RIETI政策対談

第4回「東アジア地域戦略における日本の役割」

RIETI政策対談では、政策担当者とRIETIフェローが、日本が取り組むべき重要政策についての現状の検証や今後の課題に対し、深く掘り下げた議論を展開していきます。

アジア経済危機から10年が経過した。危機の前後の大きな変化の1つとして中国とインドのめざましい発展があり、いまやアジア経済の流れが世界的に重要な位置を占めている。第4回対談では、中国の台頭と東アジア地域秩序の変容をテーマに研究を行っている白石隆ファカルティフェロー/政策研究大学院大学副学長と香港、バンコクとアジアの駐在経験が長く、東アジアの産業・通商事情に詳しい経済産業省通商政策局国際経済課の黒田篤郎課長に、今後20~25年くらいのアジアの趨勢をどのように見ているか、中国とインドの発展、経済成長と環境問題、エネルギー問題、アジア経済の安定と米国との関係をどのように考えていくべきなのか等について論じていただいた。

ファカルティフェロー 政策研究大学院大学副学長 白石隆経済産業省通商政策局国際経済課 黒田篤郎

(このインタビューは2007年7月4日に行ったものです)

対談のポイント

  1. アジア経済危機後の経済の変化
    • アジア経済危機後10年間の最大の変化は中国経済の台頭である。その結果、ASEANにも焦りを与え、経済統合が進んだ。ASEANのAFTA(ASEAN自由貿易地域)は2000年頃から急速に進み始め、実質的には域内では自由貿易になっていった。ASEAN全体としては投資効率と経済効率が上がり、日本などの域外からの投資も増加した。また、ASEANの経済統合と並行して、日系企業の生産ネットワークの再編と拡大も進んだ。このため、全体的に見れば域内の経済効率の向上と産業競争力の強化につながっていった。さらに、ASEAN統合が域外に広がっている。2001年にASEANと中国とのFTA交渉が始まった。同様の動きはASEANと韓国、インド、豪州、そして日本とも広がっている。こうした動きと並行して、ASEANの日系企業のネットワークも域外へと拡大している。
  2. 通商政策の変化と日本の役割
    • 日本の通商政策の根本は、GATT/WTO(世界貿易機関)体制の下で自由貿易の利益を享受するという点にあった。WTOの重要性自体は今もゆるがない大きな柱である。しかし、2001年にASEANと中国のFTAの話が始まったあたりから、NAFTA(北米自由貿易協定)やEUの拡大の方向も見つつ、WTO一本主義で大丈夫かというような議論がでてきた。日本でも2001年からシンガポールとのFTA(自由貿易協定)交渉を始め、その前後から通商白書などを通じてWTOという柱に加え、日米関係などバイラテラル、そしてその間にリージョナルのFTAあるいはEPA(経済連携協定)やAPEC(アジア太平洋経済協力)と、いわゆる重層的な通商政策をやっていく方針であると表明していった。いま日本が次にやらなければならないことは、インド、中国、韓国、日本、オーストラリア、ニュージーランドの6つのFTAを統合することである。なぜならば、ASEAN+6、合計16カ国のFTA(CEPEA(東アジア包括的経済連携))が可能になれば、円滑に複数国の間の関税障壁を乗り越えることができるからである。また、もう1つ大事なのは、関税障壁だけでなく、知的財産の保護や、基準認証制度の調和、中小企業を含めた裾野産業の育成や技術人材の育成、物流基盤の整備と効率化、エネルギー・環境問題や地域格差の是正、こういった経済諸問題について、各国の制度を調整し、解決策を提示していくことである。
  3. 東アジア地域戦略の中の中国・インドへの対応
    • 中国については、中国ほどサイズの大きな経済で現在の輸出依存型の経済を継続させることは多方面から見て非常にリスクがある。貿易黒字がたまり、為替を固定させるために介入し、外貨準備を積み上げて、いわゆるグローバルインバランスの片方の端をかついでいるというのが最大の問題。いかにして中国が内需中心の経済成長にソフトランディングしていくか、日本としては省エネルギーの技術移転を行うとか、知的財産権、競争政策を導入するお手伝いをしてあげるといったことをしながら、中国がノーマルな安定成長をしていく経済に次第になっていくということは少なくとも必要。
