質金利が僅か1%であっても、名目では3%になるから、まだ景気変動操作の余裕があって、金融政策の機能を回復できるだろう。

4.定期預金の利子が下がれば下がるほど貯蓄が増えるという「逆供給曲線現象」が日本の高所得層の高すぎる貯蓄率の1つの要因である。利子率が下がれば、もっと貯蓄しなければ目標額を達成できないという論法だろう。2-3%のインフレ下で3、4%の利子が付けば、誰でもある程度貨幣錯覚の虜となるから、より安心した目で自分の貯金を見て、今貯蓄している金の一部を消費に回す人が出てくるだろう。

一方、より合理的に、常時インフレになるなら、通貨をなるべく早く、価値を失わないモノ(特に土地)にした方がいいと判断する人も出るだろう。

5.年々2-3%のインフレになれば、デフレ下で年々負債が重くなって償還しにくくなってきている今の状況と対照的に、借金返済がしやすくなる。

国家財政のレベルでもそうだし、企業、個人レベルでもそうだ。ヨーロッパでは、6-7年前のイタリアの国債残高がGNP比で130%に達し、それをどう処理するかが大きな政治問題になったことがあるが、最近、まだ100%をちょっと超えているのにあまり話題にならない。これは、財政改革も多少あって、主としてユーロのおかげで利子率が下がったおかげだが、収入面におけるインフレの累積効果もかなり貢献した。

しかし最もそれが重要な効果を持つのは、今の不良債権問題であろう。消費者物価が上がれば、10年間下降状態だった地価も、いよいよ上がり気味になり、中小企業への貸し出しの担保となる土地の価値が上がるばかりでなく、問題のある債権の担保として銀行が保有している土地の価値も上がり、不良債権を解消することに貢献する。

現在の経済停滞の要因として、銀行が貸し渋り・貸し剥しに走ることと、企業が見通しの暗さのため、資金を借り入れるだけの自信に満ちた意欲を欠いていることとの、どちらが重要であるか判断が難しい。日銀の、2002年12月の短観調査によると、「金融機関の貸し出し態度は厳しいか緩いか」という質問に対して、大企業の場合には、「緩い」と答えた企業が「厳しい」とする企業より8%多かったが、中小企業の場合には、逆に「厳しい」という返事が13%多かった。数年あまり変りのないパターンである。2001年の8月に出た、興銀調査部(現みずほ産業調査)の「企業サイドから見た不良債権問題」という報告書ははっきり次のように判断している。

因果関係の方向性について述べるならば、不良債権がデフレを惹起しているのではない。デフレが続いているために、不良債権が増加しているのである-略-『不良債権問題の処理さえ進歩すれば景気も好くなる』と言った考え方は根拠のない思い込みというべきである

不良債権の残高ばかりでなく、年々の処理額と新規発生額の統計を見れば、それを裏付ける材料もある。ともかく、銀行がより健全な状態に戻り、不良債権問題が今のように経済政策の中核問題とされて、デフレ退治がなおざりにされがちな状態から脱却できれば、それに越した事はない。

6.物価上昇に伴って、土地以外のもう1つの重要な資産価格、すなわち株価も上がり気味になる可能性が高い。日本の株式市場は自民党代議士には大関心事であろうが、株屋以外の日本人には背を向けられてしまい、株価はほとんど外資系投資家の出没の動向によって決められている。とは言っても、持ち合い株の多い日本では、株価水準が企業のバランス・シートにかなり影響を及ぼし、従って借り入れを伴う新しい投資をする用意にも影響する。なにしろ、土地価格の変動と違って、株の価格変動は新聞の見出しを毎日賑わすため、景気ムード--景気変動を律する重要な要因である、消費者・生産者の楽観主義・悲観主義のバランス--に対するインパクトが大きい。

7.最後に、実質所得をどうしても切り下げる必要がある場合、インフレ下であれば、それがずっとやりやすくなる。デフレ下で公的年金を切り下げるのは国民ばかりでなく政治家にとっても、痛いことである。企業にとっても、賃金・ボーナスのカットはできれば避けたいものである。インフレだったら、インフレ率以下の賃上げ・年金引き上げ率を与える事は、例の貨幣錯覚のお陰で、抵抗があってもより少ない。

