日本経済の罠

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執筆者 著:小林慶一郎 , 加藤創太
出版社 日本経済新聞社
ISBN 4-532-14856-1
発行年月 2001年3月
関連リンク 第44回 日経・経済図書文化賞 受賞
序文
あとがき

内容

最後に、本書を書くに至った主要な理由に触れておきたい。
一つは、われわれが経済産業省の職員として感じ続けてきた組織的・概念的な制約を振り払い、何が日本全体にとって問題なのか、何が日本経済全体にとって今必要なのか、という点につき、自由な立場で掘り下げるためである。
書中で述べてきたように、日本の経済運営や組織運営、さらには政策担当者などの思考枠組みは、時代遅れの様々な「仕切り」によって分断されている。こうした概念的・制度的な「仕切り」が、日本経済にとって真に必要な「グランド・デザイン」の構築を妨げた。代わりに、各種政策の「パッチワーク(つぎはぎ合成)」による整合性のない、歪んだ経済運営が行われてきた。
例えば、金融監督当局は、金融システムの安定に焦点を絞り、景気回復が確実になるまで不良債権処理を先送りする戦略をとった。財政当局は、不況対策で膨張した財政赤字を解消するため、消費税増税を指向した。総需要収縮に懸念を抱くマクロ経済学者は、財政金融政策の発動を説いた。日本企業の国際競争力に懸念を抱く市場アナリストは、規制緩和やリストラの必要性を説いた。
本書は、そうした各種「仕切り」を超えた「グランド・デザイン」構築の試みである。
本書で説明した理論や提言がどの程度受け入れられるかはわからない。読者の判断を待つばかりである。ただ、本書は少なくとも、日本経済全体について、一つの包括的なパッケージ(グランド・デザイン)を示している。したがって、本書に対する建設的な批判は、ある特定の領域・論点についてのものではなく、日本経済全体を視野に入れた「全体パッケージ」として提示されることを期待したい。
本書を書くに至った二つ目の理由は、政府と国民の間におけるコミュニケーション・ギャップの修復である。
九〇年代の日本経済低迷の原因は、純粋な経済問題でなく、むしろ政治的な問題だ、との意見がよく聞かれる。「日本経済のために何をすればよいのかは、とっくの昔にわかっていた。不良債権問題の深刻さや、公的資金導入の必要性も九二年頃にはわかっていた。しかし、政治的な制約が、必要な政策の実施を遅らせた」というわけだ。
九〇年代には、経済政策についての政府・国民間のコミュニケーションが決定的に破損した。その間隙を衝いて、単純でわかりやすいが、理論的には疑義のある俗説が流布した。その結果、国民は政治・行政不信を抱くようになり、それが「政治的な制約」となって適切な経済政策の実施を遅らせた。
本書は、したがって、経済政策に関する政府・国民間のコミュニケーション・ギャップを解消することを一つの大きな目的として書かれた。書中では先端的な経済学や政治学の研究成果が取り入れられている。その点では一切妥協していない。だが、そうした先端的な内容を、経済学に馴染みのない読者にも理解してもらえるよう、文章・構成面などで最大限の工夫を凝らしたつもりである。

以上、生意気なことを述べてきたが、本書はわれわれだけではとうてい完成できなかった。まず、われわれのような若輩に出版の機会を与えてくれた、日本経済新聞社出版局の山田嘉郎氏と野澤靖宏氏にお礼を申し上げたい。特に野澤氏には、適切なご指導をいただいただけでなく、出版スケジュールの度重なる遅延等、さんざんご迷惑をおかけした。
次に、経済産業省(旧通産省)の諸先輩・同僚の面々にも感謝したい。「霞ヶ関的ではない」としばしば形容される自由闊達な雰囲気の中での議論を通じ、本書のアイディアは膨らんでいった。高鳥昭憲氏、寺澤達也氏、西山圭太氏には本書を構想するに際して重要な知識や考え方を学ばせていただいた。また、安藤晴彦氏、石毛博行氏、片瀬裕文氏、木村陽一氏、谷川浩也氏、宗像直子氏をはじめ多くの方々に貴重なご助言やご配慮をいただいた。
国内外の経済学者、経営学者、政治学者、シンクタンク系エコノミスト、弁護士の方々からも貴重なご助言を数多くいただいた。ここで全てを記すことは出来ないが、スタンフォード大学教授・経済産業研究所長の青木昌彦氏、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの清瀧信宏氏、東京大学の吉川洋氏、林文夫氏、奥野(藤原)正寛氏、大瀧雅之氏、柳川範之氏、大阪大学の小野善康氏、慶應義塾大学の池尾和人氏、専修大学の石原秀彦氏、ビンガム・デーナ・ムラセ法律事務所のリチャード・ギトリン氏、ミネソタ大学のエドワード・プレスコット氏、ミシガン大学のジョン・キャンベル氏、ハーバード大学のアレクサンダー・ダイク氏、ブルース・スコット氏には、特に詳細かつ親身なご指導をいただいた。

以上の方々に心からお礼を申し上げることで、本書の結びとしたい。

二〇〇一年二月

小林慶一郎
加藤 創太