Research Digest (DPワンポイント解説)

世界金融危機後のアジアにおける地域通貨協調
-地域通貨安定性のASEAN+3とASEAN+3+3との比較-

解説者 小川 英治 (ファカルティフェロー)
発行日/NO. Research Digest No.0060
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東アジア域内で貿易や投資が増えている。製造業の生産ネットワークも構築され、事実上の経済統合が進んでいることを受け、東アジア共同体構想の議論も盛んだ。

しかし為替相場の変動が、経済統合の妨げになっている。世界金融危機後、相場はどの程度、変動しているのだろうか。また、為替安定化に向けての通貨協調は、何カ国で実施するのが妥当なのだろうか。

こうした疑問を解き明かしたのが、小川英治FFが今回まとめた論文(DiscussionPaper(DP))だ。東南アジア諸国連合(ASEAN)の10カ国に日本、中国、韓国を加えたASEAN+3と、そこにインド、オーストラリア、ニュージーランドを加えたASEAN+3+3の為替変動を、アジア通貨単位(AMU)を用いて統計学的に分析し、オーストラリア、ニュージーランドを加えると為替相場がより不安定化することを明らかにした。

――研究の問題意識からお話いただけますか。

東アジアでは近年、事実上の経済統合が進んでいます。域内では貿易、投資、金融取引が増え、製造業の生産ネットワークも構築されています。こうした状況を踏まえ、鳩山由紀夫前首相が「東アジア共同体」構想を提唱したことはよく知られていますし、鳩山氏の退陣後も民主党はアジア重視の新経済成長戦略を打ち出しています。アジア重視の経済秩序を打ち立てることは、アジア全体の中での日本の活路を見いだす上で、もはや不可欠といえるでしょう。

しかし、域内には経済統合を阻む要素が存在します。たとえば関税が高かったり、為替相場の変動が大きかったりすれば、貿易や投資の妨げになります。関税についていえば、近年は自由貿易協定(FTA)や経済連携協定(EPA)の締結が進み、撤廃や引き下げが相次いでいます。これは経済統合にプラスに作用しますが、その分、為替相場の重要度が高まってきているといえます。

こうした問題意識から、RIETI研究プロジェクト「東アジアの金融協力と最適為替バスケットの研究」プロジェクト(プロジェクトリーダー:伊藤隆敏FF)において、地域通貨の安定性の研究に取り組んでいます。この研究プロジェクトでは、将来的には共通通貨バスケットを採用することが、日本にとって長期的に望ましい選択肢であると位置づけ、共通通貨バスケットに移行するまでの金融為替政策運営と、日本にとって最も適した形の共通通貨バスケットを探るという、政策に直結する研究を行っています。また、研究プロジェクト遂行の過程において、アジア通貨単位(AMU/Asian Monetary Unit)及びAMU乖離指標のデータを一橋大学グローバルCOE「社会科学の高度統計・実証分析拠点構築」との共同プロジェクトとして2005年から作成しており、RIETIのウェブサイト(http://www.rieti.go.jp/users/amu/index.html)で公開し、毎日更新しています。

――AMUとAMU乖離指標はどのようなデータですか。

AMUは東南アジア諸国連合(ASEAN)の10カ国に、日本、中国、韓国の3カ国を加えたASEAN+3の通貨バスケットで、東アジア域内通貨の加重平均値として算出されたデータです。欧州連合(EU)加盟国は統一通貨ユーロを導入する以前、欧州通貨制度(EMS)の下で欧州通貨単位(ECU)を用いていました。AMUの算出には、これと同様の手法を使っています。

一方、AMU乖離指標は、ASEAN+3の各国通貨が、それぞれの基準からどれだけ乖離しているかを測定した数値です。RIETIでは、日次ベースの名目AMU乖離指標と、各国のインフレ格差を調整した月次ベースの実質AMU乖離指標の2種類をアップロードしています。

16カ国の通貨変動を統計学的に分析

――東アジアで結ばれている通貨スワップ協定とAMUには、どのような関係があるのですか。

東アジアでは1997年の通貨危機を教訓として2000年にタイのチェンマイで第2回のASEAN+3蔵相会議が開かれ、2国間の通貨スワップ協定をネットワーク化することが決まりました。これがチェンマイ・イニシアティブ(CMI)です。CMIにより、自国通貨を買い支えるために必要な資金を、2国間もしくは多国間の通貨スワップで融通することが可能になりました。また、2010年3月には、2国間協定のネットワークを一本化したCMIマルチ化契約(CMIM)も発効しました。これで、すべてのメンバー国がCMIの枠組みに参加することになり、スワップ発動に関する意思決定のルールも共通化されました。ただし、こうした仕組みは通貨危機が起きた際に、その影響を最小限に抑える効果を持っているものの、日ごろから為替相場を安定化させる機能は持っていません。常に域内でサーベイランス(監視)を実行し、為替相場の変動を正確に把握して経済統合の障害にならないように安定化させる必要があります。AMUやAMU乖離指標及びこれまでの研究は、東アジアにおける為替相場政策協調に貢献するとともに、金融当局のサーベイランス機能の向上にも貢献するものと期待されます。

