Research Digest (DPワンポイント解説)

Intangible Investment in Japan: Measurement and Contribution to Economic Growth

解説者 宮川 努 (ファカルティフェロー)
発行日/NO. Research Digest No.0011
ダウンロード/関連リンク

少子高齢化が進む日本では労働生産性の引き上げが最重要課題になっているが、そのためには、いわゆるハード面のIT化だけでは不十分であり、IT化に付随した「無形資産」の蓄積が求められている。宮川 努RIETIファカルティフェローらは、人的資本や企業組織のあり方も含めた日本の無形資産を実際に計測し、経済成長への影響度について実証分析を行った。その結果、日本の無形資産の蓄積は欧米に比べて遅れており、それが生産性の改善を遅らせている実態が明らかになった。

IT投資とともに生産性向上を 実現させる役割担う無形資産

――今回の論文では企業の持つ「無形資産」に注目し、経済成長との関係について考察されています。まず、問題意識からお聞かせください。

無形資産は将来の収益を生み出す基盤になるものすべてを包含しています。例えば、企業で働く人材の質や企業組織の効率性なども含まれます。その結果としてとらえられる(有形資産を含めた)企業資産は当然、会計上の資産より広い概念になります。

無形資産に注目するのには、次のような理由があります。少子高齢化のなかで経済成長を促す手段の一つとして、経済の効率性を高める情報技術(IT)化の重要性が叫ばれています。しかし、近年広く認識されつつあるのは、ハード面のIT化だけを進めても、それだけで生産性が高まるわけではないということです。実際、日本ではマクロで見たIT資本の蓄積は他の先進諸国と比べてそれほど遜色のない水準に達してきたにもかかわらず、生産性の伸びは相対的に低い状況が続いています。

表1にあるのは日本と米国、欧州連合(EU)の1990-95年、95-2000年の、マクロおよび産業別の労働生産性上昇率(年平均)ですが、90年代前半は欧米よりも、90年代後半は米国よりも、日本の生産性上昇率が低いことが分かります。特に日本ではGDPシェアが大きい「ITを使うサービス産業」における生産性の伸びの低さが目立ち、これがマクロの生産性の低迷をもたらしています。

表1 日本、米国、EUの労働生産性伸び率

欧米では現在、IT化に伴う付随的な資産の蓄積が、生産性の向上に寄与しているという考えが広がっています。今年の米国の「大統領経済報告」では、米国が2001年のITバブル崩壊後も力強い経済成長を続けることができた背景として、IT投資を補完するために、人的資産や組織内での経営能力など無形資産の蓄積があったことを強調しています。同様に欧州でも、経済発展のためには経済の「知識経済」化が必要であるという認識が浸透してきました。

知識資本、組織資本などとも呼ばれている、こうした企業組織内の幅広い経営資源を定量化して捉え、マクロ経済や生産性の分野への影響を実証的に捉えようというのが、本論文の狙いです。こうした研究は欧米では進んでいるものの、日本では資産の計測からしてほとんど進んでいないのが現状です。

3つのカテゴリーに分類される無形資産

――無形資産に含まれる資産の中身を具体的に教えてください。

この論文が参考にしている研究業績であるCorrado, Hulten and Sichel(2005;2006)は、無形資産を(1)情報化資産(Computerized information)、(2)革新的資産(Innovative Property)、(3)経済的競争能力(Economic Competency)という3つの大きなカテゴリーに分類した上で、米国経済でどれだけこれらの無形資産に対する投資が行われているかを計測しました。今回も基本的にはこの分類に沿って無形資産の計測を行いました。

(1)の分類には、ソフトウエア及びデータベースの構築などが入ります。(2)の分類には、研究開発(R&D)投資、特許やライセンスの取得、資源開発、金融新商品の開発などが含まれます。最後の(3)の分類には、広告宣伝費、企業特殊的な人的資本形成費用、組織の改変費用が含まれます。

日本では「企業特殊的資産」のシェアが相対的に低い

――計測した結果はどうでしたか。日本の無形資産は欧米と比べて、どのような状況にあるのでしょう。

表2が、今回計測した日本の無形資産投資の状況と、米国、イギリスの無形資産投資の状況を併記したものです。日本は95-2002年、米国は98-2000年、イギリスは2004年の無形資産投資額です。期間や通貨単位が異なりますが、ここで重要なのは無形資産投資の構成内容の違いと、無形資産とGDP、および、無形資産と有形資産の比率になります。比率は各国データの最下段に記してあります。

表2 無形資産投資の国際比較

表2からは次のようなことが分かります。まず、無形資産投資の構成内容については、日本ではR&Dなどの革新的資産が最も大きいのに対して、米国とイギリスでは企業特殊的な人的資本形成費用、組織の改変費用などを含む経済的競争能力が中心になっています。次に、無形資産投資総額のGDP比率は日本が7.6%なのに対して、米国が11.7%、イギリスは10.0%であり、この3カ国の中では日本が一番低くなっています。なお、この論文の公表後に、無形資産を計測するために利用する基礎データを見直したうえで我々が行った最新の研究結果によると、日本のGDP比率は9.6%まで上昇しました。ただ、それでも日本が低水準にあるという結論は変わりありません。

図1では、日本の情報化資産、革新的資産、経済的競争力の3種類の無形資産投資が過去からどのように変化してきたかをグラフに表しています。合計額は98年まで増加基調にありましたが、それ以降は伸びがとまり、近年は40兆円強(再推計後50兆円)で推移しています。主力の革新的資産投資の無形資産全体に占める割合がやや低下して現在では約45%を占める一方、最近は情報化資産がシェアを高めており、25%程度を占めるまでになっています。GDPに占める各資産の割合、および、各資産に含まれる個別資産のGDP比率の詳細は、表3のようになっています。

