Research Digest (DPワンポイント解説)

産業発展、企業ダイナミクスと生産性上昇のパターン
ーー戦前期における日本の綿紡績業の研究ーー

解説者 岡崎 哲二 (ファカルティフェロー)
発行日/NO. Research Digest No.0035
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経済発展の原動力である新しい産業の勃興や成長とは一体どのような現象なのだろうか。経済史の分野では、特定の産業に焦点を当てた研究が1970年代から活発化しているが、産業発展の過程やメカニズムなどを理解することは、新たな産業を育成する上で非常に重要である。

岡崎ファカルティフェローは今回のDPで、戦前期の日本経済を支えた紡績産業の個別企業ごとのデータを使って研究を行い、産業の勃興から成長、成熟という発展段階により生産性上昇のパターンが異なることを明らかにした。紡績業発展の初期段階では、個々の企業の学習効果で生産性が伸びた半面、成熟段階では個々の企業の生産性上昇に加えて、資源の再配分の要素が大きな影響を持つようになるという。また、発展パターンは産業によって異なるため、産業ごとに、それぞれの発展段階に即した政策のメニューを用意することが求められると岡崎氏は指摘する。

――どのような問題意識から、この論文を執筆されたのでしょうか。

私が専門としている経済史は歴史から経済に関する知見を引き出すことを目的としています。研究対象を現在の時点ではなく、過去の事象としているのは、過去の事柄の方がより客観的な評価が可能になるからです。政治家が「評価は後世の歴史家の判断に委ねたい」などと発言することがよくありますが、これは経済史の観点から見ても意味があります。つまり、現在の事象についての評価は、近い将来変わる可能性がありますが、過去の事象についてなら、その影響や効果を長期的な観点から客観性を持って評価できるからです。

さらに、その当時は利用できなかったデータや資料が、時間の経過によって利用可能になるケースがあることも大きな利点です。外交史などは、その典型例で、外交文書は機密のものでも30年たてば閲覧可能になります。こうした歴史研究一般にあてはまる利点は、経済史においても基本的に当てはまるので、経済学の研究分野の中では比較的地味かもしれませんが経済史の存在意義は大きいと考えています。

経済史研究の分野においては、1970年代頃から、特定の産業に焦点をあてて産業史という形で経済史研究を行うというアプローチが活発になり、今ではオーソドックスな手法になっています。

新しい産業がどのように勃興してきたかという発展の経緯をきちんと振り返ることは、経済発展の過程やメカニズムなどを理解するために重要であり、今後、どのように産業の成長が形成されるのかを考える上でも、意味があるのです。近年、新しい産業の育成の必要性が指摘されていますが、過去の事例を検証することは、新たな産業を育てていくのにつながってくると考えます。

「勃興」・「成長」・「成熟化」の全過程が把握可能な紡績業

――具体的な産業として紡績産業を取り上げた理由は何でしょうか。

まず、紡績産業の経済学的な観点からの位置づけを述べておきましょう。綿や羊毛などの短繊維を機械的によりあわせて糸にする紡績業は、19世紀、我が国では明治時代に起きた産業です。紡績業をはじめとする戦前の繊維産業について、一般には政府の関与が強かったという印象が持たれていると思うのですが、実際は、政府の関与は非常に小さかったのです。その意味では、戦前の日本という、いわば「市場経済の実験室」の中で、新しい産業が「勃興」→「成長」→「成熟化」という経路をたどっていくという現象を観察するには大変良い対象だと考えました。

どの産業を研究対象にするかを考えるうえで、紡績産業は3つの特徴があることが決め手になりました。第1に規模の大きさです。紡績産業は日本の初期の工業化をリードした大きな産業であり、当時の日本経済全体に占めるウェイトがかなり高かったのです。第2に、産業のスタートから成長、成熟という発展の経緯をすべて経験した産業でもあります。これは、産業の歴史を研究する上で、大変都合のよいポイントとなります。

第3に、詳しいデータが得られる点です。紡績業は例えば大日本紡績(現ユニチカ)や鐘淵紡績など個々の企業の規模が大きいこともあって、業界組織が早くから作られていました。