    • インドとの関係はODAを使いながら、あるいはPFIの手法を使いながら、あるいはJDR(日本型預託証券)といった新しい資金枠組みを使いながら、インフラと制度を作ることが必要。現在、経済産業省ではデリー・ムンバイ産業大動脈構想を進めている。
  4. 政策の道具としてのFTA:FTAという手段をどのように使うか?
    • 今後の道行きを考えると、どのようにアジアのFTAを深め、経済を束ねていくかということと、アジアを超えたFTAをどういうペースで進めていくかということが重要。
    • また、忘れてはならないのがWTOの存在。今回のラウンドは非常につらい状況だが、FTAが広まれば広まるほど、いわゆるスパゲティ・ボウルと呼ばれる面倒臭さが広まってくる。どこかの時点で、ポストドーハラウンドをどうするかというような議論も必要である。その中でたとえば投資ルールの問題のように必ずしもドーハラウンドでは取り上げられなかった分野のルールをどう整備していくかという課題も出る。貿易ルールはこれだけ精密化しているのと相対的に、投資ルールが国によってばらばらで、企業にシワが寄った形になっており、これを仕切るrule of lawが必要。
  5. 今後のアジア経済の趨勢
    • 長期的なことを考えると、光と影がある。中国やインドのような巨大な経済が今のスピードで伸びると、都市化の問題や環境問題、水の問題、それから都市と農村の格差の問題が出てくる。どう安定成長に移行していくか。どう所得再分配システムを作り、中進国に移っていくのか。また、エネルギーや資源や水の問題ついては日本を始め先進国の技術の移転に協力をすることが必要。日本と中国といったバイラテラルではなくて、マルチで、みんなで議論し、協力し、マルチのルールを作り、それに従っていくという方向に変わっていくことが必要。
  6. アジア経済の安定と米国との関係
    • プルラリズムのように、色々な価値観が共存できる国が集まって規律を作り、外に広めていく時期がきている。東アジア地域の経済的安定を、パワー・バランスの観点で考えれば、日米同盟は堅持する必要がある。昨今、日本が中国、ロシアと軍事的にほぼ拮抗できるようにしておいて、このバランスが崩れそうになった時にアメリカが介入するというオフ・ショア・バランシングの考え方が一部で議論されている。このような議論が出てくること自身、良くない傾向にある。アメリカにとってアジア地域はバイタルな利益があり、そのバイタルな利益というのは、単に安全保障上の利益ではなく、まさにアメリカの繁栄にかかわる利益なのだという仕掛けがそろそろ必要。

アジア経済危機後の経済の変化

白石:
アジア経済危機から10年が経ちました。振り返って、アジア経済において、危機前と危機後では何が大きく変わったのかということから、まずお話しいただけますか。

黒田:
第1に、この10年間での最大の変化というのは言うまでもなく中国経済の台頭です。私は1998年から3年間香港に駐在しました。99年にWTOの米中合意があり、そのころからがらっと雰囲気が変わって、世界の投資が中国、特に華南に集中していくさまを現場で目撃しました。当時のASEANにとってはアジア危機直後だっただけに非常に大きな焦りだっただろうと思います。

第2に、その結果としてASEANの経済統合が本気で進んだということです。ASEANのAFTAは1993年にスタートしましたが、その後なかなか進みませんでした。それがアジア危機を経て、中国の台頭を見て、急に進み始めたのが2000年位からだったと思います。私がバンコクに駐在を始めた2003年には、先進ASEAN6カ国では既に、すべての品目について0~5%までの関税になっており、実質的には域内では自由貿易になっていました。これは非常に大きい変化であったと思います。その結果、域内にも勝ち組と負け組が出たのですが、ASEAN全体としては投資効率が上がり、経済効率が上がり、そして日本など域外からの投資も増加しました。むろん中国とは投資受入れ額では依然大きな差はありますが、一定の効果があったと思います。