インド、オーストラリア、ニュージーランド、3カ国の通貨も研究

――地域通貨の安定性について研究を重ねておられますが、これまでの研究との違いを教えてください。

2008年にRIETIで発表したDP "Widening Deviationamong East Asian Currencies"(東アジアの通貨間で拡大する乖離)はASEAN+3の13カ国の通貨の乖離、つまり為替相場のばらつきを研究しました。AMU乖離指標のグラフによる検証では、実質、名目とも2005年ごろから乖離幅が広がっていることがわかりました。その後、2009年のDP "Analysis on βand σ Convergences of East Asian Currencies"(東アジア通貨のβ(ベータ)収斂とσ(シグマ)収斂に関する分析)では、ASEAN+3の通貨の乖離をβ収斂とσ収斂の手法を用いて統計学的に分析しました。どちらの研究においても、東アジアの通貨は近年、特に2005年以降に乖離が大きくなっていることが明らかになり、各国の通貨協調が重要とのインプリケーションが得られました。

今回は、これまでの13カ国にインド、オーストラリア、ニュージーランドを加えたASEAN+3+3の16カ国の通貨の乖離を、やはりβ収斂とσ収斂を用いて統計学的に検証しました。指標としては、ASEAN+3+3の16カ国の通貨をカバーするAMU-wideと、AMU-wide乖離指標(AMU-wide Deviation Indicators:AMU-wide DI)を用いました。これらのデータも2009年から、RIETIのウェブサイト(http://www.rieti.go.jp/users/amu/wide.html)でアップロードされています。

――AMU-wideとAMU-wide乖離指標は、どのようなデータですか。

AMU-wideはASEAN+3+3の国々の通貨バスケットと定義されるもので、AMUと同様の手法で算出しています。AMU-wide乖離指標は、ASEAN+3+3の各国通貨が、それぞれの基準からどれだけ乖離しているか示します。なおRIETIは2009年から、AMU-cmiも公表しています。前述したようにCMIMの成立が決まったので、これを受けてデータを多様化したわけです。AMU-cmiには、1)CMIMの資金総額1200億ドルに対する各国の貢献額の割合をバスケットシェアとして採用する、2)CMIMに新たに参加する香港をバスケット構成通貨として採用する――という特徴があります。

――β収斂、σ収斂とは、どのような考え方ですか。

経済成長論の分野でよく使われる概念です。通貨に当てはめて説明しますと、高めの通貨が安くなる一方、安めの通貨が高くなり、それぞれ平均値に戻るような動きがあれば、β収斂しているとみなします。例えばAMU-wideの16カ国の通貨を例に取ると、もし1点に収斂するとすれば、最も高めの通貨は最も早く下落しなければなりませんし、最も安めの通貨は最も早く上昇しなければなりません。こうした動きがあるかどうかを統計学的に計算し、有意なβ収斂があるかどうか判断をするわけです。

一方、複数の通貨の分散が大きくなっているのか、小さくなっているのかを見るのがσ収斂です。例えばAMU-wideの16カ国の通貨なら、その乖離幅の加重平均値が大きくなっているのか、小さくなっているのかを計算して、小さくなっていれば有意なσ収斂があるとみなすわけです。

――検証の結果はどうでしたか。

世界金融危機後、AMUやAMU-wideはドルやユーロに対し、それほど大きく変動しなかったのに対し、各国通貨の動きはばらばらだったことがわかりました。図表1はAMU-wide、つまりASEAN+3+3のバスケット通貨が、①対ドル②対ユーロ③対ドル・ユーロの通貨バスケットの3つに対して、どのように変化したかを示したものです。金融危機後の動きを見ると、AMU-wideはドル・ユーロの通貨バスケットに対して安定しています。しかし、ASEAN+3+3の各国通貨の動きは異なります。それを示したのが図表2で、明らかに大きなばらつきがあります。例えば韓国ウォンは、金融危機以前は基準年(2000~2001年)より10~20%割高でしたが、危機後に暴落し、一時は30%近く割安になりました。

図表1:AMU-wide為替レート
図表2:AMU-wide乖離指標

オーストラリアが加わると為替相場は不安定化

――新たな分析したインド、オーストラリア、ニュージーランドの通貨については、どのような知見が得られましたか。

インド、オーストラリア、ニュージーランドの通貨も世界金融危機の影響で激しく動いていました。他の通貨を見ても、円は高くなり、人民元はドルペッグに戻るという具合で、動きがばらばらです。つまり域内通貨の為替相場は大きく変動し、生産ネットワークや直接投資に悪い影響を与えました。

