中島厚志のフェローに聞く

第2回「守るべきものは何かという発想からリスク管理を!」

本シリーズは、RIETI理事長 中島厚志 が研究内容や成果、今後の課題などについてRIETIフェローにたずねます。

シリーズ第2回目は日本銀行において長らく金融リスク管理に関する業務に携わっていた上席研究員 植村修一 を迎え、先ごろ出版された『リスク、不確実性、そして想定外』の内容も含めて、過去から現在までの事例から見るリスクとの付き合い方について話を聞きました。

3.11をきっかけとした想定外と想定内の見直し

中島 厚志理事長 写真 中島 厚志 (理事長):
最近出されたご著書の『 リスク、不確実性、そして想定外 』が大変好評です。豊富で具体的な歴史的事例も興味深いのですが、そもそもどのような関心から本書を書かれたのでしょうか。

植村 修一上席研究員 写真 植村 修一 (上席研究員):
この本は、リスクやリスク管理とは一体どういうことなのかについて、できるだけ分かりやすく、できるだけ多くの人に分かってもらいたいという思いで書きました。昨年は3.11を筆頭にいろいろなことがありました。今、皆さんは、首都圏の直下型地震など、めったに起きないけれども極めて大きなインパクトのあるものに過敏になっているように思います。しかし、よくよく考えてみると、身の回りにもリスクや危険はたくさんあるし、日ごろニュースなどを見ていても、事件や事故など、かつてあったようなことが繰り返されているのです。

ブラックスワン(めったにないこと)といわれている金融危機ですら、過去に何度も繰り返されているのだという本も出ていますし、私も日本銀行に入って三十数年間金融に携わってきましたが、その間も内外であちこち金融危機や、それに類する事件は繰り返されてきました。ですから、なぜ同じような失敗が繰り返されるのかということに、もっと思いを致さなければ、これから先も同じようなことが起きるのではないかという思いもあって、自分の経験に、新たに少し勉強した材料も加えて、リスクに関する本を出してみようと思いました。

中島:
出版後、いろいろと反応があると思いますが、植村さんがリスクの観点から強調したいお話を幾つか紹介してもらえますか。

植村:
「リスクや不確実性、想定外などという言葉はよく聞くし自分たちでも使うが、その区別についてはあまり認識していなかった。しかし、この本によってその言葉の持つ意味に気付かされた」ということはお聞きします。リスクや不確実性という言葉には、厳密な定義がありません。経済学者のフランク・ナイトは、これまでの経験あるいは理論によって起こる頻度や確率が見えるようなものをリスク、それが分からない将来の不確定なことを不確実性と定義しました。ナイトはこれをもって「真の不確実性」と表現しています。これは全ての経済学の教科書にきちんと書いてあるわけでもないし、おぼろげな記憶で使われてきたところもあるのですが、ここにきてナイトの定義が脚光を浴びているのではないでしょうか。

ポイントは、リスクと不確実性の境界線です。ピーター・バーンスタインは『リスク―神々への反逆』という本を出しています。かつては占いをしたり、神のお告げを聞いたりしなければ分からなかったような将来のことも、確率論などを用いて人間が見通すことができるようになりました。彼は、それが経済社会や科学技術の進歩に大いに貢献しているのだとして、人間がリスクをコントロールしてきたことを評価しています。しかし、ひょっとすると、人間は自分たちの未来をある程度コントロールできるのだというふうに、やや傲慢になっているのではないかという感じがします。

中島:
昨年の3.11は、リスクとも不確実性とも違って、想定外といわれました。想定外とは、もちろんリスクの一種であることは確かですが、リスク判断の中でも評価しようがなく、人間がコントロールできないものではないのですか。

植村:
それが昨年から問われてきたことで、リスクおよび不確実性と想定外は少しジャンルが違います。想定内であるか想定外であるかは、その人自身あるいは人間がある物事を考える上で、意図的に線引きをした結果なのです。つまり、ここから先は思考の外にあることで、従ってわれわれのコントロールが及ばない、考えても仕方のないこと、あるいは考える必要のないことだというように線を引くのです。

