“小国”マレーシアにおける経済テクノクラートの変遷と特徴

執筆者 鳥居高  (ファカルティフェロー/明治大学商学部)
発行日/NO. 2006年4月  06-J-031
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概要

独立以降今日まで、マレーシアの経済テクノクラートが担った役割の変化を見ると、各政権の開発政策の特徴から大きく6つの時期(5政権のうち、マハティール政権のみを2つの時期にさらに分割)に区分することができる。その中で、もっとも顕著な変化は、(1)第2期:1971年に始まる新経済政策(New Economic Policy:NEP)実行時期と(2)第3期:マハティール・モハマド(Mahathir Mohammad)政権期の前期(1981年から90年まで)と(3)第4期:マハティール政権後期(1991年から~2003年まで)に見られるといえよう。(1)の時期には、NEPの2大目標を達成するための方策として、公企業の設立に代表される政府による直接事業の実施、開発プロジエクトが本格的に実行されたことから、1)首相府(Prime Minister's Department)への権限集中化 2)テクノクラートの役割の肥大化を見ることになる。

他方、(2)の時期では1981年に発足したマハティール政権の下では、政府財政の悪化、公企業の業績不振などを受け、民営化政策に代表される一連のダウンサイジング・プログラムが導入され、政府は次第にその活動領域を縮小させている一方で、選択的な役割が模索されることになった。

マレーシアの経済テクノクラートの役割変化についてみるとマレーシアの経済テクノクラートは、NEP実施に伴う肥大化・権限の強化に加え、マハティール期においては、ダウンサイジングという大きな変化の波を被った。しかし、NEP導入以降一貫していえることは、第1にマレーシアの経済テクノクラートの存在意義がNEPを達成する上で必要な開発プロジェクト、そしてその総体としての開発計画策定にあったことである。第2に、NEPという大きな開発政策の傘があり、1980年代以降はマハティールという強力なリーダーシップがあったが故に、経済テクノクラートは開発政策の「貢献者・実行役」としての役割を担い続けたといえる。