中島厚志のフェローに聞く

第7回「日本人高齢者の家計行動は利己主義モデル-家計経済学・労働経済学からみた日中の少子高齢化-」

本シリーズは、RIETI理事長中島厚志が研究内容や成果、今後の課題などについてRIETIフェローにたずねます。

シリーズ第7回目は、中国出身で家計経済学・労働経済学が専門の殷 婷研究員を迎えて、中国と日本の貯蓄行動や婚姻行動のお話などについて聞きました。

中島 厚志理事長 写真中島 厚志 (理事長):
日本では少子高齢化が非常に進んでいます。殷さんは家計経済学、労働経済学などが専門で中国の状況も研究していますが、日中の少子高齢化をどう見ていますか。

殷 婷研究員 写真殷 婷 (研究員):
日本では世界でも類を見ないほど少子高齢化が進んでいて、それがさまざまな経済活動に影響を与えています。たとえば、年金制度を含む社会保障制度や、介護サービス産業の拡大に伴う人材不足といった問題が深刻になりつつあります。一方、隣国であり、なおかつ日本最大の貿易相手国である中国でも、地域によっては既に少子高齢化時代に突入しつつあり、日本以上に深刻かつ複雑な状況に直面しています。これは、中国語では「未富先老(wei fu xian lao)」という言葉で表されます。日本とは違い、中国は豊かになる前に高齢化が進むという意味です。

その中で私が関心を持って分析対象としているのは、社会の基本的な単位としての家計です。日本の場合、高齢者の再就職の促進方法や介護サービス産業の人材不足、介護サービス産業のあり方についてよく議論されています。また、来年から相続税の最高税率が50%から55%へ引き上げられることが確定しています。そういった背景を踏まえた上で、家計行動を経済的な観点から分析する必要があると思っています。

家計行動に関する3つの理論モデル

中島:
今、日本と中国では相続税率が高くなることや、高齢者が再就職して働かなくてはいけないという特徴的なお話が出てきましたがが、ご専門の立場から見て日本や中国の高齢者の家計行動にはどのような特徴があるのかもっと詳しく教えてください。

殷:
日本と中国は、もともとアメリカなどと比べるとはるかに文化的に近いという特徴があります。まず、家計経済学では、家計行動に関して主に3つの理論モデルがあります。

3つの理論モデルとは、利己主義モデル、利他主義モデル、王朝モデルで、全て名前どおりの意味です。利己主義モデルは、資産を遺さないで、基本的には全て自分で使いたい。ただ、寿命は予測できないので、余った場合のみ子供に渡す。あるいは老後、子供に介護や世話をしてもらうという交換動機が成り立った場合のみ資産を遺すというモデルです。

一方、利他主義モデルはそれとは逆で、世代間に愛情が存在していると仮定していて、親は子供を愛しているので、自分の老後に何の関心を持ってくれなくても全て遺してあげるというモデルです。

王朝モデルは自営業者の場合がほとんどです。自分の子供に自分の家あるいは家業を引き継いでほしい家庭で、家あるいは家業を引き継いでくれた子供にのみ資産を遺すというモデルです。この3つのモデルを前提として、私は主に日本とアメリカと中国の3カ国の家計行動を比較する研究をしてきました。

中島:
どのような結果でしたか。

殷:
アメリカにはまだそんなに力を入れていないのですが、主に日本と中国のデータを使って分析した結果、日本人は利己主義モデルであるという先行研究とほぼ一致した結果が得られました。

中島:
利己主義ですか。利他主義だと思っていましたが。

殷:
はい。とても意外ですよね。アメリカ人は利他的主義に基づいて行動するという結論が出て、これも先行研究と一致していました。

中島:
そうすると、中国は日本に近いということは、中国も日本と同じ利己主義モデルなのですか。

殷:
そうです。中国の場合は、そもそも遺産の観点から分析した経済学の論文は、私の知る限りではないのですが、私の研究からは利己主義モデルになりました。

中島:
日本と中国が利己主義モデルに近い、アメリカが利他主義モデルに近いということは、どう解釈すればいいですか。

殷:
解釈として大きいのは、社会規範や文化の違いです。日本と中国は、割と世間の目を気にして、親は老後子供に世話や介護をしてもらいたいと考えますし、子供はそうしないと親孝行をしていないと見られるという交換動機が存在しています。アメリカ人は、宗教などの影響が大きいと思いますが、自分の子供に資産を遺すだけではなく、助けを求める人に手をさしのべる社会であると解釈できるのではないかと思っています。

