Research Digest (DPワンポイント解説)

農地の転用期待が稲作の経営規模および生産性に与える影響

解説者 大橋 弘 (ファカルティフェロー)/齋藤 経史 (文部科学省科学技術政策研究所 (NISTEP) 研究員)
発行日/NO. Research Digest No.0034
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日本で農業改革の必要性が指摘され、その柱として農業経営の大規模化が期待されている。しかし現実には住宅や工場に転用され高値で売却できることを期待して農地を所有し続ける農家が多く、規模拡大はなかなか進まない。大橋RIETIファカルティフェローと齋藤NISTEP研究員は、農地転用による期待収入が稲作の経営規模および生産性に与えている影響について、初めて定量的に分析しDPにまとめた。

シミュレーション分析の結果、転用目的での農地売却価格が耕作目的での売却価格まで低下すると、平均的な稲作の作付面積は約30%増加し、労働生産性も約23%向上することがわかった。今回の分析によって、農地の転用収入への期待が農業経営の大規模化および生産性向上を妨げていることが、実証的に裏付けられた。

進む農地の縮小、進まない農業経営の大規模化

――どのような問題意識から本研究に取り組んだのですか。

〈大橋〉日本が人口減少による成長制約を克服し、潜在的な成長力を高めていくには、経済のグローバル化に対応した形で国内制度を整備していくことが不可欠です。その一環として重要と考えられるのが農業の生産性向上です。日本の食糧自給率(カロリーベース)は39%まで低下し、農地も1960年代頃からどんどん減っています。

そこで、なぜ食糧の供給基盤がこれほど脆弱になったのか、またこの状況を改善するにはどうすればよいのかを分析する必要があると考えました。

私にとって農業経済の研究は初めてでしたが、農業を一つの産業ととらえ産業組織論を用いた分析を行うことにより、政策論議のベースになる研究成果を提供できればと思いました。

――生産性向上の重要なカギと目されるのが農業経営の大規模化ですね。

〈大橋〉日本の農業政策においては、1961年に制定された農業基本法で「農業経営の規模の拡大を図る」と明記され、以後50年近くにわたって規模の拡大を目的とした政策が志向されてきました。ところが規模の拡大はなかなか進まず、国際的に見て日本の農業経営は小規模です。2005年の農林業センサスによると北海道を除く46都府県の1戸当たりの平均経営耕地は約95アール、北海道でも1645アールですが、例えばアメリカでは178ヘクタールで、46都府県の平均経営耕地は北海道の5.8%、アメリカの0.5%にとどまっています。

――なぜ大規模化が進まず、供給基盤である農地そのものが減少しているのですか。

〈大橋〉最大の理由として挙げられるのが、農地転用から得られる期待収入の存在です。農地転用とは、農地を住宅、工場、道路などに用地変更することです。こうした行為は農地法や農業振興地域の整備に関する法律によって原則的に禁止されていますが、農林水産大臣や都道府県知事から許可を得れば可能です。転用される際には周辺の宅地などに近い高値で取引されるため、小規模農家も簡単には農地を手放しません。これが農業経営の大規模化を阻害していると指摘されてきました。

〈齋藤〉また、貸し出した農地に対する転用は、借り手に対する補償などの余分な費用がかかります。このため、転用期待によって農地の貸し出しも抑制され、耕作放棄が選択されることが多いようです。

――本論文では、この問題をどのような観点から分析されたのでしょうか。

〈大橋〉実際に、今述べた転用収入への期待が、どの程度の影響をもたらしているのかを、産業組織論の観点から、定量的に把握する分析に取り組みました。

具体的には、農地の所有者は、土地を貸し出すか保有し続けるか、また保有し続ける場合でも、自身で耕作するのか耕作放棄をするのかという利用形態を、それぞれのオプションがもたらす収入の割引現在価値(=期待収入)に基づいて判断していると考えられます。よって、本論文では、農地のさまざまな利用形態に関する選択をモデル化し、農地の転用の期待収入が、どれほど農地利用の意思決定および農業全体の生産性に影響を与えているのかを、シミュレーションを使って明らかにしようと試みました。

転用の期待収入の高さが生む小規模農家の滞留

――どのようなデータで転用の期待収入を分析したのですか。

〈大橋〉まず農地転用に関しては総務省および農林水産省のデータを用い、転用目的と耕作目的に区分した田の売却価格としては、全国農業会議所のデータを用いました。これらのデータを使って転用目的の売却価格と耕作目的の売却価格を比べると、2004年の全国平均で転用目的の売却価格が耕作価格の売却価格を1アール当たり約208万円上回り、1年間における転用の期待収入は1アール当たり約6500円と求められます。これにより、転用の期待収入が農業経営の規模や耕作放棄に無視できない影響を与えていることが推察されました。