しかし、その線引きには恣意的なところがあって、線引きありきという面があります。そのため、想定内と想定外の区分の見直しをした上で、あらためてリスクと不確実性について考える必要があります。つまり、自分たちが見通せるところはここまでで、それ以外の物事の先行きはなかなか分からないのだということです。その中で何らかの意思決定を行う場合には、最悪の事態を想定するなど、いろいろな対処の仕方があると思うのですが、そのように発想していった方がいいのかもしれません。3.11によって、あらためて想定内と想定外を区別することの問題点を突き付けられたような感じがします。

なぜ日本は太平洋戦争に突入したのか

中島:
リスクに絡んで3.11以外にも多くの事例がありますが、どうご覧になっているか教えてください。たとえばなぜ日本は太平洋戦争に突入したのでしょうか。アメリカと戦争しても最終的には勝てないということは、戦前の多くの人も分かっていたはずでしょう。敗戦が想定外ではなかったとすれば、戦争に臨む上でどういう損得勘定があったのか。もしその計算がなかったのだとすれば、リスクが分かったところで意味がないという気もします。

それから、最近は想定外をなくせという声が大きいのですが、それには大変なコストがかかり、割に合わない。しかし、実際には割に合わないところまで予防する、対応することが求められたりすることもあると思いますが、その辺りはどうですか。

植村:
太平洋戦争に関しては、そもそも思考停止してしまっていたのです。そうなると、確率を基にした区分や、どこまでが確実で、不確実なところはどこなのかという区分すら検討しなくなり、意図せざる想定内外の線引きが起きてしまうのです。それはまさに今回、金融市場の混乱の中でも起きたように、人間としての性、あるいは群衆になったときの人間の発想や行動の問題です。これは行動経済学という分野で扱うことで、アメリカの経済学者シラーなどが金融の問題についてしきりに言っていました。金融危機や大暴落は、かなり心理的な側面によるところもあり、それについては十分に気を付けなければいけません。戦前の状況では、1人1人が突き詰めて議論していけば、ある程度の合理的な判断に落ち着いたかもしれませんが、集団での空気の中での議論になると、必ずしも合理的ではない結論に至ってしまうのです。

リスクとコストについてもおっしゃるとおりです。リスクや想定内外を議論して、どういう対応をとるか、どこまでリスクをコントロールするかは、ベネフィットとコストの比較が必要であって、コストを抜きにした議論はできません。そのとき、先にリスクだけを考えだすと切りがないので、まず何を守るのか、何を大事に思うかを原点にするのです。どこまでコストをかけてリスクを削減するのか、逆にどこまでリスクを取るのかを考えなければなりません。これはある種の価値判断なのかもしれないし、考え方や思想の問題になるかもしれませんが、それが必要になってくると思います。

日本人の金融行動

中島:
たとえば日本人は、金融資産を預貯金に振り向ける割合が欧米諸国と比べて際立って高く、しかも、その傾向は過去何十年とさかのぼっても変わりません。これは、リスクに対して慎重だともいえます。だから金利は余りなくても安全性の高い預貯金に資金を置いておくことが安心・安全なのだと説明できます。しかし、よりリスクをとって金利や収入が取れるもっと大胆なお金の使い方もしないと、たとえばリスクが高いベンチャー企業にお金が回りにくいということにもなります。また、個人もお金を増やすことはよいはずが、過度に慎重になっているという見方もできます。

この日本人の金融行動は、一体どういうところにウエイトを置いているのでしょうか。お金は既にあって、増えなくてもいい、減らないことが大事だということなのか。それとも違うところに力点があるのか。あるいは、これはやはり合理的な金融行動ではないから、リスクを評価できるようにする金融教育が必要なのではないかなど、いろいろ考えられるのですが、どうでしょうか。

植村:
日本銀行の内部でもこの手の議論はかなりあって、自分自身も日本人の金融資産行動についての研究にも少し携わったことがあります。ただ、これには定説やコンセンサスはなく、いろいろな意見があると思います。

