Research Digest (DPワンポイント解説)

銀行危機の貨幣的モデル

解説者 小林 慶一郎 (上席研究員)
発行日/NO. Research Digest No.0047
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昨年秋の米国発の金融危機に端を発した世界的な景気後退は、金融システムの混乱が実物経済に与える影響の深刻さを改めて私たちに示した。相次ぎ打ち出された緊急対策により、世界経済の混乱は小康状態を取り戻したが、危機への対応策のあり方についての評価軸は定まっていない。こうした中、小林慶一郎SFは、財政出動・金融緩和・銀行改革という一連の危機対応策の有効性を評価するための枠組み(理論モデル)を構築した。

このモデルから得られる政策的な含意は、不良債権処分と資本注入という銀行の支払能力を回復させる銀行改革こそが危機対応策として有効ということである。もちろん、財政出動は短期的な政策としての効果はあろうが、永遠に続けることができない以上、決め手にはなりにくい。金融緩和も同様である。

――今回の研究で提案された新たな理論モデルについて、その背景と目的をお聞かせください。

これまで10年近く、日本のバブル崩壊とその後の不況について、主に実物経済を対象として、さまざまな角度から研究を行ってきました。一方、今回の世界的な金融危機とその後に続く世界的な景気後退は、金融システムの混乱が実物経済に与える影響の大きさを、まざまざと私たちに見せつけました。資産価格が経済の実勢に比べて不合理な水準まで上昇し、それに従って債権債務関係が膨張したあとで急激な資産価格の下落が発生し、貸出の回収が困難になったという一連の状況は、日本のバブル崩壊も今回の金融危機も変わりはありません。今回の金融危機においては、金融商品が高度化したことにより債権債務関係が見えにくくなったという違いはあるかもしれませんが、本質的には、今回の危機でも実物経済の混乱の背後に、銀行の取り付け騒ぎに代表されるような貨幣の混乱があることが改めて示されたものと思います。

確かに今回の危機では、破綻しそうな銀行の前に顧客が列をなすような古典的な取り付け騒ぎは、英ノーザン・ロックなどを除けばあまり見られなかったではないかという声もあるかもしれません。しかし、それは預金保険制度の拡充というセーフティーネットによって、預金者は「たとえ銀行が破綻しても一定額の預貯金の元本は安全だ」と考えるようになったためでしょう。その代わり、そうした保証のない銀行間取引においては、信用力に欠ける銀行への短期資金の提供が進まず、資金繰りがつかない銀行が出てくるという状況が発生しています。

こうした経済情勢を理論モデルで表現し、さまざまな政策対応の波及効果を分析することは、政策評価や政策提言を行ううえで不可欠です。しかし、従来の銀行システムに関する研究で用いられているモデルは、私が知る限りでは、貨幣と実物経済を明示的に分けてはいませんでした。

たとえば、近年の銀行システムの研究に多大な影響を与えているのはDiamondとDybvigが1983年に発表した論文"Bank Runs, Deposit Insurance and Liquidity"ですが、この中では、極端にいうと貨幣が消費財と同じものとして取り扱われています。これでは、財物の交換媒体である貨幣の流通が進まない、または貨幣流通に目詰まりが起こることで実体経済にどのような影響が出るのか、といったことを分析することはできません。そこで、貨幣と消費財を分けて考えることのできる新たなモデルを構築しようと思いました。

"昼"と"夜"の2つのマーケットで分析

――具体的にはどのようにモデルを作られたのでしょうか

ややテクニカルな話になってしまいますが、これまで財物と貨幣を別のものとして扱うモデルができにくかった要因の1つには、市場の均衡を得るための数学的な解析が複雑になってしまうということがありました。この数学的な「壁」を乗り越えるアイデアを提供してくれたのが、LagosとWrightが2005年に発表した論文"A Unified Framework for Monetary Theory and Policy Analysis"です。彼らは、2つの市場を登場させることで、市場均衡の計算を容易にしてくれています。

私の論文では、この考え方を銀行システムの分析に応用して、昼の市場(Day Market)と夜の市場(NightMarket)を登場させ、銀行システムと実物経済の関係を記述しています。なお、すでに述べたように、今回の金融危機では銀行間の取引における資金の目詰まりが中心でしたが、わかりやすくするために本モデルではそれを銀行と顧客の間に置き換え、いわゆる取り付け騒ぎの状況を記述するようにしました。