第3は、ASEANの経済統合と並行して、日系企業の生産ネットワークの再編と拡大が進んだということです。特にこの10年で見ると再編の方が大きいと思いますが、昔はそれぞれの国にある関税の障壁の中で、それぞれに家電工場なり自動車工場があるという形だったのが、随分再編が進みました。特に私の居たタイあるいはインドネシアにはASEAN域内の自動車の組立工場が集約されていきました。家電などは非常にドラスティックな変化があり、たとえばフィリピンのテレビ工場は2001年時点では12工場あったのが、2004年には3工場に減りました。ほとんどマレーシアやタイからの輸入に切りかわっているんです。そういう意味では域内統合による影の部分というのも確かにありますが、全体的に見れば光に、つまり域内の経済効率の向上、産業競争力の強化につながっています。

第4は、このASEAN統合がさらに域外に広がったことです。ASEANの域内貿易比率の数字を見ていると、ある程度までは上がっていくのですが、23%ぐらいになるとそれ以上上がらなくなっているんです。多分ASEANの人たちもこれを見て、これはなぜだろうかと考えたのだと思います。EUやNAFTAは域内貿易比率がずっと上がっているのになぜASEANは天井に張りついたのかと。それはやはり域内に最終市場がないからだということに気づいて、では今度はASEAN域外圏とのFTAだと考え始めたのだと思います。2000年の秋に非常にタイミングよく中国の朱鎔基首相が、ASEANにFTAをやらないかと持ちかけた。私は当時香港にいたのですが、その時は何と無神経な人たちだろうと驚きました。中国を脅威に思っているASEANに対して、お互いに関税を撤廃しようなどという提案をASEANがのむわけないじゃないかとその時は思ったのですが、1年後の2001年にはASEANはイエスと言って交渉が始まりました。同様の動きはASEANと韓国、インド、豪州、そして日本とも広がっています。ところでこうした動きと並行して、ASEANの日系企業のネットワークも域外へと拡大しています。たとえばトヨタがアジア危機でASEAN域内の需要が急激に縮小したのに伴い、それまで日本から輸出していたオーストラリアの市場をASEANの工場から出すようにする。あるいは拡大してきたインドの市場に、ASEANから入る。こうした流れで現在多くの企業がシンガポールの統括拠点でインド、オーストラリアを見るというスタイルになりつつあります。シンガポールの地域統括拠点のヘッドの人に会いたいとアポを申し込むと「今インドに出張しています」と言われることが非常に多い。ASEANのネットワークが西はインド、南は豪州、東は中国とだんだん連結をし始めているという意味で、ASEAN域内、ASEAN域外ともに経済統合の制度的な面と企業ネットワークの拡大が相互作用で進んでいる。以上4点がこの10年の大きな変化にといえると思います。

通商政策の変化と日本の役割

白石:
今になって振り返ってみると、たとえば1990年前後、つまりEAEG(東アジア経済グループ)、APEC等が議論されていた時には、アメリカ政府、特にジム・ベーカー国務長官が東アジアだけのグループを作ることに対して非常な警戒感をもっていた。ただその時の警戒は、そういうものを許すと中国中心の秩序になるのではないかということではなく、日本が大東亜共栄圏パート2のようなものを作るのではないかという警戒感だった。日本政府の人たちには、もちろんそれがわかっていた。だから、マーケットに任せて、その流れに乗っていれば、やがてそういうものができるだろう、そういうように判断していたとわたしは考えております。しかし、これは97年頃からはっきりと変わっていった。経済産業省でいえば、その意味で1990年代末は通商政策そのものの大きい転換期であった。わたしとしてはそう見ておりますが、振り返ってみて、どういう節目、節目に、どういう要因によって通商政策が転換していったとお感じでしょうか?

