Research Digest (DPワンポイント解説)

日本企業によるFTAの活用

解説者 浦田 秀次郎 (ファカルティフェロー)
発行日/NO. Research Digest No.0043
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2002年にシンガポールとのFTA(自由貿易協定)を発効させた日本は、その後もメキシコ、チリ、東南アジア諸国連合(ASEAN)など9カ国・地域と相次ぎFTAを締結。現在もインドやオーストラリアと交渉を進め、FTAネットワークを急速に拡大させている。浦田FFはRIETIと日本商工会議所が実施した企業へのアンケート調査を基に、メキシコやチリなどとのFTAについて利用実態を分析。その結果、FTAの利用は人員や資本に恵まれ、相手国に拠点を持つことができる大企業にもっぱら限定され、業種も自動車産業(完成車、部品)など特定分野に集中していることがわかった。

浦田FFはこの背景として、FTAに関する情報がまだ浸透していないこと、貿易量がさほど多くない中小企業にとっては原産地証明の取得コストや手間が大きな負担になっていることなどの理由を挙げ、FTAの活用に関するより積極的な広報活動や原産地証明取得コストの軽減を目指す新たな政策が必要だ、と指摘している。

――2006年11月にも同様の調査を実施していますが、今回の調査で新たに設けた項目はどの部分でしょうか。

まず、アンケート調査対象企業の所在地域が増えたことにより、企業数も格段に多くなりました。前回の調査は京都、大阪、神戸の企業を対象に実施し、回答企業数は469社でしたが、今回RIETIと日本商工会議所が2008年2月に共同で実施した調査では、京阪神地区だけでなく東京、名古屋の企業も含まれます。対象企業10953社からの有効回答は1688社に達し、機械、化学など輸出型企業が多くなっています。また、サンプル数が増えることを踏まえ、前回では触れていなかった「業種別」の分類も試みました。

また、対象FTAについては、前回は日本-シンガポール、日本-メキシコ、日本-マレーシアでしたが、今回は日本-シンガポールを日本-チリに入れ替えました。

――シンガポールをチリに入れ替えた理由は?

シンガポールはもともと関税率が低く、FTAでは関税対象品目が4つしかありません。日本企業がシンガポールに輸出する場合、FTAを使う必要が無いため、FTA利用率が低いのです。前回調査後の07年に日本-チリFTAが新たに発効したこともあり、新たな項目としてこれを取り上げることにしました。

――母集団が違うのでそのままでは比較できませんが、それでも前回調査に比べ、日本―マレーシア、日本―チリFTAでいずれも利用率が大きく増加しています。この背景は何でしょうか。

FTAに関する情報がより多くの企業に浸透したことと、実際にFTAを利用した企業の経験や知識が他の企業にフィードバックされたことなどが挙げられます。もちろん、経済産業省や日本貿易振興機構(JETRO)、各地の商工会議所による広報活動の成果もあるでしょう。

企業規模や業種別の分析を導入

――分析手法について教えてください。

まず、3つのFTAそれぞれを各企業が利用しているかどうか、イエスかノーで答えてもらいました。これを1と0の被説明変数として、1)「従業員数」「資本金」「売上高」といった企業の規模、2)「その国に拠点を持っているか」、「その国が主要な貿易相手国かどうか」といった相手国との関係、また3)業種などの企業の属性によってFTA利用の有無を説明できるかどうかというプロビット分析を行いました。

表1:日本企業によるFTA利用率

――結果はどうでしたか?

まず、1)企業規模について、規模のはかり方としては「従業員数」「資産」「売上高」の3つとも試しました。結果は3要因とも同様で、企業の規模が企業がFTAを使うか使わないかを決める要因になることがわかりました。次に2)その企業がFTA相手国とどのような関係があるかという点についても、当初たてた仮説(予想)の通り、貿易量が大きい、主要な貿易相手国としている、現地に拠点を持っているなど、経済関係が緊密な相手国に対してFTAの利用に積極的であることが証明できました。