――それぞれの市場はどのような役割を果たしているのでしょうか

簡略化して紹介すると、2つの市場は以下のような役割を果たしています(図1)。

図1:2つの市場の概念図

まず昼の市場では、現金のみが財の購入に使用できるという仮定を置いています。売り手と買い手がランダムに出会い、財の売買が発生します。売り手と買い手はお互いに面識が無いという前提ですので、決済は全て現金を使って行われます。財を購入したいと考えた人は、銀行で自分の預金から現金を引き出し、その現金を売り手に渡して財を得ます。売り手は銀行システムを信用している限り、手にした現金を銀行に預けます。

以上の取引が繰り返されることで、昼の市場では、実際に銀行に存在する現金の何倍もの財の売買が行われることになります。財の売買の活発化は生産を増加させます。また、預金の利益率は厳密には現金の利益率を上回ることから、昼の市場における財取引の活発化は銀行の支払い能力の向上につながります。

一方、夜の市場では、1日の取引が清算されます。銀行間の短期的な資金の貸借や、銀行が家計などに行っている貸出の清算なども行われます。こうした清算を通じて、銀行は翌日の昼の市場での現金引き出しに備えていくわけです。この夜の市場で貸出の返済が滞ったり、銀行間の資金の貸借がスムーズに行われないと、翌日の昼の市場における資金制約につながり、その情報は預金者にも伝わります。こうして夜の市場で起きたトラブルが、銀行システムへの信頼の上に成り立っている昼の市場での財取引を揺るがすことになるわけです。

信用不安が貨幣の動きを止め、実物経済にも悪影響

――このモデルでは金融危機はどのような形で起きるのでしょうか。

最もわかりやすい事例は、昼の市場の参加者が将来の不安などにより、突然パニック状況になるというものです。平常であれば、昼の市場の参加者はいつでも自分の預金が現金化できると考え、財の購入に必要な額以上の現金を持とうとはしません。さらに、財の売り手も受け取った現金はすぐに銀行に預け、必要以上の現金を持とうとはしません。

しかし、昼の市場の参加者が「近い将来、自分の預金が必要なときに必要なだけ引き出せなくなるのではないか」との不安に襲われ、いわゆるパニック状況に陥ると、自分の預金を全額引き出そうとします。しかし、市場参加者が銀行に多数押しかけても、銀行では貸出などにより預金を運用しているため、十分な貨幣がありません。こうしたパニック状況では、財を売った市場参加者も不安から受け取った現金を銀行に預けなくなります( いわゆる"タンス預金")。以上により、すぐに銀行の貨幣が底をつき、財の購入に必要な現金を得られない市場参加者も出てきます。一部の人しか預金を引き出せなくなる状況が現実のものになると、預金者はますますパニック状況に陥りますし、貨幣不足は財の売買を停滞させ、生産を低迷させ、景気に悪影響をおよぼします。

もちろん、このような状況になれば、中央銀行から貨幣が供給されるでしょう。しかし、それまでのタイムラグが財の売買を停滞させますし、預金を引き出す動きが止まらなければ、せっかく追加的に供給された貨幣もすぐに底をつきます。こうした動きは、市場参加者がすべての預金を引き出すか、銀行に対する信用が回復するまで続くことになります。

より近年起きた現象に引き寄せれば、夜の市場において銀行が行っている貸出が焦げ付く、もしくは焦げ付きそうな見通しになることで、昼の市場の参加者が預金引き出しに走るといい換えてもよいでしょう。貸出の焦げ付きの主な原因は資産価格の低下にあるわけですが、財取引が停滞することは資産価格にも悪影響をおよぼします。それが新たな貸出の焦げ付きを生む、もしくは生みそうだと預金者に思わせることで、さらなる預金引き出しを誘発します。

この結果、貨幣はさらに不足、財の売買が一段と停滞することになるわけです。

金融政策、財政政策ともに対処療法でしかない

――このモデルにおいて、金融危機への対応策はどのように捉えることができますか

昼の市場において財取引が停滞する直接の原因は、貨幣、つまり支払い手段が不足することにあります。緊急対応としては2つの方法が考えられます。

まずは金融政策を通じて、必要な貨幣を中央銀行が各銀行に提供し、預金者が引き出せるようにするというものです。ただし、この際、健全な金融機関にだけでなく、信用不安に陥っている金融機関にも貨幣を提供しないと、昼の市場における財の売買を支えることはできません。さらに、取り付け騒ぎの原因である銀行の不良債権問題が解決されない限り、中央銀行は永遠に貨幣供給をしなければならなくなります。これではきりがありません。