黒田:
ご存知のように、日本の通商政策の根本は、GATT、その後のWTO体制の下で自由貿易の利益を享受するというところに長らくありました。WTOの重要性自体は今もゆるがない大きな柱なわけです。他方、先程申し上げたように2001年にASEANと中国のFTAの話が始まったあたりから、NAFTAやEUの拡大の方向もみつつ、WTO一本主義で大丈夫かというような議論があって、それで我が日本も2001年からシンガポールとのFTA交渉を始めるわけですけれども、その前後から通商白書などを通じて、WTOという柱に加え、日米関係などバイラテラル、そしてその間にリージョナルのFTAあるいはEPAやAPECと、いわゆる重層的な通商政策をやっていく方針であると表明していきます。グローバル化する経済と日本企業の国際活動を捉えると、WTOの1本足ではなくて3本足で考えていく必要がある、ということでしょうか。そういう変化が21世紀に入ってから起こってきたということではないかと思います。その第一号としてシンガポールとのFTAが2001年から交渉を開始して2002年末に発効しています。

ところでご存知のように、ASEANとのFTAはシンガポールとマレーシアが発効済みでありまして、フィリピン、タイ、ブルネイとは署名済み。インドネシアとも大筋合意しています。つまり先進ASEANの6カ国とはすべて発効ないしもう発効直前まで来ている状態です。あとベトナムなどと交渉していまして、さらに日本とASEAN全体との面的なFTAについても先般5月に大枠合意をして、年内に何とか仕上げようとして交渉を急いでいます。なぜこれをやるかというと、日本とたとえばマレーシアとタイと、この3つの地点の部品を合わせてつくるようなものについての自由貿易を担保する場合に必要なわけです。

ASEAN側から見ると、冒頭の4点目で述べたところですが、近隣する域外国である中、韓、日、印、豪、NZとのFTAがまもなく出来上がります。地図に描いてみると、ちょうどASEANを扇の要にして、左からインド、中国、韓国、日本、ちょっと南に下がってオーストラリア、ニュージーランド、このASEANと6カ国それぞれのFTAが、恐らく今年中にほぼ仕上がるということであります。

今、我々が次の段階としてやらなければならないと思っていることは、この6つのFTAを統合することです。これはなぜかというと、たとえば今、日本で液晶パネルをつくり、韓国の半導体を持ってきて、中国から電子部品を持ってきて、これをマレーシアで、あるいはタイでテレビを組み立てるとします。これをインドに送る。というような商売が非常に盛んになっているものですから、これを自由貿易で行うためには、原産地ルールの関係もあって、今のバラバラなFTAがあるだけでは免税措置が維持できないのです。そこをASEAN+6、合計16カ国のFTA、これを我々はCEPEA(東アジア包括的経済連携)と呼んでおり、16カ国の民間ベースによるスタディが始まっておりますが、これが可能になれば、非常に円滑に複数国の間の関税障壁を乗り越えることができるわけです。

それから、もう1つ大事なのは、関税障壁だけでなく、知的財産の保護や、基準認証制度の調和、中小企業を含めた裾野産業の育成や技術人材の育成、物流基盤の整備と効率化、エネルギー・環境問題や地域格差の是正、こういった経済諸問題について、各国の制度を調整し、解決策を提示していくことです。地域経済の真の結合と繁栄を考えるならば、貿易投資の自由化だけではうまくいかないことがたくさんあるわけです。たとえば私がタイにいた時は、日本とタイが一緒になって、タイの自動車産業の人材の育成、技術人材の育成の取り組み等をしましたが、そういうバイラテラルな協力ももちろん必要ですが、それをできればASEANの中で内在的に、継続的に知恵出しが出来るような仕組みを作れないかということで、今私どもが提案をして準備中なのが、ERIA (ASEAN・東アジア経済研究センター)です。これは白石先生が所長に就任されたアジア経済研究所にもお世話になって、日本が拠出をし、ASEAN・東アジア地域の中核シンクタンクとして設立することを準備中です。貿易投資自由化という、いわば欧米流のアプローチのみならず、この格差の大きい、制度調和のとれていないアジアでは協力アプローチという、いわばアジア型アプローチも大事だと思います。これはAPECの時代からある発想ですけれども、それをややさらに進化させたような形で、知恵出しの機関をつくろうとしているんですね。このCEPEAとERIAの2つが今ASEANに関しては大事だと思っています。