老後の貯蓄行動

中島:
10年ほど前に、日本の高齢者の遺産動機は王朝モデルなのではないかといわれたことがありました。欧米では、引退するまで働いてお金を貯めて、引退後は年金と一緒に貯めたお金も使いながら生活するというのが、一般的な貯蓄行動といわれています。しかし、日本の場合は、引退後も貯蓄が増えていくのです。それが欧米の見方からすると理屈に合わないということで、日本は自分の生活よりも家の存続が第一という王朝モデルなのではないかと説明されてきたのですが、今のお話に照らすとどう捉えればよいのでしょうか。

殷:
それはあり得ると思いますし、しかも、まともな結果だと思います。なぜかというと、そもそも王朝モデルを3つ目のモデルとして取り上げて分析する方法以外に、もう1つ、王朝モデルを利己主義モデルの1つとして分類する見方もあります。家を遺せば一緒に住んで面倒を見てもらえるということで、それは交換動機でもあるからです。

中島:
なるほど。利己主義モデルの一分類と考えれば説明はつきますね。中国はどうですか。

殷:
実は私は遺産動機のタイプの違いによって老後の貯蓄行動を見るという論文も書いています。結論は、中国でも、引退後も貯蓄が増えているのです。

ライフ・サイクル・モデルに従うと、高齢になってリタイアした後は貯金を取り崩しながら暮らすのが一般的なのです。これは王朝モデルの影響もあると思いますが、中国では今、不動産が非常に高騰しているので、本当に家が大事なのです。

中島:
家というのは、家庭のファミリーではなく、不動産のホームのことですか。

殷:
そうです。固定資産の意味です。田舎の方は、もしかしたらまだファミリーのイメージが強いかもしれませんが。

中島:
そこまで日本と中国は似ているのですか。興味深いですね。

殷:
日本では、来年から相続税が引き上げられます。そうなると、遺産ではなく生前贈与で子孫に引き継ぐという形に人々の行動が変わる可能性もあります。

中島:
しかし、生前贈与が増えるというのは、どのモデルにもあてはまるのではないですか。

殷:
そうなのですが、生前贈与も3つのモデルを使って区別できます。

たとえば、生前贈与の1つの形として教育投資を考えてみると、老後は良い生活を送りたいので、今、必死に子供に教育投資をして、子供が良い職に就けば将来は恩返ししてもらうというのは、利己主義モデルです。利他主義モデルでは、子供を愛しているので最大限の教育投資をします。

中島:
しかし、そうなると、どのモデルでも同じことが説明できてしまうということになりませんか。

殷:
そこは厳密な計量経済学の手法を使って、コントロールすべき要素をきちんとコントロールした上で識別しなければいけません。もちろんデータの制限もあって識別できない場合もありますので、そういう場合はまた工夫が必要になります。

中島:
今後はそのような研究をやりたいと思われているのですか。

殷:
はい、やりたいと思っていますし、既に先月スタートしたRIETIの2年間の研究プロジェクトの一部になっています。

中島:
大変興味深い研究をされていますが、殷さんはなぜこの分野に関心を持ったのですか。

殷:
私は、上海の大学でビジネス日本語と経済学の両方を勉強しました。卒業後、JETROの上海センターに就職したのですが、そこで初めて経済理論や経済分析をされている研究者や、最前線で活躍されている実務家と交流することができました。仕事を通じて雇用制度や社会保障制度、特に男女間の格差についてとても関心を持つようになり、体系的に勉強しようと考えて日本に留学しました。大学院生になって、日々の勉強を通じて自分が将来研究したい内容が、ますます具体的になりました。

当時は高齢者の行動を見ようと考えていて、その1つの大きな切り口として遺産を見なければいけないと思いました。特に中国と日本は、アメリカに比べて高齢者が資産を遺そうという考えが強いのです。ところが、遺産に関する英語の論文をあまり見かけなかったので、私は中国にいる母親に頼んで、書店で中国版の先行研究の本を探してもらいました。結局、私の要望にぴったり合う経済学の本はなかったようでした。母は冗談で「その空白はあなたが将来頑張って書いて」と言ったのですが、私はそれを励みにこれまで遺産動機の研究をしてきました。

