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『未完の経済外交』

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荒木 一郎(上席研究員)

『未完の経済外交』 佐古丞(さこすすむ)著 PHP新書 (2002年3月)

『未完の経済外交』表紙 グローバリゼーションの進展とそれに対する反動は最近の事象でないとの論調を時折見かける。19世紀半ばの大西洋海底電信ケーブルの敷設やパナマ運河・スエズ運河の開通が情報、人、物品、サービスの国際移動速度の向上とコストの低下にもたらした革新的変化は、現代におけるインターネットの発明やジェット旅客機の普及に匹敵するほどのものであったといわれる。実際問題として、20世紀初頭まで、当時の「文明国」の人々はパスポートもビザもなしに自由に海外旅行をすることができたのである。このグローバリゼーションの進展に対する反動が第1次世界大戦であり、その戦後処理の失敗が第2次世界大戦をもたらしたとすら考えることができる。ケインズがベルサイユ講和条約を批判した論文The Economic Consequences of the Peace (1920)の中で戦前をなつかしみ、「1914年の夏まで、ロンドンの住民は電話1本で世界中のあらゆる製品を注文し、それが早期に自宅まで配達されることを合理的に期待することができた」と述べていることはよく知られている。

他方、あまり知られていないのは、こうした前回のグローバリゼーションの進展とそれに対する反動の過程、更には戦間期の調整過程において日本政府がどのような通商政策をとったかということである。戦前の日本の歴史については、ともすれば「自虐史観」だの何だのという感情的な議論が先行し、冷静な議論を妨げるような雰囲気があって、なかなか客観的な事実を知ることが難しいが、とりわけ戦前の通商政策の歴史について一般向けに分かりやすく紹介した文献を見つけることは困難であるように思える。

こうした中にあって、幣原喜重郎外務大臣の下で展開された国際協調路線による経済外交が挫折に到る過程を記述した本書の存在は極めて貴重である。私は、池田美智子著『ガットからWTOへ』(ちくま新書)などの文献を読み、また、通産省の先輩からの口伝によって、1930年代半ば(すなわち、日中戦争の激化によって日本が統制経済に移行する直前まで)の日本の通商政策について断片的な情報を得ていた。たとえば、1)「戦後自由貿易体制の父、ガットの祖」として知られるコーデル・ハル国務長官(日本ではむしろ真珠湾攻撃の直接の契機となったとされる「ハル・ノート」を書いた人物として知られているが)は、日本に対してツナ缶や鉛筆等の雑貨について輸出自主規制を求め、日本もそれに応じざるを得なかったこと、2)インドに対する日本製綿織物の輸出が日印英三国間の大きな通商問題となり、1934年には日印間で綿織物の輸出数量制限協定が締結されたこと、3)同じく1934年、時代錯誤を承知でいえばある意味で日本版通商法301条に相当するとも考えられる「貿易調整及通商擁護ニ関スル法律」が制定され、実際にカナダおよび豪州に対して制裁措置(報復関税)が発動されたこと等である。

ただよく分からなかったのは、このような措置の時代背景である。本書はこれに対する明快な回答を与えてくれる。このような措置がとられることとなった直接の原因は、1930年代前半の日本からの輸出攻勢である。その背景には政府による積極的輸出振興政策(産業立国・経済外交)があったわけであるが、筆者によれば、「短期的にみると、第1次世界大戦後に不振に陥った日本経済を建て直すためにはどうするべきかという問題への答えが『産業立国』策であり、そこで外交が果たせる役割は何かということに対する解答が『経済外交』であった。より長期的な視点でみると、19世紀に始まるナショナリズムと産業化による世界史的変動があり、また日本自身も明治的なるものからの変化の時期にあったことが産業立国と経済外交の成立の背景に存在したことが指摘できる」という。

言い換えれば、日本が経済外交に目覚めたのは、ちょうど世界が第1次世界大戦以前の均衡状態(normalcy)の回復を求めて国際協調体制と自由貿易主義を追求していた時期に当たったということになる。日本の拡張的通商政策は当初こそ成功するが、戦間期の各国間政策調整の失敗(大恐慌から大不況へ、金本位制復活の試みの失敗、近隣窮乏化政策等)と時を同じくして保護貿易主義の壁に阻まれて行き、(それだけが原因ではないものの)最終的には第2次世界大戦という大破局を招く結果となってしまう。

歴史は繰り返すといわれるが、人間は歴史から学ぶこともできる。グローバリゼーションの進展に対する反動が各方面で顕著になってきている現在、本書を契機に戦間期日本の経済外交がなぜ未完に終わったかを考えてみることは有益であろう。

荒木 一郎(上席研究員)
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