Research Digest (DPワンポイント解説)

知的財産権制度の新たな地平線・序説
-これからの知的財産制度のあり方への見直しの視点-

解説者 清川 寛 (元上席研究員/(財) 国際超電導産業技術研究センター専務理事)
発行日/NO. Research Digest No.0037
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知的財産権(知財権)制度のあり方が問い直されている。1980年代以降、世界的に「プロパテント(特許重視)」政策が広がり、日本もその流れに乗って権利保護を強化してきた。ところが近年、オープンイノベーションの進展に代表される技術開発のパラダイムシフトやプロパテント化の弊害の表面化を背景に、米欧で「アンチパテント(反特許)的」ないし「プロパテントの見直し」の動きが出ている。果たして日本だけがプロパテント一辺倒のままでよいのだろうか。こうした問題意識から、清川寛・元上席研究員は、RIETIポリシー・ディスカッション・ペーパー(PDP)「知的財産権制度の新たな地平線・序説?これからの知的財産制度のあり方への見直しの視点?」をまとめた。知財権制度の原理を再検証するとともに、今後の見直しに際して「依って立つべき視点」および具体的見直し点を提言している。

――どのような問題意識から本論文を執筆したのですか。

まず知財権制度をめぐる国際的な潮流を時系列的に把握してみましょう。1980年代以降、米国が権利保護を重視するプロパテント政策を推進し、やがて先進国中心にその流れが広がり、95年にGATT(関税・貿易に関する一般協定)のウルグアイラウンドでTRIPs協定(知財権の貿易関連の側面に関する協定)が成立し、WTO加盟国は知財権の最低水準の保護確保・強化や権利行使手続きの整備などを義務付けられました。このような中で日本も保護強化に転じ、2002年には「知財立国」を宣言するなど、積極的にプロパテント化を進めました。

ところが、このところ流れが変わってきました。米欧では知財権を制限するアンチパテント的な動きが強まっています。果たして日本だけが安易な保護強化のみのプロパテント一辺倒でよいのでしょうか。今パラダイムは変化しつつあり、知財権のあり方を見直す時期になったと判断し、「見直し」を行うに際して、留意し依って立つべき「視点」を、知財の原理に立ち返りまた広く社会経済的・制度的要素も加味しつつ、まとめてみました。

――米国でのアンチパテントの動きとは、どんなものですか。

連邦最高裁や、かつて特許権を強化するために設立された連邦巡回控訴裁判所(CAFC)が、特許権を制限するような判決を出すようになりました。いくつかのものがありますが、代表的なのが「eBay」事件をめぐる2006年の最高裁判決です。

この訴訟はオンラインオークション大手eBay社の「Buy it now 機能」をめぐるものです。連邦地裁は原告・特許権者の権利をeBay社が侵害したと認定したものの差止命令は出さなかったところ、控訴審のCAFCは、特許侵害の場合は自動的に差し止めるという従来の原則論に立って差止命令を出しました。ところが最高裁は、差止が本来属する衡平法の原理に戻って4つの要素試験を行うべきと判示し、この試験に基づいて判断しなかったCAFC判決を破棄しました。つまり差止のハードルを上げたことになります。

また競争当局による知財権制限の動きも再び活発化し、米連邦取引委員会(FTC)は2003年の報告で、いたずらに特許権を付与すればイノベーションを阻害する恐れがあることなどを指摘しています。

――アンチパテントの動きは欧州でも広がっているのでしょうか。

欧州特許庁(EPO)は「未来へのシナリオ」として2025年に向けての4つのシナリオを出しました。これは政策提言ではないものの、今後のあり得る姿を予想しており、その中で、知財権保護の緩和、差止権を行使しない「ソフトパテント」の導入や、特許庁の廃止とそれに代わる「知識庁」(知財保護よりむしろ普及を目的とする組織)を創設するというようなものまでありました。また独禁法の適用についても、EU当局は従前から特許権の濫用などへの介入に積極的で、例えば2004年にはマイクロソフトのライセンス行為を独禁法違反と認定し多額の課徴金を課しました。

――どのような理由から、そうした見直しの動きが出てきたのでしょうか。

最大の要因は特許権等が増えすぎました。また技術進歩が速まると同時に複雑化・高度化したことです。1人で技術や製品を開発するのが難しくなり、大勢が知恵を出し合い連携する「オープンイノベーション」が提唱されるようになりました。知財権で排他権を主張するより、相互に技術利用を促進する必要が高まったわけです。インターネットの急速な進展も見逃せません。いわゆるネットワーク経済が発展し、「Web2.0」時代の到来によってユーザー発信型コンテンツも増え、従前の著作者保護だけでよいかと言う議論がなされています。さらにグローバル化の進展、新興国の台頭、地球規模の環境問題の顕在化、資源枯渇などの問題も知財権のあり方に影響しています。