こういう現象は小泉首相のおまじないスローガン、「構造改革」とも大いに関係してくる。「構造改革」は政治家のスローガンとしてはいいかもしれないが、構造改革の2二つの全く違った意味を区別しないと、ちゃんとした議論ができない。1つは規制緩和などが関係してくる、競争政策のあり方、産業への参入条件、株式市場の運営、銀行の国有化、公団の民営化、企業統治をめぐる法的制度など、経済活動を規制して形成する諸制度の構造を変える事である。

もう1つは、技術の変化、市場の変化、オイル・ショックのような相対価格の変化に応じて、産業構造が変化することである。儲けが少なくなった斜陽産業から、将来性のある新しい部門の産業に人的資源・金銭的資源が移っていくプロセスである。

その資源移転のメカニズムには3種類ある。

1.斜陽産業の企業が衰退し、利益も実質賃金も下がり、最後は廃業して、その従業員を外部労働市場に排出する。新鋭部門では新しいベンチャー企業が事業も雇用も拡大していく。

2.農業・繊維産業のように、主として世代交代を通じるメカニズム。老人ばかりが斜陽産業に残って、後継者のはずの若い世代が後継者にならずに新部門に就職する。

3.多角化による企業内での資源移転.従業員の再訓練、配置転換。

いずれの方法も、相対賃金の変動を意味し、損する人も得する人も出てくるので、インフレ下の方が、その調整がしやすい。終身雇用の日本では、第三のメカニズムが他国より大きな役割を果たしてきたし、第二のメカニズムの場合でも、「特定不況産業安定臨時措置法」など社会的・経済的痛みを軽減する政策が取られてきた。しかし、市場志向が益々強くなるにしたがって、第一の外部市場を通じての調整の比重が大きくなるであろう。不良債権を最大の問題と受け止める人達--いわば強硬な市場至上主義者--は容赦なく不振企業を切り捨てる事を主張するが、「痛み」を伴う改革を約束する小泉政権の時代になっても、斜陽産業の斜陽企業に対してさえ、当分生き延びる機会をなるべく与えるべきだとする方に大半の意見が傾くらしい。そうした企業が事業転換に成功するにせよ、死期を延ばしてより安楽な死に方をするにせよ、その方が社会的・経済的損害が少なくてすむと判断する人は、銀行家にも、政治家の中にも多い。その辛うじて生き延びるためのリストラ戦略の場合に必要となる給料カットは、やはり緩慢なインフレの時の方がしやすい。

インフレ恐怖症の背景

通貨の価値・国債の価値を破壊する事は国家としての自殺行為だ。根強く正のインフレ・ターゲットに反対する気運がこれほど強いのはなぜだろうか。戦後のハイパーインフレの記憶が残っているからだという説もあるが、1975年の日本の記憶の方が、現在の経済機構により近いのだからより参考になるはずだ。この時は、オイルショックのお陰で、インフレ率が233%ぐらいにまで上がったが、たった2年でそれを一桁にする事に成功した(同じ程度のインフレに悩んだイギリスの場合、一桁になるまで6年かかった)。

ハイパーインフレになる心配より、むしろ道義的な硬直性の面が強いのではないかと思う。すなわち金融行政・財政の「規律」を破る事は罪であって許されないという考え方である。日銀総裁の速水氏はクリスチャンであるから、融通が効かないという説をクルーグマン氏から聞いた。それはともあれ、彼はインフレ論者を煙たがっているようで、デフレへの戦いに一生懸命にならない。伝統的な金融政策として認められているから、国債買いオペはするが、いわゆる非伝統的手段を検討する姿勢は日銀にも、財務省にも、政治家にもあまり見られないようだ。日銀の場合、インフレ率が2%、金利が4-5%になれば、折角買った国債の価値が半減して、日銀のバランス・シートはひどいものになるから、自己防衛の面もあろう。

しかし、道義問題ばかりではない。階級的利害も大いに入ってくる。金の価値を侵食するインフレを嫌って、金の価値を引き上げてくれるデフレをさほど苦にしないのは、やはりお金を持っている人達である。また、そういう裕福な所得階層はデフレがもたらす失業増加、経済停滞、雇用不安 を直接経験する事もあまりない。 中国から安い輸入品が来ることも、国内競争の激化によって「価格破壊」現象を雑誌がもてはやすようになることも歓迎する。