東アジア地域戦略の中の中国・インドへの対応

黒田:
黒田篤郎経済産業省通商政策局国際経済課長 さらに日本政府の東アジアエリア全体についての政策としては、やはり中国とインドそれぞれとの関係が大事です。

中国については、これは日本が中国をどうするかというのはやや無理なところがあって、むしろ中国自身がどうなるかということになるわけですが、今最大の問題はやはり投資と輸出に過度に依存した経済成長がいつまで続くのかということです。今、中国の投資の対GDP比率というのは53%で、日本は今24%、アメリカは16%。日本でも高度成長期は投資指導型成長で、1973年がピークなんですけれども、それでも38%なんです。中国はやはり異様な投資依存型成長なのです。それから輸出ですが、今、中国のGDP分の輸出比率は37%、日本は16%、アメリカは11%なんです。ASEANの一部の国ではマレーシアのように50%を超えている国もありますが、やはり中国ほどサイズのでかい経済でこれだけの輸出依存というのは非常にリスキーであるということです。この結果、貿易黒字がたまり、為替を固定させるために介入し、外貨準備を積み上げて、いわゆるグローバルインバランスの片方の端をかついでいるというのが今の最大の問題です。いかにして中国が内需中心の経済成長にソフトランディングしていくか、そして日本は隣の国ですから、これをうまくコントロールしていって欲しい。たとえばこの投資依存の経済成長から出てくる1つの問題として、エネルギーが足りない、環境を破壊するという問題がありますから、日本は省エネルギーの技術移転を行うとか、知的財産権、競争政策を導入するお手伝いをしてあげるといったことをしながら、中国がノーマルな安定成長をしていく経済に次第になっていくということは少なくとも必要だろうと考えています。

それから、もう1つはインドとの関係です。インドではまだまだ日本の存在感は少ないのですが、最近の新しい動きとして、先日、経産大臣も訪印されて言っておられましたけれども、インドに、日本の太平洋ベルト工業地帯のようなものを作るインフラ整備のお手伝いを日本がしようという計画が進んでいます。インドにおいて、日本でいえば東京から北九州に当たる道筋に、貨物新線を引き道路や発電所を作り、海沿いに港を作り、たくさんの工業団地が並ぶようなインフラをつくろうという構想です。

これはデリー・ムンバイ産業大動脈構想と言われています。インドでは市場が急成長しているため、工場をつくりたいが工業団地すらちゃんとないし、工業団地があっても、物を運ぶインフラが非常に弱いわけです。我々はタイでは成功体験があり、バンコクの東南に東部臨海工業団地を作り、高速道路と鉄道と、空港と港をつくり、そうするとそこに日系の自動車産業が、裾野産業含めて立地をして、タイの最大の産業団地が根づき、今やアジア有数の自動車輸出拠点として花開いているのです。

そこまで成功するかどうかはともかくとして、ODAを使いながら、あるいはPFIの手法を使いながら、あるいはJDRといった新しい資金枠組みを使いながら、インフラをつくる。インド政府も珍しく外国からそういう協力の手が差し伸べられていることを、非常に素直に受け入れて、一緒にやりましょうということになっています。このように今我々はインドの問題にインフラと制度の問題から入ろうとしているところです。

政策の道具としてのFTA:FTAという手段をどのように使うのか?