――プロパテント化の弊害とはどんなものですか。

代表的なのが「特許の藪」です。現在では1つの製品に数百もの特許がかかわる場合もあります。このため製品や技術を開発するには、藪のような特許の藪をかきわけて進まなければなりません。交渉コスト、ライセンス料も大きな額になるので、開発の阻害要因になりかねません。「パテント・トロール」の横行もやっかいな問題です。これは、自分ではその知財権による製品やサービスを提供しないにもかかわらず、その知財権を利用していそうな者(主に大企業)に巨額の賠償金やライセンス料を得ようとする行為で、その知財権の社会的貢献が阻害されかねません。こうした問題を防ぐためにも、プロパテント政策の見直しが必要になってきました。

――日本の動きは、どのようなものだったのでしょう。

日本は戦後、米欧から技術を導入して発展しましたが、90年代に入ると海外先進国へのキャッチアップがほぼ終わり、自前で基礎技術から開発する必要に迫られました。加えて米欧がプロパテント化したため、海外からの技術導入が難しくなりました。このため90年代後半から、当時の日米協定に対応する必要もあって知財権強化の方向に舵が切られました。そして2002年には当時の小泉純一郎首相が知的財産の戦略的な保護・活用を国家の目標とすると表明し、知的財産戦略大綱を決定しました。その後、知的財産戦略会議が知的財産戦略大綱を取りまとめ、その中で「知的財産立国」を表明し、更に知的財産基本法が公布・施行され、知的財産戦略本部が設置されました。これら一連のプロパテント政策は、それなりの成果を挙げてきたと思いますが、いくつかの疑問点があります。海外での変化や昨今の状況を考えれば、適切な見直しが必要でしょう。

――見直しに当たって、知財権の共通原理や正当化の根拠を論じていますね。

時代に即した知財権の見直しを行うには、やはりその共通原理や正当化の根拠を把握して行うべきだと思います。実は知財権制度が一群の法制度として扱われ始めたのは比較的最近のことで、制度全体に関する精緻な議論は多く無いように思います。

まず知財制度のそもそもの位置づけとしては、哲学者のロック、ヘーゲルらの議論もありますが、いわゆる「自然法的な権利の体系」というより、広くは経済社会の発展、狭くは個々の知的財産法制の定める直接の目的(例えば特許なら発明の奨励)のための「功利主義的な制度」ではないかと考えます。これは個々の法の直接目的の促進を強調すれば「インセンティブ(付与)制度」と言えますし、またそれを実現するための「(産業)政策的制度」とも言い得ましょう。

そして功利主義的制度の中の行為規範として、知財権制度は排他権(不正競争の防止)を定めています。ただし「個人の自由」は近代市場経済の前提ですし、利用や複製といった模倣行為には「模倣の自由」の原則もあります。「模倣」自体は、知識を伝え発展させる上で不可欠で、むしろ人類の発展に不可欠です。したがって、私としては排他権は必要最小限であるべきと考えます。

――市場との関係はいかがでしょうか。

近代市場経済においては、有体物だけでなく無体物も取引対象になります。私は、知財権制度は単に発明奨励制度ではなく、無体物を市場取引するためのルール(システム)でもあると考えます。そしてオープンイノベーションの進展で、知的財産の市場取引はますます重要になり、その促進が求められています。この「取引」の観点からは、その知的財産を取引可能なように市場に置くこと、即ち「開示」が重要になります。他方で情報取引においてはアローのパラドックス(秘密技術を開示すると模倣されてしまうので開示できず、該技術の取引ができない)からその開示に何らかの保護が必要となり、排他権、特に差止権の付与は開示促進的といえるでしょう。以上から、排他権の正当化は、従前は創作奨励を専らあげましたが、むしろ技術取引促進の観点からの排他権(差止権)付与が、より説得的であると考えます。

――公共との関係、社会制度としての効率性についての考察もお聞かせください。

知財権を私権あるいは財産権とする見方は最近流行ですが、倫理的な観点からは批判されています。単に私的な金銭欲を動機とする場合や、公共的な貢献がない場合には、安易な権利行使を控えるべきとしますが、この背景には「社会正義」の観念があります。この懸念には十分に配慮すべきです。また前述のように知財権が無体物の市場取引システムである以上は、市場秩序の一般法である独禁法の適用を受けるべきでしょう。

更に知財権制度が一つの社会システムである以上、それが社会システムとして運営できるのか、つまり運営コストが合理的な費用や手間の範囲内か、といった観点からの検討も必要です。このコスト面での「経費効率性」と同時に、その「妥当な運用結果」を確保するための適切な制度設計=役割分担からの「役割効率性」をも考慮する必要があると思います。

――そうした考察から、どのような制度見直しの視点が導き出されますか。

主な視点は4つです(表1)。第1に、知財制度本来の位置づけとして自然権ではなく功利主義的制度としての認識が必要です。即ち、知財権制度は功利主義的あるいはインセンティブ付与制度に過ぎず、排他権ですら絶対権的なものではなく緩和可能です。