中国における婚姻行動の特徴

中島 厚志理事長 写真中島:
殷さんは労働経済学的な面からも中国についてさまざまな研究をされていて、最近は特別な婚姻行動があるという研究成果を発表していますね。

殷 婷研究員 写真殷:
はい。私はこれまで主に高齢化問題について研究してきましたが、やはり少子化と高齢化は一体化したもので、分けて分析するのはどうも何かが足りない気がしていました。そこで、RIETIのSpecial Reportにもまとめましたが、中国北京市の婚姻登録業務データを検証しています。このデータは合計170万組の夫婦の婚姻情報が集計されている膨大なデータです。現段階では単に結婚行動について検証しただけなのですが、今後、主な関心の1つとして、中国独特の戸籍制度が結婚行動に与える影響について研究したいと考えています。

中島:
中国独特の戸籍制度とは、どのような制度なのですか。

殷:
日本の戸籍制度と中国の戸籍制度には根本的な違いがあります。中国の戸籍は国籍の感覚に近く農村戸籍と都市戸籍があり、社会保障や教育など、さまざまな面で不平等が生じているのです。そのため、つい最近、中国政府は戸籍制度改革を行うことを決め、2020年までに全ての戸籍を都市戸籍に統一するという方向を発表しました。

中島:
その戸籍制度に結婚行動が影響されているのですか。

殷:
研究結果によると、戸籍制度と結婚行動には正の相関があることが分かりました。つまり、都市戸籍を持っている人は結婚市場で優位で、より結婚しやすいのです。学歴も同じで、中国も既に超学歴社会に突入しているので、学歴が高ければ高いほど結婚しやすくなるという結果でした。

中島:
それは男女ともですか。

殷:
そうです。男女ともです。

また、結婚パターンを見ると、最終学歴が同じであるカップルの割合が、半分以上を占めています。これは結婚経済学では同類婚と呼ばれています。似た者同士ということです。

同類婚が中国の主な結婚パターンとなっている中で今問題になっているのは、農村部では嫁不足で、都市部では高学歴や高所得の女性の未婚率の上昇です。女性は自分より格下の人と結婚したくないという伝統的な考え方で自分の結婚行動を決めているので、都市部で高学歴や高所得の女性が余ってしまっているのです。

中島:
それは、逆に見れば、農村部の男性は余ってしまっているのだけれども、農村部の男性と都市部の女性が結婚する割合は少ないということですか。

殷:
はい、少ないです。女性は、自分と同じかあるいは自分よりも優秀な人と結婚したいと考えています。しかも、そもそも農村部では男児を産むことを好む風潮があって、男性の割合が女性よりも高いのです。

その中で、男女とも都市戸籍のカップルの割合は、学歴が同じカップルの割合と同様、半分以上になっているのです。もっとも、近年の傾向を見るとその割合がだんだん下がっているのですが、それは夫が都市戸籍で妻が都市戸籍ではないパターンが増えていることで生じており、逆のパターンはあまり増えていません。

中島:
ということは、都市では結婚しない女性が随分増えているのですか。

殷:
結婚しないか、同類婚の傾向が強くなっています。このようなデータからもわれわれの推定からも、現在の中国の問題が確認できたと考えています。

中島:
日本についてはどうですか。

殷:
まずは今手元にあるデータを生かして中国について分析して、将来的には研究プロジェクトの1つの目標としては、結婚行動を分析する際によく使われている厚生労働省の人口動態統計調査などのデータを使って日本でも似た分析をすると、何らかの政策的インプリケーションが出てくるかなと思っています。

中島:
とても面白い研究ですが、今はどんなプロジェクトをRIETIでやろうとしているのですか。

殷:
ずっとやってきた高齢者世代に関する研究と、少し前からはじめた若者世代の結婚行動については、日中それぞれで分析を行って深めていく余地があると感じています。既に手元にある日中の信憑性の高い政府統計と大規模なアンケートから得られた一次データを用いて、若者世代の結婚行動だけではなく、離婚行動や再婚、国際結婚について、その決定要因と実態を明らかにする。そして、それによって晩婚化や未婚化に関連する政策に何らかのインプリケーションが与えられると考えています。

中島:
今、日本で少子化が進んでいる理由の1つに、男女とも結婚年齢がどんどん高くなっていることと、結婚しない人の割合が男女とも高まっているということがあるのですが、今のような研究を深めていくと、それについてどう考えるかという点が今まで以上に明らかになっていくということですね。

殷:
はい。それを目指して頑張るつもりです。

中島:
素晴らしいですね。大いに期待しています。

殷:
ありがとうございます。

中島:
ありがとうございました。

全体写真
2014年10月16日開催
2014年11月4日掲載

2014年11月4日掲載