しかし、日本人は一般に倹約家で貯蓄性向が高く、1400兆円の貯金残高があるのではないか、その金融資産のほとんどが定期預金でインフレに脅かされることは一部の富裕階層だけの心配ではない、という人がいるかもしれない。ところが、その貯金所有の分布は偏っている。貯蓄額上位10%の世帯が貯蓄総額の4割強を保有しているのに対して、貯蓄額下位10%世帯のシェアは1%に満たない(総務省統計局「平成11年全国消費実態調査」)。失業率が上がらない前の1993-97年のデータだが、貯金の増え方と負債の減り方を純額で見たところ、マイナスになる(つまり貯蓄を取り崩している)世帯は20歳代では21%、60歳代では26%だった(松浦克巳「家計調査、諸地区動向調査から見た、家系の貯蓄と消費、分配の動向」、『郵政研究所月報』、2000年8月号)。 なるべく早くデフレが退治され、景気がよくなって、稼ぐ機会が増えることを望んでいるのはそういう層だろうが、裕福な層の人達に比べると、政治家や官僚との行き来が少ない。

デフレ退治の諸手段

「非伝統的手段」が必要となることは明らかである。銀行から国債を買い上げるという方式の、日銀の量的緩和が効き目がないのはもう既に明らかである。マネタリー・ベースを去年25%も増やしたのに、マネー・サプライは僅かしか増えず、銀行の貸し出しが却って5%以上減った。作った金は、ほとんどが市銀の膨らんだ日銀当座預金口座に寝かされている。

同じ金融政策の領域で、「非伝統的手段」とは具体的にどういうものか。よく話題になるのは、日銀が、あるいは日銀から資金を調達して政府が、不動産投資信託や株価指数連動型投資信託を大量に買って、株や土地の値段を上げれば、インフレ期待にも消費者のムードにも有益な影響を与えるという説である。非常に未知な領域で、買い上げる量を設定するのは難しいし(深尾光洋によれば毎月5兆円という。『エコノミスト』2003年2月25日号)、消費者のインフレ期待に影響を与えるメカニズムも、その他の計り知れない経済環境の性格にもよるため未知な点が残るが、今のような国債買いオペよりましであろう。

あるいは同じ量的緩和でも他にも方法はある。ある英国の金融専門家(イングランド銀行の政策委員会の元メンバーだが)は効果の少ない、日銀の国債買いオペの代わりに、政府が市銀から資金を調達して、国債をノンバンクなどから直接買う方がいいと主張する。買った国債を反故にしていいから、買った国債が値打ちを失うという日銀が悩んでいる問題が避けられるし、その方が金の出回りが宜しいという(Tim Congdon,Financial Times,2001年11月19日)。

また、より抜本的な「非伝統的な」対策を、イギリスの経団連に当たるイギリス産業連盟(Confederation of British Industry)の元理事長で、『公正な資本』という非常に面白い本の著者であるアデール・ターナー(Adair Turner)氏が提案している。財政赤字は国債発行で埋めなければならないという、健全財政の基本的な原理を問う人はいないだろう。なぜ基本原理になっているかというと、そうしなければインフレになるからである。ところが、今はインフレを起こすこと自体が目的だからこれは進入すべき「聖域」ではないだろうか。彼は、財政赤字を国債ではなく、政府が支出拡大のため、無利子、償還不能の「空虚債」によって日銀から資金を調達すればいいと言う。金融政策というより、国債残高拡大を避けつつ財政赤字を増やすことによって、いわゆるヘリコプター・マネーを作る方法である(ロンドン日本商工会議所での講演。JCCI Review,no.22Winter 2002)。