白石:
この5-6年、FTAというpolicy instrumentは経済連携を進める上で非常に有効だった。しかし、そうした有効性はこれから次第に落ちてくる。ではこれから先、どうすればよいのか。どの位の時間の幅で考えるかにもよると思いますが、2030年ぐらいまで、20-25年くらいの時間の幅で考えた時、わが国としては基本的には何を大きな目的として、どういう分野で、どういうことをやったらいいだろうか、という問題があるように思います。これについてはおよそどう考えておられますか。

黒田:
まず、政策手段としてのFTAの先が大体みえてきているというお話については、正確に言わせていただくと、一番の手近なアジアでのEPAの交渉が大体終わっているという中で、EPAを使うのはほぼこれからになります。そして実際に使うとなると、非常に実務的な問題がたくさんあります。たとえば原産地規則をどうするか、その認証をどうするのかといった話を含めて、放っておくと、EPAを作ったけれどもだれも使わないということにもなりかねない。FTAを使わないで通常の貿易をすることももちろんできるわけですから。ですからまず使いでをよくして、使ってもらうこと。それから多くのEPA交渉に宿題が随分残っています。たとえば私の関わったタイの関係でも人の移動については2年後に再交渉ということになっています。人の移動についても農業についても国内の構造も年々変わってきますから、シンガポールでは既に再交渉しましたけれども、そういう再交渉による深堀りというのが今後どんどん進んできて、よりASEANとの制度的な経済統合が深まっていくということはまず少なくともあると思います。

それに加えて、これらのFTAを全部束ねてしまうという東アジアFTA、さらにAPEC・FTAという話もありますが、これも長いスパンで考えれば、だんだんできていくはずです。他方、ここへきて必死で考えなければいけないと思っているのは、アジアではなくて、大市場国とのFTAであって、まず豪州、それから次にEU、そしてアメリカとのFTAをどう考えるか、これは経済界から非常に強い要望が来ています。先ほどASEANには最終需要がないと言いましたが、正確に言うと東アジアにも最終需要のすべてがなくて、最終需要はやはりアメリカとヨーロッパにあるわけです。アメリカやEUとつながらない限り、FTAの限りない道は終わらない。そこをどうするかという問題は非常に大きいと思います。ですから、2030年まではいかないかもしれませんが、今後の道行きを考えると、どのようにアジアのFTAを深め、束ねていくかということと、アジアを超えたFTAをどういうペースで進めていくかということが1つあると思います。

また、忘れてはならないのがWTOです。今回のラウンドは非常につらい状況になっておりますけれども、これまで10年に1回は必ずラウンドをやってきた歴史があります。FTAが広まれば広まるほど、いわゆるスパゲティ・ボウルと呼ばれる面倒臭ささが広まってくるわけです。するとどこかの時点で、ポストドーハをどうするかというような議論もされていくだろうと思います。

その中でたとえば投資ルールの問題のように必ずしもドーハラウンドでは取り上げられなかった分野のルールをどう整備していくかという課題も出てきます。貿易ルールはこれだけ精密化しているのと相対的に、投資ルールが国によってばらばらで、企業にシワが寄った形になっていますから、これを仕切るrule of lawが必要です。

そういう風にルールができ上がっていく中で、日系企業はよりグローバルな活動を強めていくのだと思うのですが、ただ、やはり東アジアというのはここ数十年を考えれば、日本企業にとっては重要な生産拠点ではありますし、それから世界の人口の半分を担う重要な市場です。要するに一番近いところに一番大きい市場があるというのは、日系企業にとっては天佑です。そういう意味では東アジアを中心に企業活動が発展していく。それが円滑にいくような通商上の政策を次々に打っていくことが我々の仕事だと思っています。

白石隆FFと黒田篤郎課長

今後のアジア経済の趨勢

白石:
これからのアジアの趨勢をどう見ておられますか。今、黒田さんの言われたことには私も全く同感です。当分はアジアが世界の成長センターであることはほぼ間違いないと思いますし、20-25年くらいの幅で考えれば、インドまで含めたアジアのマーケット規模は30%後半ぐらいまでは世界市場シェアの中で上がっていくと思います。では日本はどうすればよいのか。いろいろな制約条件がありますが、日本はなにをやっていけばいいのか。

