アジアの経済統合と世界の新しい経常収支不均衡の解決

執筆者 吉冨 勝  (研究所長) /Li-Gang LIU  (上席研究員) /(吉冨 勝研究所長 責任編集)
発行日/NO. 2005年5月  No.01
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概要

今日の世界の新しい経常収支の不均衡の特徴は、一方に米国の大きな経常収支赤字(GDP比5.5%,2004年)があり、他方に東アジアのエマージング経済国(韓国、台湾、アセアン5カ国、中国)の経常収支の黒字と膨大な外貨蓄積があることだ。米国の大きな経常収支赤字は、米国内での設備投資などに比べ民間の貯蓄が少なく財政赤字も大きすぎるといった所謂、I(投資)-S(貯蓄)インバランスの発生に基本的な原因がある。他方で東アジアのエマージング経済国のI-Sバランス上の貯蓄超過は、1997年のアジア金融危機の後、固定投資のGDP比率が低下したことに原因をもっている。しかし、それらの国々の黒字の合計は米国の対世界赤字の1/4にすぎない。だから米国自らのI-Sバランスの回復、つまり財政赤字の解消と家計部門の貯蓄の振興こそが、今日の世界の不均衡を解決する最大の鍵を握っている。



問題は、そうしたI-Sバランスが見込まれないと、米国の大きすぎる対外赤字が海外の民間資本の流入だけでは十分にはファイナンスできなくなり、ドルが下落せざるを得なくなる可能性にある。それは同時に世界的な通貨調整が強制的に働いてくることを意味するだろう。



では、米ドルがどの程度弱くなると、米国の対外赤字は調整されるのだろうか。二つの要因を分けて整理しておくとよい。一つは、ドル切下げが米国の経常収支赤字を減らす量的効果である。二つは、一体米国の経常収支赤字はGDP比で何%位ならば持続可能かという問題だ。



前者のドルの切下げの効果については平均的な結論として、米国の経常収支をGDP比1%減らすには、米ドルは約10%は下落しなくてはならない。また後者の持続可能な赤字の大きさについては、GDP比2%台だといわれる。したがって現在の米国の経常収支赤字のGDP比5.5%を2.5%程度の比率まで減らすには、米ドルは30%ほど切下がらなければならない。これは非常に大きいドルの下落率だ。



ではこうしたドル下落という「作業仮説」の下で、東アジアの通貨調整はどうあるべきか。2002年以降、米国の膨大な経常収支赤字は海外民間資本によってファイナンスするには大きすぎるようになった。この不足分を、東アジアの通貨当局が為替市場へ介入し外貨準備を累増すること、つまり米国財務証券へ投資することで補ってきた。こうした介入がまた東アジアの通貨がドルに対して急激に強くなるのを防いだ。ところが、東アジア・エマージング経済国のこれ以上の外貨準備の累増は、インフレの加速の可能性や不胎化政策(外貨準備増大によるベースマネーの増加を中央銀行による債券売りで吸収すること)のコスト増大のため限界に迫りつつある。



そうした限界があるとすれば、東アジア通貨も全体としては対ドル・レートが30%切上がる場合に備えておいた方がよい。一体、東アジア経済はこんな大きな為替レートの上昇に耐えられるのだろうか。答えはイエスである。



日本を含め東アジアは全体として、緊密でよく発達した生産工程・バリューチェーンのネットワークを基礎に「世界の工場」を形成している。とすれば、東アジア諸国の通貨間の為替レートは相互に安定しているほうが望ましいであろう。世界の工場の中での細分化された生産ブロックや企業間の貿易ではそれに伴う為替リスクや取引コストが小さいほうが、その生産効率を高め、東アジアの経済発展に貢献する筈だと言えるからだ。では具体的にどうすればよいか。



そのためには東アジアのすべての通貨が米ドルに対し一様に30%切上がる必要がある。これは二つのことを意味する。一つは、東アジアのすべての通貨が一斉に対ドル・レートで30%切上がると、東アジアの通貨の間の相対的関係は不変のままだから、上述の「世界の工場」は円滑に運行され続ける。二つには、東アジアの域内の貿易比率は既に52%に達し(2003年)、さらに上昇する傾向にある。FTAの締結はこの傾向を一層強める。しがたって、東アジア通貨が対ドル・レートでは30%も強くなっても、その内の半分以上は域内貿易のため互いに相殺されてしまうので実効的(effective)には15%弱の切上げで済んでしまう。この程度の通貨の上昇ならマクロ経済上のファンダメンタルズの強い東アジア経済は十分に耐えうるであろう。つまりこうした「協調的」(concerted)為替調整が、世界の新しい不均衡を解消していきつつ、アジアの経済統合を維持し促進する上で是非必要なのである。



勿論、通貨上昇が伴う不況効果を相殺するマクロ経済政策や構造政策が必要で、しかもこれが東アジア経済が内需志向性を高める経済構造に転換していく好機になれば、東アジアの経済統合は一層強固になっていくであろう。