財政の基本的な「倫理」に反する提案だろうが、決して倫理的正当性を欠いた提案ではない。米国でも、英国でも、過去3年間成長率を支えた唯一の要因は消費者の消費欲だった。日本も、たとえばターナー流の方法で財政赤字をGDP比7%から10%に上げて、デフレから脱出すれば、消費者が元気を取り戻す結果となるだろう。0から2-3%の成長率に戻るとしよう。失業率も下がって、多くの人の生活水準が上がる。つまりデフレ退治の恩恵を現役の世代の人達が享受する。そのツケを後世に回す道理はないはずだ。貯蓄の価値低下という「インフレ税」を現役の世代が払った方が正しい。そのインフレ税の負担は貯蓄の多い人々に偏るのだが、その点、所得税の累進性と変わらない。

デフレ退治のために財政赤字を増やすといえば、人はすぐ公共投資、誰も住んでいない島への橋の建設を連想する。第一に公共投資も全部無駄なものではなく、まだ建て替えを必要としている学校や病院はかなりあると思う。第二に政府の支出として増やせるのは、公共投資ばかりではない。基礎年金の国庫負担分をいきなり半分やそれ以上にして、景気が本格的に成長軌道に乗ってから徐々に消費税を増やすということも考えられる。

ターナー方式と似たような効果を持つのは、株買い、土地買いが功を奏しない場合の深尾光洋の第二案、「マイナス金利」案である(『エコノミスト』2003年2月25日号)。現在実質金利が2%であるから、彼の言葉を借りれば国民が「無思慮に」預金・現金を保有したがる。そんなに貶さなくても、保有することが個人としては合理的だが、国民全体として、総需要不足の1つの原因となって、皆をわずらわせる病根のデフレを助長していることは確かである。集団の合理性が個人の合理性の総計でないという「合成の誤謬」の1つの例である。その対抗策として「政府が元利金の支払いを保証している、現金、円預金、国債、政府保証債、地方債、郵便貯金、簡易保険などの残高に対して、デフレプラスアルファの税率で課税する」。捕捉しにくい現金の場合、新紙幣発行の手数料として同率の実質課税をするという。20兆円の税収入を確保する副次的効果もあり、家庭の通貨をなるべく「モノ」にするインセンティヴを与えるはずだという。妙案だと思うが、政府がそれを選挙民に売り込むことができるかどうかは大いに疑問だ。今のバラバラの、 供給サイドの構造改革先決論・デフレ退治先決論の混迷した態度ではなくて、デフレ退治を第一の政策目標に捉えて、国民にいかにしてデフレが悪であるか政府が一致して説得しようとしなければ望みはないだろう。

もう1つの「合成の誤謬」は賃金カットである。市場不振、業績悪化への対応として、そして実質賃金の上昇への反応として、賃金コストを削減しようとすることは、各企業の立場からいうと合理的だが、経済全体の観点からみれば、デフレ・スパイラルを加速するだけである。経団連がメンバー企業に呼びかけて、今年の春闘で一斉に3%の賃上げをしようと提案したらどうだろう。それを実行できたとしたら、国内市場で競争している競争相手が全部同じコスト・アップを経験して、その分消費者物価を上げるはずだ。私が、一年半前にそれを雑誌で提案したのだが、実現の可能性を深く信じての論文ではもちろんなかった(「私の『所得政策復活論』、デフレ・スパイラル脱出の処方箋」『中央公論』2001年12月号)。池田勇人のような経済に明るい総理大臣がいて、「日本株式会社」という言い方が通用するほど社会連帯意識が強かった時代だったらまだしもだが。政府自体が、合成の誤謬に陥ることなく、経済全体を「合成的に」考えているはずなのに、やはりフーバー大統領の二の舞を平気でやって、年金までカットするのだから、民間からそのようなイニシアティヴが出ることは考えられない。

もう1つ考えられないことは、日本の労働組合がそうした発想を経団連に起こすだけの力を持つようになることである。金融当局の高官にこの秋会ってデフレ・インフレ論の話をした。彼はこういった「ドーアさんの論文を読んだ時、あんな非常識なことはよく書けたものだと思った。しかし最近やはりそうなってくれたらいいなと思うようになった。ただ、だめなのは、日本の組合なんですよ。もう少し強引に要求を出す組合だったら何とかなるでしょうに」と。

※本論文は『経済理論学会年報』第40集(青木書店,2003年,88~106ページ)に加筆修正したものです。

2003年12月9日

2003年12月9日掲載

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