歴史的に言えば、日本人が戦前からずっとリスク回避的かというと、必ずしもそうではありません。むしろ今より活発に株式投資が使われていたようなところがありました。ですから、戦争に至って、あるいは戦後、日本に貯蓄がなくなって設備投資ができない中で、政府と日銀が一体となった政策的な貯蓄奨励運動がありました。そして、間接金融部門(金融機関・銀行)を通して資金を産業界に流していくというように、税制も含めた資金の流れが人為的につくられました。その履歴効果(ヒステリシス)がかなりあるのではないかと思います。

そうは言っても、金融が自由化され、個人の金融資産がそれなりに蓄積されていく中で、もう少し行動が変わってもいいはずだという議論もありましたし、現にそういう意欲も個人個人にはあったと思うのです。そこで遭遇したのがバブルの崩壊です。1987年のNTT株公開のころは皆が熱狂して、多くの人が株を買いました。その後、1990年代に入ってバブルが崩壊して、皆が痛みを抱えていて、その後も少し戻ったかと思えばまた後退するという繰り返しです。

一方でデフレが起こり、名目的な元本は変わらなくても、実質的な金融資産残高は、元本を維持している限りむしろ増えていく状況になりました。従って、株式に100%投資した人と預貯金が100%で名目元本が増えない人とで今の実質の価値を比べた場合、恐らく後者の方が勝っていると思います。ですから、私は少なくとも過去10年の日本人の金融資産行動が必ずしも合理的ではないとは思いません。意図的かどうかは別として、結果的に合理的な選択をしているのではないかという気はします。

中島:
それはリスクの大小をある程度見極めたということですか。

植村:
そうだと思います。さらに、ここでもう1つ加わっているのが不確実性です。この10年で少子化・高齢化が一段と進み、国民は年金を筆頭に社会保障制度に対して不安を抱き、非常に不確実な要因であると見始めました。そこで経済学の教科書どおり、予備的動機、マネーの保有に走ったわけです。足元では、さすがにたんす預金は危ないので、代わりに銀行に預けるという形が定着してしまいました。これを別の世界に持っていくのは、恐らく至難の業だと思います。そういう行動をとったことで、みすみすチャンスを逃した、本来はこう運用すればよかったのにという議論では片付けられないことが起きたのだと、私は思っています。

欧州債務危機をどう見るか

中島 厚志理事長 写真 中島:
今、マーケットでは、欧州の債務危機が深刻化するとリスクのない方にお金を回すというリスクオフの動きが加速しています。他方で、少し小康状態になってユーロ相場が上がってくると、ユーロ資産を少し取るというリスクオンの動きが出てくるなど、マーケットが神経質に慌ただしく動いています。

この背景として、アメリカで金融バブルが崩壊し、それに続いてユーロ圏で債務危機が起こったことが挙げられます。従来、究極の欧州統合の姿とされていた通貨統合という動きはいわゆるユーロバブルで、今そのバブルが崩壊したのではないかといわれています。そうであれば、今まで熱狂する部分が大きかっただけに、世界経済における大変なリスクがマーケットの人たちに見えているということだと思います。

この状態をリスクの視点で見た場合、これからの内外経済あるいは世界経済はどうなっていくと判断されますか。バブル崩壊後の日本と全く同じ道をたどることはないにしても、結局は安全資産の預貯金に重点的にお金を置くのでしょうか。高齢化も進んで将来不安が増えるという状況は、世界の主要国の現在置かれている姿と重なってきますよね。

植村 修一上席研究員 写真 植村:
よくデジャヴといいますが、われわれがバブル生成・崩壊で見たことが今起きているという感じがしています。サブプライムローン問題に端を発する今回のグローバル金融危機の中で、世界中の投資家が非常にリスクセンシティブになっています。これまでもブラックマンデーの後など、株から国債へ資金が動くフライト・トゥ・クオリティー(質への逃避)がよくありました。これは短期的・局所的な動きでしたが、現在はグローバルに非常に長期間にわたってこの動きが起きて、これまで株や新興国の通貨に向かっていたお金がある日突然真逆の方向に一斉に動く、リスクオン/リスクオフが非常に目立ってきました。今回のグローバル金融危機を経て、リスクについてあらためて思いを致し、しかも先行きについてはまだ不確実性が非常に強い中での投資家の行動だと思います。