30年間で紡績業全体の労働生産性は2.1倍に伸長

――百年前の、個別企業ごとのデータをどのように入手されたのでしょうか。

紡績のデータは、大日本綿糸紡績同業連合会という業界団体の月報から入手することが出来ます。1889年5月に連合紡績月報として発刊されてからは、時期によって月報のタイトルは多少変わっても継続して刊行されています。企業レベルのデータがしっかり揃う1894年から1924年を基本的な分析の対象としています。月報に記載された綿糸の生産量は、政府統計に近いので産業全体のカバー率は非常に高いといえます。

経済史研究者の間ではそのデータの存在はよく知られていましたが、19世紀まで遡ることができるという点と、カバー範囲が非常に広いということをあわせて考えると、他の産業にはちょっと見られない特徴といえるかもしれません。

――綿紡績業全体はどのような発展パターンを示しているのでしょうか。

図1から読みとれるように、綿紡績業の発展は生産量によって3つの段階に分けることが出来ます。縦軸の生産量は対数をとっているので、グラフの傾きは成長率を意味します。

図1:日本の綿紡績産業の発展の推移

第1段階が1890-1899年で、生産量で見た成長率が非常に高い時期です。この時期には、輸入代替の急速な進展に加えて輸出も始まり、生産量が急激に増加したと考えられます。これに対し、第2段階は1899-1916年で、生産量の伸びは第1段階に比べてかなり緩やかになります。1916年ごろに輸出が大きく落ち込んだほか、輸入代替過程も完了し生産量の伸びが鈍化しました。第3段階は1916-1934年ごろで、生産量に対する輸出の比率が一段と低下し、生産量の伸び自体もさらに鈍化していきます。

つまり、第1段階の急速な成長から、第3段階の成熟=鈍化の過程へと発展段階が移行しているのです。1920代には、中国側の輸入関税の引き上げと日本国内の賃金高騰により中国市場への輸出競争力が急速に失われたために中国への直接投資が積極的に行われ、この当時に中国に進出した紡績業は、「在華紡」と呼ばれていました。こうした海外への直接投資が日本国内の空洞化を招くと考えるなら、成熟化の段階は産業史の観点から見れば、国内の紡績業の衰退への道につながるということができるでしょう。中国などへの海外投資と並行して、織布や製糸(絹糸)など多角化を目指す動きが紡績業に広がったのも、その頃からです。

当時の標準であった糸の太さ(20番手)に換算して各企業の労働生産性を計算し、業界全体として合計してみました。その結果、1894年から1924年にかけて業界全体で30年にわたって労働生産性が右肩上がりで増えていることがわかりました。1894年に比べて1924年時点では労働生産性は2.1倍高くなっています。

固定・シェア・参入など5つの効果に分けて、生産性の要因を分析

――30年にわたって高い伸びを維持してきたというのは驚きですが、どんな理由があったのでしょうか。

30年間にわたってこのような順調な成長を続けてきた源泉はどこにあるのかを考えるうえで、その要因分解を試みました。

産業全体の生産性の伸びを考える際に、産業を構成する企業がそれぞれ異なるという点に着目した研究方法です。個々の企業の生産性が産業全体の平均(加重平均)を上回る生産性の高さがある場合、その理由として考えられる5つの要因に分解して考えるのです。具体的には、① Within effect (産業内固定効果) ②Between effect (シェア効果) ③ Covariance effect (共分散効果) ④Exit effect (参入効果) ⑤ Entry effect (退出効果)――の5つです。

最初の3つ、つまり① Within effect ② Between effect ③ Covariance effect は、2つの異なる時点で存続している企業を対象にした議論です。順番に説明しますと、① Within effect は各企業の産業全体に占めるシェアが変わらない中で、生産性が上昇したことが産業全体の生産性上昇につながった効果を測るものです。それから、② Between effect は各企業の生産性は変わらずに、シェアが変わった場合、生産性が高い企業のシェアが向上したことが、産業全体の生産性上昇につながった効果を測るものです。さらに、③ Covariance effect は個別企業の生産性の上昇と、その企業のシェアのアップを掛け算した相乗効果が、産業全体の生産性向上にどの程度つながったかを見ています。