こうした結果になった1つの理由としては、FTA利用に必要な原産地証明を取得するために、原材料の情報を集めたり、申請書類を作成するなどの手間やコストが、中小企業にはかなりの負担になるためではないかと思われます。コストがかかってもそれに見合うメリットがあれば企業はFTAを利用するわけです。1つの商品の原産地証明でいくらでも輸出できるようになっていますので、輸出量の少ない中小企業よりも輸出量の多い大企業にとってメリットがあります。ですから、今後は中小企業によるFTAの利用促進を目指すような政策が求められます。

表2:企業がFTAを利用する決め手となる要因

「自動車」で高いFTA 利用率

――今回新たに導入した業種別の分析結果はいかがでしょうか。

関税率は各国で品目ごとに細かく違いますから、業種(輸出する製品)別に分析を試みる意義は大きいと思います。たとえば、ある国への輸出で、関税が20%から無税になるのと、もともと2%だったものが無税になるのとでは輸出企業に対するインパクトが違います。

メキシコは自動車や鉄鋼に高関税をかけているので、完成車・部品メーカーともにFTAを利用する傾向が高いことがわかりました。これは日本-マレーシアFTAや日本-チリFTAにも当てはまります。逆に繊維産業については、関税率が低いことからチリとの貿易では「使わない」という傾向も明らかになっています。

表3:FTAを利用しない理由

原産地証明取得コストが負担に

――FTA利用には欠かせない原産地証明の取得が、企業の負担になっているということですが、何か対策はあるのでしょうか。

原産地証明の負担を軽減する方法のひとつとして、商工会議所などの公的団体に証明してもらうのではなく、企業が自ら原産地を証明するいわゆる「自己証明」制度があります。韓国が結んだFTAの中には、既に自己証明を採用しているものがいくつかあり、日本もスイスとのFTAで導入が決まっていると聞いています。もちろん、こうした制度を導入する際には、虚偽の証明など違反を取り締まる必要がありますが、たとえば数量ベースや実績ベースによる登録制として個別企業により自己証明を認めるなど、手続きを簡素化してもいいのではないかと思います。

このほかにも、原産地規則の定義は国ごとに違うので、証明取得の手続きも貿易相手国により異なりますが、同じ商品であれば全てのFTAで同じ証明が使えるような制度になれば、利用する企業の負担は減ることになります。本来なら世界貿易機関(WTO)などの枠組みで原産地証明の定義を統一化していくことが望ましいと思いますが、FTAの締結などにより関税率の引き下げが進む中、原産地規則をより複雑なものにして、原産地証明取得手続きを保護維持の手段、つまり非関税障壁として使う動きもあります。

あとはいわゆるペーパーレス化です。たとえば原材料の情報が電子化されて蓄積されていれば、クリックひとつで取り出すことが可能です。このような制度設計と技術的な効率化がぜひ必要となりますが、特に途上国においては対応が難しいのも現状です。そこで先進国からの支援も必要となってくるでしょう。日本が各国と結んだEPA(経済連携協定)の中にはこうした協力も盛り込まれているものも多くあります。FTAをより活発に使える環境づくりが重要です。

――中国など、より貿易量の多い相手国とのFTAをもっと締結する必要がありますね。

その通りです。日本がこれまでFTAを締結した国・地域との貿易額は、全体の10数%に過ぎません。やはり、中国や米国、欧州連合(EU)とのFTA締結が急がれます。韓国も日本と同様に農産物保護で問題を抱えていますが、米韓FTAは妥結して批准待ちですし、EUとも締結が間近です。FTAを推進するにはやはり政治のリーダーシップが必要なのではないでしょうか。

表4:FTA利用の効果

――これまでのWTOの成果として関税率が下がってくると、FTAのメリットは減るのではないでしょうか。

ご指摘の点は事実ですが、国によって、まだ関税率の高いものも残されています。また、今のFTAは関税の優遇に代表される貿易の自由化だけを目指しているわけではありません。条文に非関税障壁の撤廃や貿易の円滑化が明記されることも多くなっています。FTAには、サービス貿易の円滑化、投資の自由化、そして援助や協力、さらにはヒト(労働者)の移動など、WTOでカバーされていない分野が盛り込まれるようになってきていますので、FTAの重要性は増しているといえます。