次に1990年、1995年、2000年、2005年の4時点における農林業センサスから農業経営に関するデータを取得し、転用の期待収入との関係を見ます。転用から得られる1年当たりの期待収入額を横軸、販売農家(総経営耕地が30アール以上の農家)の平均稲作作付面積を縦軸にとって散布図(図1)を描いてみました。すると転用の期待収入が大きい地域では販売農家の平均稲作作付面積が小さいという負の関係が読み取れました。また、転用の期待収入と自給的農家(総経営耕地が30アール未満の農家)の割合の関係を地域別に示すと(図2)、転用による期待収入が大きい地域では自給的農家の割合が高いという正の関係が現れました。2つの図表は、転用の期待収入が大きくなると農業経営の大規模化が進まず、小規模農家が滞留することを示唆しています。

図1:転用の期待収入と販売農家の平均稲作作付面積
図2:転用の期待収入と自給的農家の割合

――しかし、こうした散布図だけでは、転用の期待収入が農業経営に与える影響の大きさを正確に見極めることができませんね。

〈大橋〉その通りです。転用期待のインパクトを調べる為には、本来は転用期待が無い状態と比べなくてはいけないのですが、日本には農地転用の期待収入が存在しないような農家は存在しません。そこで、本論文では構造型推定(structuralformestimationmethod)の手法をつかい「転用期待が無い」状態をシミュレーションを用いて分析したことが、経済学的観点からのイノベーションではないかと考えています。

――どのような計量モデルを作成したのですか。

〈大橋〉農家の経営継続を含む経営規模の選択に関する計量モデルを作成しました。まず経営規模の決定については、2段階の離散選択モデルを考えました。農家は第1段階の選択として農業経営を継続するか否かを選択し、継続を選択した農家は第2段階として経営耕地規模を選択するとします。

また、耕作から得られる利潤は、農業経営の継続や規模の選択に影響を与えていると考えられます。しかし、稲作、畑作、果樹作では生産の構造も異なります。このため、今回は日本の農産物の中で最大のシェアを持つ稲作に焦点を当てました。まず、稲作の利潤を導出するため稲作の生産関数を推定し、平年並みの作況に基準化された稲作産出額の予測値を作成しました。こうすれば、農林業センサスから十分なデータを得ることができない自給的農家の稲作産出額も推計できます。生産関数の推定には色々なタイプの関数形を用いましたが、どの関数形でも有意な規模の経済が認められました。規模の経済を示す推定値は1.11~1.16で、規模の拡大が生産性の上昇をもたらすことを示しています。レファレンスとして選んだ2000年の新潟県を見ると、平年並みの作況における稲作産出について規模の経済が明確に読み取れます。(図3)

さらに、利用形態に注目して農地の現在価値を導出しました。利用形態に注目したのは、それが農家の離農および耕地規模の選択に影響を与えると考えられるためです。小規模農家であっても農地を貸し出さず、耕作を放棄して転用を待つことが経済的に合理的な選択となり得ることがわかり、転用の期待収入が耕作放棄を含めた農地の利用選択に大きな影響を与えていることが推察されます。導出された農地の利用形態ごとの現在価値を、離散選択モデルの一つである条件付ロジットモデルの説明変数として用いました。

図3:稲作販売額の予測値(Cobb-Douglas型による推計)

――条件付ロジットモデルとはどのような手法ですか。

〈大橋〉条件付ロジットモデルは、選択の背景に「何らかの利得計算」があると考え、そうした利得が選択に与える影響を定量化する手法です。農業経営の継続と経営規模の2つの選択があるので、二段階の条件付ロジットを用いました。1990年から2005年までの4時点において、3回の遷移を二段階の条件付ロジットモデルで推定した結果、現実をうまく説明できていることがわかりました。

〈齋藤〉ただし離散選択モデルから得られる推定値から直接に、農地転用期待が持つ影響の大きさを判断することは容易ではありません。このためシミュレーションを用いて、転用の期待収入が農業経営の継続および経営規模の選択に与える影響を定量的に評価する必要がありました。

――シミュレーション分析の結果はいかがでしたか。

〈大橋〉シミュレーション分析は、「1995年から転用目的の売却価格が低下し、2005年まで10年間転用期待がなかった場合」を想定して行いました。(表1)

