Research Digest (DPワンポイント解説)

日本企業によるFTAの活用

解説者 浦田 秀次郎 (ファカルティフェロー)
発行日/NO. Research Digest No.0022
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多国間貿易交渉を補完する通商の枠組みとして自由貿易協定(FTA)の存在感が増している。

日本もすでにアジア諸国などとの間で5件が発効しているが、こうした流れを今後も持続していくためには、FTAが経済活動にもたらす効果を検証し、政策課題を明らかにしておく必要がある。

京阪神企業を対象に実施されたFTAの利用状況調査のデータをもとに分析した結果、FTAに関する企業の認知度は低く、利用も低調にとどまっていることが分かった。

しかし一方で、利用している企業では売り上げが増えているケースも2割程度あり、FTAが必要ないというのではなく、FTAを利用しにくくしている制度上の問題が浮き彫りになった。

中小企業を中心に企業への情報提供、支援体制を拡充するとともに、FTAの対象国を主要な貿易相手国まで広げていく努力が求められている。

FTAの利用度・認知度、予想以上に低く

――分析の動機からお聞かせください。

FTAは多国間貿易交渉を補完する通商の枠組みとして数が増えており、世界中で発効した協定の数は今年2月末時点で199に上っています。日本も2002年のシンガポールを皮切りに、メキシコ(2005年)、マレーシア(2006年)、チリ(2007年)、タイ(2007年)との間でFTAが発効しています。今後もこうした流れを持続していくためには、FTAが経済活動にもたらす効果についてきちんと検証し、政策課題を明らかにしておく必要があると考えていました。

2006年11月に大阪、神戸、京都の商工会議所とJETROが中心になって、京阪神に立地する企業がどのようにFTAを利用しているのかを調査しました。今回の分析は、その調査結果のデータをもとに行いました。アンケート調査では、調査時点ですでに発効していたシンガポール、メキシコ、マレーシアとの3件のFTAについて、企業の活用状況、その理由、経済活動への効果などについて聞きました。

――調査の結果はいかがでしたか。

利用状況を見ると、予想以上に低いことが分かりました。企業は原産地証明などの手続きを踏まえ、FTAのもとで低い関税率を享受できるわけですが、表1から分かるように、実際に手続きを行った企業の割合はシンガポールの場合が3.6%、メキシコが12.6%、マレーシアが5.5%にとどまりました(回答企業数469社に占める割合)。

表1 FTA利用の程度

FTAについて聞いたことはあるが利用していない企業が半数程度あり、FTAについてこれまで知らずにいて現在も関心がないと答えた企業が3割程度という結果でした。FTAが発効してからまだそれほど時間がたっていないということもあるでしょうが、FTAという枠組みが企業になかなか浸透していない実態が明らかになりました。

――FTAを利用していない企業がこれほど多いのはなぜでしょうか。

第一に、シンガポール、メキシコ、マレーシアとの貿易量がそれほど多くなく、企業側からすると、FTAを利用するメリットが小さいことが挙げられます。主要な貿易相手先といえば、やはり、米国や中国、EU、あるいは近隣の韓国、台湾などになるでしょう。また、シンガポールなどはFTAとは関係なしに、すでに関税率が低水準にあるため、この点でもFTAを利用するメリットが限られています(表2)。このように、企業にとってうまみの少ない国とのFTAが先行したのは、日本にとって農産物の輸入が比較的少ないなど、締結のしやすいところが優先されたためでしょう。

表2 FTAを利用しない理由

――FTAに関する知識が十分でないという回答もあります。

シンガポールの場合は回答企業の22.8%、メキシコの場合は16.0%、マレーシアでは24.1%という比較的多くの企業が情報不足を指摘しています。また、これとは別に、FTAを利用する際の手続きの煩雑さを指摘した企業があります。複雑な手続きをこなすのに必要な情報が十分に企業側に伝わっていません。この問題は、情報収集に十分なコストをかける余裕のない中小企業の場合、特に深刻なのではないでしょうか。

例えば、FTAのもとで特恵関税のメリットを享受するためには物品の国籍表示を義務付ける原産地規制をクリアしなければなりませんが、原産地表示を徹底するために必要な情報を収集する企業の負担は相当重くなります。先ほど貿易量が少ないためにFTAを利用するメリットが少ないと述べましたが、貿易量がある程度大きくないと、こうした固定費としてのコストを企業が吸収できないという実情があるわけです。

――その点は、実証分析でも確認されたそうですね。

今回、アンケート調査のデータをもとに、企業がFTAを利用する際の決め手となる要因は何かについて実証分析を行いました。被説明変数はFTAを利用しているか否かであり、説明変数として想定したのは、① 産業(製造業か否か)、② 資本金(10億円以上か否か)、③ 従業員数(100人以上か否か)、④ 海外売上高比率(50%以上か否か)、⑤ 当該企業がシンガポール、メキシコ、マレーシアに事業拠点を持っているか否か、⑥ 当該企業がこれら3国との間で緊密な貿易関係を有するか否か――以上の6点です。

結果を表3にまとめました。有意水準を+印で示してありますが、全体的に企業規模を表す② ③ の要因が有意にFTAの利用動向に影響を与えており、大企業ほどFTAの利用に積極的であるという結果が得られました。このことから、大企業ほどFTA活用にかかるコストを負担する力があると解釈できます。

表3 企業がFTAを利用する決め手となる要因

分析結果からはこのほか、(1)シンガポールとのFTAにおいては、海外拠点の存在が企業にFTA利用を促す要因になっている、(2)貿易の緊密度は、メキシコ、マレーシアとの場合にFTA利用を促す効果がある――以上の2点が明らかになりました。前者の結果については、日本の親会社と海外拠点との間の、いわゆる企業内貿易においてFTAが利用されている可能性があります。海外拠点がある場合、FTAの原産地規制をクリアするのに必要な情報の収集が容易になると考えられます。