ただ、日本の場合には先行きを見通したときの閉塞感が非常に強く、出口が見えないようなところがあります。日本は追い込まれて安全資産で運用しているという面があるのに対して、まだ世界的にはそこまでは至っていません。新興国の経済もアップダウンはあれ、趨勢的に拡大していくでしょうし、アメリカもヨーロッパもこのまま成長が止まるわけではないと誰もが思っているでしょう。ですから、いずれかの段階で、投資家も極端なリスクオン/リスクオフではなく、もう少しバランスのとれた動きになるとは思いますが、それがいつ来るかはちょっと不確実ですね。

中島:
なるほど。少なくとも今は見通せる範囲で霧が晴れてきているとは言いにくいということですね。

植村:
これは当局者もなかなか見通すのは難しいと思います。日本銀行政策委員会のことをとやかく言うわけではないのですが、展望レポートというものが年2回出ます。この中では、第1の柱がメーンシナリオで、第2の柱はそれに対するリスクファクター評価になっています。

この春、4月に出たレポートで少し違和感を持ったことがありました。第2の冒頭に「欧州債務問題に端を発するテールリスクは低下した」と書いてあったのです。そもそもテールリスクが増えたか減ったかという定量的な評価はなかなか困難なのですが、この段階でこういう表現ができるのだろうかと思ったのです。昨年末から今春ぐらいにかけては、LTRO(Long-term Refinancing Operation)という、ECBが行った無制限の長期の資金供給でマーケットも落ち着いたことや、ギリシャ問題も緊縮ということで選挙もして乗り越えられるのではないかといった安心感が出てきた時期がありました。別に日銀に限らず各国の政策当局やIMF専務理事のラガルド氏なども含めて、何となく峠を越したというような雰囲気になっていたのです。それが、その後のスペイン問題等に端を発して、まだまだ問題は深刻だということがあらためて認識されて、そう簡単に先行きを論ずることはできないなと思いました。私もこの本の中で、将来起こることに対してもう少し謙虚にならなければいけないと書いています。

中島:
リスクに関する研究や認識が日本よりずっと進んでいるはずの欧米の人々でも、リスク判断をしあぐねているということですね。

植村:
金融機関もまさにそうです。海外の大手の投資銀行はリスク管理が高度化していると彼ら自身も思っていたし、われわれもそう思って、バーゼルII以降の5年ほど、それに追い付け追い越せということでやってきたわけです。しかし、結果的に債務危機が起きて、彼らのリスク管理手法が非常に問われています。「フィナンシャル・タイムズ」などを読んでも、バック・トゥ・ベーシックス(基本に戻れ)という論調が大勢を占めています。

中島:
日本人はもともとリスクに対して慎重ですが、今は欧米の方々もリスクに慎重になってきているということは、日本人だけがリスクに慎重だったときと比べて、やはり世界経済の不確実性は非常に高いという見方もできますね。

植村:
その点については、かつてよりも認識の差が小さくなってきていると思います。日本人はバブルが崩壊してしばらくたっているので、不確実性慣れしているようなところも少しあると思います。

リスク研究を始めたきっかけ

中島:
ところで、そもそも植村さんがリスク分析やリスク研究にご関心を持たれた経緯を教えてください。

植村:
ここ数年、日本銀行の金融機構局で金融機関のリスク管理を見たり議論したりする中で、リスクやリスク管理について関心を持つようになりました。私はそこで欧米の有力な投資銀行の先進的なリスク管理を学びながら、一般論としては、フィナンシャルエンジニアリング(金融工学)が発達する中で、金融あるいはリスク管理にイノベーションが起きたのだと思っていました。ところが、今回のサブプライムローン問題以降に起きたことを見ると、それは幻想でした。無力感とまでは言わないにしても、もう少し基本に返ってリスク管理を考える必要があると思うようになりました。

