ノンテクニカルサマリー

インボイス通貨選択の決定要因としての信用制約と交渉力:中堅・中小企業アンケート調査に基づく実証分析

執筆者 後藤 瑞貴(一橋大学)/早川 和伸(アジア経済研究所)/鯉渕 賢(中央大学)/吉見 太洋(中央大学)
研究プロジェクト 為替レートと国際通貨
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

マクロ経済と少子高齢化プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「為替レートと国際通貨」プロジェクト

輸出入取引の契約と決済に用いられる通貨はインボイス通貨(貿易建値通貨)と呼ばれる。貿易取引でのインボイス通貨の選択は、輸出企業と輸出相手先の間の為替リスクの配分を巡る問題であるとともに、輸出先との間の価格設定に関する問題でもある。輸出国通貨がインボイス通貨として選択されると、契約から決済までの期間に為替相場が変動すれば、輸出企業の輸出代金の円建て受取額が固定される一方で、輸出先の相手国通貨(現地通貨)建てでの支払額は変動し、為替リスクは輸出先が負担することになる。反対に相手国通貨が選択されるならば、為替リスクは輸出企業が負担する。

インボイス通貨選択に関する近年の実証研究(Ito, et al. (2018)等)は主に上場企業へのアンケート調査を用いて企業レベルの決定要因を考察しているが、非上場の中堅・中小企業に注目する研究は非常に少ない。インボイス通貨選択に関する理論モデル(Goldberg and Tille (2008, 2013))は、インボイス通貨の選択は輸出企業と輸入企業の交渉の結果であり、輸出側と輸入側の交渉力が交渉を通じて通貨選択に影響を与えることを指摘する。著名大企業と比べて小規模かつ世界市場での認知度も低いと想定される非上場の中堅・中小の輸出企業は、その交渉力の弱さゆえに輸出相手国の通貨を選択せざるを得ず為替リスクを負担している可能性がある。一方で、企業のリスクマネジメントの理論モデル(Froot et al, 1993)は情報の非対称性の問題が大きく、高い外部資金調達コストに直面している企業ほど、為替リスクをヘッジする強い誘因を持つことを指摘する。非上場の中堅・中小企業がこうした問題に直面し、かつ大企業と比べて為替予約などの市場を通じたヘッジ手段の利用が限られているならば、ヘッジの誘因はインボイス通貨として輸出国通貨を選好することに繋がるだろう。日本の中堅・中小企業のうち本研究の対象とするような近年輸出を開始し、継続している企業は、元々の財務状態の弱さに加えて、海外からの受注に応えるために設備投資を拡大させるため、より深刻な信用制約(financial constraints)に直面している可能性もある。

本研究では、2019年末に日本の非上場の製造業に属する中堅・中小企業のうち、2010年代に輸出開始または輸出を継続したと想定される企業2,100社に対してアンケート調査を実施し300社(回答率約14%)の回答を得た。主な質問項目は、2019年時点の輸出について、輸出相手国別に、輸出先となる取引相手と、その輸出について最も使用頻度の高いインボイス通貨について回答を得た。輸入がある場合、輸入についても同様の回答を得た。

回答結果から直接観察される特徴は、日本の中堅・中小企業の輸出においては広く輸出国通貨(円)建てが選択されているということであり、その背後に企業間取引における円建て割合の高さと、アジア諸国向け輸出における円建て割合の高さがある。

本研究では、中堅・中小企業のインボイス通貨選択の決定要因を分析するため、上記のデータから、企業-輸出相手国-取引相手という取引経路単位のデータベースを構築し、各経路における最も使用頻度の高い通貨を被説明変数とするプロビットモデル推計を行った。決定要因としての説明変数は、輸出相手国、取引経路(取引相手)、企業特性、交渉力の指標、信用制約の指標、ヘッジ手段の利用、の6種類に分類される。