利用企業の2割では「売り上げ増加」

――FTAを利用している企業では、どのような効果が出ていますか。

FTAの利用しにくい面は今後改善すべき点としてとらえる一方、FTAを利用した場合の効果はできる限り客観的にとらえ、評価すべきは評価する姿勢が大切だと思います。アンケート調査ではメキシコ、マレーシアとの間のFTAを利用したことで、どのような効果があったかを企業に聞きました(表4-1)。

表4-1 メキシコ、マレーシアとのFTAを利用したことによる効果

まだ明確な効果は確認できないとする企業が5割あった半面、売り上げが増加したと答えた企業が利用企業全体の約2割ありました。また、これら2つのFTAについての評価を聞いたところ、「わずかだが問題あり」「見直すべき」という問題点を指摘する声が、マレーシアとのFTAの方でやや目立つ結果となりました(表4-2)。

表4-2 メキシコ、マレーシアとのFTAに対する評価(%)

これは、メキシコとのFTAの方が、発効から時間がたっているという事情が影響していると思われます。FTAの影響は、ある程度時間が経過してから出てくる面があります。こうした観点も踏まえ、FTAの効果については慎重に見極める必要があると思います。

――FTAの効果については一般的に、どのように分析・評価されているのでしょうか。

貿易には様々な要因が影響を与えており、その中からFTAの効果を抽出するのは簡単なことではありません。その意味では、経済に与える影響に関する定量的な分析はまだ十分とはいえません。

さらに重要なのは、FTAの効果は経済的な側面にとどまらないという点です。米国が初のFTAをイスラエルと締結した例からも分かるように、FTAが国の国際政治戦略を担うこともあります。また、日本もそうですが各国が湾岸地域とのFTA締結を検討している背景には、資源の確保という動機があります。こうした多面的な背景を持った通商政策の手段としてFTAを評価することも大切です。

企業への情報提供など、公的機関の役割が重要に

――今回の分析結果から考えられる政策課題についてお話ください。

FTAの使い勝手をよくするという点ではまず、関連情報の提供や利用のためのノウハウの教示などを通じた、企業のバックアップ体制を拡充していく必要があります。これについては、経済産業省やJETRO、商工会議所など公的機関による支援が重要になってくると思われます。制度自体の見直しも検討課題として上がってくるのではないでしょうか。例えば、手続きの煩雑さが指摘される原産地規制ですが、現在の第三者証明(商工会議所などが原産地証明書を発給する)ではなく、企業自身が証明する自己証明も選択肢として考えられます。自己証明にすると偽造の危険が伴うわけですが、手続きの簡素化という点では検討される価値があり、実際、現在日本が交渉中のスイスとのFTA交渉では、この自己証明方式が採用される可能性が出ています。

第二に、FTAの対象国を順次広げていき、FTA自体を企業にとって、より利用価値のあるものにしていくことです。今回の調査では企業に対し、今後のFTA締結相手として関心のある国はどこかという質問もしました。実際に交渉中の国々の中では、韓国、ベトナム、インド、インドネシアなどが、交渉が始まっていないケースでは中国、米国、台湾などが挙げられていました。

世界貿易機関(WTO)における多国間貿易交渉が、150を超える加盟国の中で複雑な利害調整の難しさからなかなか進まない現状において、FTAの役割は今後も重要であることに変わりはないでしょう。日本も他国に遅れをとらないよう、FTAの対象地域を着実に広げていくべきです。

――ただ、日本は自国の農業保護の問題があり、FTAの拡大が難しいのが実情ではないですか。

農業保護ではコメだけでなく、ほかの農産物も含めて一体的に議論されがちですが、これではなかなか打開策は見えてきません。コメと他の農産物を切り離し、コメに対する保護はある程度維持する代わりに、他の規制は順次撤廃・削減していくというような強弱をつけた施策が求められると考えます。また、FTAというと発効と同時にすべての規制が一気に取り払われるというイメージを持たれがちですが、そうではありません。実際は時間をかけて障壁を引き下げていくわけで、そうした点も政府がしっかり説明して、農業保護がFTAの前進を阻むことのないようにする必要があります。

――今後の研究課題をお教えください。

今回は京阪神の企業を対象にFTAの利用度を調査しましたが、同様の調査を全国に広げていきます。実は昨年度にRIETIで全国企業を対象に調査を行い、現在、データの集計を行っているところです。

また、FTAの利用度の分析は日本だけでなく、海外の実態調査を交え、国際的な観点から進める必要があります。その意味で、海外でも同様の企業調査や分析をやっていきたいと思っています。それらの調査を通して、FTAの活用度を高める方策を提言したいと思います。

さらに、FTAの影響について日本および他の国々について分析することを計画しています。そのような分析には、アンケート調査の結果だけではなく、貿易、生産、雇用などに関する統計を用いる必要があります。それらの分析を通して、FTAによるベネフィットとコストを明らかにすることが、今後のFTA戦略の策定に対して重要な貢献になると思います。

解説者紹介

慶應義塾大学経済学部卒業。スタンフォード大学大学院経済学部修士号取得、同学大学院博士号取得。1978年から81年までブルッキングズ研究所研究員、81年から86年まで世界銀行エコノミスト。94年より早稲田大学社会科学部教授、2005年より現職。その間、国民金融公庫総合研究所所長等を経歴。2002年よりRIETIファカルティフェロー。主な著作は、『国際経済学入門』(日本経済新聞社)、『日本のFTA戦略』(日本経済新聞社)(共編著)、『アジアFTAの時代』(日本経済新聞社)(共編著)、『FTAガイドブック2007』(日本貿易振興会)(共編著)等。