表1:転用期待が10年間なかった場合の2005年のシミュレーション結果

期待収入の低下が小規模農家の減少、生産性の向上をもたらす

現実のデータとシミュレーション結果とを比較すると、平均作付面積は49アールから64アールへと約30%増加し、労働生産性に相当する1人1日当たりの販売額は4454円から5494円へと約23%増加することがわかりました。すなわち転用目的の売却価格が下がれば、稲作の作付面積および労働生産性は着実に上向くと考えられます。転用の期待収入が低下すれば小規模農家を中心に離農が促進され、稲作農業の生産性が向上するわけです。ただし労働生産性が向上したこのシミュレーションでも、販売額1円当たりの費用は平均3.42円で、赤字生産になっています。従って転用目的の売却価格が下がっても、それだけで日本の稲作農業の体質が短期間に大きく変わるとはいえません。

また、農地をめぐる経済学的なトレードオフについても、興味深いシミュレーション結果が出ました。生産関数には規模の経済がありますから、零細農家は大規模農家に吸収されるはずです。ところが転用期待があるため零細農家は農地を手放しません。つまり農地の資産価値が規模の拡大を妨げています。シミュレーションの結果、転用による資産価値向上の期待が規模の経済を覆すほど大きいことが示されました。現実のデータとシミュレーションを比較するため作付面積のヒストグラム(図4)を作成すると、小規模農家は大幅に減少しています。つまり、転用の期待がない場合には、小規模農家は10年もたてば5割程度はいなくなると考えられます。

図4:稲作の作付面積のヒストグラム

〈齋藤〉シミュレーションの期間を今回の10年からさらに延ばせば、効果が拡大する可能性もあります。

農地の売買価格の公表による透明性の向上と現行制度の見直しを

――本研究の政策的なインプリケーションをお聞かせください。

〈大橋〉本研究は、転用収入への期待が農業経営の大規模化と生産性向上を妨げていることを定量的に明らかにしました。規模の経済は存在するものの、転用期待の大きさが小規模農家の離農や農業経営の大規模化を阻害しているわけです。従って日本の農業の生産性を向上させるには、転用の期待収入を低下させ、小規模農家の滞留や耕作放棄を解消していくことが重要と考えられます。

〈齋藤〉現実問題としては、転用目的の売却価格と耕作目的の売却価格の差異を縮小することは容易ではなさそうです。しかし、そうした政策論議を促すためにも、まず農地の売買価格を詳細に公表していくことが重要でしょう。現状では農地の質に応じて、市町村単位で標準小作料が詳細に設定されている一方、売買価格は公表されていません。農地は公益的な性質を持っていますから、用途別の売買価格も詳細に公表されてしかるべきです。データが公開され、農地価格の情報が透明化されれば、転用期待問題の深刻さを政策論議の場で共有できると考えられます。また、将来的には、農地の転用であろうと耕作であろうと、目的に関係なく参照できる基準価格というものを導入していくことも、転用目的の農地保有へのインセンティブを低くするのではないかと考えられます。

〈大橋〉また、農地転用に関する現行の法律について、運用を総括してみる必要もありそうです。農地転用は農地法、農振法、都市計画法などによって制約されているはずですが、監督主体が複数存在するため規制内容が分かりづらく、政策運用されていないのが現状です。新しい政策を考える前に、まず現行制度の運用の見直し、適正化が必要ではないでしょうか。

――本研究を踏まえて今後、どのような研究に取り組みますか。

〈大橋・齋藤〉今回の研究は農地の所有形態に焦点を当てて生産性を分析しましたが、次は農地の利用形態に焦点を当てて生産性を分析したいと考えています。具体的には土地改良などを通じた農地の集約が図られた上で農業経営が行なわれた場合に、稲作の生産性がどれだけ高まるかを、定量的に分析したいと考えています。今後も実証研究を通じて、定量データをひとつひとつ積み上げていくことを通じて日本の農政になんらかの形で寄与できるようならば幸せと感じています。

解説者紹介

東京大学経済学部卒業。ノースウェスタン大学経済学博士号取得。2000年から2003年までブリティッシュコロンビア大学経営学部助教授。2003年から現職。研究領域は産業組織論、貿易政策、競争政策。主な著作は、"Effects of Technology Adoption on Productivity and Industry Growth: A Study of Steel Refining Furnaces," (T. Nakamuraと共著), Journal of Industrial Economics, 56 (2008)、"Learning by Doing, Export Subsidies, and Industry Growth: Japanese Steel in the 1950s and 60s," Journal of International Economics, 66 (2005)等。


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齋藤 経史

大阪大学経済学部卒業。東京大学大学院経済学研究科博士課程在学中。主な著作は、"A fallacy of wage differentials: wage ratio in distribution" COE-DP (2005)、"Do schools form human capital? Distributional divide and cohort-based analysis in Japan" COE-DP (2005)等。