緊急対策として金融政策をとることは必要でしょうが、銀行システムへの信用を取り戻すための不良債権処理や資本注入が行われることが重要です。このことは、日本の金融危機の経験からも明らかです。

次に支払い手段を財政政策、すなわち市場参加者の代わりに、政府が財政資金を用いて財を購入し、売り手に貨幣を渡すという方法も考えられます。しかし、このケースでも銀行システムに対する不安が解消しない限り貨幣は銀行に戻ってきませんので、政府は購入した財を保有し続け、また、財政資金を使って財を追加購入する必要があります。金融政策と同様に、これもきりがないといえます。

以上のことから、不良債権処理と資本注入という銀行の支払い能力を回復させる銀行改革が、財貨の取引回復や資産価格の改善につながる決め手であることがわかります。政策コストは、資本注入額の大きさなどから事前には莫大に見えるかもしれませんが、銀行システムが健全化したのちに、個々の銀行が注入された公的資金を返済することになれば、最終的にはわずかなものにとどまります。

図2:政策的含意

米国に広がる楽観論の落とし穴

――今回の金融危機への各国の対応策をどのように評価しますか

世界的な金融危機の震源地である米国おいて、米連邦準備理事会(FRB)の対応は金融緩和の早さ、規模の大きさという面からも、過去の日本の金融危機対応における反省が活かされているものと考えています。緊急対応としては、こうした金融政策は必要であったのでしょう。

現地の報道などを見ていると、住宅価格の底入れなどを反映して、米国内では早くも楽観論が広がっているようです。こうした楽観論が銀行システムへの信頼感を高めれば、私のモデルで示したように財の売買が活発化して景気が回復し、資産価格の上昇を通じて、銀行への信頼感が高まるという好循環になるかもしれません。

ただし、私自身はそこまで楽観的にはなれていません。確かに、住宅価格は底入れしたかもしれませんが、商業用不動産の低迷は続いています。これが資産価格を下押しすれば、現状ではいったん落ち着きを取り戻した銀行システムへの不安を再燃させる恐れがあります。さらに、10%を超す高水準の失業率が消費を冷え込ませ、実物経済が低迷、それが新たな不良債権を生むという、まさに1990年代の日本が経験した悪循環も懸念されます。

米国では、今までのところ、1990年代末から2000年代前半の日本のような積極的な不良債権処理は進んでいないように思われますが、着実な不良債権処理が求められるのではないでしょうか。

さらに、今後の世界経済を見た場合、これまでのように米国経済、米国の消費需要だけで世界を引っ張っていくことは困難と考えられ、新興国も含めた世界各国がそれぞれの内需を拡大していくことによるバランスのとれた世界経済の構築が必要です。しかし、現状では、世界景気回復の最大のけん引役として期待される中国ですら、経済成長の第1の原動力は輸出という考え方から脱却できずにいるようです。みんなが他国の内需拡大策に期待するという経済は、基調としてはまだまだ弱いものと評価せざるを得ないのではないでしょうか。金融システム、国際貿易、実物経済の安定化、活性化策を先進国だけでなく、G20諸国レベルで議論していかないと、1930年代の世界恐慌時のような近隣窮乏策が次第に広がることも懸念されます。

――今後の研究をどのように展開する予定ですか。

今回提示したモデルは、銀行と預金者の関係から金融危機を表しています。しかし、前述したように現実に起きているのは、金融危機に伴い銀行間の信頼関係が崩れ、銀行間での貨幣のやり取りが進まなくなるという現象です。そうした銀行同士の関係をわかりやすく記述する方法について検討しています。

さらに、金融危機と景気循環を合わせて分析できるモデルの枠組みの開発も検討中です。通常の景気循環と、金融危機との違いは何か、それにより政策の評価の在り方は変わってくるのかという部分について分析ができるようにしたいと考えています。

解説者紹介

東京大学大学院修士課程修了(数理工学専攻)、シカゴ大学大学院博士課程修了(経済学)。
通商産業省入省。RIETI研究員、朝日新聞客員論説委員を経て2007年より現職。中央大学公共政策研究科客員教授/キヤノングローバル戦略研究所研究主幹/東京財団上席研究員。
主な著作に『日本経済の罠-なぜ日本は長期低迷を抜け出せないのか』(共著)(日本経済新聞社、2001年)、『逃避の代償―物価下落と経済危機の解明』(日本経済新聞社、2003年)、『経済ニュースの読み方』(朝日新聞社、2005年)。