また、3カ国の通貨を加えると、為替相場が不安定化することがわかりました。図表3は、AMUの各通貨の乖離指標の加重平均値と、AMU-wideの各通貨の乖離指標の加重平均値を比べたものです。これを見るとAMUよりAMU-wideの乖離度が大きいこと、つまりASEAN+3よりASEAN+3+3の方が為替相場の変動幅が大きいことがわかります。

図表3:法人税を1%引き上げた場合の労働所得に帰着する租税負担(J)の変化

2009年のDPで為替相場が比較的安定していた2000年から2005年にかけての、ASEAN+3のβ収斂とσ収斂を計算したところ、両方とも有意な収斂を確認できました。ところが今回、同じ期間を対象にASEAN+3+3とASEAN+3+インドのβ収斂とσ収斂を計算したところ、どちらも有意な収斂が認められませんでした。この分析からも、3カ国の通貨を加えると、為替相場が不安定化することがわかりました。

ただし、2008年9月から2010年1月の期間を対象にASEAN+3+3とASEAN+3+インドのβ収斂とσ収斂を計算したところ、ASEAN+3+インドの方が相対的に収斂する傾向があることがわかりました。これはリーマンショック直後ですので、オーストラリア、ニュージーランドはインドに比べてショックの影響を受けやすかったこと、また、インドが管理フロート制を採っているのに対しオーストラリアやニュージーランドは変動相場制を採っているために、為替相場の影響を受けやすかったことが理由として考えられます。

――どのような政策インプリケーションが得られるのでしょうか。

インド、オーストラリア、ニュージーランドの通貨を加えると域内為替相場が不安定化するわけですから、域内為替相場の安定化に向けた通貨協調は、CMIがカバーするASEAN+3の枠組みで始めることが妥当と考えられます。また、ASEAN+3+3よりASEAN+3+インドの方が相対的に域内通貨の安定性が見られるわけですから、ASEAN+3が通貨協調を拡大するなら、オーストラリアやニュージーランドではなくインドを加えることを優先することができると考えられます。

――アジア通貨の為替相場のばらつきに対する各国通貨の寄与度も計算されましたね。

それが図表4で、AMU-wideの乖離指標の加重平均値に対する各国通貨の寄与度を示しています。これを見ると、例えば中国人民元の寄与度は、2005年の半ば以前のドルペッグ期に大きくなっていることがわかります。その後、寄与度は低下しましたが、2008年の半ばあたりから、再び大きくなりました。

図表4:加重平均したAMU-wide乖離指標の寄与度

これは中国の為替政策の変化を反映しています。同国の中央銀行、中国人民銀行は2005年7月に為替制度を改革し、人民元の対ドル為替相場が1日に上下0.5%の範囲で変動できる管理通貨制度を導入しました。これにより、その後の3年間で人民元の対ドル為替相場は約2割上昇しましたが、2008年9月のリーマンショックを受け、中国人民銀行は為替システムを対ドル固定相場制に戻してしまいました。つまり、中国が管理通貨制度を実施し、対ドル為替レートを柔軟化している期間は、寄与度が小さくなっているのです。その後、米国が人民元の切り上げを強く求めたことなどを踏まえ、2010年6月に再び管理通貨制度に戻す方針を打ち出しましたが、これはアジアの通貨間の為替相場を安定化させる効果があるといっていいでしょう。

一方、円は2005年以降、寄与度が大きくなっています。これは2005年から2007年ごろまで円安で、その後は一転して円高に振れたためです。このほか韓国ウォン、オーストラリア・ドル、インド・ルピーも乖離への寄与度がかなり高くなっています。ニュージーランド・ドルも変動幅は大きいのですが、シェアが小さいため寄与度が小さくなっています。

――今後どのような研究に取り組むお考えですか。

世界金融危機の後、為替相場の変動が激しくなりました。変数として金利の変動、財政収支の変化、資本規制の有無などが想定されますが、精密に分析してみたいと考えています。

人民元の自由化も展望したいですね。今回の研究で、東アジア通貨の乖離指標の加重平均値に対する人民元の寄与度が高いことがわかりました。今後、元高になることが東アジアの通貨の安定に寄与すると思われますが、それを踏まえて人民元改革の必要性を分析してみたいと思います。

解説者紹介

一橋大学商学部卒業、同大学で商学博士号取得。1986~88年一橋大学商学部特別研究助手(ハーバード大学経済学部客員研究員)、カリフォルニア大学バークレイ校経済学部客員研究員、一橋大学商学部助教授などを経て1999年から現職(一橋大学)。2004年よりRIETIファカルティフェロー。主な著作は「国際通貨システムの安定性」(東洋経済新報社・1998年)、「中国の台頭と東アジアの金融市場」(共編著・日本評論社・2006年)、「東アジア通貨バスケットの経済分析」(共編著・東洋経済新報社・2007年)など。