表1:綿紡績業の参入・退出企業数

次に、④ Exit effect は、ある時点(時点1)において生産性の低い企業が市場から退出することによって、産業全体の生産性がどの程度上昇したかをみるものです。退出とは、基本的には廃業などを意味します。

また、⑤ Entry effect とは、時点1とは異なる時点(時点2)において、時点1の産業全体の生産性を上回る企業が参入したことによる効果をみるものです。仮に、産業全体の生産性を下回る企業が参入したのであれば、その効果はマイナスとして表示されることになります。表1には、綿紡績業の参入・退出企業数の推移が示されています。

――研究結果のデータからは色々なことが読みとれますね。

表2では、図1と少し期間が異なりますが、やはり3つの時期に分けて分析しています。ちょっと技術的な話になりますが、労働生産性の推計式にEndyearダミー項を入れて、産業全体としての生産性ショックを捕捉したものです。

表2からあきらかなように、第1期(1894-1904年)では生産性ショックが有意に正に効いていますが、第2期(1904-1914年)からは有意性がなくなります。第3期(1914-1924年)になると、今度は退出効果が有意に負に効いています。このことは、産業全体の生産性の伸びが鈍化するなかで、資源の再配分が主要な生産性の上昇の源となっていることを意味します。

表2:労働生産性の推移結果の内訳

発展段階の初期・成熟期では生産性の上昇パターンが異なる

――こうした結果を総合すると、どのようなことがわかるのでしょうか。

今回の論文で一番強調したい点は、発展段階によって、産業の生産性の上昇パターンが異なることが研究の結果として明らかになったということです。

とりわけ、その発展の初期と成熟期の違いが大きいのですが、これは、発展の原動力の違いが大きいといえるでしょう。初期の段階では、産業の平均的な生産性上昇が、ほぼ完全に個々の企業の生産性上昇によって説明することができます。しかし、成熟期になると、個々の企業の生産性の上昇と並んで、広い意味での企業間での資源の再配分の要素が大きな影響を持つようになるのです。

ではなぜ、発展段階によって発展パターンが異なるのでしょうか?その理由として次のようなことが考えられます。まず、発展段階の初期には、個々の企業の学習効果が大きいので、生産性を伸ばす余地が大きいといえます。しかし、産業が成熟してくると、国内外での競争が激しさを増してくるので、限られた市場を企業どうしで奪い合うとうことになります。そうなると生産性の高い企業しか生き残れないという傾向が非常にはっきりと出てきたのではないかと考えられます。

そして、こうした発展のパターンは、個々の産業によって異なるはずですから、産業育成策を考えるのであれば、それぞれ産業とその発展段階に即した政策のメニューを用意することが求められます。

――今後の研究の課題は何でしょうか?

それぞれの産業の経済発展を支える要素として、初期の発展段階における生産性上昇が重要なのは、先ほど指摘したとおりですが、その背景として制度や組織の役割が大きいと考えています。今後は、企業組織内部の改革のほか、金融制度などが企業の参入や退出を促進する上で果たす役割などの論点を捉えて、研究に取り組みたいと考えています。

近代的な企業が勃興したのは明治から戦前の時期ですので、この時点における企業の組織などを考えるのは非常に意味があると思います。また、戦争中の企業の組織運営にも関心があり、企業内部にどのような変化が起きたのかという視点からも研究をしています。

解説者紹介

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学博士)。1986年東京大学社会科学研究所助手、1989年経済学部助教授、1996年-1997年スタンフォード大学客員研究員、1999年から東京大学大学院経済学研究科教授。2002年-2003年スタンフォード大学経済学部客員教授、2002年社会科学高等研究所(フランス)客員教授、2002年-2004年及び2007年からRIETIファカルティフェロー。主な著作は"Production Organizations in Japanese Economic Development"(編著)(Routledge)、『生産組織の経済史』(編著)(東京大学出版会)、『取引制度の経済史』(東京大学出版会)等。