それから、もう1つ伺いたいことは、その政治的インプリケーションです。中国が経済的に台頭し、政治的にもますます力を持つようになった。インドも同じです。そうなると、日本にとっては都合のよくないことも起こり得るわけです。そういう可能性をできるだけ小さくするために、日本としてなにをすればよいのか。なにはしてはならないのか。

黒田:
長期的なことを考えると、光と影があるわけで、特にやはり中国やインドのような巨大な経済が今のスピードで伸びると、どこかで壁にぶち当たるのが必然です。ちょうど日本が1970年代にぶつかった都市化の問題とか環境問題とか水の問題だとか、それから都市と農村の格差の問題というのが出てくるわけですね。そうなると、公害防止、環境保護のためにコストを払う、水のためにコストを払う、あるいは格差是正のために所得再分配強化をする。そうすると、全体としては、生産性や成長率は、都市だけの場合よりも水準が下がってくる。そういう形で、高度成長の時代から安定成長の時代に日本は移ってきたわけです。もちろん国の事情も経済の規模も違いますから、全く同じパターンになるとは思いませんが、やはり今、制約が出てきている諸問題に照らしてみると、少なくとも国内的には問題が出ているし、世界的に見てもエネルギーの有限性の問題、それからCO2の歳出削減の問題もあります。これもどういうスキームに今後なっていくかによりますけれども、中国やインドほどの規模になれば、世界の成長、制約との関係でもやっぱり必ず限界が出てくる。ですから、成長率は下がっていかざるを得ない。その中でどう安定成長に移行していくか。失業者が増えて社会的に不安定になるのは困りますから、どう所得再分配システムを作り、中進国に移っていくのかということ。また、エネルギーや資源や水の問題というのは、これは技術的にいろいろ手当てができる面がありますから、それについては日本を始め先進国の技術の移転に協力をすることが必要です。我々にとっても大事なことだと思います。そういう意味ではより東アジア全体でいよいよ真剣に連携せざるを得なくなってくるということだとも思います。

それから、2点目の中国、インドが日本にとって都合の悪いことをしませんか? ということについては、先のことはわかりませんが、しかしやはり今の中国とインドと、10年後、20年後の中国とインドは、サイズも違いますけれども、持っている悩みという意味では非常に我々と共有するところが出てくるはずですから、そういう意味で、いろいろな協力によってそれを一緒にシェアをして解決していく仲間という面も同時に強まってくると思います。ですからともに東アジアの発展制約の解決をしていく中で、協力関係を強めていくということではないかと思います。

もう1つの視点は、日本と中国といったバイラテラルではなくて、マルチで、みんなで議論し、協力し、マルチのルールを作り、それに従っていくという方向に変わっていくということです。東アジアワイドのFTAの話をしているのは、1つはそういうことですし、さらにAPECがあり、また、先ほど申し上げたERIAというのも、東アジアがみんなで課題解決をしていこうという組織ですから、そうした仕組みを通じて、円滑に東アジアの発展につなげていこうということだと思います。

