移りゆくこの十年 動かぬ視点

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執筆者 著:青木昌彦
出版社 日本経済新聞社
ISBN 4-532-19131-9
発行年月 2002年6月
関連リンク あとがき
「RIETIという実験」(第II部「霞ヶ関とシリコン・バレーの間で」より)

内容

RIETIとは、経済産業研究所(Research Institute of Economy, Trade and Industry )の略称で、リエティとわれわれは呼んでいる。RIETIは2001年4月に、「独立行政法人経済産業研究所法」という厳めしい名の法律にもとづいて、経済産業省(Ministry of Economy, Trade and Industry)から独立して設置された。この法律によれば「研究所でない者は、経済産業研究所という名称を用いてはならない」(第六条)ということだが、RIETIは外国人にも親しんでもらうための愛称である。

インターネットの検索エンジンで調べてみたら、イタリアのローマから100キロばかり東にRietiという名の市があった。市のホームページを訪ねてみると「イタリアの臍」とある。中心にあるのだろう。ここはローマ帝国建設以前にひらけ、カトリックの主管区庁もある由緒ある場所らしい。

それはともかく、RIETIは日本にも本格的な公共経済政策研究所を作りたい、という関係者の願いを込めて作られた実験的な組織である。1980年代には大蔵省の財政金融研究所をはじめとして、各省の内部に研究所を作ることが流行となった。経済産業研究所の前身である通商産業研究所もそうだった。しかし、各省の内部にある研究所も「研究者」は、ごく少数の大学教授兼任の特別研究官を除けば、当該省の人事のローテーションの慣習にしたがって配置される公務員である。従って、そういう研究所が主に各省の政策のニーズに従った調査・研究に従事したり、或いは外国の著名な研究者を招待して時局的な政策トピックスにかんするコンファレンスを開催したりするのが、主要な業務内容だったのは仕方がないだろう。

しかし、内外の経済環境の変化が激しくなると、当面の政策のニーズに従った調査研究以外に、中長期を見据えた政策の代替肢にかかわる分析的研究の蓄積の必要性がますます増していくであろう。こうした研究は、時々の政治の流れから、ある程度自立性、独立性を持つて行われることが必要である。たしかに現実的関連性を有した政策研究にとって欠かせない情報や知見は、政府の中に多く蓄積されている。しかしそれらが行政機構の内部にとどまるか、審議会などのチャネルを通じて特定の学者やマスメディアに伝えられるにすぎないならば、その有効な利用は限定されてしまう。そうした情報を分析的に活用し、将来に役立てるための場が必要である。

アメリカ経済の強さの要因の1つは、時の政権の政策的立場とは自立的に、公共経済政策研究と論争の場を長年にわたって作り上げてきたことである。たとえば、ワシントンのブルッキングス研究所をみよう。この研究所のフェロー(研究員)は大学の教授にひけをとらない研究上の権威を誇っているが、彼らはそれぞれの政策研究にもとづいた知見によって、時の政府や政策論議に大きな影響を与えている。政権の交代時にはそれぞれの政治的立場に応じて、研究所から政府入りして考え抜いた政策の実施を試す機会を得る人もいれば、行政府を辞して、次の機会に役立つ研究に携わろうと逆の道をたどる人もいる。最近、引退した研究所の所長も、元日本大使のアマコースト氏である。

もう1つ、アカデミアと政策研究の交流の場として重要な役割を果たしているのがNBER(National Bureau of Economic Research)である。この研究所はもとコロンビア大学の内部に位置していたNPOで、戦前は景気循環の指標づくりで有名だった。ミルトン・フリードマンの有名な貨幣研究の基礎が築かれたのもこの研究所においてである。レーガン政権の大統領経済諮問委員長を勤めたハーバート大學のフェルドシュタインが所長となるにともない、その本拠はマサチューセッツ州ケンブリッジ市のハーバートト大學とMITという経済学研究の二大中心地のあいだに移転し、より幅の広い政策研究や政策的関連性を持つ理論研究も行われるようになった。今では約600人もの大學研究者がプロジェクト・ベースで参加して、質の高い研究成果をを生み出している。この研究所のフェローとなることは学界においても権威のあることと見なされている。また大学院学生がプロジェクトへの参加を通じて、政策研究にかかわるわる博士論文を生み出していく場の役割をも果たしていることは注目に値する。

また私がシニアー・フェローとして参加しているスタンフォード大学のSIEPR(Stanford Institute of Economic Policy Research)も、経済学部、政治学部、工学部、歴史学部、ビジネススクール、ロースクール、フーバー研究所などから公共経済政策に関わる研究者を横断的に網羅して、研究プロジェクトを財政的に援助したり、シリコンバレーの経営者達なども含めた政策ディスカッションの場をもうけたりしている。そしてこの研究所からも、大統領の経済諮問委員会、証券取引委員会、通信規制委員会、世界銀行、IMFなどに、毎年誰かが出かけていく。そういう場での行政や監督などの経験が、後の教育に役立つことはいうまでもない。

こうしたアメリカの経験から学びうる点は次のことだろう。すなわち、行政と研究がそれぞれアイデンティティを保ちつつも、人事の交流や共通のディスカッションの場を持つことにより、一方では政策研究の質や現実関連性を高め、他方では現実的な政策形成に分析的な基礎を与えることである。そこで、われわれは日本で最初の本格的な政策研究所を目指すうえで、日本の事情を考慮に入れて、ブルッキングス、NBER,日本の省内研究所をいわば三結合したような仕組みを考えてみた。具体的には、官庁やNGO、民間研究機関、大學などからリクルートした数年契約の常勤フェロー、NBER的な政策研究プロジェクトを組織する大學教授兼任のファカルティー・フェロー、それに官庁などに所属しながら勤務時間外に無給で研究に参加する客員フェローの3つからなる研究陣の構成である。これによって、官学民のあいだの共通の交流の場を、行政という場からはある程度独立に設けることが期待される。

