「不良債権処理先送り」の政治学的分析:本人混迷と代理人の裁量

執筆者 村松岐夫  (ファカルティフェロー)
発行日/NO. 2004年3月  04-J-021
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概要

本稿は、バブル崩壊以後の政府の課題・不良債権処理先送りの研究である。バブル崩壊後、日本社会に巨額の土地不良債権が生じ、その処理が90年代における政府の主要課題になったが、迅速な対処はなされなかった。その間に、大きな不況が生じた。しかし、日本政府は、北海道拓殖銀行、山一証券、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が相次いで破綻した1997-98年になるまで、不良債権問題についての十分な認識を示さなかった。政府当局は、この時点にいたるまで、金融機関の破綻処理に失敗し、あるいは遅れたのである。より具体的に言えば、大蔵省は、92年、宮沢首相が行った公的資金導入による解決案を退けまた住専再建案にも場当たり的な対処をした。この重大な問題が先送りされたのはなぜか。他国でも80年代、バブルが生じたしそれへの対処に遅れた国はあるが、後始末は日本よりも大分早い。日本の遅れは何故か。この問題に関する研究は多いが、本稿の特徴は、92年の先送りのあとも先送りが続けられたのは何故かを探求しようとするところにある。この点の探索をしていくと、この時期が1955年体制から新しい政党システムに移行する時期であったことが注目される。不良債権処理の先送りはこの政治過程に原因があったのではないか。他方、本稿は、不良債権処理における大蔵省の組織構造や組織活動のルーティンに先送りのもう一つの理由があると考える。従って、本論文の後半では、金融行政の組織、人事、リソースが分析される。大蔵省は、その金融行政において高度経済成長時代におけるマニュアルに固執したこと、人事行政の構造もこれを促進したことを指摘する。

本稿が依拠する本人代理人論で言えば、90年代前半の一連の先送りは、55年体制終了以降の日本政治における「本人混迷」と金融行政における「代理人の裁量が拡大」の中で生じたことである。本人混迷状態は、大蔵省にゆるみを生じさせ、他方、政府の能力を低下させた。