夏休み特別企画:番外編 スタッフが薦めるこの一冊'02

『ディナモ・フットボール』

澁川 修一(情報システム/研究スタッフ担当)

『ディナモ・フットボール』 宇都宮徹壱著 みすず書房 (2002年)

『ディナモ・フットボール』表紙 「サッカーの敵」「レアルとバルサ」では、いわゆる日本人にもよく知られたクラブ、選手達が多く登場する。その意味で、読みやすい文献であるのだが、この本は、いっぱしのフットボール・ファンを気取る読者にとってもおそらく未知の世界である、東欧のフットボールを扱っている。
日本であまり取り上げられたことはないが、ここ50年間、東欧のフットボールはしばしば西側を驚かせる存在であった。たとえば1950年代のプスカシュを擁するハンガリー代表「マジック・マジャール」や、伝説のGK「黒クモ」レフ・ヤシン、あるいは最近では1980年代の故ロバノフスキー監督に率いられたソ連代表(1988年欧州選手権で準優勝)等、レベルは決して低くなかったのだ。この「ディナモ・フットボール」は、古くから東欧フットボールに関心を持ち続けてきた著者が、そのシンボルであった「ディナモ」を各国に追いかけた渾身のルポである。

冷戦時代、東欧の共産圏諸国には、「ディナモ・***」というクラブが各地に存在していた。これまで「ディナモ」は、英語の「ダイナモ」、つまり発電機と訳せることから、電気関係の労働者のクラブである、と理解されてきた。しかし、実際は「ダイナミズム」が語源であり、共産主義「運動」のイデオロギーに深く関係があるのだという。しかも、総本山であるディナモ・モスクワに至っては、なんとあの、ソ連秘密警察の創始者、ジェルジンスキーが創設者であり、ベリヤ等の歴代の秘密警察トップが熱心に支援してきたという、いわば内務省=秘密警察のクラブだったのである。

その構図は共産圏諸国ではどこも変わらなかった。それ故、「ディナモ」は常勝を運命づけられたクラブであり、シュタージ(東独秘密警察)の権力者ミーケレのクラブ、ディナモ・ベルリンなどは、西欧では考えられない、リーグ10連覇を達成している。しかしその内実は、極端なディナモ贔屓や、しばしば行われる審判買収、優秀な選手が優先的に集まるといったような、まさに権力のチームという役割を果たすための「常勝」だったのである(一方で、体制=ディナモ以外のチームを熱心に応援することで、人々の鬱憤を晴らすという作用もフットボールは担っていた)。

このように、冷戦時は極めて政治的な文脈の中で生きてきた「ディナモ」を中心とした東欧フットボールであるが、当然ながら、冷戦崩壊後は厳しい運命が待っていた。優秀な選手の西欧への流出と国内リーグの沈滞である。内務省からの援助が無くなった「ディナモ」はどこの国でも没落することとなった。例外はディナモ・キエフで、未だウクライナのフットボールの頂点に位置し続けている(編集部注:渋川氏が写真で着用しているユニホームはディナモ・キエフのもの)。宇都宮は、丹念にこれらの国々を取材し、歴史の中の栄光と現在の没落を見事に対比させ、数多くの才能を生み出してきた東欧フットボールが、資本主義の荒波によって瓦解しつつある現状を大いに憂うのである。

この本が扱うクラブの多くは、「サッカーの敵」でも取り上げられている。しかし、宇都宮の視点はクーパーのそれとは若干異なっていることに気づくだろう。クーパーの取材時から10年近くが経ち、状況がさらに難しい状況になっているのはもちろんだが、宇都宮の場合は、フットボールの裏側というよりは、激変に晒されている東欧フットボールそのものに対しての深い関心と、凋落するクラブをそれでもサポートする人々たちへの限りない共感をベースに文章が進んでいく。クーパー流の一歩引いた描写に比べ、より深いところまで切り込んだ宇都宮の仕事は、我々日本人をより東欧フットボールの魅力的な世界へ引きずり込む。特に、グルジアのサッカー事情を正面から取材したのは、おそらく日本初ではなかろうか。その意味でも注目の一冊である。

澁川 修一(情報システム/研究スタッフ担当)
※必ずしもこの服装で執務しているわけではありません
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