こうした仕組みを可能にするのが、RIETIが独立行政法人化の際に選んだ、いわゆる研究者・職員の非公務員化措置である。これによって人事院が定める行政職俸給表にもとづいた年功序列・終身雇用的人事管理や、定員法や国家公務員試験制度などが課す雇用の縛りからは自由になる。従って多彩なバックグラウンドを持ったフェローをその専門的な知見と能力に従ってリクルートすることが出来ることになる。アメリカの大學のPh.Dを取ったアメリカ人もいれば、中国の精華大學とのあいだで研究時間を分け合う中国人もいる。これまで日本のシステムにおいては、その豊かな才能を生かすキャリアパスを見つけられなかったような女性フェローの割合も多い。また場の魅力を感じて経済産業省以外の省庁から客員フェローとして、或いは研究会参加者として、研究やディスカッションに加わっている人たちも少なくない。

第二の教訓は、政策研究への外部からの政治的干渉の口実をあらかじめ排除し、その自立性を保証するのは、究極的には研究の「質」だということである。RIETIの組織を準備中、広報担当の人からRIETIのアイデンティティ、目的を表すようなキーワードは何ですか、と聞かれ、直ちに思い浮かんだのが「エクセレンス」という言葉である。そして、研究の政治的独立性と質の向上とを目指すには、研究所がもっぱら無名の研究者の集団として研究提言を行ったり、或いは研究所長が一枚看板になったりしていては駄目である。前者のようなことをすれば、コンセンサスをえるために、提言からシャープな棘が抜けてしまう。後者であれば、研究や提言の質と幅に自ずと限界が画されててしまう。

そこでRIETIでは、すべての研究をフェローの個人責任において行うこととした。もちろん、様々なバックグラウンドを持った人達のあいだのシナジー効果は必要だから、様々な研究会による交流、相互批判はあるし、複数のフェロー共同の書籍編集やコンファレンスの組織もある。しかし、フェローは黒子ではなく、顔の見える研究者として活動することが要求される。そのことによって厳しい研究にたいする自己規律が、各フェローには課せられることになるだろう。

RIETIは経済政策研究における新しい国際的な繋がりをも求めている。単にアメリカで流行している考えを日本に応用する「研究」や、国際的に著名な学者を招待してコンファレンスを開催するイベント屋まがいのことはしない。むしろ、日本経済やその国際関係の分析において、かならずしも外国の経済学者が目配りしていないような独自の研究成果を発信したり、外国マスメディアの報道するステレオタイプとは異なった政策論争の様子を伝達することも重要な役割になるだろう。またアジア経済の統合やWTOの交渉ラウンドなどの国際経済関係については、関係する他国の研究者達と恒常的なコンタクトを維持し、ひいては研究課題の設定についても積極的な提案を行っていくことも必要だろう。

そういう問題意識をもって、RIETIはウエッブサイトを1つの重要なコミュニケーションの場として用いている。非公務員型の組織という利点を活用して、IT技術者やITオタク、編集者、元英字新聞ジャーナリスト、帰国子女、中国人の編集者やウエッブマスター、アメリカ人のライターなど多様な人材を途中採用して、日英中の三カ国語でホームページを運用している。RIETIの広報、国際部門は活気のある職場である。ホームページでは、編集者による記事を別にすれば、すべてフェローが個人の責任において執筆しているから、個性のある読み物が多い。またRIETIが開くコンファレンスの様子は、オン・デマンドで配信されるので、世界のどこでも居ながらにして聴衆になれる。ワシントンのポリシー・サークルのあいだでもRIETIのサイトは話題を呼んでいるということであり、また中国の編集者からは、「これまで日本経済の分析はアメリカ経由でえていたので、RIETIのホームページには感銘を受けた」という激励の電子メールを頂いた。

また国際コンファレンスを開く場合にも、たとえ日本では著名でなくとも、われわれ自身の研究プロジェクトと最善のコミュニケーションをなし得るような研究者を中心に招待している。とくに、これまでは十分であったとはいいがたいアジアの研究者との交流を継続的に維持していきたい。その目的のために毎年、ANEPR(Asian Netowrking of Economic Policy Research)という会合を開催して、時々の共同関心のテーマについて議論を深めていく計画である。2002年は、20人ほどの経済学者をアジアの各国やヨーロッパ、アメリカからも招いて「アジア経済統合」について議論した(後出「アジア経済統合ー制度の雁行的進化か?」参照)。

独立行政法人には、偽装した特殊法人になるのでないか、という懸念もあるが、創意如何によっては全く異なった仕組みと活動形態を作ることが可能である、非公務員型を採用したRIETIの実験は、数年後に独立行政法人化される国立大学にも、いろいろなヒントを示唆しうるかもしれない。

いうまでもなく独立行政法人になったからといって、何から何まで自由という訳ではない。とりわけ予算の中から交付金を頂いて運用される以上、独立行政法人は最終的にはタックス・ペイヤーである国民に貢献しなければならない。国民からいわば委託されて、独立行政法人の活動を評価するのが独立行政法人評価委員会であり、RIETIの評価委員会にはOBを含めて経済産業省の関係者は一人もいない。これも、アウトサイド・ボードの1つの実験といえるかもしれない。

【以上でRIETIの活動に興味を持ってくださった読者は、是非そのホームページ(www.rieti.go.jp)を時折訪ねてみてください】