表. 中堅・中小企業のインボイス通貨選択の決定要因:プロビットモデルによる推定結果
表. 中堅・中小企業のインボイス通貨選択の決定要因:プロビットモデルによる推定結果
注)+(もしくは-)はプロビットモデルによる推計において、被説明変数である通貨建てのインボイス通貨選択に対してその決定要因が統計的に有意な正(もしくは負)の影響が観察されたことを示す。空欄は統計的に有意な影響が観察されなかったことを示す。グレーの欄は、その説明変数が推計に含まれなかったことを示す。
出所:推定結果より著者作成

推定結果は表にまとめられている。基本サンプルによる推計(表左側)の主な特徴は下記である。
・取引経路については、企業間取引のうち商社経由取引が円建てを選択し、相手国通貨建てと米ドル建てを選択しない傾向が顕著である。一方、企業内取引のうち、自社の現地法人向け輸出が円建てを選択し、相手国通貨建てを選択しない傾向がある。
・交渉力の強さを示す指標は、円建ての選択を促進させる傾向がある。
・企業の成長機会を示す売上高成長率が高いほど円建てを選択し、相手国通貨及び米ドル建てを選択しない傾向がある。また財務状態の悪化した企業(自己資本比率が低い企業)ほど、円建てを選択し、米ドル建てを選択しない傾向がある。

以上の結果は、通貨のボラティリティや取引経路の相違、主な企業特性などの既存研究で議論されている主な決定要因をコントロールした後で、交渉力に影響する製品競争力や製品差別化の度合いが高い企業ほど、輸出国通貨(円)を選択する傾向にあることを強く示唆している。さらに、大きな成長機会と財務状態の悪化による信用制約が深刻な企業ほど、為替リスクの負担のない輸出国通貨建てを選択する傾向を示している。

信用制約が企業のインボイス通貨選択に与えている影響の頑健性を確かめるために、より詳細な財務データを用いて、企業の信用制約を示す財務指標を構築して推計に加えた結果が表右側にまとめられている。企業の成長機会・投資機会の代理変数である有形固定資産成長率が高いほど、そして、財務状態が悪く(自己資本比率が低い)、内部資金が少ない(現預金-総資産比率や手元流動性が低い)ほど、円建てが選択され、米ドル建てを選択しない傾向が観察される。

本研究の結論は、上場企業において観察されている決定要因の多くは中堅・中小企業のインボイス通貨選択においても決定要因として機能していることである。そして、その中でも企業の交渉力の強さに関連する製品競争力や製品差別化の度合いが高い企業ほど、輸出国通貨である円建てを選択する傾向が顕著であり、インボイス通貨選択における交渉モデルが示す理論的予測と整合的である。さらに、本研究の特筆すべき新たな貢献として、非上場の中堅・中小企業の信用制約が輸出インボイス通貨選択に影響を与えているという実証結果を見出した。つまり、大きな成長機会がある一方で、財務状態が悪化しており、内部資金が少ない企業ほど、輸出国通貨をインボイス通貨として選択している。これは為替予約などの市場を通じたヘッジ手段の利用が限定されている状況下における代替的なヘッジ手段として、インボイス通貨として輸出国通貨を選択するという、企業金融分野のリスクマネジメントの理論モデルの予測と整合的な結果である。

引用文献
  • Froot, Kenneth A., David S. Sharfstein, and Jeremy C. Stein (1993) "Risk management: Coordinating corporate investment and financing policies," Journal of Finance, Volume48(5), pp.1629-1658.
  • Goldberg, Linda S. and Cedric Tille (2008) "Vehicle currency use in international trade," Journal of International Economics, Vol. 76, pp. 177-192.
  • Goldberg, Linda S. and Cedric Tille (2013) "A bargaining theory of trade invoicing and pricing," NBER Working Paper 18985, April 2013.
  • Ito, Takatoshi., Satoshi Koibuchi, Kiyotaka Sato and Junko Shimizu (2018), Managing Currency Risk, Edward Elgar.