アジア経済の安定と米国との関係

白石:
世界銀行がこの春に出した東アジアの都市化についてのレポートを見ると、2030年になると、東アジアの人口の約3分の2は都市に住むようになる。中国の場合、現在、都市化率は37―8%ぐらいだと思いますが、それが60%を超える。東南アジアの場合はもっと高くなる。タイ、ベトナムあたりは50%以下にとどまりますが、マレーシア、インドネシア、フィリピンなどは65-85%くらいになる。それがどういう政治的意味をもつか。これはかなりはっきりしている。今は都市と農村の対立が非常に重要です。しかし、2030年までには、それ以上に、実は都市の中の所得格差、階級格差が政治的問題となる。ではどうすればよいのか。都市化にどう対応して、どう雇用をつくっていくのか。中国の場合は、毎年、どれくらいの人が労働市場に入ってくるのか、これは農業における雇用創出の問題をどう考えるかで数字が変わってくるんだと思いますが、少なくとも毎年1000万ぐらいは雇用をつくらなければならない。これが2030年ぐらいまでずっと続く。そしてこれが今と同様、中国の場合、国内政治的に最大の課題であり続ける。その意味でインバランスといった時に、良いシナリオだと、経済成長で雇用を創出して、社会危機をうまく回避して、あるいはなんとかだましだまししながら、格差是正になるような所得移転を行い、もう少し平等な社会を作ると同時に、環境制約だとか、資源制約の問題についても国内的、国際的になんとかやっていく。悪いシナリオというのは十分な雇用を創出するだけの経済成長が環境制約、資源制約の問題でできなくなる。しかし、それを放置すると、社会危機が進行し、いずれは政治もおかしくなる。それは困る、ということで、なりふり構わず成長に突っ走る。そうすると資源外交でとんでもないことをやる、あるいは環境問題を無視して汚染物質を垂れ流し、東シナ海が汚染されてしまう、そういうかたちで非常に困った事態を生む恐れもある。それにどう対応するか。黒田さんの言っておられることは、1つは共同利益を見つけていって、そこでできることを一緒にやる。もう1つは、規範に従って行動しましょうということだろうと思います。そしてこれはまさにその通りであって、わたしとしては、地域的に東アジア共同体構築ということで実際にやっているのは、規範づくり、ルールづくりであって、お互いに合意できるルールをつくってお互いを縛るということだと思います。地域的にもグローバルにもこういうところではまだ随分やる余地があるように思いますが、日本としてはどういう分野でどうリーダーシップをとっていくのがよいと考えておられますか。

黒田:
まず、グローバルなルールメイキングにいく前にAPECという枠組みがあって、そこにはアメリカとロシアまでが入っている。WTOと違って、義務の世界ではなくて、協力の世界あるいは自主的な世界ですが、それでも1つの形だと思います。APECの上になると、WTOなり国連の世界になりますが、そういうグローバルなルールメイキングの世界の問題として、今のドーハラウンドにみられるように難しい局面に来ていると思います。WTOというのは紛争処理の機関としては非常にうまく回っていますけれども、新しいルール、ルールメイキングに関して必ずしもうまくいっていない。

方向性としてあり得るのは、プルラリズムのように、色々な価値観が共存できる国が集まって規律を作り、外に広めていこうという考えです。たとえばOECDというのは先進国も含めて、30カ国が集まっていますから、そういったものに近いわけです。さまざまなルールやガイドラインについてOECDで議論をして、それに新興工業国を加えていったらどうかといった議論があります。しかし先ほど申し上げた投資ルールの分野で、OECDはMAI(多国間投資協定)という投資ルールの形成に失敗した歴史もありますから、有志が集まったからといって必ずしもうまくいく保障はない。しかしそれでも世界経済に責任を持つライク・マインドなステークホルダー・カントリーが中心となって、世界経済の責任分担について考えていかなければならない時期がきていると思います。

白石:
APECの話ですが、APECを再活性化しなければならないということはこの数年随分言われており、私もそのとおりだと思います。東アジア地域の安定を、パワー・バランスの観点から考えれば、日米同盟は堅持する必要があります。しかし、米国では、最近、日本が中国、ロシアと軍事的に拮抗できるようにしておいて、このバランスが崩れそうになった時、アメリカとしては介入すればよいというオフ・ショア・バランシングの考え方がずいぶん議論されるようになっております。私はこれがすぐ現実になるとはもちろん思いませんが、こういう議論が出てくること自身を心配しています。私としてはアメリカはアジアにおいて死活的な利益をもっている、その利益というのは、安全保障上の利益だけではなく、まさにアメリカの繁栄にかかわる利益である、そういう仕掛けがそろそろ必要なのではないかと思います。そのためには少なくとも2つのことをきちんと考えておかなければならない。1つは日米のFTA、それからもう1つはAPECの活性化です。次の機会にはこういう問題についてもお話できればと思います。今日はどうもありがとうございました。

取材・構成/RIETIウェブ編集部 谷本桐子 2007年7月30日

2007年7月30日掲載