日本の金融機関は直接サブプライムローン問題で影響を受けたことはあまりなかったのですが、その後のマーケットの変動の中で非常に大きな損失を出したところもあれば、そうでもなかったところもあり、ばらつきがありました。それで個別にお話を伺ったところ、基本にのっとった行動をとっているところと、そうでないところで大きな差があることが分かりました。やはり簡単に「マーケットがこういう状況だから損失を出した」とは言えないということは間違いないと思ったのです。

うまくマネージできたところは、リスクあるいはリスク管理についての見識を持っていて、そうではないところと有意な差があります。それは金融機関に限らず、企業や組織、あるいは個人の行動などすべてに通じて言えることだと思います。それをみんな同一にしようとすれば、かえって大きなリスクを抱えるし、不可能なことだと思います。そうは言っても、リスクとリスク管理をもう少し考えるだけで、全体が底上げされ、将来が大きく変わるだろうという思いがあります。

中島:
リスクの研究はガバナンスの研究でもあるということですか。

植村:
はい、そうです。個人と企業・組織でリスク管理が大きく変わるわけではなく、リスクを認識してそれに対処するという基本は同じです。ただ、企業や組織の場合にはガバナンスという問題があって、組織としての意思決定や対応の仕方がうまくいくか否かが大きな分かれ目になっているという点は、個人の場合と違います。

RIETIでの研究

中島:
今、RIETIの中ではどういう研究をされていますか。

植村:
今、非常に関心を持って研究テーマとしているのは金融危機の問題です。アメリカのカーメン・ラインハートとケネス・ロゴフの共著で、『国家は破綻する(This Time Is Different)』という本があります。2人は、世界の金融危機の過去800年もの事例のデータベースをつくり上げています。この中で、「これまではバブルだったかもしれないが、今回は違う。だから大きな危機になる心配などしなくていい」とその都度いわれているけれども、結果的に同じことが繰り返されているということが書いてあります。私は、なぜ金融危機が繰り返されるのかということに非常に関心があります。

その中で、考えていることは2つあります。1つは、われわれは20年前にバブル崩壊を経験しましたが、今、世界で起きていることはまさにデジャヴです。日本はバブルの生成・崩壊から二十数年たって記憶もだんだん薄れていますが、記憶の風化自体が将来に対するリスクの源になるのです。やはり1世代、25年ほどたつと記憶は間違いなく風化してきます。

私はバブル当時、大蔵省の銀行局で不動産業向け融資の総量規制を担当していました。それを解除するまでの2年間、その仕事をしましたが、今そのときのことをクロノロジー、記録として残しています。それは単なる過去の記録ではなくて、今、世界的に広がりつつあるマクロプルーデンス政策の観点からの考察です。個々の金融機関の経営状態を見るだけでは不十分で、資産価格が上がっているときはどこも悪くありませんから、全体としてシステム内にリスクがたまっていないかを判断して、それに手を打っていくのがマクロプルーデンス政策です。そのときに取り得る手段の1つとして、まだ先進国は採用していませんが、ローン・トゥ・バリューに対する規制など、融資に対する規制が叫ばれています。日本は既にそれを経験しているわけですから、マクロプルーデンス政策の観点から見た不動産業向け融資の総量規制をどう考えるかを記録に残そうということが1つです。

もう1つは、金融危機はなぜ繰り返されるのかということに関する議論を整理しようと思っています。暫定的な結論としては4つあります。まず、エンジニアリングの世界では、物理学や数学で見つかったことを実際に応用していくのですが、経済の世界では、現実に起こったこと、起きていることを理論付けていくので、どうしても後追いになります。そのため、経済学では金融危機に関する理論付けを明確に組み込んで物事を考えていくことが不完全なので、どうしても政策当局者の発想や制度設計が後手に回ってしまうのです。このように、経済学には理論研究において不十分なところがあります。

2点目は、金融の拡大と複雑性の増大です。金融は自己増殖的にどんどん拡大していて、しかもグローバリゼーションとイノベーションが交じり合った中での拡大なので、複雑過ぎてマネージできない状況なのです。今、各国は規制やその他でもって何とかそれを抑えようとしているのですが、恐らく現実に追い付くことはこれからもできないでしょう。