図1 無形資産投資の推移
表3 日本の無形資産投資GDP比率

計測結果の国際比較から分かるもうひとつの重要な事実は、日本の無形資産投資/有形資産投資比率が米国、イギリスに比べてかなり低く、有形資産投資に偏った投資行動がみられるということです。おそらくこの背景には、金融仲介機関中心の金融システムにより、担保用資産となる有形固定資産のほうが好まれる傾向があると考えられます。

労働生産性改善への貢献度は欧米より低い

――以上のような無形資産投資のあり方は、日本の経済成長にどのような影響をもたらしているのでしょうか。

経済学の「成長会計」の考え方では通常、成長の源泉を資本と労働の蓄積、それに、こうした生産要素を生産に結びつける効率性を示す「全要素生産性(TFP)」の3つに分けます。見方を変えると、これは(1)労働投入1単位(例えば、労働1時間)あたりに投下される資本の量(資本深化度)、(2)TFP――以上の2つの要素で、労働生産性の変化を説明することに等しくなります。

表4の上段は、この通常の成長会計の考え方に基づいて計算した2つの要素のGDP成長率への貢献度をあらわしています。

表4 無形資産を含めた場合と含めない場合の成長会計

最上段に各期間のGDPの年平均成長率があり、それは定義上、以下の段にある労働投入量と労働生産性の伸びの合計に等しくなっています。そして、その労働生産性の伸びの下に、資本深化度の貢献分とTFPの貢献分が示され、両者の合計は労働生産性の伸びと等しくなります。1980-90年、90-2002年という2期間を比較すると、労働生産性の年平均伸び率は3.34%から1.89%へと1.46ポイント低下しており、このうち0.76ポイントは資本深化度の低下、残りの0.70ポイントはTFPの低下の影響です。

これに対して表4の下段は、資本深化度の部分をさらに有形資産と無形資産に分けて同様の成長会計の計算を行った結果です。1.49ポイントの労働生産性低下のうち、資本深化度の低下の影響が0.84ポイント、TFPの低下の影響が0.65ポイントであり、さらに資本深化度の0.84ポイントの低下は有形資産の0.86ポイントの低下と無形資産の0.02ポイントの上昇に分解される、という結果になりました。

ここで注目すべきなのは、無形資産の経済成長への貢献度にほとんど変化が見られないという点です(80年代の0.43ポイントに対して、90年代は0.45ポイント)。さらに労働生産性の上昇への貢献度も低く、90-2002年の場合、23%(0.45÷1.97)に過ぎません。先に紹介したCorradoらの先行研究では、米国の労働生産性上昇に対する無形資産の貢献度は約30%であることが示されています。

日本は無形資産をさらに蓄積し、それを効果的に使うことで成長率を高められる余地を残しているといえるでしょう。日本で無形資産の労働生産性上昇への貢献度が米国並みに高まれば、労働生産性の上昇率はさらに0.2ポイントほど高まると考えられます。

情報の開示や金融システム改革が必要に

――今後、無形資産の蓄積を促進するための課題は何でしょうか。

中国など東アジア諸国が急速に台頭するなかで、日本が製造業を中心とした「もの作り」をこれまで以上に拡大することは困難です。今後の日本経済は、知識経済化、サービス化を軸としていかなくてはなりませんが、その基礎となるはずの無形資産の蓄積は必ずしも十分とは言えません。その結果、表1で見たように、特にITを使うサービス部門の生産性の低さがマクロの生産性低迷の主因になっています。

今後の課題ですが、第1に、企業がより広範な無形資産の情報を開示していくことです。デンマークでは、政府が知識資産の開示についてガイドラインを作成し、企業の知識資産の開示を促しています。これによって、人々が企業組織における無形資産の重要性を認識すれば、結果的に企業価値が向上します。それによって無形資産の蓄積がさらに促されるという好循環が期待できるわけです。

第2に、間接金融主体の金融システムから脱却する必要があります。すでに述べたように、間接金融主体の金融システムでは、どうしても企業の投資が有形資産に偏りがちになります。ベンチャー企業のような有形資産を持たず、無形の技術やビジネス・モデルのみを持った企業が成長していくためには、その企業の無形の知識資産を評価して資金を供給できる、厚みのある直接金融市場の形成が不可欠でしょう。

無形資産計測の精度向上に取り組む

――最後に、今後の研究課題について考えをお聞かせください。

無形資産の計測の精度をさらに上げていくことが重要だと考えています。特に無形資産のひとつである経済的競争能力のうち、企業特殊的人的資本の形成や組織変革費用に関わる部分の計測については、信頼できる統計が不足していることに加え、各国独自の企業風土が大きく影響していると思われます。こうした「人と組織」の分野の計測は集計された統計から接近することには限界もあり、海外の先行研究のようにインタビューなどを通した「人と組織」の特徴の定量化の努力が必要になるでしょう。このようなマクロ、ミクロ両面にわたる研究を通して国際比較が可能となって初めて、知識資産の蓄積を通した企業価値の向上への道筋が見えてくると考えています。

解説者紹介

学習院大学経済学部教授。1978年東京大学経済学部卒業。2006年一橋大学大学院経済学博士号取得。1978年日本開発銀行入行。調査部副長、名古屋支店企画調査課長等を経て、99年より現職。その間にも、88年ハーバード大学国際問題研究所客員研究員、89年エール大学経済成長センター客員研究員、また、92年から94年には日本経済研究センター主任研究員等も務める。2004年よりRIETIファカルティフェロー。2006年よりLondon School of Economics客員研究員も兼任。主な著作は、『長期停滞の経済学』東京大学出版会(2005)、『日本経済の生産性革新』日本経済新聞社(2005)等多数。