アジアのFTA ネットワーク構築が必要

――日本のFTA戦略における政策対応をどう評価していますか。

農産物の市場開放といった問題が絡んでくるため、日本にはまだ反対派が強いですね。FTAを巡る内外情勢は公正に告知すべきですし、政策を国民に説明するにはメリット、デメリットを知ってもらわないといけません。そうした細かい情報は研究者が提示すべきです。

日本の国内総生産(GDP)に占める輸出の割合は10数%しかありませんが、今回の経済危機で輸出の減少率が一番大きかったのは日本でした。輸出が伸びれば経済は大きく改善します。相手国に市場を開放させるためには日本も同様に開放していくことが必要ではないでしょうか。日本の経済成長を現状並み以上の水準で維持していくためには、成長率の高い地域への輸出を維持することが有効な手段です。そのためにもアジアの多くの国とFTAを締結し、拡大均衡を目指すべきです。

日本の将来を考えれば、自由化を進めるための政策をつくり、実行していくことが日本の生きる道で、ビジョンを持ったリーダー、研究者が積極的な議論を国民に提示していくことが求められていると思います。

8月に実施された衆議院選挙の与野党のマニフェストの中でFTAは言及されていますが、本格的には取り上げられていません。「対外経済政策」そのものが注目されにくい、というのもあるのでしょうが、輸出企業はもっと声を大きくすべきでしょう。

――今回の研究ではどのような政策インプリケーションが得られましたか。

今回の調査結果を踏まえると、FTAの利用率を上げるためには、制度の使い勝手をもっとよくして利用コストを下げるべきだ、ということがいえます。特に余裕資金に乏しく人員も多くない中小企業にとっては、原産地証明を取得するコストが大きな負担となります。全体で見ると、ほとんどの中小企業はFTAを利用していないといった状況です。差別的な制度や手続きを解消し、小規模な企業にとって負担となるコストを下げる政策が求められます。

――今後の研究計画についてお聞かせください。

昨年度RIETIで「FTAの効果に関する分析プロジェクト」を開始しましたが、今年度は、より細かな商品分類でFTA利用に関する情報を入手すべく、タイ、韓国、中国、オーストラリアを候補に調整をしています。タイやマレーシアなどでは、個別の商品の貿易についてFTAの利用に関する情報を政府当局が持っています。韓国も輸入に関しては、FTAを利用したかどうかがわかりますので、たとえばタイからマレーシアへの輸出の内訳分析とか、タイの日本からの輸入、チリから韓国向けの輸出などに関しても同様の分析が可能になります。

今回は「貿易創出効果・転換効果」といった貿易の効果を分析する前提として、そもそもFTAがどのくらい利用されているのかという点について調査・分析を行いましたが、将来的には貿易統計を使い、品目を細かく設定してFTAの効果を分析したいと考えています。また、今後の課題として、各国ごとに実際の関税率を入れて分析し、高関税率の品目に関してはFTA利用率が高いということを明確にできればと思います。もちろん関税削減のタイムスケジュールも盛り込まないといけません。FTAの効果については、欧米や中南米などにも取り組んでいる研究者がいますので、世界的なネットワークづくりが可能です。

FTAそのものも内容が複雑化しているので、分析が難しくなってきていますが、FTA締結による投資への影響についても調べてみたいですね。たとえば、貿易自由化で完成車の関税が下がれば現地生産が減少するとか、部品の関税が下がれば完成車工場への投資が増える、などという影響です。

解説者紹介

慶應義塾大学経済学部卒業。スタンフォード大学大学院経済学部修士 号取得、同大学大学院博士号取得。1978年から81年までブルッ キングズ研究所研究員、81年から86年まで世界銀行エコノミスト。 94年より早稲田大学社会科学部教授、2005年より現職。その間、 国民金融公庫総合研究所所長などを歴任。2002年よりRIETI ファ カルティフェロー。主な著作は『国際経済学入門』(日本経済新聞社)、 『日本のFTA戦略』(日本経済新聞社、共編著)、『アジアFTAの時代』 (日本経済新聞社、共編著)、『FTAガイドブック2007』(日本貿易 振興会、共編著)など。