2000年代の産業再生政策

執筆者 渡邊 純子 (京都大学)/武田 晴人 (ファカルティフェロー)
発行日/NO. 2021年7月  21-J-030
研究プロジェクト 産業再生と金融の役割に関する政策史研究
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概要

本稿では経産省の産業再生政策の政策形成過程を分析する。産業再生政策は、バブル崩壊後の「3つの過剰」の解消とともに企業が事業再構築を進め、ひいては日本の産業の国際競争力向上を図ることを支援する政策である。1999年の産業活力再生特別措置法(産業再生法;のち産活法の略称)制定から、2014年の同法廃止までが対象となるが、このうち(バブル崩壊後の処理と関連した狭義の産業再生という意味で)重点施策となっていたのは、2008年頃までである。政策形成過程の分析により見えてきた特徴点は、以下の通りである。

(1) 1999年産業再生法制定から2003年産活法改正の過程で「金融と産業の一体再生」が日本経済全体の課題となった。当時、金融側(不良債権処理)への対応策が先行するなかで、産業・企業側(債務を抱えた企業など)の受け皿がないことに危機感を抱いた経産省の政策担当者や財界トップが打ち出した考えが反映されている。こうした危機感や問題意識は、財務省、日銀の政策担当者も共有するところであり、結果的に政府一丸となった取り組みが行われた。

(2) 2000年代半ばに不良債権処理が一段落すると、以後の産業再生政策はより普遍的に日本の事業(企業)再生市場やイノベーション・システムの形成に向けた制度設計に移行し、倒産法制(法定整理)と関連した私的整理の制度拡充や新規事業創出策などに重点が置かれた。事業単位で切り分けた経営資源の移動・活用により生産性を向上させる手法は、経済成長の一つの源泉となる。2007年、2009年産活法改正も、以上のような視角から捉えることができる。