第2に、今後はかつての「発明奨励」よりむしろ「連携=取引奨励」の視点が重要です。オープンイノベーションの時代にあっては、「創作奨励」以上に「連携=取引」「開示」を重視すべきで、そのための制度見直しが必要でしょう。

第3に、知財権の強化には慎重に取り組むべきです。財産権主義的傾向が強まることは、倫理的にも懸念されます。少なくとも「模倣の自由」や「個人の自由」の原則から、排他権の行使は必要最小限に抑えるべきです。

第4に、社会システムの観点からの見直しが必要です。知財権制度が社会システムとして成立するかどうかを見極めなければなりません。個々の手続きの行政コストと利益を比較して経費効率性を考えなければなりませんし、社会経済的に妥当な結果を導き出す役割分担効率性の視点も必要です。

表1:知財権制度の見直しの視点

――では、望ましい特許制度とは、どのようなものでしょうか。

「連携=取引促進」の観点、ひいては産業の発展を促進する観点から、発明自体は今後とも奨励すべきです。また質の面では、イノベーティブでパイオニア的な発明はその範囲を広く認めて保護を厚くすべきでしょう。「連携=取引」を促進するには、早期の出願が望ましいと思います。「差止」は無くすべきではないですが、社会的損失を招く恐れもあるので、必要に応じて制限すべきです。

また出願件数は抑制すべきでしょう。出願は一概には責められませんが、年40万件というのは多すぎないでしょうか(表2)。「進歩性」も問われます。既に公表されている技術や、既に市場に出回っている製品に採用されている技術などから簡単に思いつくようなアイデアは、原則として「進歩性がない」として拒絶すべきでしょう。この点、日本の進歩性基準は国際的に見ても厳しいと言われています。

表1:日本における特許の出願・登録状況

「補正」については、過度に制限すべきでないと思います。補正とは、特許を出願したあとに特許請求の範囲、明細書・図面などを修正することです。公開代償からは当初から完全な明細書などをそろえるべきかもしれませんが、先願主義では出願を急ぐあまり最初の時点で完全にできないことがあります。このため補正が認められているわけです。私は、取引対象たる特許の内容を充実させるには、適切な補正が必要と考えます。

このほか質の確保や適切な補正などを行う上でも、特許審査官の教育・訓練の充実も重要です。特定の分野の審査基準については、まずコンピューターのソフトウエア発明については、その策定に米国でビジネス特許が認められたような時代背景がありましたが、いささか緩和しすぎではないかと思います。また医薬品発明については、進歩性よりも倫理面から「発明」すなわち「産業上の利用可能性」が問題になりますが、近年、医療機械の機能や投薬方法が認められましたが、「人間を手術、治療または診断する方法」は特許化されていません。このため手術方法などの特許化要望があるようですが、これを認める米でも医師免責があり権利化の意義自体、疑問なしとしません。権利化には慎重であるべきでしょう。仮に儲けたいのならば、世界最大市場である米国で特許化すれば良いのです。

――2003年に廃止された異議申立制度については、どうお考えですか。

米国では特許審査の質を改善するため、パブリックレビュー制度が導入されています。これを受け日本の特許庁も日本版のパブリックレビューを開始するとしていますが、それならいっそ異議申立制度を復活させてはどうでしょう。異議申立制度は3000件以上の申立があり、事後的とはいえ「公衆審査」が行われていた格好です。なお最近、特許無効が増えているようですが、異議制度の廃止の影響もあると思います。つまり、異議で取り消されるべき特許が残ってしまったということです。廃止したばかりの制度を復活させることは難しいでしょうが、ならばパブリックレビューをそれに合うような形にできないでしょうか。

特許無効に関連して、裁判所が無効認定できる104条の3が創設されましたが、近時、同条での無効化を恐れて提訴(権利行使)を控える向きもあるように言われています。同条の創設がプロパテントだったかは、そのつもりでしたのでしょうが、疑問です。

――本論文は、どのような政策的インプリケーションを持つのでしょうか。

原理や正当化の根拠まで立ち戻るとともに、多様な角度から知財権を論じたのは初めてに近いのではないかと思います。特に排他権の正当化を、発明者インセンティブ(独占的利益)付与からよりも取引促進の観点からの意義を強調した点は新しいかと思います。いずれにせよ今後我が国ではイノベーション促進が必要ですが、そのためには権利者を単に保護強化するのではなく、むしろイノベーション促進的制度となるような知財制度の構築が重要であると思います。

本PAPでの指摘が、知財権制度をめぐる今後の議論に役立てば幸いです。

解説者紹介

東京大学法学部卒業、ジョンズホプキンズ大学SAIS留学。1980年通商産業省(当時)入省、知的財産政策室長、東京大学大学院客員助教授、立地環境整備課長、関東経済産業局総務企画部長などを経てRIETI上席研究員(~2008年7月)。現職は財団法人国際超電導産業技術研究センター専務理事。