3点目は、金融そのものに根ざした問題です。人間は信用を通じてマネーをつくり出しますが、どうしてもマネーの魅力、魔力に負けてしまいます。これは金融の本質論だと思います。

4点目は、人間の性の問題です。これは別に金融に限らず、一定の期間が経過すると記憶が薄れてしまう、あるいは他人と同様な行動をしたがるという傾向があります。恐らくこの4つの組み合わせで、金融危機はこれからも繰り返されると思っています。

中島:
たとえばLTCM(Long-Term Capital Management)にしても、金融工学の金字塔のようなブラック-ショールズ・モデルでノーベル経済学賞を取ったマイロン・ショールズが入って、ともかくデリバティブ取引では絶対にもうかる、損することはあり得ないと言っていたのに、ほとんど可能性がないと思われていた金融危機が起きて破綻してしまいました。ですから、これで大丈夫だという措置をとっても失敗する。あるいは、今回は条件が前回と違うといっても、結局は同じような結果になってしまう。しかも25年たつと人は忘れてしまうとすれば、政策的にはどう考えていけばいいのでしょうか。リスク管理の考え方を従来よりも幅広く高度に持つという、基本的なところを地道にやっていくしかないのですか。

植村:
もちろん何をやっても無駄だと言うつもりは全くなくて、人間や金融とはそういうものであるということを前提として、いろいろな物事を考えていくことです。金融プルーデンス政策も、個々の金融機関の行動やカルチャーもそうです。1人1人の投資家あるいは預金者としての行動もそうです。1つ1つの組織、あるいは国家が、それを頭の中に入れて行動するか否かで、将来は相当変わってくると思います。将来を予見することはできないけれど、将来を変えることはできるというのが私の本のメッセージでもあります。

全体写真

リスク管理の必要性

中島:
先ほども言ったのですが、日本には損得やリスクについてもっと深く教える金融教育が必要ではないかと思うのですが、いかがでしょう。

植村:
金融教育に限らず、リスクについての教育が足りないと思います。日本人はリスクに対する感度が鈍いと思います。それは、やはり日本が恵まれているからです。周りを海に囲まれて、他民族・異民族の侵入を受けたことは基本的にはありませんし、緑と水が豊富で、世界的に見ると極めて恵まれた環境の中で暮らしています。そこでは、自らリスクを取ってより多くの利益を得るというモチベーションが、そもそもあまり働かなかったのだろうと思います。かつてよく「日本人は水と安全はタダだと思っている」と言われましたが、私もそうだと思います。

しかし、少し前から、そうは言っていられない状況になってきています。これには便利さはあるけれども、その裏返しとしてこういうリスクがあるというように、どこにリスクがあるかを考えていかなければなりません。たとえば、自転車の運転や、自動車、雷など、話題は何でもいいと思うのですが、もう少しリスクに向き合う機会を子どものころから持った方がいいと思います。それはリスクを一方的に避けるということではなく、リスクの裏返しとして必ずメリットがあることも含めて理解する。投資についても全く同じで、リスクとリターンが裏返しだということを認識する必要があると思います。

中島:
リスクをある程度分かった上で取るか取らないか判断した方が、リスクも分からないままに判断するよりはベターだということですね。

植村:
はい。最後に本の宣伝をすると、歴史コラムを入れたことで、結構評判が上がりました。最近は「歴女」といわれるように、歴史好きの女性が非常に増えているのですが、歴史は物事を考える1つの方法だと思います。リスクやリスク管理という観点から過去の歴史を見ると、これまで言われてきたことや、これまで思っていたことと違う側面がいろいろ見えてきます。歴史を学べば、人間は本質的に変わらない部分がある一方で、将来を変えられることもあるということが分かってきます。

中島:
今日は大変幅広いお話を聞かせていただいて、どうもありがとうございました。

2012年9月13日開催
2012年10月12日掲載

2012年10月12日掲載